ユーア・マイ・スペシャル
「──ざっと、こんな感じかな!」
ゆっくりと座った椅子の上、対面したその状態で一匹の黒い狼はその伝えられた情報の、その全てを飲み込めず、ただ呆然としていた。
対する一人の男は、その様子を見て関心を失ったように微笑みを浮かべたまま。
「…なにを…そんな話が…あるわけ…」
「ああ、そういうのはいいから。
いやあ、やっぱ説明は記憶を直接流し込むのが早いね。誤解も相互の不足もない。会話なんて前時代的で野蛮で冗長だ」
カリナは、英雄たちがこうなるまで。過去の英雄譚そのものから、それが堕ちるまで。
そして、『スノウ』が『ルーチェ』になるまで。
その全てを、今伝達させられた。
会話や情報を見せる、というそのようなものではなく、それそのものを脳に入れられるといった形で。故にこそそのビジョンは明確で明朗で、故に疑う余地は残らない。
「…そうだ…思い出し、かけてきた…
俺は…俺は今どこにいる…?
俺は今、こんなところで座っている…?」
ふらふらと、座っている状態から立ち上がる。一匹から、一人の姿になって、よたつき歩く姿をじっと眺める、その男。
「俺は謝らないと…ルーチェに、謝罪を…
いや、違う…あんたは…俺に今、記憶をねじ込んできたあんたは一体何者だ…?
それも、それも思い出して、きた…」
瞬間のことだ。カリナは目の前の男に掴みかかった。胸ぐらを掴むという、生易しいものではない。その眼窩に指を引っ掛けて、口に爪を立て、獣のように荒々しく地面に叩き伏せる。
ウィン・J・エアルフ。
悠然と座っていた、そのそいつを。
「ぐるるるるっ…!
お前だ、全部、お前じゃないかッ!俺が故郷を失ったことも、ルーチェが全てを失ったのも!ノヴァが誇りを失ったのも、シズクが心を欠損したのも、花の女王が狂ったのもなにもかもッ!貴様がその八つ星に、『あんなこと』を願わなければッ!」
「そおおおおだよ!全部俺のせいさ!さあもっと恨め、カリナくん!俺のことを思え!俺のことで君の思考を埋め尽くせよう!俺のことをたっくさん考えよう!君は俺のことをずっと見てくれればいい!」
そうケラケラと嗤うウィンをそのまま、掴みかかったままに握り潰そうとしてから、カリナはその本能からくる野蛮を止めた。
理由は、二つ。
「……ルーチェは、今どうなっている?
自らに針を突き立てて、どうなった?」
「ん。彼の目的は、自死。自らの意識そのものを凍結させて、擬似的に消滅することだったようだからね。それを溶かすために、今は療養させている」
「…もう一つ質問だ。
何故、わざわざ俺にそんな事を教えた。
自分のしたことを、過去に起こったことを全部俺に教えた。お前にとっては、俺とルーチェが二度と会わないままであったほうが都合がいい筈」
ウィンは、にたりと改心の笑みを浮かべる。
「君はバカだねぇ。
じゃあ、一つだけヒントをあげよう。
今、ゆっくり俺らがお話しして、こうしているこの場所は、いったいどこでしょうか?」
そう言われて。今ここで、つい先までの状態に。どうやって自分が椅子に座ったかを、全く思い出せないことに気がつく。違う。どうやって座ったかを思い出せない、のではない。そうするまでの道のりは、文字通り存在しないのだ。
そこまで考えて、彼は、彼自身の惨状を思い出した。リーフィ・グリーンに身体中を貫かれて、穴ぼこだらけになり、そこからは意識が全て停止している。
だが彼自身の身体が今を覚えている。筋肉が、骨が、動かんとする野生が、意識以外に記憶を保有している。細胞賦活液に浸かった自らの身体。
「風の祠」にて、治療を受ける自分。
そうだ。自分はまだ、立つこともままならない状態のはず。ならば、今ある、今いるここは。
「ここは、現実ではない…」
「うーん7割正解ってとこかな。
そおら、もう少しもう少し」
何故ここにいるかわからない。
そこに何故いるか、なぜあるかという事実そのものの欠落。その突拍子の無さには覚えがある。過去の体験がどうという、そう言った話ではない。もっと根源的に覚えがある。
「これは…夢を見ているようだ。まさかこれは、俺の中でしかない、のか。
ここは俺の精神の中にだけ存在する世界か?」
「ぴんぽんぴんぽーん!大当たり!」
そこまで理解したが故に、そうして理解を促されてしてしまった故に、カリナはその瞬間にぞくついた。それは恐怖というものではない。
もっともっと、根源的な違和感への。
「……これが、夢の中で俺の中でしかない、というならば、ならばなぜ…
なぜ、『俺の中』に貴様がいる…?」
彼が、カリナが知り得ない情報を教えている以上、気づきを与えるために自分の中の知識がウィン・J・エアルフの姿を経ているということはあり得ない。
ならば尚のこと、目の前の存在は異質だ。
「ククッククク…意識なんてのは単純なものでね。魂だの霊魂だの散々言われようが、結局のところは脳が作るシナプスと伝達の流れでしかない。
それに気付いて自らの脳神経情報を電気情報に変換し自らを電子データにしたブレイズなんてのもいたけどねぇ、つまるところヒトっていうのは夢想家で、それを認めたくないんだよ」
ウィンは、朗々と語り始める。
「ただまあ、さすがにゼロから思考を情報にして流すっていうのも難しくてね。その道を通るための道のようなものが必要だ。荒野を当てどもなく歩くよりちゃんと次の街に着く道があっての歩きの方が段違いで目的地に着くまでが早いだろ?
だからその脳の道を、回路を作るためには、同じ事を考え続ける事。一つそのものを、同じ事を考え続ける。すると意識に、道が出来上がって…そおら、通り道の出来上がり。
全く同じ意識が作りやすくなるわけだぁ」
ざん。鋭爪で、ウィンの首を引き裂く。
それは自棄でもなければ恐怖などから来る反射でもなく、怒りからの衝動でもない。
カリナは、冷静だった。そして冷静故に、今の自分の状態のまずさがわかっていた。
言っていることの殆どはわからなかったが、自分がどういう状態なのかという理解は出来た。
彼が、ウィンが自らの複製をどうやって作っていたか。身体を作り出し、同じような記憶と感情を追体験させることによって回路を導く。
切り殺されたウィンは悲鳴を上げることもなく壁や地面に吸い込まれて消えていく。そうして吸い込まれた壁は、地面に顔がずるずると浮かび上がっていく。それぞれが、立ち上がっていく。
「無駄だよ、もう、間に合わない」
「そうとも、もう間に合わない」
脱兎。その場から走って逃げ出す。だがそれすらどこに行こうと言うのだ。自らが閉じて、自らの中で完結している世界なのだから。
「俺の目的は、初めからこれだ」
楽しみだよ、君がもう一度俺を見てくれるのが。巨大な試験管の前、治癒される自分の前でそう嘯いていたこいつの姿をカリナは想起する。あれは誰が、どう向けていた言葉だった?
いやそもそも、だ。
なぜだ。なぜ、自らを治療していた?どうしてカリナの身体を治療する必要があった?それのパズルが、はまっていく。加速した脳内の中で。
「ありがとう、よくもまあ、健気に俺のことを思ってくれたねぇカリナくん。よく健気に、ルーチェちゃんのことを、スノウのことを考え続けてくれたねえ。おかげで、『回路』はできた」
彼の、ウィンの意識が通りやすい回路を、憎しみでも彼を考え続けることにより増築されたもの。それらを使用して精神の中に易々と入り込んでくる。
それは何を意味しているか。その回路に自らの意識と記憶とアイデンティティを送り続けることが、一体どのような意味になるのか。
「…俺は、スノウにどれだけ憎まれようと構わない。俺は、君がルーチェちゃんに、スノウにどれだけ愛されてようと構わない」
それは、つまり。
「だって!この憎しみはお前のものになるんだから。だって!この愛は全部、全部俺のものになるんだからさぁ!」
…筋書きは、こうだ。
彼を、彼らをどん底まで追いやったウィン・J・エアルフはルーチェもカリナもその手に収めてもはや何もできることは無くした。
ところが。恐るべきことに、捕らえられた狼は愛の力か自らの力で立ち上がり、彼女を救い出しました。悪の博士である、ウィンを斃して。
そうしてすっかり女の子になったルーチェと、それと共にいることになったカリナの二人は、いつまでもいつまでも、幸せに暮らしました。
その『カリナ』の中身が変わっていることなど、誰も気づくことはなく。
いつまでも、幸せに。
「ぐ…おおおああああッ!」
「ああごめんごめん、もうどう足掻いても無理だよ。なんでこんなにも、俺らの過去とか計画とか余裕ぶって色々説明したと思う?」
「それはね。勝ちを確信したからだよ」
精神の世界が、塗り潰されていく。どろどろの黒色に、絵の具がさらに上塗りされて消えていくように、カリナという狼男の精神が、別の人間の知識とニューロンに書き換えられていく。変わらないものなど無かったと、改竄されていく。変わらぬ想いなど無かったのだと、知らしめられていくように。
「!」
だが、瞬間。世界の端に切れ目が出来た。それは即物的な奇跡などといった産物ではない。
ただ、夢半ばのこの空間の裂け目とはもっとわかりやすく、目覚めであり覚醒の欠片だ。
だからこそ、それにしがみついた。
「なにっ…?」
「うおおおおおおッ!!」
ばりぃん。
光を掴んだ。叫んだのは、自分だ。乗っ取られた己ではない。自らのその身体だ。
砕けた試験管のガラス片が足先をずたずたに引き裂こうとも、鮮血が溢れようとも叫ぶのは自らの身体だった。内側から飛び出た自らを、流れ落ちた液体の水面で確認する。
俺は、俺だ。少なくとも、まだ。
「ハーッ、ハッ、ハッ、ぜっ、ぜっ、すぅー…」
肺いっぱいに空気を吸い込む。
酸素の足りない脳にそれらが行き渡り、清々しい気持ちと共に、手足足先の激痛が戻ってくる。だが、それが今のいるここが、現実だと教えてくれた。
身体に空いていたはずの風穴は、今や完治している。問題なく身体を動かすことができる。
その身の安全を確認して、ようやく現況を鑑みることができた。ここは、今いる場所は風の祠と呼ばれていた場所。自分は今、現実にいること。
さて、なぜ、自分は現実に覚醒することが出来た?あの状況、そしてあのウィンの勝ち誇った様子からするに自らが独力で起き上がることは、不可能だった筈。
そうなると、それを可能にしたのは、第三者の介入だろう。だが、それは誰だ?
思いつく協力者などという存在もいない。
ばっと、顔をあげる。そこに誰かが居たのはわかっている。それに、ようやく目を合わせる。
そこにいたのは。
どんな予想も追いつかないものだった。
「……!?」
そこに立っていた人物は、非常に見覚えのある存在。そして、それよりも違和感があるもの。
うすらでかい体躯。長めの髪を後ろに流し、前髪は目元を隠した、陰気で威圧的で、幽霊のような男。
そこにいたのは、もう一人の、自分だった。
「……」
それこそそれは、スピリチュアルな話であったり、比喩表現的な話ではない。
そこにいるのは、自分自身だ。
ただでさえ、難しい話をやたらと聞いて頭が痛いというのにこの困惑する状況。
カリナはただ、考えることをやめて。
代わりに再び息を大きく吸った。
そして叫ぶ。
「そこにいる、『俺』よ。お前の目的は!」
「ルーチェの奪還と再開」
「こちらも、それだ」
互いが、互いの目を見た。
きっと恐らく、二人ともに同じ事を考えた。
どちらが偽物かもしれない。どちらかは何かしらの策謀によるものかもしれない。
だけれど、そんなことはどうでもいいと。
彼はルーチェのためだと発言した。
ならばいい。
二人ともに、そう、首肯した。
「行くぞ」
「ああ、行こう」
二人はただ頷き合って、だん、と走り出した。
目指す先を探すべく、今いるこの「祠」の中を探索すべく。目的は同じ。自分たちのやることは同じ。ならばそこで協力しあえばいい。
そんな、単純すぎる答えからの行動だった。
自分はつまり、そんな単細胞だった。
そしてそれで、今は良かった。
ルーチェに逢う。ただただ、それだけだ。
…
……
さて、屋内には何人もの「職員」、つまりはウィンの記憶と人格を持った存在たちが闊歩しているはずだった。故にそれに居場所を聞くのは不可能としても、二人はそこから手がかりを得るつもりだった。
だがしかし、共に違和感に気がつく。
それらが、存在しない。存在する気配がない。
不気味なほどの静寂は、一体何にもたらされたものなのだろうか。これもまた、ウィンの策謀か。
否。これもまた、イレギュラーの一つだ。
こつん、こつん、こつん。
わざと知らしめるように、わざと気づいてもらうように、そう立てた足音が近づいてくる。
長い廊下の遠くから、近付く音。
「一歩一歩、踏みしめていきましょう。
私は、この瞬間を一日千秋で待ったのですよ」
こつん、こつん、かつ。
足を止める。そうしてその者は、2つめのイレギュラーは姿を表した。慇懃無礼なほどの礼とともに。
「これでも中々我慢強い自覚はあるのですが…いい加減に辛抱が効かなくなってしまいましてねぇ。英雄の住処だろうと、もうどうでもいいくらいに」
それは、興奮と高揚に掠れて震える声でそう宣言をする。常より細い腕からは生命の躍動たる蔓をずるずると引き出しながら。
「……お前は…」
「さあやりましょう、カリナ。私と、もう何でもいい。ただ私と死合いをしましょうッ!」
青嵐。
彼、あるいは彼女は。目に映る者ら全てを高揚のままに殺し回るイレギュラーと化していた。
そうして問答無用で死合いを仕掛けよう…
…としてから。びたりと動きを止めた。
「……ん?」
戦闘態勢のまま、滑稽なほど動きを止めて、フリーズ。そうしてからしばしの沈黙。
「なにこれっ、二人いるっ!?」
「……まあ、そうだな」
「どっ…なっ…
これ、どういうことですか、カリナ!?」
……純粋な殺意、高揚。
そういった勢いそのものは、いっそ全部をひっくり返すような困惑が正気づけてしまうということを。
青嵐は、この時に初めて知ったのだ。