本来の「ドリトル先生(Doctor Dolittle)」の「ドクター」は博士(Ph.D.)ではなく医師(M.D.)を意味なんですが、まぁいっか!
作者より頭のいいキャラは作れると思っている派ですが、条件としてめちゃくちゃ考えなければなりません。ええ、つまりはすんごい苦戦した。
意識の浮上は、まるで深い水の底からゆっくりと水面に押し上げられる感覚と似ている。
最初に感じたのは、後頭部に残る鈍く芯のある痛み。次に、嗅いだことのない花の香りと土の匂い。最後に、体を預けるに足る柔らかな感触。硬い岩肌の上ではないという事は確かのようだ。
ゆっくりと瞼を開ける。
そこは、昼も夜とも判別のつかない黄昏に満たされた世界。
淡い金色と薄紫がどこまでも溶け合い、雲一つない空。
道の端では、そこかしらに白でも紫でもない、まるで月光を練り上げて作り上げたかのような花が咲いている。
「起きましたか?」
ヨモツ様の声と共に、私はゆっくりと身を起こす。どうやら、私は葦で作られた簡素な寝台の上に寝かされていたようだ。
「…やっと起きた」
見知らぬ声の方へ顔を向けると、そこには、二柱の神が立っていた。
先ほど私が遭遇した黄泉神――ヨモツ様。
そして、ヨモツ様の隣に立つ、もう一柱。
ヨモツ様とどことなく似た、しかし、より勝ち気で、力強い意志を宿した瞳。その手には古代の意匠が施された巨大な矛が握られていた。御幣らしきモノが付いてるけど…あれはどう見ても、天逆――
「大幣よ」
彼女は私の視線に気づいたのか、私の思考を遮るように静かに言い放った。
じゃあ、大幣なのだろう。うん、これ以上は深く触れてはならない気がする。
「……貴女が、私を?」
私は、尚もじんじんと痺れる後頭部の痛みを手で確かめながら、静かに問いかける。
すると、矛……もとい大幣を肩に担ぎ直したかの神は、悪びれる様子もなく、こともなげに頷いた。
「ええ」
その声は澄み渡っていたが、同時に底知れぬ凄みを孕んでいる。彼女は倒れている私を見下ろすと、ほんの少しだけ口元を緩め、隣のヨモツ様へと視線を移した。
「お姉様が、本気で怖がっていたから。つい、ね」
私は自らの失態を悟った。目の前の未知に夢中になるあまり、私はいつの間にかとんでもない無礼を働いていたようだ。謝るために上半身を起こそうとしたが、頭を割るような強烈な痺れと重力に囚われ、その場に手をつくことしかできなかった。…どんだけ強く殴ったんだ。
「辞めときなさい」
大幣を持つ神がぴしゃりと反論を許さない口調で言う。
「ナミは普通に心配しているのですよ。貴女が後頭部を殴られたり、顔から倒れたと言うのもありますが、一番の原因は疲労です。××さん、自分がどれだけ無茶な状態でここまで辿り着いたか自覚がありますか?」
呆れ混じりのヨモツ様の言葉に、私は思わず言葉を詰まらせた。
確かに無茶をしすぎたかもしれない。自分の状態は都度都度確認していたつもりだったが、思考が冷静でなければ意味はなかった。「まだいける」「あと少し…」と考えているうちに、自分自身の肉体と精神の磨耗を見誤っていたようだ。
「ほんとギリギリのところだったわ。いや、それも計算のうち?だとしたら、ずいぶん命知らずね」
呆れたように肩を竦める見知らぬ神。確か、ヨモツ様は「ナミ」と言っていた。となると、やはり彼女の正体は…
「貴女は……伊奘冉様、でしょうか」
痛む頭を押さえながら私が尋ねると、彼女は「そうよ」と短く応じた。
火之迦具土神を生み落としたことで神避りとなり、黄泉比良坂で伊弉諾様と永遠の分断を選んだ地母神。伝承においては日々に千の人間を殺すと宣言し、この世界に「死」をもたらした起源そのものが、いま私の目の前に立っている。
……もっとも、真に死という理を巡らせているのがヨモツ様である以上、その伝承には大きな矛盾と謎が残る。だが、伊弉冉様という存在が膨大な穢れを秘めていることだけは、疑いようのない事実のはず…
それにもかかわらず、彼女が放つ気配は鋭く恐ろしいものの、死気や腐敗といったおぞましさは微塵も感じられない。むしろ、息を呑むほど凛とした静謐な美しさすら漂わせている。
「私を殺す気は……ないのですね?」
「殺す? まさか。倒れてるアンタを介抱したのも、その頭の瘤を冷やしてあげたのも私よ。……まあ、ぶっ叩いたのも私だけどね」
伊奘冉様は大幣の柄を地面に突き立て、そこに背を預けながら、呆れたような視線を私に向けた。そして、「はぁ」と苛立ちを混ぜた息を吐き出し、彼女は言葉を続けた。
「私としてはね、アンタの記憶を綺麗さっぱり消し飛ばして、さっさと地上へ送り返したいのよ。この国の真実なんて、知ったところでロクなことにはならないんだから」
その言葉に、私は思わず息を呑む。
記憶の消去――それは天才たる私の積み上げてきた知識を否定されるに等しい。だが、伊奘冉様は苦々しそうに眉をひそめた。
「だけど、事をややこしくしてるのが、アンタが『天津神の賢者』っていう大層な立場にいること。下手にアンタの記憶を弄ってみなさいな。精神がおかしくなっただの、何かしらの陰謀だので、面倒な連中が騒ぎする未来が見えるわ。するにしたって、面倒な手段を取らなきゃいけない」
「そうですねぇ。かといって、記憶を消さずにそのまま帰せば、××さんは絶対にまたここへ戻ってきてしまいますもんね?」
横から呑気に合いの手を入れたのは、ヨモツ様だった。
正直、否定は全くできない。私は自分の天才性を証明するために、世界から「穢れ」を排除したいのだ。少なくとも、何かしらの成果を手に入れなければ、私はきっと何度だって此処に戻ってくるだろう。
「……では、私をどうなさるおつもりで?」
私が尋ねると、伊奘冉様はニヤリと、どこか意地悪い笑みを浮かべた。
「簡単よ。帰さなきゃいいの」
「はい?」
思わず妙な声が出た。
「正確に言えば、ひとまずはこちら側に留めておく…と言うのが正しいわね。アンタがここでどれだけ私やお姉さまを観察しようが、どんな研究に打ち込もうが実害が出ない範囲なら目をつむってあげるわ」
私としてはとても助かる話だが…あまりにも美味い話だ、何か裏があるのは間違いないだろう。
予想は当たり、伊弉冉様は言葉を続ける。
「天津神側に手紙でも出して、しばらくは雲隠れするでもなんでも言いなさいな。私たちの事は隠して、天津神たちを納得させることが出来たら、ここに留まるのを認めてあげる。勿論、アンタが裏で密かに手回しをして、高天原の視線をこちらへ誘導する……なんて策を弄する可能性もある。だから、アンタと私で――」
伊奘冉様は言葉を切り、大幣の先端を私の喉元へ滑らせた。冷徹で、逃げ場を一切許さない絶対的な神の威圧。
「
宇気比。
あらかじめ「こうなれば白、こうなれば黒」と条件を定め、起こった現象の結果をもって神意や真偽を確定させる古代の誓約。
かつて高天原へ登ってきた素戔嗚様の邪心を疑った天照様が行い、生まれた神々の性別によって己の潔白を証明してみせたという神事がいい例だろうか。一度下された宇気比の裁定には、いかなる神であれ異論を挟むことは叶わない。
伊奘冉様は懐から、一握の輝く泥のような、輝く星々を固めたようにも見受けられる未知の物質を取り出した。
神代の混沌から生み出された原初にして万能の物質――「伊弉諾物質」。
あらゆる万物を生成し、宿す者の意思や因果に応じて姿を自在に変えるとされる触媒。
「この伊弉諾物質に、アンタの言葉と覚悟を吹き込んでもらうわ。もしアンタが高天原の連中の視線を逸らす意思があるのならば……この物質は透き通る宝玉となる。それがアンタの潔白の証明よ」
大幣の先端が、私の皮膚をうっすらと撫でる。冷たい死の気配が喉元から全身へと駆け巡る。
「けれど、もし余計な暗号を忍ばせたりして、連中に勘づかせてこちらへ探りの手が伸ばすつもりならば……歪みや色が混ざった石になる。その場合は…言わなくても分かるわね。さぁ、覚悟は良い?」
「良いでしょう。早速やりましょうか」
「…ずいぶん威勢がいいのね。迷いすら見せないなんて」
伊奘冉様は驚いたように眉を少し上げると、くすりと不敵な笑みを漏らした。そして、片手で握った伊弉諾物質を、私の目の前へと静かに差し出す。
無数の星々を閉じ込めたかのように揺らめく、輝く塊。
私は迷うことなく両手を伸ばし、その神聖なる物質を掌で優しく包み込んだ。
冷たくも温かい、奇妙な感覚が指先から脳裏へと流れ込んでくる。私は静かに瞼を閉じ、高天原への筋書きを頭の中に描いた。
暗号も、助けを求める意志も一切混ぜない。ただ純粋に、私の観察と探求の旅ゆえの姿隠しであると信じ込ませるための虚構の言葉を、その決意と文章の構想を吹き込み、目を開く。
掌の中で、伊弉諾物質が静かに脈動を始めた。
「……へぇ」
伊奘冉様が、小さく感心したような声を漏らす。
私の手に収まっていたその物質は、濁りや穢れを一切残さない青色の宝玉へと、その姿を変貌させていた。
「見事なものですね、××さん。なんて綺麗な透き通る青の宝珠」
ヨモツ様が感嘆の息を漏らし、吸い寄せられるようにその宝珠を覗き込んだ。
「さ、ナミももういいでしょう。それを引いてあげなさいな」
喉元に触れていた大幣が、すっと引き去られる。
伊奘冉様は大幣を肩に担ぎ直すと、呆れ半分、感心半分といった風に鼻を鳴らした。
「良いでしょう。アンタのことを一先ずは信じてあげるわ」
「感謝いたします、伊奘冉様、ヨモツ様」
私は手に残る宝珠のひんやりとした感触を確かめながら、深々と頭を垂れた。
高天原の思惑など、私の手のひらで踊らせてみせればいい。後頭部に残る鈍い痛みすら、これから始まる未知の探求の前では意味をなさなかった。
「よしよし、話もまとまりましたし、帰りましょっか!」
「ええ。やらなきゃいけない事も多いしね。はやくこいつを連れて戻りましょうか」
その言葉と同時に、周囲の光景が一瞬にして掻き消え、次の瞬間、肌を撫でる風の質感と大気の濃密さが一変した。
思わず見上げた空は、見事なまでに真っ黒。
雲も星もなく、光を吸い尽くすかのような純粋な「闇」そのもの。完全なる無の虚空が頭上に広がっている。
しかし、視線を水平に戻すと、そこには空の暗鬱さを完全に打ち消す光景が広がっていた。
眼前に広がる大きな街並みは、温かみのある灯火とどこか神秘的な光彩に包まれ、驚くほど明るく活気に満ちている。建物の軒先や大通りの端々には、先ほどの場所で目にした、まるで月光を練り上げて咲かせたかのようなあの不思議な花が咲き乱れ、街全体をやわらかな光と仄かな香りで満たしていた。
「ここが……黄泉の国、ですか」
私が呟くと、隣に立つヨモツ様が嬉しそうに頷いた。
もっとも驚くべきは、そこを行き交う「住民」たちの姿だった。
死者の国と聞いて連想するような、おぞましい亡者や幽鬼の類ではない。笑い合いながら歩く幼子、穏やかな顔で暖簾をくぐる老人、威勢よく声を掛け合う若い男女――老若男女を問わず、生き生きとした(死者の国においてこの表現が正しいかは定かではないが)様々な人々が、当たり前の日常を営んでいたのだ。
「思っていたよりも、随分と……『普通』なのですね」
「あら、もっと薄暗くて恐ろしい場所だと思っていました?」
伊奘冉様が大幣を軽く肩に担ぎ直し、口元に笑みを浮かべる。
「生きとし生ける者が最後に辿り着く場所よ。理に導かれてここへ来た魂たちにとって、ここは安らぎの地でなきゃ意味がないでしょう?私とお姉さまでそれはもう頑張ったわ」
真っ黒な闇の空と、光に満ちた賑やかな街。
死という絶対の理の果てに佇む、あまりにも温かな生活。
私は地震の知的好奇心が、激しく沸き立つのを感じていた。
プロット「なんかイイ感じに、永琳を黄泉の国に留まらせる」←過去の自分、ほんまマジでお前。
宇気比について書いてて思ったのですが、両神が使った十握剣と
いや、国産みの際に生み出された島はおそらくは伊弉諾プレート云々の話。となると、島まるごと伊弉諾物質…生み出された島が神格化されることも考えると…元からか?う~ん、論理が飛躍してる気もする。
絶対に盟神探湯の方がやりやすかった。あっちは罰が明確にあるから、「もしも嘘を吐いたら、二度と黄泉の国を跨ぐことはできない」って決めれたから。けど、この時代に盟神探湯という概念自体がなさそう。創作って難しいねぇ。