魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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ほら、笑って

 

 

彼らが、手を繋いだままに入り込んで行ったのは閑散として人のいない宿。その中に入っても、主人すらいないそこに土足で踏み込んでいく様子に、少しばかりの困惑を備えてカリナは話しかける。

 

「ここに限らず…いやに、人が少ないな。なにかあったのだろうか」

 

「そりゃあ避難をしたに決まっているだろう。巻き込まれたらたまったもんじゃないだろうし」

 

「避難?何からだ」

 

「僕たちから、だよ」

 

答えは簡潔で、そして明瞭。

それ故にその咀嚼には時間がかかった。

 

「バレているのか」

 

「そりゃあバレてるだろうよ。ほら、そもそもこの旅の途中、ちょこちょこ刺客を送り込んできているのはここにいるブレイズだぞ」

 

「そう、なのか」

 

なるほど確かに、そう言われてみれば歴然である。そもそもの武装が銃と軽装の服じみた鎧なことから、高技術を持つ何かが背後にいた事は分かっていた。だがそもそもの大元がそう、という単純な話だった。あまりにも答えが近すぎると、かえって予想は遠くに着地しすぎるものだ。

 

「そうだな、改めて説明しておこうか。ここにいる英雄はアンバー・ブレイズ。雷と伝達を得意にしていたやつだった」

 

ああ、と、名前だけは知っているなとカリナが頷く。英雄伝も、そういえばまだ途中しか読んでいないなと想起する。どこまで読んだのだったか?何故か、ある程度から記憶が霞がかる。

 

「あいつは罪を絶対に許さないタイプの奴だ。堅物と言えばそうなのかもしれないが、僕はそう思う事はなかったな。融通は効くし、冗談だって普通に言える。だが一方、一度罪であると認めた相手に容赦する事は絶対に無かったし、その判断は覆さなかった。正義漢に近いのかもしれないが、それとも少し違う…執行人って持って回った言い方が一番近いかもな」

 

「…そんな奴が刺客を送ってくるくらいには、あんたはそいつに罪だと判断されてしまったんだな」

 

「…ま、そうだろうよ。僕が、僕たちがやっていること、やろうとしていることはどう贔屓目に見積もっても計画殺人とインフラの破壊だ。悪であり、罪であることは間違いないさ」

 

「別にそれを否認するつもりもない。俺自身、やっていることが悪であることを否定するわけではないが…あんた……」

 

「ないが、なんだよ?」

 

「……いいや。その、なんだ。

そいつが直接、こっちに赴くことはないのだなと」

 

何かの言葉を飲み込んで、代わりに男が言ったのはそんな言葉。ルーチェはその飲み込みを少しだけ安心したように笑って流して、その質問にまた答える。

 

「そうだなぁ…僕もあまり事情に詳しいわけではないが、この街、エレクトラがこんな発展をした境にブレイズは忽然と姿を消したとのことだ。英雄として世を儚んだのか、今の世の中に自分は必要ないと思ったのか、意外と気ままに人生を謳歌してるのか。わからないが本人が姿を現す事は無いんだろうよ」

 

「随分楽観的だな。今回、改めて来るということもあるのではないか?」

 

「無いよ。それくらい積極的に僕らを殺しに来るつもりだったら、僕らは旅を始める前にブレイズに殺されて終わりだったろうし。指示系統に関わる事はあっても、直接こちらに来れない裏付けになっているのは、今の僕らの生存そのものだよ」

 

ふうむ、と男は唸って頬をかく。流石に英雄たちを良く知る人間の発言ならば、こちらが殺されていただろうという発言を聞いて憤慨することもできない。それこそ雷の速さで、こちらを『執行』しなかったのは、なにかしらの理由があるのだろう。

 

そう話しながらも宿の奥にずかずかと入り込んでいく少女。おいおい、と困惑しながら着いていく男も、次第に別の感嘆に表情が変わっていく。

 

「これは…すごいな」

 

これは本当に夜の中なのだろうか?そんな子供じみた感想が浮かんでくるような明るさが一つボタンを押すだけで機能する箱の中。快適な気温になるように設定された空気が彼らをもてなす。つまみを一つひねれば湯が出てくる、利便を極めた空間。

エレクトラ産の道具を、この少女経由で何度か使う機会がった。その度に感心と、使いこなせないことからの渋面に見舞われたものだったが、今回の体験はさらにそれを何倍にも煮詰めたような体験だった。

 

「しかし、そんなバレた状態で、その敵陣のど真ん中で休むとはな…なんというか不思議な気分だよ」

 

「どうせバレてるならこの街から出てって遠くでやる意味もない。ならば少しでも近く、身体を休められる所での休息が合理的だ」

 

「…目を覚ましたら既に囲まれてる、なんてならなければいいがな」

 

「お前がその前に気付いてくれればいいだろ?

得意じゃないか、そういう警備」

 

「はぁ…そうだな。信頼に応えるとしよう」

 

そう苦笑し終えて、もぬけの殻の宿の一室でおのおのが休息を取り始める。カリナは、ずっと気怠い身体を誤魔化すように仮眠を取り始め、ルーチェはその様子をじ、っと見て。

 

そうしてから息を吐いて、かたかたと小刻みに震え始めた。抑えていた虚勢が、取り外されてしまったように。

 

 

「……はっ、はっ、はっ…

……〜〜ッ、クソ、……風呂でも浴びる、か…」

 

 

 

……

 

 

がたん。

比較的に、大きい音で男は目を覚ました。

起き上がって即座に身を翻して周囲の確認、ルーチェはいない。音がした場所はこの隣の部屋から。安否の確認の必要性あり。カリナは機械よりも機械らしく身体を動かしてその判断を遂行した。相変わらずに身体は重苦しいままだったが、それを無視することもある程度は出来た。

 

この先からだった、と急いで扉を開けて。

 

 

「ひゃあっ!」

 

急いで、扉を閉めた。一糸を纏わないそれを、目と脳に写す前に。扉の向こうから聞こえてくる水音にも、できる限り神経を払わないように。

 

「あっ、いやっ、その!僕の今の声はっ…」

 

「…すまない」

 

早とちりでとんでもないことをしてしまった、と頭を抑える。少し前までのカリナならば、危機の可能性がある中でそんなことを言っている場合ではないと悪びれもしなかっただろうが、しかし今は、良くも悪くも、そうして裸身を見てしまったことに青ざめる程の感性が出来ていた。

 

「あ、ああ、いや!その…僕を心配してくれたんだろ?その、さっきの音はついすっ転んじゃってさ!それからの行動であることもわかってるから別に気にしなくていいぞ!うん!」

 

「すまない、本当に。不快な気持ちにさせてしまった」

 

「…べ…つに…」

 

扉を隔てた会話故に、声は聞こえ難い。

だが、それでも聞こえる声で。

 

「別に…嫌では……ない。だから、そんな謝らないで大丈夫だ。…こんなこと、言わせるなよ。一応、外ヅラは女の子なんだぜ。僕は」

 

「…あ、ああ…」

 

どうにも落ち着かない。それは自らの身体の不調から来るものか?それとも、もっと心の奥にある何かしらの別のものだろうか。それもわからないで、まあ、少なくとも危機ではないのなら、と場を去ろうとした瞬間。

 

「嫌だっ…!」

 

後ろの手を引く、濡れた小さな掌。弱々しく服を握る姿を、男は振り返らないまま感じる。

 

「一緒に、一緒に入ってくれ…!」

 

発言に、内心ギョッとした。だけれどそれが、冗談でないことはその真に迫った声と、そして握られたままの手から伝わってくる小さな振動が伝えてくる。

だから何も言わずに、ただ衣服を脱いだ。

 

「…わかった」

 

そうして、言われるがまま。共に湯を浴びる。

しゃああ、と流れる湯の音と湯気が空間を支配しているからかその中は狭く思えた。空気が重苦しく感じた。

 

「あんまり、じろじろ見るなよな」

 

しばらく無言が続き、それでもまだ繋いだままだった手の震えが少しだけ収まり始めた頃に、始めてルーチェは口を開いた。

 

「……」

 

言われるまでもなく、目をグッと瞑り、視覚は完全にシャットアウトしていた。だから、感覚のみで故にこそ、しっかりと感じていた。その、声の揺れを。彼女の、その言葉を放つ土台の揺れを。

 

「…先に謝っておく、ルーチェ。今度こそ嫌な気持ちにさせたらすまない」

 

「あ、何を…きゃっ」

 

力をあまり入れない抱擁が、そっとルーチェを包み込む。少女はその接触に、一瞬強い拒絶の反応を示してから、そうしてから自らの意思でそれを抑えた。

 

「…は、ハッ、なんだよ?如何に僕が可愛いからって、急なボディタッチはやめろよ、び、びっくりするだろうが」

 

「……」

 

「な、なにか言えよ…急になんだよ、もう…」

 

「あんたは」

 

カリナは抱擁を一度解いて、そして閉じたままだった目を開いた。それは糾弾を受けても、怒りを買ったとしても良いと思ったから。例えそれが失礼であっても、見なかったふりで目を瞑り続けて仕舞えばきっと後悔するだろうと思ったからだ。

 

目の先にあるのは、怯え切った少女の顔。虚勢を張り上げて、傲岸で、不遜な笑いをしようとしていることはわかる。そしてそれも上手くはできていないことも。

 

「あんたは、苦しくないのか。辛くないのか。英雄の仲間たちから命を狙われて。お前が間違っている、罪だと言われて」

 

つい先のこと。言おうとしてやめたことだった。どの面を下げて言えたことだろうかと思って、引っ込めた言葉が、それでも出てしまった。

 

「……何を…今更。僕らが先にやっている身だ。辛いとか辛くないとか、そういう問題じゃあ…」

 

「俺は、あんたが英雄たちを疎んでいるのだと思った。憎んでいるのだと思った。何故憎んでいるかも分からないが、それでも」

 

しゃあああ…

流しぱなしの、シャワーノズルからの水流の音。それの湯気に隠れた少女の紅潮した顔が、今は頼りない。

 

「だけど、今のあんたからはその憎しみが感じられない。それも何故、どうしてかはわからない。でもそれなら、あんたは…あんたは、ただ元の仲間を殺して、元の仲間から否定されて、それだけじゃないか。

…あんた、いつか言っていたな。復讐を、復讐の旅路を楽しんじゃ行けないという理屈もないだろう、と」

 

「…あんたが一番その言葉に反している…!」

 

細い、細い肩を再び掴む。今度は抱擁ではなく、もっと力強く。問い詰めるために、裸身のままの姿を逃さないように。

 

「教えてくれルーチェ!俺たちには一体何があった?俺の身に、お前の身に何があったッ!俺は愚かかもしれない、あんたにとって頼りない存在かもしれない!だけど、けど…!」

 

「…けど?」

 

「あんたの役には、立ちたいんだ…」

 

それは、本音だった。彼女が何かを隠していることは間違いがない。そしてそれはきっと、彼女の憎しみが消えていることも、彼女の様子がおかしいことも、自らの不調にも全てが繋がっている。

その、直感からの思考よりもずっと、もっと。何かを抱えて潰れかけているこの者を、支えたかった。

 

「ふ、ふふ、あはは、はははは…」

 

カリナは、だからその目の前の風景に動転した。

目の前の少女は、明らかに泣いている。手の甲を用いて涙を拭いて、それでもなおぬぐいきれないほど。そしてそうなのに、声は、声だけはけらけらと、嗤っているのだ。

 

「はは、ぐすっ。お前は、馬鹿だな。何故そんな僕に親身になる?僕とお前の関係は、ただの、利用とされる側。それでよかったじゃないか。それで、終わりで良いのに、どうしてそう、そんなことを言う?」

 

「どうして、か」

 

そうだ、何故だろうか。その通り、自分が彼女をそう想う必要はない。自らの復讐のために。それぞれの復讐のために。利用関係であってそれ以上ではない。その必要もない。

 

 

「あんたが好きだ。だから助けたい。それだけだ」

 

 

だから出た答えは簡潔で飾り気がなく、故にこそそのままの感情。頭が悪く、その、好きという感情の区別すらきっとついてない愚かな彼そのままの想いだ。その言葉は、故に彼女の心に深く、深く刻まれて。

 

ぺたん。

ルーチェは、静かに崩れ落ちて座り込んだ。

 

「……僕も、お前が好きだ。

そうだ、そうなんだよ。僕はお前が好きなんだ…」

 

心が、通じ合った者とは思えない。

絶望の声音がそんな内容の言葉をぶつぶつと呟く。そうしてから、濡れたうなじから響くような声で、世界を呪った。

 

 

「…遅せえよ。遅えんだよ、全部。それを言ってくれるのも、僕が戻ろうとするのも、全部。もう手遅れなんだよ。ずっとずっと、もっと前に。全部もう、元には戻らないんだよ。僕はもう、とっくに…」

 

座り込んで両の手のひらで顔を隠すそれから、隠しきれない落涙。シャワーからの水で、乱れた長髪。もはや隠そうともしない身体。その全てがアンバランスで、壊れた均衡。

均衡だけではない。彼は、彼女は、きっと心も壊れたのだ。魔人と少女の境目がもう、どこにも無くなってきている。

 

カリナはもう、何も言えなくなって、裸身の彼女をまた静かに抱擁した。今度は反射としての拒絶すらない。そうする理由もなかった。

カリナはただ、眉間に皺を寄せ目を瞑る。

 

 

その直前に見た、鏡に写る自らへの違和感。それは、懐でただ泣き続ける魔人の涙と、汚れた泡と共に洗い流されていった。

 

 

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