東方備忘録   作:電子の妖精になりたい

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変な概念を受信してしまったので、書くしかなく…
時系列は本編開始からだいたい20年前ぐらい、視点はとある少年です。
多分、2、3話辺りで終わります。


外伝 とある男の恋始め。

「里の外へは絶対に、一歩たりとも出てはならない。あそこは、我々人間の生きる場所ではないのだから」

 

 親父から何度も口酸っぱく、それこそ耳に胼胝(たこ)ができるほど言われた言葉。

 

 親父は里でも指折りの道具店を経営している。それが俺の実家でもあり、俺の生まれた時から決まっていた世界のすべてだった。

 

 物心ついた頃から、俺は薄暗い部屋でそろばんを弾き、品書きを暗記させられた。

 仕入れの帳簿、職人との掛け合い、客あしらい。すべては「この店を継ぐ立派な跡取り」になるための勉強。店番をしながら、ただ判で押したような明日がやってくるのを待つだけの毎日。

 

 周囲からは、不自由のない恵まれた身分だと羨ましがられる。

 親父の言う通りに動き、この里の中で生涯を終えれば、一生安全で、裕福な未来が約束されている…と。自分でも、それが正しいのだと信じ込もうとしていた。

 

 ──だが、俺の心には、どうしても抑えきれない別の「渇き」があった。

 

 店に並ぶのは、鍬や釜、あるいは日常を便利にするための普通の道具ばかりだ。そんな品々を眺めるたび、俺の興味は知らず知らずのうちに、外の世界から流れ着いたとされる道具や、曰く付きの古物、摩訶不思議な魔道具へと向いていた。

 

 だから、きっと魔が差したのだろう。

 

(一回だけ。ほんの一回だけでいいから、自分でそんな不思議な道具を自分の手で手に入れたい)

 

 衝動が爆発したのは、俺が十三歳になる誕生日の夜だった。

 

 子供扱いを脱し、いよいよ本格的に店の跡取りとしての勉強…いや修行が始まるというその日、俺はずっと前から考えていた計画を実現に移すことにした。目指すは、里の外のさらに奥──外の世界の道具が時折どこからともなく『流れ着く』と言われる禁忌の地、無縁塚。

 

 夜の帳が降り、親父たちが寝静まった頃を見計らって、俺は勝手口から音もなく抜け出した。

 懐には、家からくすねてきた手許灯が一つだけ。

 

 人間の里から踏み出した瞬間、肌を刺すような夜の冷気と、本能的な恐怖が押し寄せてくる。親父の警告が頭をよぎり、足がすくみそうになる。

 

 けれど、懐の灯りを見つめる俺の目は、すでに前しか向いていなかった。

 

 見つかれば大目玉じゃ済まない。妖怪に遭えば命はない。それでも、退屈な未来に縛り付けられたまま死んだように生きるより、俺は未知の道具が眠る闇へと、強く足を踏み出したのだった。

 

 

 


 

 

 

 甘かった。甘かった。甘かった!甘かった!!!

 肺が焼けるように熱い。喉の奥から血の味がする。

 背後から迫る、草木を駆け抜ける足音と、おぞましい獣の唸り声に、俺はただ無我夢中で足を動かし続けていた。

 

「ひっ、あ、あぁ……っ!」

 

 里の外は、人間が足を踏み入れていい場所では決してなかったのだ。

 未知の世界に目を輝かせていたのも束の間、闇の奥から現れたのは、幻想郷絵巻で見るのとは比べ物にならないほど巨大で凶暴な妖獣だった。

 

 懐からくすねてきた手許灯は出会った途端に落としてしまい、そのまま妖獣に踏みつぶされた。

 

 実家で仕込まれたそろばんの弾き方も、品書きの暗記も、道具の知識も、この圧倒的な恐怖の前には何の役にも立たない。

 

(一回だけなんて、なんて馬鹿なことを考えたんだ)

 

 親父の言いつけは正しかった。里の外は、人間の生きる場所じゃなかった。

 

 木の根に足を取られ、無様に地面へ転がる。

 鋭い痛みが走るが、立ち上がる間もなく、背後にぬっと巨大な影が覆い被さってきた。

 

 月光に照らされたのは、どろりと涎を垂らす裂けた大口と、爛々と輝く凶悪な眼光。

 

 ──死ぬ。

 俺は骨まで噛み砕かれて、誰にも知られず消えるんだ。

 

 迫り来る死を前に、俺はただ恐怖に身をすくませ、ぎゅっと目を瞑ることしかできなかった。

 妖獣の熱い吐息が、首筋にかかる。

 

 

「ごめんなさいね、貴女に罪はありませんが…これも私の仕事なので」

 

 

 鈴の鳴るような、ひどく場違いに落ち着いた声。

 その言葉と共に、激しい衝撃音が鼓膜を震わせた。

 

──ドゴォォォンッ!!!

 

 地響きのような大音響が響き渡る。恐る恐る目を開けた俺の視界に飛び込んできたのは、巨体をへし折られ、何本もの大木をなぎ倒しながら遥か彼方へと吹き飛ばされていく妖獣の姿だった。

 

 何が起きたのか、まるで理解が追いつかない。

 呆然とへたり込む俺の前に、一人の女性が静かに佇んでいた。

 

 月明かりを背に受けたその姿は、ひどく幻想的で、どこか現実離れしていた。

 美しい紅白の巫女服を身に纏い、その髪には月の形をした見事な髪飾りが鈍い光を放っている。何より奇妙だったのは、彼女の周囲の空気だけが、まるで世界の理から切り離されたかのように、穏やかに凪いでいること。

 

 彼女が振り返る。

 

 星だと思った。

 キラキラと輝いていて、それでいて決して手が届かないほど遠い夜空に浮かぶ星。

 

 風に揺れる黒髪は、まるで夜の闇そのものを丹念に梳きあげたかのように深く、艶やかで。

 月の髪飾りの下にあるその横顔は冷徹なほどに整っているのに、こちらに向ける眼差しには温かく。

 そんな温かみを憶える瞳は、まるで磨き抜かれた極上の黒曜石のようにひたすらに澄み切っていて、覗き込めば自分の間抜けな姿がはっきりと映るほど。

 

 畏怖を覚えるほどの美しさなのに、不思議と怖さは微塵も感じない。ただ、その双眸に宿る温もりに、俺は魂ごと奪われてしまっていた。

 

 息をすることさえ忘れて見惚れる俺に、彼女は少しだけ首を傾げ──。

 

「こんな真夜中に里の外を出歩くなんて…めっ!ですよ」

 

 彼女は人差し指を小さく立てて、子供を諭すように、それでいて困ったように眉を下げて微笑んだ。

 澄んだ瞳がまっすぐに俺を映し出す。妖獣を吹き飛ばした凄まじい力の持ち主だとはとても思えない、柔らかで、けれど芯のある丁寧な物腰。

 

 助かったのだという安堵と同時に、俺の胸は激しく高鳴った。

 

 実家の店に並ぶどんな高価な品よりも、探しに行こうとした外の世界から流れ着いた道具でも、どんな摩訶不思議な魔道具よりも──目の前にいる彼女の存在そのものが、俺の求めていたモノそのものに見えたのだ。

 

 そして、彼女は身をかがめ、俺の目線に合わせるようにしてすっと綺麗な手を差し伸べた。

 

「怪我はありませんか? ここは危ないですからね、とりあえずは先に戻りましょう。さあ、立てますか?」

 

 差し伸べられた白く滑らかな手を、恐る恐る握り返す。

 そのまま立ち上がろうと足に力を入れたが…

 

 ──ストン、と。

 

 自分の足が、まるで自分のものじゃないみたいに感覚を失っていた。情けないことに、膝が激しく震えて、どうしても力が入らない。妖獣に襲われたときの恐怖の残滓が、今になって一気に身体を支配する。完全に腰が抜けていた。

 

 立ち上がることもできず、赤面して俯く俺を見て、彼女は「おやおや」と可笑しそうに目を細めた。けれど、決して馬鹿にするような笑い方ではない。

 

「無理もありません。あんなに大きな獣に襲われたのですもの。ちょっと恥ずかしいかもしれませんが…これも勉強です」

 

 彼女はくるりと俺に背を向けると、その場に小さくしゃがみ込んだ。紅白の美しい巫女服が、夜の地面にふわりと広がる。

 

「さあ、お背中にどうぞ。人間の里までお送りしますよ」

 

 …抵抗したが、なすすべもなく俺は背中におぶられた。

 

 

 


 

 

「こんの!!!大馬鹿者が!!!」

 

 里に帰ると同時に迎えたのは、親父の割れんばかりの怒号だった。

 

 視界が激しく揺れたかと思うと、俺の身体は親父の大きな掌によって、地面へと引き剥がされていた。そのまま、生まれて初めて経験するほどの強烈な拳骨が頭に落ちる。

 

「痛っ……!」

 

 落ちてきた拳骨は、驚くほどに震えていた。

 見上げる親父の顔は、怒りで真っ赤になっているというより、恐怖で血の気が引き、今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。

 

「あれほど里の外には出るなと言ったのを、忘れたわけではあるまいな! もしお前に何かあれば……み、店はどうなる! 残された母さんは、どう思うんだ!! 俺だって……っ、俺がどんな気持ちで、お前を探したと……! どういうつもりだったんだ、おい!!!」

 

 いつもなら帳場で理路整然と言葉を並べる親父が、完全に言葉を詰まらせ、感情に任せて怒鳴り散らしている。

 

「……巫女様」

 

 親父は俺を怒鳴りつけた勢いのままドサリと地面に膝をつき、彼女に向かって深く深く頭を下げた。

 

「この愚息が、多大なるご迷惑をおかけいたしました。なんと御礼を申し上げてよいか……息子の命を救っていただき、本当に、本当にありがとうございました」

 

 地べたに額を擦り付ける親父の姿に、俺は声も出せず呆然とするしかなかった。あの親父が、他人にこんな姿を晒すなんて。

 

 そんな親父の前に、彼女は困ったようにふわりと身をかがめた。

 

「お顔を上げてください、旦那さん。息子さんを無事にお返しできて、私もホッとしています」

 

 それから、地面にへたり込む俺の方を見つめると、少しだけ声を潜めて囁いた。

 

「……お父さんはね、貴方がいなくなった後、本当に心配なさって。なりふり構わず、ご自分の足で博麗神社まで息を切らせていらっしゃったんですよ」

 

「え……親父が、博麗神社に……?」

 

 里の人間にとって、博麗神社は少しばかり遠く、それでいて危険だった。

 俺があったような妖獣や妖怪に出くわす可能性があるからだ。それに夜だったら猶更。

 

「ええ。旦那さんは、貴方が普段から店の道具を退屈そうに見つめていたこと、そして外の世界の道具に興味を持っていたことに気づいていらしたみたいです。『あいつがいなくなったのなら、もしかして、外へ……!』と、真っ先に察して、私に助けを求めにこられたのですよ」

 

 彼女の言葉が、胸にズドンと重く突き刺さる。

 

「……すまねえ、親父……すまねえ……っ」

 

 喉の奥が熱くなり、ボロボロと涙が溢れ出して止まらなくなった。

 親父は何も言わず、泣きじゃくる俺の肩を、痛いほどの強さで、けれど包み込むようにギュッと抱きしめてくれた。

 

 親父の大きな手の温もりに涙しながらも、俺の目は、どうしても親父の肩越しに佇む彼女の姿を追いかけていた。

 

 自分がどれほど愚かで、どれほど多くの人に愛され、守られていたかは痛いほど分かった。もう二度と、こんな無謀な真似をして親父や母さんを泣かせたりはしない。心からそう誓う。

 

 けれど。

 それとこれとは話が別だった。

 

 一度魅せられてしまった『星』からは、もう一生逃れられそうにない。俺の心は目の前の輝きに囚われたまま、どうしても動いてくれないのだ。

 

 泣きじゃくる俺の視線に気づくと、彼女は悪戯っぽく微笑み、人差し指をそっと唇に当てた。

 

「それでは、私はこれで。今度買い物に行きますので、その時はお安くしてくださいね」

 

 まるで内緒の約束を交わすように囁くと、彼女は巫女服をふわりと翻し、夜の闇へと溶けるように去っていった。

 

 彼女の姿が完全に見えなくなっても、俺の胸の昂りは収まらなかった。

 

 実家の店に並ぶ道具を、俺はもう二度と退屈なものだなんて思わない。

 この店を誰よりも立派に継いで、道具を極めて、知識を蓄えて、もっと、もっとでかくなって──いつか必ず、あの背中におぶわれる子供ではなく、彼女の隣に並べるくらいの男になってみせる。

 

 十三歳の誕生日の夜。

 この日、俺の「子供時代」は親父の腕の中で涙と共に終わりを告げ、遠い夜空に輝く星へ手を伸ばすための日々が始まった。




一体誰なんだ、この少年は。
星、恋、20年ぐらい前、大手道具屋……

勿論、この少年は失恋します。
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