それと、今回の西行妖は独自設定マシマシです。
そうだ、京都に行こう。
ふと、俺はそう思い至った。
どうやら、都にはやたらと綺麗な桜が咲いていると聞く。高名な歌聖が『願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃』と詠み、その歌の通りにその桜の下で死んだらしい。いったいどれほどの美しい桜なのか、俺は興味を憶えた。
それと道中、街道に咲く名もなき山桜を眺めていると思い出すのだ。黄泉の国で見た橘の方が美しかったと、何百、何千、いや、何万年も咲き続ける幽世の橘。かつての歌人は『五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人袖の香ぞする』と詠んだが、歌人がその香りに亡き人を想うように、ヨモツもまた、かつての残照を見ていたのだろう。
そんなことを考えながら都へ歩みを進める。街道を彩る山桜の淡い紅色は、春の陽光に透けて、今にも消えてしまいそうなほどに儚かった。歌聖がその身を捧げたという話も、この命の短さゆえの美しさに惹かれてのことだろうか。刹那の間にだけ咲く現世の桜にはそれほどの魔力があるのか。
永久に咲く橘の花と、刹那にだけ咲く桜。どちらが綺麗なのか、俺の興味は尽きなかった。
もう、何十年と俺は黄泉の国に戻っていない。死ぬようなことが無くなったのが理由だ。半人半霊という珍しい種族と神霊の魂を持っている俺は、かなりの回数を妖怪に襲われたが、大抵は返り討ちにしてきた。たまに見ただけでやばいと分かる妖怪がいたが、そういうやつらは自分の支配地がある。逃げの一択を取れば、死ぬようなことはなかった。
だが、常陸国で遭遇した黒い太陽のような妖怪…アイツは例外だった。神のごとき強大な妖怪の癖に支配地を持たず、あちこちを放浪する大妖怪。逃げて、逃げて、アイツの目に届かないに逃げ続けたが、毎度の事見つかる。どうやら、ヨモツに貰った最初の刀で何かを斬って欲しかったらしく、斬ってやったところ、上機嫌でどこかへ消えていった。
(…嫌なことを思い出しちまった)
苦い記憶を飲み込むように奥歯を強く噛み締め、俺は不快な苛立ちを道連れにしながらも、俺は歩みを進め、ようやく都の門をくぐった。
「ん?」
都の入ると同時に、違和感を覚える。
その正体は、通りを見渡した瞬間に嫌というほど理解できた。 都は死んでいた。従来なら、盛りを迎えた桜を目当てに、貴族から庶民までが浮かれ騒いでいるはずの時期だ。酒の香りと三味線の音が、春の風に乗ってどこまでも届いているはず。
だが、視界に飛び込んできたのは、そんな活気とは無縁の静寂。大通りに人の気配は驚くほど少なく、街道を彩る薄紅色の花びらは、雪のようにしんしんと降り積もり、石畳を無慈悲に埋め尽くしている。
たまに通りかかる者もいたが、それもまた異常だった。彼らは誰もが、まるで魂をどこかに置き忘れてきたかのような、うつろな足取りで歩いている。顔色は土色に沈み、視線は焦点も合わせぬまま、ただ一点――同じ方角に向かっていく。
(…となると、あちらのほうに何かがあるのかね)
そうして、俺は、魂の抜けた連中の後を追うためにゆっくりと歩き出した。
「此処か」
後を追っていた連中が立ち止まり、ある一点を見つめ続ける。どうやら、ここは寺のようだ。一見すると、普通の寺だが…穢れが満ちている。
とりあえず、俺を案内してくれた連中を気絶させ、そこらへんの藪に寝させてやる。何かに魅入られた人間は大抵ろくなことをしないからな。
「あら、ご苦労様。その者たち、そのまま放っておけば西行妖に魂を食われるところでした。中々にお目が高いわね」
不意に、真横の空間が「裂けた」。反射的に刀の柄を握り、跳びのく。
そこにいたのは傘を回し、金色の髪をなびかせた一人の女。紫の瞳に、人を食ったような薄笑い。俺を殺す気も、敵意も感じさせないが、その底知れなさは、あの日遭遇した「黒い太陽」にも引けを取らねぇ。
「……何者だ、アンタ」
「初めまして、と言っておきましょうか。庭師さん」
彼女は傘を閉じ、腕に抱えていた一冊の古い日記を、トントンと軽く叩いた。その瞬間、俺の鼻腔を突いたのは、春の桜の香りじゃなかった。
冷たく、重く、それでいてどこか郷愁を誘う――春の都には似つかわしくない、橘の花の残り香。それは紛れもなく、黄泉の国にのみ漂う死の匂い。なるほど、合点がいった。目の前で不敵に微笑むこの女は、「あちら側」に深く根を張る関係者なのだ。
それと同時に、俺の魂の半分……半人半霊ゆえの幽霊の方が、初対面のこの女に対し「信頼しろ」と強く囁きかけてくる。俺の直感や勘が、これまで俺を裏切ったことは一度としてない。
――敵対は無しだ。俺は、無意識に刀の柄へとかけていた指の力を、静かに緩めた。それはそれとして、少し気になったことを聞いておく。
「別に庭師ではないんだが…誰かと間違えてないか?えっーと、お嬢さん?」
「八雲紫よ。…ヨモツから貴方のことは聞いていたわ。半人半霊の剣バカに会ったってね。それと、お嬢さんはやめてくれないかしら」
「わかったよ、お嬢さん」
軽口で返したつもりだったが、どうやら気に喰わなかったらしい。お嬢さんがニコリと微笑むと同時に、俺の足場が消失し、叫ぶ暇もなく、重力から切り離された体が、空間の裂け目に落っこちる。
「……っ!?」
落ちているのか、浮いているのかすら分からない。視界を埋め尽くすのは、どす黒い紫の闇と、無数に浮かび上がり、こちらを嘲笑うように見つめる「眼」の群れだ。上下の感覚が霧散し、内臓がせり上がるような不快感が全身を襲う。半人半霊という特異な体質をもってしても、この空間には生理的な拒絶を禁じ得なかった。
ふと、耳元で衣擦れの音がする。
「そんなに怖い顔をしないで頂戴。すぐに着くわ」
振り返る余裕などない。だが、闇の向こうで女が扇を広げ、優雅に微笑んでいることだけは分かった。斬ってやろうとも考えたが、相手の領域で暴れるのは悪手だろう。そして直後、不意に光が弾ける。視界が真っ白に染まった次の瞬間、俺の背中は冷たく硬い畳の上に叩きつけられていた。
受け身を取り、周囲を確認する。磨き抜かれた床に、静謐な空気。そして、開け放たれた障子の向こうには、この世の春を全て吸い尽くしたかのように咲き誇る巨大な桜の影が薄暗い空に浮き上がっている。そして、部屋の奥――上座に、一人の女が座っていた。
「あら。紫、珍しいじゃない。お客様を連れてくるなんて」
鈴を転がすような、だが、どこか現実味の薄い声が響く。淡い桃色の髪を揺らし、死装束を思わせる着物を優雅に纏ったその女は、扇で口元を隠しながら、興味深そうにこちらを見つめていた。
「ええ。少し、面白い『庭師』を見つけたものでね。きっと役に立つわ」
いつの間にか俺の背後に立っていた八雲紫が、勝ち誇ったように告げる。庭師ではないと否定したはずだが、どうやらこの「お嬢さん」たちに、俺の言い分を聞くつもりは毛頭ないらしい。
俺はため息を一つ吐き、刀から手を離した。この場の空気に、戦うための殺気は馴染まないし、必要ではないのだろう。
「……やれやれ。随分と強引な招待だな、お嬢さん方」
床の冷たさが、現実味を伴って俺の掌に伝わってくる。刀から手を放し、あえて無防備に胡坐をかいた。
「単刀直入に聞こう。俺をここに連れてきた目的は何だ? それに、あの不気味な桜……。都の連中の魂を抜いているのは、あれの仕業か」
俺の問いに、八雲紫は扇を畳んで楽しげに喉を鳴らした
「察しが良くて助かるわ。そう、あの桜こそが『西行妖』。死を誘う妖樹よ」
八雲紫は扇を畳み、その先端で狂い咲く大樹を指し示した。ひらりと舞い落ちる花弁は、春の雪というには色は黒く、澱んでいるように見える。
「西行妖には
八雲紫は、壊れ物に触れるような手つきで、もう一人のお嬢さん――幽々子殿の華麗な着物の袖を指先でなぞった。
「その桜精と幽々子は繋がった。夢の中で繋がってしまった。私の『境界を操る程度の能力』で繋がりを断ち切ってしまいたがったんだけど、それも出来ないほど混じり合っていた」
八雲紫は幽々子殿の背後に回り、慈しむように、あるいは縛り付けるようにその肩を抱いた
「満開と同時に、幽々子の父である歌聖は自分を犠牲に、桜精を成仏させましたが、皮肉なことに桜は人の味を覚えてしまった」
「それも名高い歌仙の魄とその肉体を。それから、桜はその魔性を以て、人の血肉を啜り、今にも都に死の桜を降らせようとしている」
八雲紫の手が幽々子殿の肩から離れ、障子を開き、天を仰ぎ見る。そこには、都の空を覆い尽くさんばかりにの花があった。
風が吹く。だが、それは春の暖かさを運ぶ風ではない。鼻を突くのは、爛漫と咲き誇る花々の香気。だが、その裏側に、どろりとした臓腑の腐ったような、甘ったるい死の臭いが混じっている。
どうやら俺が都に来た原因となる桜は西行妖であることがわかった。これも何かの縁か…
「……なるほどな。それで俺に手伝えと」
空を見上げれば、満開を極めた西行妖の枝が、まるで都を握り潰そうとする巨人の手のひらのように広がっている。零れ落ちる花弁の一枚が、部屋に入り、俺の肩に触れる。触れた瞬間、ズシリとした重みが広がる。
これ一枚に、人間一人の未練が、怨嗟が、そして最期の命が詰まっている。それがこれほどの数、雨のように降り注ごうとしているのだ。
「庭師さん。私、あの子……桜精の娘さんと重なるうちに、この大樹ともひとつに繋がってしまったみたいなの。だからね、聞こえてしまうのよ。この花弁の一枚一枚に閉じ込められた魂たちの、泣き叫ぶような声や、震えるような溜息が……」
幽々子殿は、狂い咲く桜を見つめたまま、呟くようにそう言った。その横顔は、春の夜の月のように美しく、そして危ういほどに透き通っている。
「だから……この子たちを解き放ってあげたいの。それが、この身体に死の力を宿した私にできる、せめてもの弔いだと思うから。……ねえ、庭師さん。私たちのこと、手伝ってくださらないかしら?」
彼女が静かに微笑み、こちらを振り返る。幽々子殿の目に映る覚悟。それは、迷いも恐怖も削ぎ落とされた、鏡のように透き通ったものだった。俺はその表情を見て、
「……分かった。その仕事、この妖忌が受け持つとしよう」
と言うしかなかった。
活動報告に、今回の解説書いてます。気になったらどうぞ。
西行法師、時系列も訳わからないし、聖徳太子が行けなかった天界行きを実現してるし、謎が多すぎる。
全然終わらなくて泣いてます。次で最後です。頼む、終わってくれ。終わらせてくれ、未来の自分。