逆転の発想…魔理沙じゃなくて、永琳視点にすればいいんだ。
幻想郷――その奥深くに佇む永遠亭の一室。
静寂が支配する部屋の空間が、不意に水面のようにゆらりと歪んだ。揺らぎの中から姿を現したのは綿月豊姫。現・月の賢者であり、私を今でも慕ってくれる古くからの弟子である。
「……八意様。事前にご連絡差し上げた通り、参上いたしました」
事前に取っていたアポイントメント通りとはいえ、彼女の優美な身のこなしとは裏腹に、その澄んだ瞳の奥には隠しきれない焦燥と疲弊の色が重く宿っていた。
「久しぶりね、豊姫。急な相談と聞いていたけれど……お茶でも飲んで落ち着きなさい」
「お心遣い、感謝いたします。ですが……お聞き及びかもしれませんが、都の情勢が極めて差し迫った状況にあり、一刻を争うため、単刀直入にご相談させてください」
豊姫は白磁の湯飲みに一口だけ小さく口をつけると、意を決したように身を乗り出し、話を切り出した。
「現在、月の都では『純狐』による襲撃が本格化しております。彼女の純化の能力と、どこからか調達した妖精の軍勢により、都の防衛線は削り取られ、軍も後手に回らざるを得ない状態です。そのため、一時的に月の都を凍結し、夢の世界への退避を始めました。また、撃退するための有効な打開策を未だ見出せずにおり、八意様のお知恵を拝借したく……」
豊姫は苦渋に満ちた表情で言葉を続ける。
「そして、このままでは防ぎきれないと踏んだ都の上層部や賢者たちの間では、かねてより考えられていた『幻想郷への遷都計画』を本格的に推し進めるべきだという声が、日に日に大きくなっています。ですが、地上へ遷移するということは、幻想郷を『浄化』し、そこに生きる者たちを悉く滅ぼすことを意味します。それは勿論、永琳さまでさえも………」
遷都計画…嫌な言葉だ。月の民は以前の失敗を憶えていないのだろうか。
確かにそこに住まう全てを滅ぼすことが出来れば、月の都を恨むモノは生まれないだろう。そして、月の都にはそれを為す事ができる科学力も十分にある。
だが、なんにだって”例外”は存在する。
故郷を奪われ、愛するモノを失った例外が何をするのかを月の都は忘れてしまったらしい。………まぁ無理もない。彼女を対応したのは私だけだし、彼女はそれから沈黙を保っていた。
冷めきったお茶の水面を見つめながら、私は密かに深い溜息を吐く。
「落ち着きなさい、豊姫。純狐を追い返すための策は私も考えておきます」
「本当ですか、八意様……! あなた様が知恵を貸してくれるのならば、これほど心強いことはありません」
安堵の表情を浮かべた豊姫に、私は視線を静かに落とし、他の懸念事項へと話題を移した。
「だけど豊姫……問題は純狐だけではないのよ。そちらの相談にも少し関わる重要なことだけれど……あの方が――『ヨモツ』が、復活したわ」
豊姫の瞳に僅かな困惑が宿る。
彼女はヨモツという存在を、知識としてしか知らない。この反応も当然だろう。
「黄泉神が……?しかし、かの方は八意様との不可侵契約により、私たちに手は出せないはずでは?」
その理由はこれ。ヨモツと私の間に結ばれた古き誓約の一つ――「自身を害さない限り、月の都を攻撃しない」。もし月の都の賢者たちが地上を浄化しようとすれば、その誓約は反故となり、ヨモツは喜んで月の都に攻め込む。
かつては私がいた。だが、今、私はいない。依姫の『神霊を呼ぶことができる程度の能力』でどこまで対抗できるかが鍵となる……が、無論、あの神に本気で攻撃を仕掛けさせないに越したことはない。
「心配いらないわ、豊姫。そちらについても、既に手は打ってある」
私は努めて冷静に、言葉を紡ぐ。
「先ほどの幻想郷遷都計画。おそらく、賢者・稀神サグメの力を使って、月の都を幻想郷に具現化させる計画でしょう?その前触れとして、幻想郷にサグメの力を…言わば、『口に出すと事態を逆転させる程度の能力』を使って、ありえない噂話である都市伝説を具現化しようとしている…あっているわね?」
幻想郷に足売りババアや人面犬などの都市伝説が具現化しているのは既に確認している。そして、幻想郷に月の都を遷都…具現化するような都市伝説は予想がつく。
――『アポロ計画陰謀論』。
それは、かつて実行されたアポロ計画において、人類は月で異星体と接触しており、NASAや政府がその事実を暗躍・隠蔽しているとする都市伝説である。
この都市伝説において、月面の異星体は高度な文明を有しているとされることが多い。たとえそれが漠然としたイメージであったとしても、「月面に存在する幻想的な高度文明」という構図は、図らずも実際の「月の都」の姿と合致してしまう。
そして今、稀神サグメの能力の影響下にある幻想郷において、この陰謀論が人々の間で広まり、流行することは決定的な意味を持つ。
噂の具現化。すなわち「月面に存在する高度な文明」という都市伝説が実体を得ることで、幻想郷における月の文明たる「月の都」そのものが、幻想郷に具現化するという事だ。
「私も一つ、都市伝説を流させてもらったわ。それは『月が人工天体』というオカルト。それを偽物の月に具現化させるつもり」
豊姫が息をのむ気配を感じながら、私は淡々と謀略の全貌を言葉にしていく。
「まずは偽物の月を介して、ヨモツを過去の地上へと送り込む。そして――彼女が渡った後、過去の月そのものを『人工の月』へと書き換えて幻想郷との繋がり……つまり『通り道』を完全に切断し、彼女を過去の地上に封印するつもりよ」
かつて私が永夜異変で用いた地上の密室を造り出した天文密葬法。あれは天蓋に映る通常の月を隠し、大昔の幻影である「記憶の月」を代わりに投映させることで、月と地上の繋がりを歪める術式だった。
本物の月と地上のルートを破棄し、「地上と記憶の月」および「記憶の地上と本物の月」という二つの偽りの通路を生成する。月の使者は大昔の「偽の地上」へと誘導され、迷い続けることになるのだ。
今回仕掛けるのも、その大術式の発展応用である。
まずは『天文密葬法』を展開し、「地上」と「記憶の月」を繋ぐ偽りの通路を完成させる。そうして彼女の意識を誘導し、まずは記憶の月へと渡らせるのだ。
彼女が記憶の月に降り立った瞬間、すぐさま天文密葬法を解除。今度は「記憶の月」と大昔の「記憶の地上(過去の地球)」を繋ぐルートへと再構築し、彼女をそのまま過去の地球へ落として封印する。
だが、相手は黄泉の神々の権能を統括し、その身に宿した唯一の黄泉神。
その程度の閉じ込めでは、いずれ地上に戻り、黄泉の国に戻り、自身の本懐を遂げようとするだろう。
その帰還さえも潰すための、最後の一手。
それこそが『月は人工天体である』というオカルトの具現化だ。
彼女が過去の地球へと落ちた後、この都市伝説の力を用いて「記憶の月」そのものを概念ごと消滅させる。
鍵であり、帰路の起点でもあった記憶の月を世界から消し去ることで、彼女はこちら側へ戻るための道標を見つけられなくなるわけだ。人工の月はサグメの力が消えるまで継続されるだろう。準備が整えば、こちらから迎えて、彼女を”夕雲”に戻せばいい。それが出来なくとも、少なくとも彼女の記憶を取り戻すことが出来れば…
……まあ、ヨモツ様への対処法についてはこれでいい。どれほど膨大な神性を誇ろうとも、道標そのものを消失させれば過去の地上からそう容易くは戻れないはず。
今、真に優先し、知恵を絞るべきは純狐をいかにして退けるかだ。
「――八意様?」
私の思考の沈黙を、豊姫の心配そうな声が破る。視線を戻すと、彼女は不安と期待の入り交じった眼差しで私を見つめていた。
「ええ、少し考えを巡らせていたの。純狐の対策は対処可能な使者を送る形になると思う。特殊な薬が必要になるから、正確な時間はわからないけど、少し時間がかかるわ」
「…… 感謝いたします、八意様。あなた様のお言葉を聞けただけで、暗雲が晴れた心地です」
豊姫の表情に安堵の彩りが戻る。彼女は深々と頭を下げると、お茶を飲み干し、静かに立ち上がった。
「都の防衛線をこれ以上削らせぬよう、私もすぐに戻り、夢の世界での戦線を維持いたします。……どうか八意様も、地上でのお役目、お気をつけて」
「ええ。あなたも無理をしすぎないようにね」
豊姫が手をかざすと、「山と海を繋ぐ程度の能力」によって空間が水面のように歪み、彼女は帰っていった。
一人残された部屋に、再び元の静寂が戻ってくる。
私は冷めきった湯飲みを手にとり、ゆっくりと息を吐き出した。
(さて……まずはヨモツの様子を見に行きましょうか)
思考を切り替え、重い腰を上げる。
ヨモツがいる部屋へと足を向けながら、私はこの複雑に絡み合った盤面の行く末に思いを馳せた。
――この時の私は知る由もなかった。
部屋で大人しくしているはずの黄泉神が、疾くに一人の人間の魔法使いによって連れ出されている事実に。
参考
通常の月→天蓋に映る月。夜に浮かぶ、極めて普通の一般的な月
記憶の月→”偽物の月”とも呼称される。大昔の月の残影であり、大昔の地上とも繋がっている。永夜抄で使われた月がこれ。
人工の月→永琳の流した人工月の都市伝説により具現化されるだろう月。永琳は偽物の月を人工の月にしようとしている。
真実の月→人を狂わす力がある月であり、天蓋で隠されている。多分、出てこない。
Step 1: 天文密葬法で「地上→記憶の月」の通り道を造り、ヨモツを記憶の月に誘導。
Step 2: 天文密葬法を解除・切り替えて「記憶の月→記憶の地上(過去の地球)」へ封印。
Step 3: 「人工天体」の都市伝説で、足場となった「記憶の月」そのものを消去して退路を断つ。
サブタイトルは後で考えます。とりあえず、投稿。
やっぱ、この辺りの設定や時系列がスゴイ複雑なんですよね。理解はできるんですけど、ここにオリジナル展開、設定を挟むと途端に難しくなる。