魔人と狼は幸福を求めない   作:澱粉麺

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カリナとルーチェ

 

ハッ、ハッ、ハッ。

 

走る、走る。

黒狼は恐ろしい勢いで走り続ける。

だけれどその口は大きく開かれ、舌はべろりと出し息絶え絶えで、脚に溜まる疲労は無視のできないもの。その中でもカリナは走り続ける。ただでさえ無口な男だ、こういう時でも、何も言わない。

 

刺客から、幾度も襲撃を受け、それの対処。

そうしてから即座に走り出し、またしばらく走った所で刺客からの襲撃。それをいなしてから、走る。流石に、どれだけ強かろうが限界が来ようというものだ。しかし弱音もなにも言い出しはしない。

 

 

ハッハッハッ。

ただ、呼吸のテンポだけ早くなる。

 

 

「……」

 

速度を落とさないように走っている。

それがわかる。わかるが故に、限界もわかる。

だから背中に立っている少女が代わりに口にした。

 

 

「もう少しだけ、もう少しだけ走れるかい?」

 

『あ、あ。まだまだ、楽勝だ』

 

「いや、本当に少しだ。そこを北に進んでくれ、少し先に水場がある。今日はそこで休もう」

 

 

そう言われて、言われるがままに水場に辿り着く。

大きな湖は綺麗で、澄んでいた。

 

 

『しかし…まだ、着いていないぞ…』

 

「はは、今日一日で到着は無理だよ。足に大層自信があるみたいだけど、自惚れるのはよくない」

 

 

『……』

 

「…なんだよ。文句があるかい?

しかしどう見ても限界だ。いいから休むよ」

 

 

背から少女が降りた途端に、狼も座り込む。

姿はその巨大な狼のままだ。

ルーチェはやっぱり、と呟く。

 

暫くの共生で分かったのは、こいつにとっては狼の状態の方が素面に近く、誤差程度であるとはいえこの獣の状態である方が負担が低いのだ。そしてそれでいて、人の姿でいたがる。それの方が、良いのだと。

 

だからつまり、人の状態に戻るでなく、ただ狼のままに座り込んで動かないのはそれほど限界に近かったということだ。

 

「カリナ、お前の『収納』を開けてくれ。

テントを用意してある、二人分な。

出してここで野営するぞ」

 

『いや、俺は……』

 

「人らしく、扱われたいんだろう?なら人の作った物を使っておいて損はないぞ。

体験してみてからそれを否定するのと、食わず嫌いのまま思い込みで否定をするのでは、人としての文明度がだいぶ違う。使ってみて気に食わなかったら、お前のやりたいように野で寝ておけばいいさ」

 

『むう、言いくるめられるようだが…

まあ、反論も思いつかん。そうしよう』

 

 

そうして彼は再び人姿となり、自らの影に腕をずぶりと突っ込む。それから、いくつかの道具を取り出す。

雷と機の天・エレクトラ謹製の常夜灯に、日持ちのする食料。そして先に言われたテントが二つ。これらはかなり、カリナの収納内部を圧迫していたが、しかし必要な物ではあるのだろうと、諦めて運んでいたもの。ルーチェに、手渡されたものだった。

 

 

「しつこいようだけど…つくづく便利だねその影収納。僕も今から習得できたりしないかな?ほんとなんとかして」

 

「…我が里の秘伝の一つだった。失伝したし、俺も教えられるほどの頭はない。だから諦めろ」

 

「ちぇっ、ざーんねん」

 

 

人の姿になって、ようやく息が整ったらしいカリナに、そう他愛もない話をしてから。

 

ぐい。

ルーチェは、唐突に服を脱いだ。

 

 

 

「!?な、にをしてるルーチェあんたっ!?」

 

「ん?いや水浴びだよ。服着たままじゃ出来ないだろ」

 

 

「…馬鹿!そういうのは一言言え!

そうすれば俺だって遠くに行くっ!」

 

「おいおい。

何をそんな焦ってるんだ男同士、で──」

 

 

 

そこまで言って。

初めて、現状に気がついたようだった。

薄く未発達だが、確かに丸みを帯びた身体を、白い肌を隠すものが全くなくなっていること。

顔を彼方に逸らしているカリナ。

ズボンにまで手をかけようとしてた自分。

 

 

「……あっ」

 

ばっ。

今はただの手に持った布である服を、急激に身体の前に持ってきて隠して。手をクロスしたような、そんな珍妙な状態が暫く、続いた。

 

 

「………い……」

 

「い?」

 

 

「い、いやーん。えっちー」

 

 

「……」

 

 

顔を赤らめたまま、そうしたらいいのか、と言わんばかりのルーチェに、カリナは大きな大きな、大きなため息をついた。

 

 

「………あんたなぁ…」

 

「し、仕方ないだろ!これは不可抗力!忘れてたというか、うっかりミスだ!だからなんだ、今の反応で水に流せ!」

 

「なんであんたが忘れるんだよ…散々自分自身で美少女だのどうこう言っているだろうに」

 

「まだ自己認識とのズレがだいぶあって…それを直すべくあえてああいう恥ずかしい事を言ってるわけであって…いや、どうでもいいからあっち見てろ!

…ああそんなに遠くまで行かなくていい!もし僕が水浴びしてる最中に刺客が来たらどうするんだ!」

 

 

結局どうしたらいいのかと。

げんなりと、走っていた時よりも疲れた様相で、近くの木に隠れて見ないようにする形でカリナはルーチェの水浴びの音だけを聞いていた。

耳と、鼻が良すぎるために。意識をすれば見ずともわかってしまうために、出来る限り気を散らして。

 

 

 

「…カリナ。さっきはすまない」

 

「ああ全くだ。急に裸になるなんて肝が冷えた。本当にな。勘弁してくれ、これからは…」

 

「違う違う、それじゃなくって」

 

「そっちの方こそ重要に思ってくれよ…

…まあ、じゃあ、どれのことだ?」

 

 

「さっきの言葉。僕を運んできた後に言ったことさ。

僕はつい、自惚れるなとか、そういう言葉を言った」

 

「ああ…」

 

 

そうだったか?と、聞き直そうと曖昧な返事をした。実の所、この少女のそういった言葉に慣れすぎて、いつどうだったかあまり覚えていない。

だがその、ああ、という返事をどう思ったか、少女は続ける。

 

 

「…そう言うつもりじゃなかったんだ。さっきは、本当に労うつもりだったんだ。ありがとう、って。これでも感謝してるんだ」

 

いつになく、照れくさそうな様子。

きょとん、と呆れたように目を見開いて。

そうしてからくつくつ、とカリナは笑う。

 

 

「……あんたは、言葉を弄しすぎだ」

 

「何?」

 

「そんなにべらべらと喋らなくとも分かってる。

あんたが、優しいことなぞ」

 

「…はぁ!?」

 

 

「まだ浸かっていろ。また目のやり場に困る」

 

 

ざばぁ。湖から身体をあげる音が聞こえたためにそう言った。先に困らせた負い目があってか、ルーチェはそれに素直に従う。

 

 

「……僕が一番嫌いな言葉だよ、優しいなんて。扱い易くて都合が良くて利用し甲斐のある、そんな奴だって言いたいのかいお前は僕を」

 

「ああ。なら、それでいい」

 

「ふん。ふざけやがって」

 

 

言葉の末尾はぶくぶく、と不満げに水に息を吹き込む音と共に発音されていた。

そして、しばらくして。湖から凄い勢いで、水が飛んだ。跳ねた、というよりも飛んでいった。木の陰にいる、カリナに向かって。

 

 

「なっ、うわっ…何をする!」

 

「ああ、もう服は着たから安心しな。これも労いの一つさ、僕が身体を洗ってあげる」

 

「頼んでない…!大きなお世話だ、やめてくれ」

 

「水浴びは苦手かい?

ふふ、あっははは!そこまで犬っぽくなくても!」

 

「誰が犬だ…!ええい、その杖!

杖を離して水を飛ばすのをやめろ!」

 

「はは、汗臭いぞ!

ほーらほーら入りなよ、ほら!」

 

 

とっくみあって、お互いに逃げ回っている中。カリナの腕がルーチェの足にひっかかり、そのまま体勢を崩す。そうして倒れる先は。

 

 

「わっ」

 

ざぽん。

またも、湖の中。綺麗な水がばしゃりと跳ねた。

 

 

「…す、すまない。大丈夫か?」

 

「あはは…いやあ、びしょびしょ」

 

服を着たままの入水は湖がさして深いものでなかったために大した事は無かったが、狼は再びため息をつきながら顔を晒す。それに反応して少女はまた、ポーズを取るように胸を腕で隠し、こう言った。

 

 

「いやーん、えっち。

…今度こそ、使い方間違ってないだろ?」

 

「…良いから水から上がれ…」

 

「はいはい」

 

 

 

 

 

……

 

 

 

「…それで、今近づいてる都がここ。

龍と力の都、リェン・ラン。

そこは今は闘技場文化が盛んな野蛮な町だ」

 

「闘技場」

 

そこをオウム返しして、目を輝かせ考え込むように頷くカリナ。少女は多少、鼻で笑う。無口の冷静を気取っているが、この男ほど分かりやすい奴はいない、と。

 

「そこにいる英雄は、ドグ・シアン。

過去、いちばんの武闘派だった女だ。

だいぶイカれてはいたけど、話こそ通じる。

…あとは、ここからはもう一つ集落が近いな。

水と恵みの集落の……」

 

つらつらとそこまで言いかけてから、ぴたりと話が止まる。何か、と顔を向けた瞬間、ルーチェは大きなあくびをした。

 

「くあ…」

 

「ふむ。疲れているな」

 

「いやあ、走ってもらったのは君にだから、さほどのはずなんだけど…この身体は、遅い時間になると勝手に眠くなっちゃって、こまる…」

 

 

幼い身体は、休眠を求める。それは『中』の意思に関わらず。それを悟ってか、目を擦って眠気を覚まそうとする少女の後ろに立ち、カリナはそのまま狼の姿になった。

そうして、結局水浴びをさせられ、綺麗になった毛皮で彼女を包む。

 

 

『寝ておけ、ルーチェ。喋るのは後で出来る。

あんたにもちゃんと休んでもらわないと困る』

 

「いやしかし」

 

『不寝番は俺がやる。

なあに、番犬さ。あんたを守るくらいなら出来る』

 

「ああ、寝ないのは駄目だ、お前も休め。

疲労と睡眠不足で動かなくなられたこっちが困る」

 

『大丈夫だ、脳を半分ずつ眠らせる訓練を受けてる。

休みながら番はできる』

 

「……本当かぁ?」

 

『心配、痛みいるよ』

 

「心配ってわけじゃなくてさぁ…

…まあ、いいか。ならお言葉に甘えるが…

本当に無理はするなよな。

もしお前が倒れても僕は置いていくからな」

 

 

しばらく、虫の鳴き声とたまの風で水がさざめく音だけが響く。そうしてから、うーん、と唸って目がぱちりと開く音。

 

 

「眠れない」

 

『眠いのに、か?』

 

「身体現象と思考の渦巻きは別問題だ。

眠気だけはあるんだけど、どうも寝れない」

 

 

困った問題だ、とぼそりと独り言を言ってから。

出しぬけに、ふと言った。

 

 

「な。子守唄代わりに、お前のことを教えてくれよ」

 

『…俺の?』

 

「ああ。僕のことは少し語ったが…

僕はお前の過去は殆ど知らない。必要ないからな。

だけど必要の有無を置いておいて、少し知りたい」

 

 

『別に…いいが。大して面白い話じゃないぞ』

 

「だから子守唄にちょうどいいんじゃないか」

 

『なるほど、道理だ』

 

 

 

そうして狼は軽い口ぶりで話し出した。

自らの、過去について。

 

 

『…俺のいた所は本当に辺鄙な因習村でな。

そこに住んでいる奴は全員、半人半狼だった。まあ、それが当然だったからそれをおかしいとは思わなかったが、それはそれとして人口も少なかったからな。俺たち以外はこういう変幻は出来ないのだ、と教えられても納得はしていた』

 

「へえ…なんで半狼なんて産まれたんだろう。祖先のどこかに、勇気か欲望が余りすぎてる人がいたのかな?」

 

『さあな。獣の呪いとも、戦神の祝福とも言われていた。正味どうでも良かったのだろうし、俺もどうでもいい。ただ、野を駆け回るのが楽しかったから』

 

「…獣らしいな」

 

『そうだな。そうかもしれない。

だけどこれでも、許嫁とかもいたんだ。本当だぞ?』

 

「……ふん、つまらない、女だったのだろうね。

つまらない、お前と結婚しようというんだから」

 

『は。…言えている。そいつも俺も、言われるがままに子を成そうという、ただそれだけだった。だがそれなりには幸せではあった』

 

『……それが、崩れるのもあっという間だったが』

 

 

興味はある、内容だった。

というよりも、ここからが本命だというのに。

瞼が否応なしに重くなっていく。

 

 

『……が、俺たちを……した…

…っという間に………全員…』

 

 

うと、うと。

音が、遠くなっていく。

ああ、クソ。幼い身体が憎たらしい。

 

 

『……だが……生きて…

…った…なん……逃げ……』

 

 

うと、うと。

 

 

『……は、運命……ったんだ……

あの時……ってくれた……お前に…』

 

 

 

 

……

 

 

 

 

『…ルーチェ?』

 

 

返答は無い。

寝息を聞いて、安心したように息を吐く。

 

『眠ったか』

 

 

彼はそうして、身体から力を抜く。

 

カリナは、自分自身不思議に思っていた。

なぜ、こうもべらべらと自分のことを語ったのだろうか。

以前までの自分なら、無駄だと軽んじて言うことは決してなかったろう、と。だが、言葉にした事に抵抗はなかった。

むしろ、それで良いのだと思うほど。

 

少女の多弁がうつったのだろう。

そう、自分で勝手に納得をした。

そしてその影響は、そこまで嫌ではないとも。

 

 

狼は目を閉じた。

湖の音を、水の匂いを聞きながら。

 

これは次の星を砕くまでの、束の間の休息。

二人はそれでも、確かに仲を深めてはいた。それがどうなるか、どうするかなど、打算はないままに。

 

 





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