サブタイトルの元ネタはジキル博士とハイド氏です。
時系列は数億年前、視点は永琳です。
私は八意××。自他ともに認める天才。
私は“殆ど”何でもできた。
だが殆ど…それは、言い換えれば「全てができるわけではない」ということでもある。
叡智の頂に立つ者として、私は自らの万能性を、決して揺らぐことのない絶対の天才性を証明したかった。そのためには誰も成し得ていない不可能な命題を打ち破る必要があると私は考えた。
そこで目を向けたのが、穢れの完全な根絶。
原初の神々すらも屈する死と穢れの宿命を、私の力で屈服させてみせる。それこそが、私が自分に自分に課した至上の挑戦だった。
伝承によれば、伊弉諾と伊弉冉の黄泉平坂でのやり取りを経て「生」は有限となり、生きとし生けるものは「死」を得たという。つまり、この世界が「死」を得た要因は確実に存在する。方法は科学でも、魔法でも、異能でも構わない。それさえ、排除することが出来れば私の天才性は証明される。
だが、何年たっても、何千年、何万年経っても、私は穢れを根絶することが出来なかった。
どれほど優れた術式を編み出そうと、どれほど奇跡めいた霊薬を調合しようと、生じる穢れを一時的に払い落とすことしか叶わない。表層の現象をいくら弄んだところで、根本の理に届いていなければすべては対症療法に過ぎないのだ。それはまるで燃え盛る火種を断たぬまま、立ち上る煙ばかりを扇子で払い続けているようなものだった。
ならば、答えは一つしかない。机上の計算や地上の観測を捨て、死という概念が初めて産声を上げた「根源」そのものを直接暴く他ない。
これが私が黄泉の国に訪れようと思った理由である。
穢れには不可解な点が多く残る。
伝承において、「死」が生まれたのは黄泉平坂のやり取りからだ。地母神である伊弉冉が、火之迦具土神を生んだことにより、陰部を焼かれ、その苦痛のなかで金・土・水などの神々を生んだのち、神避りとなった。
伊弉冉を連れ戻しに黄泉の国を訪れた伊弉諾は、彼女の変わり果てた姿に恐れをなして逃走した。追手を振り切った伊弉諾は、黄泉平坂を大岩で塞いで黄泉の国と現世を分断する。その別れの際、伊弉冉は日に千人を殺すと宣言し、伊弉諾は日に千五百の産屋を建てると応じた。
こうして、世界に「死」が生まれたのだ。
では、その発端であるイザナミは、なぜ、神でありながら「神避り」――死を迎えることになったのか?
その時、まだ、世界に「死」は無かったはずなのに。
仮説はある。後はそれを実証するだけ。
黄泉の国の正確な場所は今はもう誰も知らない。ただ、古の伝承がその存在を朧げに示すのみ。
生きたまま探そうとしても、世界のどこにも黄泉へ続く道を見つける事は出来ないだろう。
ならば、答えは至極単純だ。生きている者に道が開かれないのなら、「死者」になればいい。
私は、自らの死を疑似的に観測できる特殊な薬を開発した。本来の効能は、ごく近い未来を視ることで自らの死を未然に回避するための薬なのだが、逆を言えば自身の「死」を観測することが出来る。本当は手頃な兎たちを使って臨床実験を行いたかったのだが、生憎と弟子たちに勘づかれ、猛反対されてしまった。優しい弟子たちなのだが、少々頑固すぎる。このままだと、黄泉の国を探索する計画まで反対されしかねないので、私は実験を取りやめるふりをして、こっそりと自らの身体に薬を投薬して自刃した。
その瞬間、私の視界はわずか数秒先の「自身の死」の光景を捉える。
肉体の機能が急速に停止し、魂の輪郭が曖昧になっていくその刹那――意識の底に、奇妙な感覚が浮かんできた。
ただ、暗闇の奥から「ああ、あちらへ行かなければならない」とぼんやりと指し示すような道標。
川の水が高いところから低いところへと自然に流れていくように。
大海を巡った魚が、自らが産まれ落ちた名もなき源流へと命を賭して遡るように。
遥かな空を渡る渡り鳥が、誰に教わるでもなく生まれ故郷の巣を目指して羽ばたくように。
死を感じた瞬間、私はあそこに行かなければならないと思ったのだ、
意識が現実へと引き戻された前に、私はその感覚の残滓を記憶する。
そして――。
ふう、と息を吐きながら瞼を開けると同時に、私の視界いっぱいに広がっていたのは、見慣れた二人の弟子の顔だった。
怒鳴り散らしてくるわけでも、取り乱して泣きついてくるわけでもない。
ただ、声音を一切立てずに、瞳の奥がまったく笑っていない満面の笑みを浮かべ、じっと私を見下ろしている。
「……お師匠様。いま、何をしたんですか?」
「まさか、実験はやめるふりをしておいて、まさかご自身で実験をなさるなんて、そんな無茶なことを××さまがなさるはずがありませんものね?」
静かで、冷徹で、逃げ場を完全に塞ぐようなトーン。
いくら天才たる私であっても、この至近距離から注がれる無言の圧力には、思わず冷や汗が背筋を伝うのを禁じ得なかった。
弟子たちの追及をあの手この手で煙に巻き、万全の準備を整えた私は、薬が見せた「魂の傾斜」だけを頼りに歩みを進めた。
地上に降り、河を越え、山を登り、自然の橋を渡り、辻に入る。
道中が進むにつれ、周囲の景色は変化していった。私の知らない植物が増えたり、気温が明らかに寒くなり、太陽が姿を見せなくなっていった。
また、穢れも進むたびに跳ね上がるように濃度を増していった。私は「死」を観測するための薬を飲み込み、副作用として自身に貯まる穢れを浄化していった。
そして、どれほどの時間を歩いただろうか。
やがて私の前に立ちはだかったのは、空間そのものが濁流のように渦を巻く、巨大な裂け目だった。死した魂が還る終着点にして、世界から削ぎ落とされたあらゆる「終わり」が吸い込まれていく場所。
障壁の出力を最大まで引き上げ、私は躊躇うことなくその裂け目へと身を投じた。
視界が反転し、重力と時間の感覚がぐらりと歪む。
突き抜けた先に広がっていたのは、地獄のような業火でも、陰惨な泥沼でもなかった。
そこは、果てしなく広がる静謐な異空間。
空とも地ともつかぬ薄暗がりの中、無数の光の粒子が、まるで巨大な歯車のように緩やかに巡り、循環している。
そして――その中心に、彼女はいた。
黄昏色に金をわずかに混ぜた髪を肩ほどまでに伸ばし、黒真珠を思わせる瞳を持つ神。
纏う神気は底知れず、ただそこに佇んでいるだけで世界の輪郭を歪ませるほどの圧倒的な存在感を放っている。
「ん?死者…というわけではありませんね。こんな辺鄙なところに迷い人でしょうか?……あなた、名前は?」
呑気とも取れる柔らかな声音で、その神は私へと視線を向けた。
「八意××と申します」
未知なる神秘の核心を前に、胸の内で湧き上がる知的好奇心を努めて抑え込みながら、私は礼節を保って頭を垂れた。
名乗られた彼女は、記憶の引き出しを一つひとつめくるように、こてん、と可愛らしく首を傾げる。黄昏色の髪がさらりと肩から滑り落ちる。
「やごころ……。…あ!」
何かを思い出したように、ポン、と白い両手を打ち鳴らす。
「その名前、聞いたことがあります。確か、タカミムスビが貴女の話をよく自慢げに話してましたね」
「高御産巣日神様がですか?」
思わず私の声に驚きが混じる。
高御産巣日神――神産巣日神と共に、この世界の根源たるエネルギーの生成と万物の結合を司る造化三神の一柱。そして私を生み出した源流であり、言わば私の父親とも呼べる至高の存在だ。直接まみえたことすら叶わないその原初の神の名が、この場であまりにも気安く紡がれたことに、私の冷静な思考が一瞬だけ乱れを生じる。
「最近は、タカと会っていませんが、どうです?元気にしてます
まるで遠い昔の茶飲み友達の近況でも尋ねるかのような、あまりにもくだけた調子。畏怖と困惑が綯い交ぜになりながらも、私は乱れた息を整えて言葉を返した。
「いえ……私は高御産巣日神様に直接お会いしたことはなく、ただ、時折天より声をおかけくださる程度ですので」
「ふむ、なるほど。まだ隠れたわけではないんですね?まぁ、彼が一番世界を気にかけていましたし、加えてやることがなくて暇なんでしょウ」
神が身を隠す? 万物を造化の神が、やることがなくて暇……?
発言の数々に、私の脳裏には次から次へと疑問が泡のように湧き上がってくる。だが、ここで思考を脱線させている場合ではない。私は溢れ出しそうな疑問をぐっと喉の奥へ押し留め、真摯な眼差しを目の前の絶対的な存在へと向け直した。
「失礼を承知でお伺いしますが…貴方様のお名前を教えていただけませんか?」
「あぁ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私は――」
彼女が唇を開き、その真名を口にした刹那。
私の耳には、世界の法則そのものが軋むような、言語化不能の重層的な響きが届いた。脳の処理能力が焼き切れんばかりの圧倒的な神代の言霊。
「――■■■廻■■。いえ、今の貴女には少し言いづらいですし、認識するのも一苦労ですよね……私のことは、ヨモツと呼んでください」
「黄泉神?黄泉津大神ではなく?」
「おお、よく知っていますね。黄泉津大神は私がナミに贈った名前ですよ」
「ナミ…伊奘冉様に、ですか?」
途方もない神話の裏側を、まるで昨日の出来事のように語る目の前の存在。私の脳が歓喜に打ち震えるのを感じる。
「では、ヨモツ様。貴女様こそが、この黄泉の国の本来の主、ということでよろしいのでしょうか?」
「うーん、『主』っていうのとは、ちょっと違いますね」
ヨモツ様は、少し困ったように微笑みました。
「ここは、私の『管理場』のようなものですから」
「管理場?」
「そう。この世から、朽ちたモノ、死した者、壊れた物、ありとあらゆるものが集まってきます。私の仕事は、それらをぜーんぶ、極小の存在まで分解し、それらをまた拡散する。そんな事をしています。簡単に言ってしまえばリサイクルです」
―――――やはり。私の長年の仮説は、間違っていなかった。
天地初発の時――最初に“始原”にして“究極”の神が生まれた。次に、“創造”を司る二柱の神が現れた。“活力”と“永久”と続き、十二柱七代の神が生まれ、天地開闢が為され、国生み・神生みが始まる。
だが、どこにもいないのだ。“終わり”を司る神が。
この世界は、ただ消費され、減衰していくだけではない。全ての「終わり」は、この場所に還り、この神の手によって、新たな「始まり」へと、再び回帰していた!
ようやく、ようやくだ!ようやく、私は天常に触れた!
「…素晴らしい!ああ、なんて、なんて素晴らしい!」
思わず声が漏れる。私は、先程までの冷静さをかなぐり捨て、興奮を抑えきれずに、一歩、また一歩と、目の前の神へと踏み出していく。
「ヨモツ様!貴女のその知識!その、世界を廻す理そのものである、その力!是非、私に見せてください!あわよくば…というより、是非ください!私は貴女が欲しい!!!」
私は息もつかせぬ勢いで、早口でまくし立てた。まるで、珍しいおもちゃを見つけた子供みたいに、きっと私の瞳はキラキラと輝いていたことだろう。
「ひっ……」
私のその豹変ぶりに、ヨモツ様は小さな悲鳴を上げて後ずさりをする。
「貴方のその力があれば、穢れの、そして死の、完全な制御が可能になるはず!さあ、私にください!貴女の全てを、私に!」
私は、未知なる神秘の塊である彼女に、さらに詰め寄ろうと、手を伸ばす。
ゴツン。
その時、私の後頭部に、硬い何かが叩きつけられるような、凄まじい衝撃が走った。
「……う」
視界が真っ白に染まる。目の前のヨモツ様の驚愕の表情が、ぐにゃりと歪み、急速に、その輪郭を…失っていく。込み上げていた知的な興奮も、熱に浮かされたような高揚感も、全てが、急速に冷えていくのを感じた。
(一体、なにが…?)
それが私の最後の思考。私は膝から崩れ落ちるように、その場に倒れ込み、そのまま深く暗い闇の中へと、意識を手放した。
「――ヨモツが怖がってたから、つい手が出ちゃったけど……大丈夫? 加減はしたつもりだけど、死んでないよね、この子」
「ええ、助かりました。彼女……瞳の奥がもうそれはギラギラとしてましたから。見てくださいよ、ほら、私の手が震えちゃってます。なるほど……これが噂に聞く『恐怖』という感情ですか」
ふと思ったんですけど、「世」が着く神様なんて日本神話に多分いない…ほかの名前にした方が良いかな?と思ったんですけど、「徊」の時点で手遅れだなと。
ちなみになんですけど、最初は「
最初は頭を抱えたのですが、