「――とまあ、これが私と永琳の最初の出会いですね」
ヨモツはまるで昨日のことのように楽しげに語り終えると、ふふっと白い息を吐きながら微笑んだ。
ヨモツと永琳の出会い、お互いに名乗ったと思えば、そこから雪崩れ込むような永琳の奇行…脳の処理が追いつかず、私と鈴仙は歩きながらも思考は硬直していた。
「……なぁ、鈴仙」
「な、なんですか……」
「お前の師匠……昔はヤンチャしてたんだな」
「し、知らないわよ…そんなこと、私に聞かないで…」
鈴仙は頭の三角帽子を両手で強く引き下げ、真っ赤な顔でうなだれた。いつも完璧で冷静沈着、永遠亭の頭脳として君臨する永琳の若気の至り。弟子としてこれからどんな顔をして会えばいいのか、わからないのだろう。……笑えばいいと思うぜ。
「うぅ……聞きたくなかった……もし師匠に知られたら……」
「まあまあ、鈴仙さん。彼女の名誉のために言っておきますが、目覚めた後の彼女はとても理性的で、素晴らしい対話相手でしたよ?時折、私を解剖しようとしてきましたが」
「それはフォローのつもりなのか?」
私が乾いた笑いを漏らすと、ヨモツは悪戯っぽく笑った。
しかし、笑い話の体裁を取ってはいるが――話を聞けば聞くほど、この『ヨモツ』という人物が何者なのかが分からなくなる。話を聞いた限り、今の永琳とはかなり精神性が違う…おそらくは永琳が幼いころの話なのだろう。つまり、少なくとも数千年以上前、もしかすると数万年前の出来事かもしれない。
とすれば、私のすぐ後ろを歩いているヨモツはそんな時代を生き抜いてきた、神話時代からの生存者だという事だ。
(…この場合、生存”者”と言っていいかわからないけどな。人間じゃないだろうし、神奈子みたいな存在なのか。霊夢にも聞きたいことがあるし、守矢の連中にも聞いてみたいことが……今度、ちょっと回ってみるか。案内ならば鈴仙にも出来るだろうし)
そうして心の中で予定を考えていると、ふと、どうしても私の知的好奇心を刺激してやまない一つの疑問が湧いてきた。私は歩調を緩め、隣を歩くヨモツの横顔を覗き込むようにして、おもむろに口を開いた。
「……なあ、ヨモツ。一つだけ気になったんだが」
「はい、何でしょう?」
ヨモツは歩みを崩すことなく、首だけをこちらへ傾げて柔らかな視線を向けてくる。その視線を受けながらも、私は気になる疑問を口に乗せた。
「その……永琳の後頭部を躊躇なくぶん殴ったのって、一体誰だったんだ?」
相手はあの八意永琳だ。推定若かりし頃とはいえ、あの天才を前に一切の躊躇なく鈍器めいた一撃を叩き込める者などいるのだろうか?
私の問いかけを受けたヨモツは、ふと足を緩めると、冬枯れの木々の隙間から覗く鈍色の空を仰ぎ見た。その瞳の奥には、気の遠くなるような遥かな過去を慈しむような光と、どこか触れてはならない記憶に触れた時のような、淡く寂しげな陰影が揺らめいている。
「それは――また今度のお楽しみという事で。ほら、もう魔法の森の入り口が見えてきましたよ」
「あ、誤魔化したな!」
あからさまに話を逸らされ、抗議の声を上げる。だがヨモツは気にした風もなく、両手を胸の前でポンと小さく打ち鳴らし、いかにもと言った明るい調子で話題を切り替えた。
「たくさん歩いて、お腹も空きましたよね。戻ったらさっそく晩御飯の支度にしましょう。……何か食べたいものはありますか?」
「ん―――、っぱ、肉だな。肉を食いたい」
知的好奇心も大事だが、冷たい寒風の中を歩き通した身体はすでに強烈なエネルギーを求めていた。私の即答を聞いたヨモツは、驚くでもなく「ふふ」と楽しそうに目を細めると、今度は私の隣で帽子を目深に被っていた鈴仙へと視線を滑らせる。
「お肉ですか…鈴仙さんもそれでいいですか?」
「はい!お肉でお願いします!」
鈴仙は帽子を脱ぎ捨てて両耳をピコピコと揺らしながら、これまでにない真剣な眼差しでヨモツを見つめる。いくら鈴仙とはいえ、普段の厳しい下働きや永琳の指導を思えば、たまの贅沢に目が眩むのも無理はないのかもしれない。
「ふふ、良いですね。では今夜は、身体が芯から温まるような牛鍋にしましょうか。甘辛い割り下に、柔らかいお肉とお野菜をたっぷり入れて」
「うおお!すき焼き!最高じゃないか!」
「すき焼き……!やったぁ……!」
ヨモツの魅力的な提案に、私と鈴仙の声が見事にハモる。さっきまで頭を悩ませていた謎なんて、肉の二文字の前に綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。空腹を抱えた人間と兎にとって、目の前にぶら下げられた極上の晩御飯ほど抗えないモノはない。
「よし、決まりだな!善は急げだ、早く帰って準備しようぜ!」
「急ぎましょう魔理沙さん!すき焼きですよ、すき焼き!」
「ふふ、二人ともそんなに慌てないでくださいな。お肉は逃げませんから」
急激に足取りが軽くなった私と鈴仙は、ヨモツの手を引かんばかりの勢いでずんずんと歩を進めた。周囲を包む木々の密度が濃くなり、冬の薄暗い木漏れ日と独特の湿り気が肌を撫でる。そしてそのまま、湿り気と冷気を帯びた魔法の森の木々をくぐり抜けて、我が家へと滑り込む。
冷え切った家の中へ入るや否や、ヨモツは慣れた手つきで袖をまくり、またしてもウケモチノカミとやらの力を惜しげもなく振る舞い始めた。見事なサシが入った極上の牛肉、採れたての新鮮なネギや椎茸、艶やかな焼き豆腐に、黄金色に輝く生卵までもが、あっという間に卓上へと並べられていく。
「おいおい……見事な肉だな。これ、人里の一番高い店でもお目にかかれないレベルだぞ」
「ヨモツさんの力って本当に何でもありなんですね……」
鉄鍋から立ち上る、醤油と砂糖、そして上質な肉の脂が焦げる甘辛い香ばしい匂いが、狭い部屋いっぱいに充満していく。
「さあ、煮えましたよ。熱いうちにどうぞ召し上がれ」
ヨモツが微笑みながら小鉢に取り分けてくれた肉を、溶き卵に潜らせて一気に口へと運ぶ。
「――っっっま!!」
噛み締めた瞬間、口の中で肉がほどけるようにとろけ、濃厚な旨味と甘辛い割り下の風味が爆発するように広がった。すかさず白米をかき込めば、もはや言葉を失うほどの多幸感が全身を駆け巡る。
「おいひい……っ!なんですかこれ、美味しすぎます……!」
鈴仙もハフハフと息を吐きながら、涙目で肉を頬張っている。
「ふふ、たくさん食べてくださいね。まだまだお代わりはありますから」
甲斐甲斐しく鍋の世話を焼きながら、満足そうに私たちを見守るヨモツ。
この穏やかで温か空間は、冬の寒さを優しく包み込んで溶かしてしまうかのようだった。
夕食のすき焼きで心も身体もすっかり満たされたあと、夜の帳が降りた魔法の森は、底冷えするような暗闇に包まれていた。
すっかり夜支度を済ませた私は、研究スペースの机で腕を組んで頭を悩ませていた。
目の前に置かれているのは、ヨモツから貰った伊弉諾物質だ。
「うーん……何度見ても、理屈が全くわからん。そもそもどういう性質してんだ、これ」
魔導書で類似例を探したり、手元の器具で魔力の波長を測るなどして、様々な角度から解析を試みているのだが、結果は散々。物質としての質量や硬度があるはずなのに、詳細なデータを集めようとすると水面に映った影を掴もうとするかのように、指の間からすり抜けていく。
「ん―――何もわからん!まったく、とんでもねえ物を掴まされたもんだ」
頭がキリキリと痛んできた私は、ガタリと椅子を引いて立ち上がった。これ以上無理に頭を働かせても、ドツボにハマるだけだ。
「もう寝る!続きはまた今度!」
自分で解けない難題に当たった際は寝るのに限る。寝る事によって、考えがリセットされ、凝り固まった思考から解放される。これは経験談に基づく確かな論理…一度、寝るという思うと途端に瞼が重くなってく。
不貞寝をするために、私は研究室から廊下に出る。もうすでに鈴仙やヨモツは寝ているのかもしれないから、忍び足でなるべく音は立てないように歩く。
すると、静まり返った夜の家の中に、聞き覚えのある小さな話し声がひそひそと漏れ聞こえてきた。
「ねえ、ヨモツ様……。帰りの続き、教えてくれませんか?永琳さまの話です」
聞こえてきたのは、鈴仙の声だった。
どうやら彼女も、昼間に聞いた永琳の過去話が気になって眠れずにいたらしい。
(ほう……? 私を置いて、ちゃっかり昼の続きを聞こうって算段か。そりゃないぜ、鈴仙)
不貞寝してやるなんて意気込んで部屋を出てきたというのに、この絶好の面白そうな場面に遭遇してしまっては、眠気なんてどこかへ吹っ飛んでしまう。
しかし、自分抜きでこっそり秘密の共有を始めようとしているその姿勢には、ちょっぴり、いや大いに不服だった。ここで堂々と入っていくのもいいが、どうせならその驚く顔を間近で拝んでやろうという悪戯心がムクムクと頭をもたげる。
私は足をすっと止め、さらに息を潜めてより音を殺す。紅魔館の図書館で鍛えられた私の特技だ。床板の一枚一枚、軋まない場所を選びながら、音もなくドアへと忍び寄る。
「……魔理沙さん、そんなに足音を殺して近づかなくても、耳をすませば足音でとっくに分かってますよ」
引き戸のすぐ手前まで迫ったその瞬間、部屋の中から鈴仙の呆れを含んだひそひそ声がすんなりと届いてきた。
隠密行動がバレていると悟った私は、思わず「チッ」と舌打ちをしながら、渋々ソアをガラリと開け放った。
「なんだよ、せっかく驚かそうと思ったのに。耳がいいってのはこういう時につまらんね」
「ふっ、私の能力は『波長を操る程度の能力』よ。魔理沙の足音ぐらい簡単に聞き取れるわ」
「…ん?『狂気を操る程度』じゃなかったか」
私が首をかしげながら問い返すと、鈴仙はふんと得意げに胸を張り、うさぎ耳をピンと立てて見せた。
「ふふっ、甘いわね魔理沙。狂気なんていうのは、波長の一部に過ぎないのよ。精神の波長を少しズラせば、狂気を見せることだって、幻覚や幻聴を引き起すのだって思いのまま」
理屈はそれらしく聞こえるが、どこか誇らしげなその様子は、急に自分を大きく見せたくなった子供のようだった。
だが、鈴仙が「波長」という言葉を口にした瞬間、彼女の纏う雰囲気がほんのわずかに揺らいだのを私は見逃さなかった。地上の生活に馴染みつつもどこか異邦人めいた気負いが、ふっと和らいでいるように見える。
「……ふーん? まぁ、波長が変わるくらい、環境に適応したってことだな」
「あーー、まぁ、そうね。ちょっとした心境の変化ってやつよ」
「あっ、もしかして、月の兎や地上の兎のやつですか?」
「ヨモツ様!しぃーーー!!!」
鈴仙は血相を変えて飛び上がり、両手でヨモツの口を文字通りぎゅっと塞ぎに行った。その慌てぶりは、隠し事を子供に見つかった大人のそれだ。
ヨモツは「むぐぐ……」と声にならない声を漏らしながらも、どこか楽しそうに目を細めている。
「なになに? 月の兎と地上の兎に何かあるのか?」
面白そうな気配を嗅ぎつけた私は、身を乗り出して鈴仙をジッと見つめた。
すると鈴仙は、ヨモツから手を離すと、顔を真っ赤に染め上げながらブンブンと両手を横に振って必死に弁解し始める。
「なっ、なんでもないわよ! 月の兎だろうが地上の兎だろうが、私には関係ないでしょ!」
「いや、自分で『ちょっとした心境の変化』って言ったろ。あ―――、お前……自分が月の兎じゃなくて、すっかり地上の兎だと思い始めてるんじゃないのか?」
「っ! そんなわけないでしょ! 私はいつだって、月の……」
そこまで言いかけて、鈴仙はふっと言葉を詰まらせた。
「……別に、地上に染まったわけじゃないわよ。ただ……」
鈴仙は小さく息を吐くと、頭の上でピンと立っていた長い耳を、恥ずかしそうにペタリと垂らした。
「……ただ、こういう生き方も悪くないなって、最近は思ってるだけよ」
その素直に零れ落ちた本音に、私は思わずニヤリと笑い、ヨモツは深く優しげな笑みを浮かべて頷いた。うさぎの可愛い告白に満足したところで、私は再びテーブルをトントンと軽く叩く。
「よし、鈴仙の話はそこまでだ。話が脱線したろ、ヨモツ。そろそろ教えてくれよ、永琳の後頭部をぶっ叩いた奴をさ」
「うーむ、夜更かしは健康に悪いですし、キリのよいところまでですよ?」
そう言ってヨモツは、くすくすと楽しげに笑いながら、私の前に温かいお茶の入った湯飲みをそっと差し出した。先ほどまでの冗談めいた雰囲気から、ふと空気が切り替わる。ヨモツはゆっくりと視線を夜の闇が広がる窓の外へと向け、遠い昔の記憶を手繰り寄せるように静かに語り始めた。
「……あれは、今よりもずっと世界が若く、人と神々がまだ今よりも近かった頃の話です。――彼女を殴ったのはですね」
ヨモツは一度言葉を切り、私と鈴仙の顔を順番に見つめてから、悪戯っぽく片目を閉じた。
「私の愛しい妹ですよ」
霧雨魔法店の間取りが分からない問題。散らかった部屋だという描写は結構あるんですけどね。
書いてて思ったんですけど、鈴仙って魔理沙の事を「魔理沙」って言いますよね。以前の話で「魔理沙さん」にしてた気がするから修正しなきゃ。
あー、すき焼き食べたい。