東方備忘録   作:電子の妖精になりたい

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やけに情景描写が細かい時は、作者が展開に悩んでいる事が多いです。作者が一番夕雲さんの事をわかってないのかもしれない…つまり、難産でした。鬱憤とした話は苦手なんだ。


第123季/冬 人間の里with難解で退屈な半獣教師

 私の右目に映っていた、地底の荒々しい太陽の光が、ふっと掻き消えました。

 式神の目を通して見ていた、あの激しい戦いの終わりと共に、視界の共有は解かれたようです。私の意識は、完全に、雪の降り続く博麗神社の縁側へと引き戻されました。

 

 隣に座る紫は、何も語りません。その瞳には先ほどまで雰囲気はまるでなく、どうやら静かに、今回の出来事の顛末を反芻しているようでした。

 

「はぁー…」

 

 私も思わず、重いため息を吐いてしまいます。霊夢…こほん、巫女と幻想郷が無事だった事はよかったですが、新たな問題も生まれてしまいましたから。前回は上手くいきましたが、今回はどうなるか分かりません。あの巫女に、彼女の能力が通じれば良いのですが…。

 

「ねぇ、夕雲」

 

 諸々の計画や優先順位を組み立てたのでしょう。紫が、不意に口を開きます。

 

「あの子たちがどんちゃん騒ぎを始める前に、一つ、後始末を済ませてしまいましょう。お説教はそれからよ」

 

 異変の解決。それは、幻想郷において、新たな宴の始まりを意味します。

 博麗神社を舞台に、異変の解決者である巫女を中心として、今回の騒動に関わった者たちが敵も味方もなく集うのです。それは、幻想郷に日常が戻ったことを祝う、賑やかで、騒々しくて、そして少しだけ厄介な、恒例行事。勿論、私も何回も参加した事があります。

 紫の言う「どんちゃん騒ぎ」とは、その宴のこと。一度始まってしまえば、宴はいつまで続くかわかりませんから。

 

 博麗神社は、もう間もなく、敵も味方も、人間も妖怪も関係なく入り乱れる、いつもの騒がしさを取り戻すことでしょう。

 

 そう考えていると、紫の声が私の耳に届きます。

 

「今回の異変で、一番の『想定外』。…霊夢が、貴女の名前を知ってしまった」

 

 その言葉に、私の心臓が、嫌な音を立てて、大きく一度、跳ねます。

 

「さとりさんは巫女が私の名前を知ってはいけない、と言うルールを知りませんでしたしね。しょうがないです…」

 

「もともと、貴女が地底に行かなければよかっただけの話ではあると思うけどね」

 

「うぐっ…それを言うなら、私の核を揺るがすような異変を起こさせてしまった賢者たちも遠因ですよ!」

 

「…耳が痛いわね。それじゃあ、この話はどっちも悪くないってことでいいわね?貴女には、一つ頼み事するけど」

 

 紫は、私に向き直ると、有無を言わせぬ口調で続けました。

 

「里に行って、話をつけてきて。博麗の巫女の記憶から、今日の『夕雲』という名前だけを、綺麗に消し去ってもらうように」

 

 その言葉の意味を、私が違えるはずもありません。私はこくりと頷きます。

 

「私はこれから術を掛け直すわ。今度は地上だけでなく、地下まで。ですから、この件は貴女に任せます。私が行ったとしても、彼女、警戒するだけでしょう?」

 

「まぁ、そうですね。今回は私にも責任がありますし、後始末ぐらいはします」

 

 私は、ため息と共に立ち上がります。確かに、この厄介な後始末は、私だからこそ果たせる役目なのかもしれません。これは巫女と幻想郷、二つの大切なものを守るためです。

 

「それじゃあ、行ってきますね。それと、スキマで送ってくれませんか?」

 

「お安い御用よ」

 

 紫が微笑むと、私の足元に、再び闇色のスキマが大きな口を開けました。

 私は、その暗闇へと、今度は自らの意思で、静かに一歩、足を踏み入れます。

 

 視界が反転し、次に私の目に映ったのは、雪明かりに照らされた、見慣れた人間の里の入り口でした。

 私は一つ、白い息を吐き出すと、寺子屋の明かりが灯る、あの歴史家の元へと、歩き始めるのでした。

 

 

 

 

 空は、茜色と深い藍色が混じり合った、色彩の境界がない夕暮れ時でした。昼と夜の境界が曖昧になる、黄昏(誰さ彼)時。

 家々の窓には、温かな橙色の灯りがぽつり、ぽつりと灯り始め、家路を急ぐ人々の楽しげな声が、雪に吸い込まれては、遠くに響きます。

 

 私は、そんな人間の営みの光景の中を、まるで一枚の風景画に紛れ込んだ異物のように、静かに歩いていました。

 今日、私が頼むのは、歴史の編纂。ですが、それは、歴史を「遺す」ためのものではありません。一人の少女の記憶から、たった一つの名前を、その存在の痕跡ごと、綺麗に「喰べてもらう」ための、交渉。

 

 やがて、私の目の前に、一際大きく、そして静かな光を放つ建物が見えてきました。彼女が営む、寺子屋です。子供たちの元気な声はもう聞こえませんが、中からは、まだ彼女が仕事をしていることを示す、柔らかな光が漏れていました。

 

 私は、その引き戸の前で、一度だけ、足を止めます。そして、胸の中に渦巻く、僅かな感傷を、冬の冷たい空気と共に、そっと吐き出しました。

 

 意を決して、私は、その戸に、手をかけます。

 

「ごめんください」

 

 私がそう声をかけると、それまで聞こえていた、紙の上を筆が滑る軽やかな音が、ぴたりと止まりました。しばしの沈黙の後、覚悟を決めたような、落ち着いた声が返ってきます。

 

「…中に入ってくれ」

 

 その声に促され、私は雪の重みで僅かに軋む引き戸を、静かに横に引きます。

 途端に、暖かい空気が、私の冷えた頬を撫でました。インクと古い紙の匂い、そして、燃える薪の香ばしい匂いが、ふわりと鼻を掠めます。

 

 部屋の奥、山と積まれた書物と巻物に囲まれた文机で、一人の女性が、こちらを見ていました。

 緑の長髪に、少し古風な意匠の衣服。この人間離れした幻想郷において、誰よりも人間の側に立ち、その歴史を守る半分人間、半分妖獣。上白沢慧音。

 

「…やはり、夕雲殿か」

 

 彼女は、私の姿を認めると、ゆっくりと筆を置きました。

 

「まあ、立ち話もなんだ。入りなさい。外は冷えるだろう」

 

「ありがとうございます」

 

 私は一礼し、戸を閉めてから、彼女に勧められるまま、囲炉裏のそばに腰を下ろしました。ぱち、ぱち、と火が爆ぜる音だけが、部屋の静寂を際立たせます。彼女は、慣れた手つきで、傍らの鉄瓶から湯を汲み、私のために一杯のお茶を淹れてくれました。

 

「それで」

 

 湯気の立つ湯呑みを私に手渡しながら、慧音殿は、真っ直ぐに私の目を見て、問いかけます。

 

「貴女が自ら動くからには、よほどの事があったのだろう。今日は、どのような用件で?」

 

 私は、差し出された温かい湯呑みを両手で包み込み、申し訳なさで目を伏せました。

 

「…ええ。実は、貴女のその『歴史を食べる程度の能力』を、お借りしたく、参上した次第です」

 

 私の言葉に、慧音殿の穏やかだった表情が、僅かに、しかし確かに、強張ったのが分かりました。囲炉裏の火が、彼女の驚きに満ちた顔を、一瞬だけ、赤く照らし出しました。

 

「霊夢のか…」

 

「ええ、私たちの不注意で、博麗の巫女が私の名前を知ってしまったので…恐らくは問題無いと思いますが、念の為です」

 

 私たち賢者も、博麗の巫女の記憶を消したくて、消している訳ではありません。必要に駆られてなのです。

 

 『博麗の巫女は、巫女になる以前の記憶は持ってはならない』

 

 世俗から切り離された清らかな存在である事を保つためでもありますが、かつての巫女が昔馴染みに殺されてから、そのしきたりは始まりました。

 記憶は、鎖。個人の情は、巫女の力を曇らせ、判断を誤らせる要因となり得ます。そして、巫女の死は幻想郷の崩壊を招く…一応の予後策は出来ましたが、なるべくしたくないのが本音です。

 

「なぁ…夕雲殿。本当にやらなければならない事なのか?」

 

 その問いは、静かな部屋の中で、ずしりと重く響きました。歴史を預かる彼女だからこその、当然の、そして、真摯な質問です。私は、湯呑みの中の、僅かに揺れる水面を見つめたまま、静かに口を開きました。

 

「……ええ。やらなければ、なりません。幻想郷を守るためですから」

 

 私の声は、自分でも驚くほど、落ち着いていました。顔を上げ、私は真っ直ぐに彼女の目を見つめ返します。

 

「貴女には、酷なことを頼んでいると、分かっています。歴史を預かる貴女に、歴史を消せ、と。…ですが、慧音殿。どうか、お願いします」

 

 私は、深々と、頭を下げます。旧友でもあり、幻想郷の賢者でもある紫にさえ見せたことのない、心からの懇願。

 私のその姿に、慧音殿は、何かを察したのでしょう。彼女は、ふぅ、と長い息を吐くと、諦めたように、しかし、優しい声で言いました。

 

「…………分かった。そこまで言うのならば、、、だが、私に出来るのは、記憶の抹消や消滅では無い。あくまでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だが…それでも、良いのだな?」

 

「はい。それだけで、十分です」

 

 彼女の承諾に、私は顔を上げ、心からの感謝を伝えました。

 

「ありがとうございます、慧音殿」

 

 彼女の承諾に、私は顔を上げ、心からの感謝を伝えました。初回の歴史改竄による記憶処理は、幻想郷の地上という広い対象で行われました。ですが、その影響は決して万能ではありません。強い力を持つ妖怪には効きませんし、私に対して強い印象を持つ妖怪――例えばにとりや何故かミスティア、プリズムリバー姉妹は、全てを忘れるわけではなく、何か大事な部分だけが抜け落ちたような、奇妙な記憶の欠落を抱えることになります。ですが、それも、仕方のないこと…

 

「礼を言うのはまだ早い。…準備がある。少し、待っていてくれ」

 

 そう言うと、彼女は立ち上がり、寺子屋の奥の部屋へと、姿を消していきました。ぱちり、と囲炉裏の炭が一つ、音を立てて爆ぜます。それ以外には、何の音も聞こえません。慧音殿の足音もでさえも、今はもう聞こえません。

 この、歴史の重みが染みついた静かな部屋に、私は一人、取り残されました。

 

 私は、手の中の、すっかりぬるくなってしまったお茶を、ゆっくりと飲み干します。

 霊夢は、今頃、宴の席で笑っているでしょうか。

 地底での激しい戦いのことなど忘れ、仲間たちと、他愛もない話に花を咲かせているのでしょうか。

 その、当たり前で、尊い日常。それを守るためとはいえ、これから私たちが為そうとしていることは、あまりにも身勝手で、傲慢な行いです。

 

 一つの記憶を、歴史を、その人物の許可なく、喰らい、無かったことにする。

 

 私は、窓の外に目をやりました。雪は、いつの間にか止んでいます。月明かりが、白く積もった里の屋根を、ぼんやりと照らしていました。あの、無垢で、真っ直ぐで、そして、誰よりも強い巫女。彼女が、これからも『博麗の巫女』として、あの場所で笑い続けてくれるのなら…。

 

 私の、この感傷など、取るに足らぬ物です。

 

 寺子屋の奥の部屋の障子が、静かに開かれました。

 戻ってきた慧音殿の纏う空気が、先ほどまでとは、明らかに違っています。いつもの、人間の歴史を守る、穏やかな教師の顔ではありません。その身に、神獣の気配を色濃く宿した、幻想郷の歴史そのものを編纂する、半獣の顔。

 

 月は『回る』物ですからね。

 

「夕雲殿、準備ができた。前回と同じだ、手伝ってくれ」

 

 彼女の声は、低く、厳かに響きます。

 

「…心の準備は、いいな?」

 

 私は、静かに頷くと、ゆっくりと立ち上がりました。

 

「ええ。いつでも、構いません」

 

 慧音殿の力で、霊夢の中から私の名前を消す。以前、それだけでは不十分だと、紫は初回の歴史改竄に便乗して、もう一つ術を重ねました。生きている限り、誰も博麗の巫女に「夕雲」という名前を告げられなくなるように。もっとも、元より賛成派である力ある妖怪たちは、自ら語ることはありませんので、念の為というものです。

 

 ですから、私の名前が消えるのも初めてじゃありませんし、霊夢が私の名前を思い出すのもありえないこと。ですから、もう慣れっこです。

 

 私は、無理矢理、笑顔を作って、自分にそう言い聞かせた。

 

 








夕雲は気配を感じ取るのが抜群に上手いです。それこそ、こいしが近くにいれば、気配を把握できるほど。そのため、霊夢が近づいたりすれば、爆速で逃げ出します。鈴奈庵では疲れていたので、気配察知の精度が落ちていました。

体中を回してドリルと化し、地中に潜って逃げる夕雲さんが頭から離れないので、皆さんに共有。

紫の術については、「生きている限り」というのがミソです。一回休みになったりするやつらの事を想定していません。というか、名前を知らないから考慮に値しない…はずなんだけどなぁ?

それにしても、感傷的になるとすぐにボロが出る夕雲さん、かわいいね。
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