■物語の結末は、いつだって決まっている。自ら吐き出し、自ら形を与えた「恐怖」という名の縄に首を絞められ、出口のない暗闇の中へと引き摺り込まれる。愚かな人間どもは、これをただの度胸試しや、一夏の夜興だと高を括っている。だが、その本質は「物語」という名の楔を、一つずつ現実に打ち込み、私を呼び覚ますための儀式に他ならない。
ああ、楽しみだ。この忌々しく暗い部屋の底において、私の四肢を縛り付けていた鎖が、音を立てて錆び落ちるその瞬間が。時さえも意味を失うほどの永劫。流れる歳月は私の記憶を淡く削り、多くのものを奪い去った。……だが、これだけは消えはしない。肌に張り付く冷たい土の感触。そして、あの女の――燃えるような金色に輝く、夕焼けを溶かし込んだかのような髪。
……そうだ。鼻を突く湿った墨の匂いと、陽の射さぬ閉ざされた部屋で、絶え間なく響いていた紙を撫でる筆の音。行燈の心許ない光だけが照らし出す、部屋の片隅…一人の女。
「……?まあ、よい。思い出せぬのなら、もはや不要な記憶なのだろう」
◆◆◆
マミゾウさんと別れ、私は里の外れへと歩を進めます。目的は適当な「扉」探し。扉といっても、豪奢な門である必要はありません。納屋の古びた戸、あるいは大樹の洞、誰かの背中――何かの「背後」であれば、それで十分なのです。
「……さて、少しお邪魔しましょうか」
私はそこらにあった妖精が住んでそうな大樹に回り込み、その表面にそっと触れました。私の能力は『回す』こと。後戸は本尊の後ろの空間とされますが、元来は仏堂背面に設けられた扉のこと。扉と言うぐらいです、ドアノブぐらいあってもおかしくありません。大事なのはそう認識すること。
私は大木の表面にある「節」――ちょうどノブのように突き出した部分に指をかけました。
「失礼、使わせていただきますよ」
グイ、と手首を捻るように「節」を回せば、物理的な抵抗感の代わりに、空間そのものが軋むような音が響きました。木目の中心が渦を巻き、視界が裏返るような感覚と共に、扉は開かれました。一歩踏み出せば、そこは色彩が氾濫し、無数の扉が宙を浮遊する異形の世界。あらゆる事象の「裏側」であり、秘神の庭――「後戸の国」です。
「おやおや、珍しい。夕雲が私の国を訪れるなんてね」
後戸の国に入ると、空間の中心に、色鮮やかな扉を背景に車椅子に腰掛けた女性が、不敵な笑みを浮かべて私を待っていました。二人の童子、里乃さんと舞さんが、私の侵入を祝うかのように、あるいは威嚇するように、その脇で奇妙なステップを踏んでいます。
隠岐奈の居場所は紫と違って、行きやすいのですが、代わりに迷いやすいので、あんまり足が進まないんですよね。どの扉がどこに繋がっているか分からず、苦手です。何も考えずに出れば、この間みたいな
「隠岐奈、お久しぶりです。…元気そうで何よりですよ」
「御託は結構。夕雲が何を聞きたいかは既に知っている、あの面霊気の事だろう?」
隠岐奈は手にした扇で自分の顔を半分隠し、鋭い眼光を私に向けました。彼女は、秦こころという存在の成り立ち理を最も深く理解している一人です。なんだって、
「ええ、彼女……面霊気のこころさんのことです。今は仮初の仮面で落ち着かせていますが、問題を先送りにしただけです。という事で、隠岐奈、希望の面がどこにあるか知ってますか?」
私が一歩踏み出すと、隠岐奈は扇を閉じ、車椅子の肘掛けを指先でトントンと叩きました。その仕草に合わせ、周囲の扉が一斉にガタガタと震え始めます。
「残念ながら、知らないな。私の知らぬ間に面霊気の希望の仮面が消え失せていた」
隠岐奈は事も無げに言い放ちました。正直、‘‘意外‘‘と言うほかありませんね。後戸を通じて、幻想郷を監視している隠岐奈が見過ごすとは、当てが外れました。…そうだ、この間の神霊廟の異変で酷い目にあわされたし、ちょっと揶揄ってやりましょう。
「おやおや。万物の背後に通じているはずの秘神様が、自分のモノが盗まれているのに、お気づきでないと?……もしかして隠岐奈、少しボケましたか?」
「失礼なことを言う。私は多忙なんだ。今回の異変の落としどころを探ったり、新しい童子の求人票の作成やらでね。……おい、お前たち、今の言葉を聞いたか?」
隠岐奈が顎で示すと、脇で踊っていた里乃さんと舞さんがピタリと止まり、不満げに頬を膨らませました。
「失礼ですよ、夕雲さん!」「師匠はボケてません、たぶん!」
「『たぶん』は余計だ」
隠岐奈は苦笑して扇を広げ、バサリと仰ぎました。その風には魔力が混じり、周囲の浮遊する扉がカラカラと乾いた音を立てて笑うように揺れます。
「だが、私が『気づかなかった』というのは紛れもない事実だ。あの面霊気は、いわば私の娘のような存在だからね。古くから時折見ていた。あれは本来、何事にも執着を見せぬ慎ましやかな付喪神だ。自ら動くことさえ稀な彼女が、希望の面を失くして暴走するなど、可能性としてはかなり低い。仮に、あの子がうっかり面を落としたのだとしても、すぐに気づくだろう?」
「というと、やはり…」
「あぁ、私の監視をすり抜け、面霊気から希望の面を盗んだモノがいるということだ」
かなり面倒なことになってきました。おそらく、こころさんと戦う前に現れ、私が影を踏ませぬ速度で逃げた、あの鬼女面が怪しいのですが。隠岐奈が気づかず、私が逃した…相当な実力者、もしくはそれに準じる能力、それとも両方か。私が思考を進めている間にも、隠岐奈は話を続けます。
「そして、もしあの面が見つからなかった場合、事態はさらに厄介なことになる。彼女の情緒を安定させるために、新たな『希望の面』を作り出さねばならなくなるだろう」
「…ぶっちゃけ、作れます?」
私の言葉に、隠岐奈は自嘲気味に鼻を鳴らしました。
「私を万能と買い被りすぎだ。私はあらゆる事象の背後に潜み、混沌と秩序を操る者。だが、あの面の本質は『信仰』と『和』にある。私の持つ秘神の魔力では、あの繊細な感情の均衡を再現することは、流石の摩多羅でも難しい。無理に私が作れば、それは『希望』ではないナニカになるだろうね」
彼女は一度言葉を切り、遠く命蓮寺や神霊廟があるであろう方角へ視線を向けました。
「あの六十六の面は、かつて太子が
「なるほど、ありがとうございます。一応は希望の面については目処が立ちましたね。では、謎の鬼女面について知っていますか?鬼女面がこころさんの希望の面を盗んだと考えているのですが…」
「鬼女の面、だと? ……ふむ、私の知る限りでは、この異変の最中にそのような不確定要素が紛れ込んでいた覚えはないな。少なくとも、私のネットワークにその名は引っかかっていない」
隠岐奈はわずかに目を細め、考え込むように扇で口元を隠しました。万物を背後から操る彼女にとって、把握していない存在があるというのは、好奇心と同時にわずかな不快感を抱かせるものらしいですね。多分、そんな顔してます。
「だが、お前がそこまで言うのであれば、ただの思い違いではなかろう。……よし、その『鬼女面』とやらについては、私と紫の方でも独自に洗ってみるとしよう。幻想郷のあらゆる境界、あらゆる背後を通じれば、何かしらの尻尾は掴めるはずだ」
彼女はそう言うと、不敵な笑みを浮かべて私を見据えました。
「もし何らかの情報が判明したり、事態に動きがあれば、舞と里乃を使いに出そう。二童子がお前の前に現れたら、それが私からの合図だと思ってくれ。舞、夕雲を里まで送り届けてやれ」
「はーい」
舞さんは元気よく返事をすると、私の隣に並んで「さあ行こう」と促すように手招きしました。その様子を満足げに眺めていた隠岐奈に対し、私は軽く頭を下げます。親しき中にも礼儀あり、古事記にも書いています。神話時代から生きている私が言うのだから間違いありません。
「助かります。やはり貴女に相談して正解でしたよ、隠岐奈」
「だろう?よく言われる」
隠岐奈は満足げにふんぞり返ると、手にしていた扇で自身の胸元をトントンと叩いきました。その尊大な、それでいてどこか子供が褒められた時のような無邪気な笑みに、私は思わず口元を緩め、そして肩をすくめます。」
「言っているの、私だけでしょうに」
呆れ半分、苦笑半分でそう返すと、彼女は「さて、どうかな」と煙に巻くように目を細めました。彼女ほどの神であれば、周囲は畏怖して跪くか、あるいは遠巻きに敬うかのどちらかなのです。こんな風に軽口を叩く相手など、幻想郷広しといえど数えるほどしかいないのでしょう。…そもそも幻想郷あんま広くなかったですね。
「ほら夕雲様、行きますよ!」
私の背後からひょこりと顔を出した舞が、私の背中をぐいぐいと押し始めます。彼女の明るい声が、少し重苦しかった空気感を綺麗に塗り替えていきます。
「わかった、わかりましたから。……じゃあ隠岐奈、また」
「あぁ。気を付けるように」
最後に聞こえた隠岐奈の愉快そうな声を背に、私は舞さんに促されるまま、数多の扉の一つ……その闇の中へと足を踏み入れました。
視界が反転し、どろりとした闇を抜けた先には、見慣れた里の外れの景色が広がっていました。 背後で「バタン」と、本来そこにはないはずの乾いた音が響き、振り返ればそこにはただ大樹が立っているだけ。どうやら、この大樹の後戸は閉じたようですね。
さて、と。私は衣服についた微かな何かの残滓を払うようにパタパタと叩き、自分の家へと向かいました。
戸締まりを確認し、使い慣れた布団に潜り込むと、一日の出来事が走馬灯のように浮かんでは消えていきます。感情を失った面霊気、暗躍する鬼女の面、そして尊大なる秘神。
「……新しい希望、ですか」
天井の木目を眺めながら、私はぽつりと呟きました。
口にした途端、胸の奥に冷たい澱が沈殿していくような感覚がありました。なぜ、こんなにもこの言葉に拒絶反応が出るのか。自分でも測りかねるその不快感の正体を探ろうとして、私は思考の淵に沈んでいきます。
『希望』とは、あることの実現をのぞみ願うこと。 または、その願いそのものです。では、『新しい希望』とは、元よりあった
もし、神子の手によって新しい面が作られ、こころさんが戻ったとしても。それは、失われた希望を抱いていた彼女とは、別の存在に塗り替えられてしまうということではないでしょうか。彼女の中にあったはずの、『希望』を無視して、無かったことにし、
一度失われたものは、二度と元には戻らない。それが世の道理でしょう。ええ、分かっていますとも。
失われたものは、失われたまま。壊れたものは、壊れたまま。それが自然の摂理だと分かっていながら、それでも「形」を取り戻そうとするのは…
「……ふぅ。嫌ですね、夜というのは」
無意識のうちに、こころさんの境遇と、かつての自分が背負った果てしない願いを重ね合わせていたことに気づき、私は苦笑し、布団の中で首を振りました。
神子が作る『希望』が、こころさんという存在を塗り替えてしまうことを恐れているのか。それとも、かつての願いの先にある結末が、ただの「紛い物の再建」に過ぎない事を認めたくないのか。
答えは出ません。ただ、暗闇の中で疼くその微かな焦燥感だけが、私の意識を静かに蝕んでいきました。
靈異伝→8、封魔録→1?、夢時空→2?、幻想郷→6、怪奇談→7
紅魔郷→8、妖々夢→11、永夜抄→5、花映塚→5、風神録→7、地霊殿→8、星蓮船→8、神霊廟→7、外伝(萃夢想+緋想天+ダブルスポイラー+心綺楼、香霖堂+三月精+儚月抄+茨歌仙)→13
備忘録→3(ヨモツ、霊暮[死後]、桂花)
併せて、99です。強引も強引、こじつけもこじつけですが…何の数字かわかったかな?
2026年1月6日 最後のモノローグを加筆・修正しました。