凄まじい速度で、景色が後ろへと飛んでいきます。
私の体は、まるで米俵のように魔理沙さんの箒の後ろに担がれ、猛烈な風圧に晒されていました。身に着けたばかりの、瀟洒なメイド服は、もはや無残に乱れています。…結局、汚れちゃいました。
(それにしても…誘拐、ですか。メイドの業務内容に、このような項目は、ありましたでしょうか…?)
私は、心の中で、一応の雇い主であるレミリアに、そっと問いかけました。もちろん、返事などあるはずがありません。
「…それで、魔理沙さん」
私は、この理不尽な状況の中でも、できる限り、平静を装って、私を担ぐ魔法使いに話しかけます。
「これは、一体、どういうおつもりで?」
「どういうつもりって、見ての通り。お前、なかなか頑丈そうだったからな。パチェリーの追撃があった時のための、保険だ、保険!」
魔理沙さんは、眼下に広がる霧の湖を見下ろしながら、ケラケラと悪びれもなく笑います。
「それにしても、お前、本当にただのメイドか?さっきの弾幕のいなし方、ただもんじゃなかったぜ」
「さあ、どうでしょう。紅魔館に勤めている人間のメイドは、皆様、あれぐらいは嗜みとして、身につけていると伺っておりますが」
私がそう適当な答えを返すと、彼女は「へぇ、そりゃすげえな!」と、あっさり納得してしまいました。疑うより、面白いと判断したことを、すぐに信じてしまう。それもまた、彼女の持つ、危うく、そして、どこか魅力的な才能なのでしょう。まぁ、咲夜なら出来そうですし、あながち嘘ではありません。
やがて、私たちの下に見えていた湖の景色は、鬱蒼とした深い森の景色へと変わっていきました。魔法の森です。化け物茸が胞子を飛ばし、人間も妖怪も等しく害をなす土地です。特に危険なのは、近くにいるだけで幻覚作用を出すキノコ。あのキノコが出す胞子が魔力を高めるとかなんとか、胡散臭い話です。しかも不味くて食えたもんじゃありません。
ちなみに、私が魔法の森について詳しいのは、魔法の森の入り口に居を構える霖之助さんから話を聞いたからです。なぜ彼はあんな不便な場所に、店を置こうと思ったのでしょう。やはり、霖之助さんは経営下手ですね!間違いない。
「よし、着いたぞ!」
そう言うや否や、魔理沙さんは森の入り口に箒を止め、私を、まるで荷物を下ろすかのように、ぽい、と地面に下ろしました。
「よし、サンキュな、レイボ!助かったぜ!」
彼女は、戦利品である魔導書が詰まった鞄を、愛おしそうに、ぽんぽんと叩きます。
「よし、レイボはこれからどうする?思わず、魔法の森まで連れて来ちゃったが、良かったら里まで連れていくぞ?後は…そうだなぁ、一晩私の家で過ごして、朝に里まで送り届けるのはどうだ?」
魔理沙さんは私を見つめ、そう提案します。私は、土埃のついたスカートを払いながら、ゆっくりと立ち上がりました。そして、意図的に表情を、すっと消します。
「ご提案は、ありがたいのですが、お断りいたしますね」
私の、温度のない声と敵意に、魔理沙さんは、ようやく、私の異変に気付いたようです。
「私は、一応は紅魔館のメイドです。何もせずに貴女を取り逃がしたりしたら、レミリアになんて小言を言われるか、分かりません」
私は、そこで一度、言葉を切りました。そして、ただ一つの事実を、彼女に告げます。
「それに、私、怒ってるんですよ。親切で案内したつもりがあんな惨状を招いたことにも、そして、久しぶりに、人に騙されてしまった自分自身にも」
その豹変ぶりに、魔理沙さんが、怪訝な顔で眉をひそめます。
「はっ!なんだよ、急に。やる気になったのか、新人?」
「その本を、こちらへ返してください。魔理沙さん」
「…やなこった!ここまで来たんだ、こんなところで返せるかよ!それが嫌なら、力尽くで奪ってみな!」
彼女はそう叫ぶと、ミニ八卦炉を私に向け、牽制のつもりか、私から少し離れた地面に、数発の星形の弾幕を放ってきました。地面が抉れ、土と雪が派手に飛び散ります。
…こういう、どこか優しいところがあるから、この魔法使いのことは、どうにも嫌いになれません。本当に私が邪魔ならば、当たるつもりで弾幕を放てば良いのですから。
しかし、その手心は、今の私には、不要なものでした。私は、彼女の弾幕が作り出した煙の中から飛び出し、魔理沙さんの額に触れます。
「なっ!」
「回す程度の能力」。以前、鬼の大将である勇儀さんにやったのと同じ、対象は目と頭。勇儀さんという外れ値の存在でも、耐えることの出来なかった、私のお気に入りの使用方法。ただの人間である魔理沙さんが耐えうる筈がありません。
「――っぐ!?」
魔理沙さんは私の予想通り、膝から崩れ落ちます。…頭から倒れたら怖かったのですから、いつでも支えられるようにしてましたが、大丈夫ですね。私は魔理沙さんに背を向け、彼女が盗んだ本が入っている鞄を回収します。
「…恋符、、、
って!!!嘘でしょう!!?
『マスタースパーク』!!!!」
⋈◀「ほんとびっくりしました。これが火事場の馬鹿力ってやつです?」▶⋈
「――っぐ!?」
なんだ…これ…!?
額に、指で軽く触れられただけ。だというのに、世界が、ぐちゃぐちゃに回り始めた。目が、頭が、三半規管が、全部、滅茶苦茶にかき混ぜられるような、最悪の感覚。立っていることさえできず、私は、為す術もなく、地面に膝をついた。
(こいつ…!ただの、メイドじゃ、ない…!)
朦朧とする意識の中、あの新入りメイド――レイボが、私に背を向けて、私が落とした麻袋を拾い上げるのが見えた。
……馬鹿に、するな。
この私を、霧雨魔理沙を、こんな、訳の分からない力で、黙らせたままで、終わらせてたまるか…!
「…恋符、、、
回る視界、定まらない焦点。それでも、私は、最後の気力を振り絞り、懐のミニ八卦炉を、霊暮の背中に向けた。いける。いけるはずだ。あいつは私が倒れてると思ってるし、私の全力の魔法を知らない…!
レイボは私が何をしようとしているのを察知したのか、振り返って、目を見開いている。 へへ、私を甘く見た罰だ。もう、遅い!
私の叫びと共に、八卦炉から、全てを薙ぎ払う、極大の光の奔流が放たれた。
やった!直撃だ!と思った、その刹那。
レイボの呟く声が、静かに聞こえた。
「正直、甘く見ていました。ただの人間である貴女が、私の能力に抵抗できるなんて」
直後、私のミニ八卦炉を持つ手首に、まるで、見えない何かに掴まれて、無理やり捻じ上げられるかのような、激痛が走る。
「がっ…!?」
手首が、ありえない方向に、ぐるり、と回った。私の制御を完全に離れたマスタースパークは、レイボの体を掠めることもなく、明後日の方向へと逸れていき、魔法の森の木々を、派手に薙ぎ倒して、消えていった。
「……な…に…?」
何が、起きた?
レイボの感心したような顔を横目に、最後の気力も、魔力も、全てを使い果たした私の意識は、完全に、途切れた。
…
……
………
………………
目を覚ますと、知らない天井…ではなく、見覚えのある、雑然とした天井が視界に映った。木の匂いと、少し埃っぽい、古道具の匂い。視界がクリアになると同時に、自分がどこにいるのかを知覚する。香霖の店だ。
「…いって…」
体を起こそうとして、手首に走る鈍い痛みに、思わず顔をしかめる。湿布が貼られているとはいえ、妙な痛みだ。頭も、まだ少し、ぐらぐらする。
「おや、目が覚めたのか、魔理沙」
店の奥から、のれんをくぐって、ここの店主、香霖が顔を出した。その手には、湯気の立つ湯呑みが一つ。
「香霖…?なんで、私、ここに…?私は、確か、森の入り口で…」
「ああ。君をここまで運んできた人がいたんだよ」
香霖は、そう言うと、私の傍らに湯呑みを置き、店の隅に立てかけてあった、鞄を指差した。
「…見たことのない、古風なメイド服を着た女性だったが。君をここに寝かせると、その鞄を私に預けてね。盗んだ本は返して貰いました、とだけ」
メイド服…レイボ!
そうだ、あいつだ。あいつに、やられたんだ!
(くそ…!完敗じゃないか…!)
戦いに負けただけでなく、その後の始末まで、綺麗に付けられている。これほどの屈辱は、久しぶりだ。
「…それで、香霖。そのメイド、他に何か言ってなかったか?」
「いや、何も。名前も名乗らず、風のように去っていったよ。君の友人かと思ったが、違うのか?」
「…友達なんかじゃ、ないぜ」
私は、痛む手首を握りしめた。
ただの新人メイドだと思っていた相手に、手も足も出ずにねじ伏せられた。
悔しい。腹が立つ。
だが、それ以上に――
(…面白いじゃないか、レイボ!)
私の心に、いつもの好奇心の炎が、再び燃え上がるのを感じていた。
こうなったら意地でも、もう一度あいつと戦って、今度こそ、本気のマスタースパークを叩き込んでやる!
私は、香霖が淹れてくれたお茶を一気に飲み干すと、まだ痛む体を引きずって、店の扉へと向かった。鞄に隠してた魔導書は全部無事、取られたのはもう読み終わったダミーで助かった。
「あっ、そうそう。彼女、今度君に渡したい本があるらしい。僕に渡しておくらしいから、今度受け取りに来なさい」
自分でも納得が行っていませんが、こうなりました。別に、魔理沙をやられ役にしたいんじゃないんですよ。一番…いえ、二番目に扱いに困っているかもしれません。と言う事で、ここでオリチャー発動です。悪霊を「無」から生み出します。