ここは、ある研究所。
人が云うには、そこは祠。
ある英雄が作り出した自らの野望の産物を、無知の人民はそう称した。自らたちが一から十まで理解できない存在を忌み、拒み、恐れてそれを祠だと称して、近づかないようにした。
怪しげな呪いと、自分に理解できないものを称する。それはしかし正しい行動だった。結局のところ、その者の行動理念も感情も、理解できず、有害であることに間違いはないのだから。
「〜♪」
風の祠、その最奥で巨大な試験管の内側に入ったモノに向けてにやけた笑いを向ける複数人の姿。
それは、そのすべてが性別も見た目も違い、そして中身はどのどれも同一。その中身の全てが、『ウィン・J・エアルフ』だ。
「ふふ、ふふふふふ」
その中の一つが独り言を呟く。否、常にそこではだれかが、どれかが、言葉を呟いている。誰にもなににもあてられていない言葉が、音として流れている。通り風のようのように吹き続けるその音は呪詛にも似ておぞましい音になる。だからこそそこは、呪われた『祠』なのだ。
「楽しみだよ。君がまた、俺を見てくれるのが」
それらの内のいづれかが見つめて、そう笑い続けるもの。視線の先にあるものは、巨大な試験管、その中にある培養液。
そしてそれに浮いているのは、大きな大きな黒い狼。
…
……
「……」
いつも弁が立つ、口数の減らなかったその彼女は、今は何も話していない。ルーチェは、ただ何も話さずに澱んだ顔のまま歩き続ける。
ただ一人、一人きりで。
そうだ。今度こそ、ともがらはいない。
彼女の影の中にもそれは、いない。
この旅を通して横にいたそれは、今はいない。
そして向かう先にもまともな人影は見つからない。そこにはまだ腐食も錆も劣化もない、建物だけはあるというのに。
(結局)
(僕はここに戻ってくるんだな)
歯車の音が今でも鳴り響く。人など誰一人いなくなろうとも、無関係に、鉄に揃えられた街並みが無機質に世界を回し続ける。その場所は、世界の中心。この、機械仕掛けの世界を回し続ける世界の中心地がこの場所だ。
鉄の機、ラスマキア。
英雄たちの一人、シルヴィア・アンが死んだ場所。
(……)
もはやそこには、誰もいないとわかっている。
だがその街の門にさしかかり、足を入れる瞬間にそれでも緊張をした。それはこの場所そのものに、トラウマを抱いて、フラッシュバックがどうあっても発生するからでもあり、それよりも、もっと。
これまで目を逸らした自分の罪を、見せつけられるようだったから。
(……見るな、見るな)
未だに血のついたままの、鉄製の建物たちを見る。未だに飛び立ったままの肉片から目を逸らす。なのに視界はそれをどうしても捉えてしまう。自らがそれらをやったという事実があるからだ。
彼女は必死に、動悸の激しくなる自らを抑えてそのあたりを歩き通り過ぎた。
「…はぁっ、はぁっ…」
指先でそっと形をなぞって、自らに黒い狼の姿の偶像を空中に描いてみた。それに、がんばれ、と言わせてみたりした。
くくっ。そんな自らを嘲った。
そうして着いたのは、それまでの中でも幾分か小さい家屋。その中に一人二人、住めるであろう程度には広く、それらのみで終わるほど狭い。
勝手知ったる他人の家、というようにルーチェは手馴れた様子でそこの扉を開けて、裏庭に続く扉の鍵もまた開ける。
そこの錠は、鍵がなくてもコツがあれば開けられるのだ。
他人の家、など馬鹿馬鹿しい。
(…見るな、ではないんだろうな。
僕はちゃんと、見なければならないんだ。きっと)
裏庭にある、小さな粗末な墓の前に立った。
そこの下には、シルヴィア・アンが埋まっている。
彼、もしくは彼女の、母親が埋まっている。
そうだ。ここは、故郷だ。
彼は、彼女は。『ルーチェ』は、ここで産まれた。
…
……
裏手にある、木の端材で作られた粗末な墓の、その根元を、作り出した氷の針で掘り出す。ゆっくり、ゆっくり。一度刺すごとに、込み上げてくる胃液を落ち着かせるように、ゆっくりと。
「……」
そこに埋めてあった輝きの失った宝石を掘り出す。
もはやそれは、特別な力の行使は必要なかった。ただ、木炭のようになったそれは、強く握るだけでぼろぼろと崩れ果てる。何の力もありはしない。もうそれには最低限の硬度すら、存在していない。それがかつての『星』であったことを知る者も、もうルーチェ以外はいない。
「…こんなに、ぼろぼろになるものか」
ぼろぼろと崩れていくそれを、抱きしめるようにして破壊する。粉々に、自らの愛した女性であり母である者の狂気まで抱き潰すように。
そうしていつも通り、その破片のうちの一つを取り出して嚥下する。その真っ黒なそれは土の味と、焦げきった味の混じり合った破滅的な感覚。
ルーチェの脳には、いつも通りの、『星』を破壊した時の、それを保有していた英雄の星に込めた願い、想い、記憶の流れ込みはなかった。
心底、それにほっとした。
それは単に、狂気に呑まれた彼女の記憶が流れ込んできたのなら、こちらとも狂っていた可能性があるということもだし、晩年に彼女が何を想っていたのかということを、知る勇気もなかったからだ。
ただ、代わりに、この場所がそうだからであろうか。過去の記憶が湧き出て、湧き出て仕方がない。まだルーチェが、ここに無垢に自分としていられた時のこと。そして、今に至るまでのこと。
そして、それに辿り着くまでの自らが犯した誤ち。それらに、もはや目を背け続けることにも疲れたから。
流れ込んでくるように脳に流れるのは、彼の罪の記憶。
…
……
それは、過去と言うにも、もっともっと過去のこと。どれほど前の事か。時間というのも意味を持たないほどに過去。物語として、むかぁしむかしの英雄譚と記されるその話の、終わりのところ。
かみさまが星を英雄たちにわたし、そのままいつまでもいつまでも幸せに過ごしましたとさ、と書かれ締められ、省略をされる、そのあたりの話。
8人の英雄。
地の気を持ちし者、ノヴァ・ブラウン。
龍の武を操りし者、ドグ・シアン。
水の静を滴らす者、シズク・カラスバ。
草の養を育みし者、リーフィ・グリーン。
雷の威に成りし者、ブレイズ・アンバー。
風の知を流せし者、ウィン・J・エアルフ。
鉄の鎧を纏いし者、シルヴィア・アン。
そして、雪の鋭さを纏う者、スノウ・ホワイト。
英雄譚に書かれた英雄たちの名前に間違いはない。それの話である、全てを知るための旅路も、空のさらにその上、世界の外側からやってきた存在たちとの戦い。多くの出会い、別れを伴い、長い長いそれらをついには終止符を打ったこと。それらに多少の脚色はあれど、間違いはさほどない。
それを描いたものも、過去に彼らに救われた者たちの希望の寄せ書き。羨望と憧れに満ち満ちている、そんな英雄譚。
だがその英雄譚には書いていないことが、ある。
ただ一つ。
スノウは、その時に全てを裏切った。自らの私利私欲のために。自らが望んだものだけのために。ただ、独善的に。全てを間違えたのだ。
…
……
残る星は、あと二個。
そうして彼は過去に耽る。
その星たちが、どう生まれたかを目を背けられずに。