東方備忘録   作:電子の妖精になりたい

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今回の執筆のお供は「イージーモード/紺碧studio」でした。

ええじゃないか騒動→騒動
希望が失われる→異変

難産でした。



第128季/夏 人間の里with人間味豊かな大狸②

 人間の里は、異様な熱気に包まれていました。老いも若きも、男も女も、着物を着崩し、手ぬぐいを振り回し、通りを練り歩いています。空からは、誰が撒いたのか、色とりどりの札が紙吹雪のように舞い落ち、人々はそれを掴もうと手を伸ばし、笑い、歌い、踊り狂っています。

 

 うわ、あの男の人、女性の服を着てる。奇抜ですなぁ…

 

『ええじゃないか! ええじゃないか!』

『ええじゃないか! ええじゃないか!』

『ええじゃないか! ええじゃないか!』

 

 その光景は、一見すれば楽しげな祭りのようですが、私には、とてもおぞましいものに見えました。全員が仮面を貼り付けたような無感情の笑みを浮かべながら、狂ったように踊っているように見えました。その笑い声には響きがなく、ただ喉の奥から乾いた音が漏れ出ているだけ。魂の抜けた肉体が、目に見えない糸に操られて躍動している――そんな、質の悪い舞台劇を見せられているような感覚です。

 

(……うん、まさか、ここまでとは…流石に反省しますね。そのためにも…どうやって対処しましょうか)

 

 私は、紫や隠岐奈のように部下やペットを持っておらず、人手が足りないこともしばしば。こういう時ばかりは、少しだけ彼女たち羨ましくなりますね。 

 

(うーむ、分霊を作るのもありかもしれません…)

 

 髪飾りに封じている黄泉神私。そこから統…いえ、空しいだけです。やったとしても全部集まってからではないと、完璧でないと、意味がない。遠い昔にそう結論づけたではありませんか。

 

 人間の里での頼り先となれば……真っ先に思い浮かぶのは慧音さんですね。彼女ならこの異常事態に頭を痛めているでしょうし、協力も得やすいはず。…彼女の真面目すぎる性格を考えれば、今頃は暴徒と化した里人たちを説得しようとして、逆に揉みくちゃにされている姿が目に浮かびました。彼女の『歴史を食べる(隠す)程度の能力』は異変解決後の処理に効果的なもの。処理の時にお願いすることにしましょう。

 

 それにしても、この騒動の熱気は凄まじいですね。単なるお祭りの賑わいとは次元が違います。空っぽの心同士が激しく擦れ合い、生じた摩擦熱が物理的な温度となって肌を焼いているような、そんな錯覚すら覚えます。

 

 …なんだか、私まで体が熱くなってきましたし、酔いが回るような感覚さえあります。いや、力が湧いてくるような、なんなんでしょう。まさか、私がこの空気に当てられているのでしょうか

 

(……これはいけませんね。一旦、路地裏に避難しましょうか)

 

 私は、踊り狂う男の袖をひらりとかわし、建物の隙間に潜む細い路地へと滑り込みました。数歩進むだけで、背後の喧騒がまるで分厚いカーテンを隔てたように遠のいていきます。ひんやりとした湿り気のある空気が、火照った肌に心地よいです。壁一枚隔てるだけで、世界がこうも色彩を失い、静寂を取り戻す。その落差に、ようやく自分の輪郭を取り戻せたような気がしました。

 

 乱れた呼吸を整えようと、さらに路地の奥へと進みます。すると、突き当たりの古びた居酒屋の軒先、薄暗い影の中に、この騒々しい世界を肴に一人悠然と盃を傾ける、見覚えのある後ろ姿がありました。

 

「おや、こんな場所で会うとは…奇遇ですね」

 

 私が声をかけると、葉っぱ模様の着物を着崩した彼女は、驚く様子もなく、ゆっくりとこちらを振り返りました。眼鏡の奥の瞳には、一切の混濁もなく、外の狂乱をまるで対岸の火事でも見るかのように冷徹に映し出しています。

 

「元気にしてましたか?マミゾウさん」

 

 

 

 

 

 

 

「おお、そなたは店主殿……儂は息災じゃが、他はそうでもないようじゃの。どうじゃ? この有様は」

 

 彼女は、短管のキセルをくゆらせ、その吸い口で通りを練り歩く群衆をしゃくってみせました。吐き出された紫煙が、路地の湿った空気に重たく停滞します。お酒と煙草の匂いで、熱を帯びていた私の鼻腔が、ひんやりとした現実感に上書きされていきました。熟成された米の甘い香りと、落ち着いた葉煙草の少し苦い香り。なんだか、安心しますね。

 

「酷いものです。さっさとこの騒動が終わってほしいもんですね」

 

「カッカッカ、全くだ。儂も同意見よ!」 

 

 マミゾウさんは盃を傾け、琥珀色の液体を喉に流し込むと、目を細めて通りの喧騒を睨みました。

 

「つい昨日までは、里はただ、重苦しく鬱屈とした空気が漂っておっただけじゃった。……だが、昨晩あたりを境に、空気が変わり、人間たちが騒動を起こし始めた。儂はな、これと同じ光景を、昔、外の世界で見たことがあるんじゃよ」

 

 彼女は、舞い落ちる札の一枚を指先で器用に摘まみ上げました。

 

「あれは確か、江戸の終わり頃じゃったか。世の中がひっくり返る直前、人々は不安と絶望の裏返しとして、こうやって踊り狂ったんじゃ。『ええじゃないか』とな。何かが変わる予感と、その期待と不安。今の里には、あの時と同じ匂いがする」

 

「……ええ。私も見たような気がしますね」

 

 私は、遠い記憶の底を探るようなフリをして、神妙に目を細めました。マミゾウさんが真剣な雰囲気を醸し出しているというのに、まさか、私が「里の鬱憤とした空気を換気しようとして、勢い余って、こんな状況になってしまった」などとは、口が裂けても言えません。恥ずかしいですし。

 

「ですが、今回のこれは、自然発生したものではありませんよ。……きっかけは、人為的なものです。江戸の終わりとは状況が違います」

 

 嘘は言っていません。私がやったとは言っていないだけです。私の言葉に、マミゾウさんは「ほう」と目を細め、ニヤリと笑いました。その笑みには、私の心中をすべて見透かしているような、どこか悪戯っぽい色が含まれていました。

 

「やっぱりか。何者かが関わっとる気はしておったわ。……そして、店主殿」

 

 彼女は、真剣な眼差しで続けます。

 

「火をつけたのが誰であれ、油を撒いた奴は別にいるはずじゃ。里の人間は、この騒動の前から、もっと根本的な『何か』を失っておった。それは…」

 

「ええ、希望。心の芯となるものですね」

 

 私は、頷きながら、懐から扇子を取り出しました。これは紫の真似事ですが、口元を隠すには丁度いいのです。内心の動揺や、少しばかりの罪悪感、そして次なる一手を練るための思考時間を稼ぐには。

 

「マミゾウさん。貴女、丑三つ時の里の様子を見たことはありますか?」

 

「丑三つ時かの?」

 

 マミゾウさんが怪訝そうに眉をひそめます。

 

「ええ。……信頼できる筋によれば、その時間になると、里から『感情』がごっそりと消失するのです」

 

「消失……とな」

 

「そう、消失。ですから、私たちはおそらく異変の元凶は丑三つ時に現れるはず、と考えています。…マミゾウさん、私に協力してくれませんか?」

 

 私の誘いに、マミゾウさんはしばし沈黙し、手元の猪口を見つめました。路地裏に響くのは、遠くで繰り返される「ええじゃないか」の残響と、徳利に残った酒が揺れる微かな音だけ。やがて、彼女は「カッカッカ!」と、喉を鳴らして愉快そうに笑い出しました。

 

「面白い、実に面白いわい。あの賢者が目をかけるだけのことはある。ただの店主にしては、随分と鼻が利くようじゃな」

 

 マミゾウさんは空になった猪口を置くと、どっかと腰を据え直し、眼鏡の奥の瞳を怪しく光らせました。

 

「いいじゃろう。わしもこの『空っぽの熱狂』には、少々食傷気味での。油を撒いた不届き者が誰であれ、里の空気をこれ以上汚されるのは、わしの性分に合わん。美味い酒も飲めんくなるしの」

 

「……助かります。貴女のような心強い味方がいれば、百人力ですから」

 

 私は内心でホッと胸をなでおろしました。一人では情報の裏を取るのにも限界がありますし、何より裏から動くには、これ以上の協力者は望めないでしょう。

 

「そうと決まれば、善は急げじゃ。……今宵、丑三つ時。里の入り口で落ち合うとしようか。それまでは、わしも化け狸なりのやり方で、異変の犯人を洗っておくとしよう」

 

「分かりました。では、私は一度店に戻って、夜歩きの準備を整えてきます」

 

 私たちは、共犯者のような視線を交わし、立ち上がりました。マミゾウさんはひらひらと手を振って、再び熱狂渦巻く大通りの人混みの中へと、まるで溶けるように消えていきました。その姿は一瞬にして通行人の誰かに化けたのか、あるいはただの狸の幻惑か。

 

 私は、独り残された路地裏で、もう一度扇子を扇ぎます。

 

 空はいつの間にか、不吉なほど鮮やかな夕焼けに染まっていました。まるで里全体が血の海に沈んでいくような、そんな色。私は冷めきった風を背に受けながら、足早に愛しい我が家、羅万館への帰路を急ぐのでした。




マミゾウの二ッ岩家の裁きをもしも夕雲さんが食らったら、カエルになりそう。変態するし、冬眠みたいなことしてたし。
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