ルーチェは、荷物を手に町の郊外に出る。こそこそと周りの目を気にすることは無く、堂々と。彼女が使う魔術で、姿がよほど目を凝らさない限りは見えないものになっているからだ。
ただし走ることはせずにゆっくりと。急激に動くとこれを維持することは難しい為だ。
移動の最中、カリナと自らにかけなかった理由はそれに起因する。それができたのなら、刺客の襲撃も飛躍的に少なく出来たろうに。
持ち運ぶ荷も多量な為、シンプルに重い。そんな、大変な思いをしてまで歩き街の郊外に出ているにはある理由があった。ある問題から生じた、ある理由が。
「そーら、餌だぞ」
拗ねたような声を出してから、杖をかかんと二度鳴らす。瞬間姿隠しのヴェールが消えて、緑の目をした少女と、先まではいなかった巨大な狼が姿を現した。
問題とは。
罪を犯して追われる立場になったというわけではない。少なくとも都、リェン・ランの中では。何かミスをしたわけでもない。少なくとも作為的なものは。
問題は、目立ちすぎてしまったことだ。
ストレスの発散も兼ねての、闘技の予選。カリナは思い切り身体を動かして周りを一気に薙ぎ倒した。
それはそれは、楽しくそうした。
加減も無く、力を見せつけるように。
結果。あの強者は何者だ?と注目を集めて、闘技場を出てからも様々なものに追われる、付いて来られる、中には憧れの視線と共に話しかけてくる者もいる。
戦いこそがメイン・コンテンツのこの都で、戦いの強さを誇示してしまうことがどれだけ魅力となり得るかを、カリナは知らなかったのだ。
カリナが露骨に憔悴するだけならば良い。だがその人の目は、ルーチェの英雄たちの捜索にも支障をきたす。少女はだから言ったのに、と肩をすくめながら狼の姿のままで都から離れることを命じたのだった。
「僕にこんな手間までかけさせてさあ。
申し訳なさとかは無い?」
「…すまん」
「過ぎたことだ、謝罪は要らな…
……いややっぱもっと謝れ。凄く重いんだこれ」
「……ごめん」
「もっと…いや、話が進まないな。負目につけこんで気持ちよくなるのはこれくらいにしよう」
多弁からくる少女の一方的なお喋りもひとまずひと段落。そうして二人は屋外で一緒に食事を摂った。
塩辛くて、味の濃い食事。肉肉しくて、力をつける為のみの食事。本当に本当に、闘うものにとってのみ都合のいい場所だ、ここは。
二人ともが、そう思った。それに付随する感情はそれぞれ辟易と歓喜で別れてはいたが。
「で、どうだって?」
「ひとまず次戦にはいけるようだ。
…戦いの内容を見て、相手を変える、と言ったことを話された。注目を集めているようだし、これで英雄の目についていればいいのだが」
「どうかな〜。気配こそ辿ってるが様子が無い。色々と調べてはいるが、見当もつかないよ」
「ううむ…まあ、手掛かりが無いのなら一応この闘技をする理由もあるか」
「そう都合をつけて、やりたいだけだろ?お前」
「……正直、そうだ」
「あはは!今更そんな顔するなよ!元々分かってるっての。やりたいならやっておくといいさ。元々、僕らの契約はお前に得が少なすぎるんだ、多少の役得くらい大目に見てやるとも」
そういうことになり、次戦の予定を鑑みる。予選が過ぎて暫く。明日には試合が行われるらしい。
「俺が戦う間、あんたはどうするんだ?」
「僕はこの町全体を見てみるよ。闘技場周りから索敵範囲を広げてみようと思ってね。…ドグのことだから、あの周りだとは思うんだけどなぁ……」
「…ふむ、そうか」
「おや。僕に試合を見ててほしかったかい。そうしないと、寂しいか?ん?」
「…そうだな。見ててもらいたい」
「…え?あ、そうかい?いや、そうなの?
意外だなぁ、はは」
「ああ。俺が戦っている最中、英雄、ドグが何かしらの反応をするかもしれない。俺だけでは目が回らないからな、確認していてほしい」
「………」
「?なんだ」
「なんでも!
ほんっとつまんない男だよ、お前は!
そんなんだから──」
「君、危ないですよ」
びくり。
狼と少女が同時に肩を震わせた。
後ろからかけられた声は中性的な声。低めの女性、のようであれば高い声の男のようでもある。その髪型も紺色の編みで、女性的にも見える。
「誰と話していたかは知りませんが…その大きさの獣に襲われようものなら、ひとたまりも無いですよ。私が追い出しましょうか」
爽やかに、慇懃にそう申し出たその人物は、手に片手半剣を持っている。
さて困ったものだ、とルーチェは焦り始める。こいつは武装と衣服からするにリェン・ランの闘士の一人。狼を追い出させるわけにもいかないし、かといって正体を晒す訳にもいけない。殺してしまうか?それもどうだろう。
「あ、えーと、えーとですね…」
「こいつ、こいつは…!僕のペットだ!
だから、大丈夫!」
『………』
黒狼から無言の反感と圧力を感じたが、それを出来る限り無視してそう言い張る。
「そうですか。ならばとやかくは言いませんが…あまり、心を許しすぎると危ないですよ?」
「あ、ああ…どうも、ありが」
がきぃん。
杖と、剣が重なり合う音。咄嗟に少女から取り上げた鉄製の杖で防がれた凶刃は今もまだ、ぎちぎちと鉄同士がぶつかり合う音をたてていた。
「え」
「ほう」
咄嗟に人姿にならねば。杖を盾にしなければ。一つでも判断を間違えれば凶刃はルーチェを貫いていただろう。それほど精密な動きだった。カリナは杖を振り上げて鍔迫り合いを終わらせて蹴りを放つ。対手はそれを獣のような跳躍で避けた。
「なるほど、そこの『ペット』は気付いていたのでしょうか。もしくは常に警戒をしていたか。
どちらにせよお見事です」
「しかし、魔人のほう。あなたはいけませんねぇ。友好に話をしていたからといって、その者が無害とは限りません。言ったでしょう、心を許しすぎると危ういと」
先までの爽やかさは消えた。
じとりとした害意の染みた声だ。
カリナも、その実気付いていなかった。
こいつには、全くもって殺気が無かった。
いいや違う、これは、こいつは。最初から今に至るまで、殺気を垂れ流したまま、だったのだ。それに浸らせ続け、麻痺させ、その異常に気づかせないように。
もしくはそれこそ偶然で、ただただ隠し切れない異常性であるだけかもしれない。少なくとも答えは一つ。
この者は敵だ。
「下がれルーチェ」
「まずはありがとう。ああ、援護する」
「頼む。…さて、貴様、何者だ。」
臨戦態勢に移った二名を見て、そいつはゆっくりとその身体をゆらつかせた。それこそ襲いかかる前の獣のように。そうして口を開いた。
「名乗るような名はありません。そして紹介し合う必要も。私と貴方たちの間にあるものは死合うことのみ。それで良いではありませんか」
「なるほど、良いな。賛同しよう」
「そして。この場で戦う必要もありません」
「それについては賛同しかねるな。
お前は俺がここで殺す。それで終わりだ」
「そう急かなくとも。私と貴方にはちゃんと戦う舞台がありますよ、カリナ。
だからここで私は貴方とは戦わない」
舞台。何の事だ、と訝しんだが、逆に消去法で考えれば自ずと分かる。思い当たる節はむしろ一つしかない。
闘技場。その場での、死合いということ。
「逃す、と思うか?この場から」
「ええ、逃しますね。
『護衛をしながらでの戦いでは分が悪い』…と貴方は思い始めている。ならばこそむしろ、この場を離れての再戦を貴方は内心受け入れてるからだ」
「……」
「それに今のような奇襲は一度失敗した以上あなた方には通用しない。であるならば逃すことを警戒する必要もない。そう、思っていませんか?」
こいつ、何者だ?
二人はそう、眉をひくつかせた。
「それでは、また後日。
次に出会う時を楽しみにさせてください。
貴方もきっと、そうなのでしょうから」
そいつは、そう言って悠然と去って行った。急ぐ訳でもなく、背中すら向けて、堂々と。背中は幾らでも狙えるが、むしろそれをこそ望んでいるようだった。
「……ルーチェ。行かせるか?」
「…行かせよう。僕が、足手纏いかもしれないなら尚のこと行かせない訳にはいかないさ」
結局、そういうことで。ただ嵐は去って行った。何事も無かったかのように、流血のひとつもなく。周囲に他の人の気配も無い。本当にただ、愉快犯的な目的で今の者は来たらしい。
「……刺客の、一人か?」
「僕のことを魔人、と称していた。それにお前の名前も知っていたし、間違いなくそうだろう。
だが…それにしても随分異色な奴だったな。
まるで……」
「…まるで、ドグのよう…か?」
「………ああ。確かにそう言おうとした。だが、客観的に言ってもらったおかげで、間違いにも気付いたよ。奴には星の力を感じないし、何より…本当にそうならば、僕の首はとうに落ちてた筈だから」
ふと、ルーチェはカリナを見る。
彼は、今の刺客が去って行った方向をぞっとするような憎悪の顔を浮かべ睨んでいた。
「…もしかして、あいつが
「まさか。俺が奴の顔を見紛う筈がない。そうならば対面した時点で殺しにかかってたさ。だが…」
ぎり、と牙を噛み締める。そこにはいつもの無表情から、しかしやはり憎しみが滲み出ていた。
「だが、憎む理由は違う。奴はあんたを殺そうとした。ルーチェを狙った。それだけで、俺が奴を殺める理由は十分だ」
「……」
ぽかん、と少女はその発言を聞いて、から。
ふふ、と軽く笑った。
なんだ、嬉しいことを言うじゃないかと。
「さて。やる事はいずれにせよ変わらないな。
俺は明日、奴を斃す。
あんたは…変わらず周りを見るか?」
「…うん。ちょっと悩むが、そうする。
また万が一にもまた足を引っ張ったら嫌だし、それに、勝ちが決まってる試合を見るほど退屈なものもないもの」
「ふむ?」
「だってお前ならあいつに勝てるだろ?」
不器用な、信頼を見せて。
お互いが不敵に笑う。
そうして拳をこつりと合わせた。
「勿論だ。任せておいてくれ、相棒よ」
…
……
『………』
「…ん、どうしたんだ今度は?
そんな雨に濡れたような顔をして」
『さあな。ペットごとき放っておくといい』
「う…いや…まあ、流石に悪かったって。
咄嗟になにも思いつかなくてさ。
アドリブは苦手なんだ、僕」
『…いや、それは分かってるんだ。悪意があるというわけでもないのも。ただ…』
『さすがに…がくりときてな…』
「ご、ごめんって…
思ったより面倒臭いな、お前は!」
…
……
闘技場への、まばらな、人の入り。
『青嵐』。
その者が出る試合には、人気が無かった。
何故か、と言われれば明確な理由が一つ。強さが圧倒的すぎるからだ。
観客が闘技に求めるのは、名戦。苦戦と熱戦を超えた末のどちらかの勝利というエンターテイメントであり、一方的な戦いは求めていないのだ。だから、そう。圧倒的な強者の戦いは、つまらない。
だが逆に言えば。今回の試合はそんな者が戦う試合であると周知されている上で、その上でまばらというほどに客の入りはある。それは、中には蹂躙と殺戮を見たい者が存在する、ということもある。
だが主な要因はそれではない。
今宵来た客は、知っているのだ。予選の際、嵐のような暴力を振るった男を。黒色の超新星が、周囲を暴風のように薙ぎ倒して空に吼えた姿を。その男の戦いを観ていた者が、それに魅入られたのだ。
否、正確には、その戦いに魅せられた訳ではない。
どちらかといえば興味だろう。
一つの、子どもじみた単純にして根源的な興味。
『こいつとあいつは、どっちが強い?』
その答えが、絶対的に示される。
二つの圧倒的な暴力が闘技の場に入ってきた。
紺の髪を靡かせた、青い風。
黒色の体躯を纏った、狼の牙。
昨日、物騒な初対面をすでに終わらせていた二人は再びこの場で相見えた。
「昨日は、名乗るような名はない、と格好つけましたが…実を言いますと、名は初めから無いのです。
カリナ、申し訳ありませんね」
「代わりに、通り名だけはあるだろう。
青嵐、という通名。聞かせてもらった」
「はは。何やらむず痒いですが…まあ呼び名としてはそれが分かりやすいかもしれませんね」
場所が違ければ、平和な世間話にも見える会話。お互いの放つ敵意が無ければ、仲が良いようにも見える距離感。お互いの歪んだ顔が無ければ、笑い合っているようにも感じるコミュニケーション。
どれも成り立たない。
この二名は今から、殺し合うのだ。それはむしろ、何よりも色濃い対話かもしれない。
青嵐は、手を片方、握り拳にして。その拳を指に抱かせるように手のひらに当て恭しく礼をした。
「それでは、よろしくお願いします」
片手半剣を抜いた。
黒狼槍を、身体の前に向ける。
殺し合いが、始まる。