私は、図書館を離れ、フランがいる地下室を目指します。…地下室はどこにあるかわかりませんので、右往左往していましたが、どうやら小悪魔さんが先導してくれるようです。…パチェリーさん、流石です。
紅魔館の中は、何度訪れても、その全容を把握することができません。それどころか、訪れる度に、廊下の長さや部屋の数・配置が、変わっているような気さえします。
「夕雲さーん!この階段を降れば、フラン様がいる部屋ですよ!…って言う事で、私はパチュリー様の元に戻りますね!」
そう言うや否や、目にも止ろまぬ速さで来た道を戻っていく小悪魔さん。その背中は、まるで、恐ろしい何かから、一目散に逃げ出すかのようでした。
「…やれやれ。そこまで、怖がらなくても良いでしょうに」
一人残された、薄暗い石造りの階段。私は、彼女のあまりの慌てぶりに、思わず苦笑しました。まあ、無理もありませんね。フランにとって、小悪魔さん程度の存在は、道端に転がる小石のようなもの。悪意なく、ただ、そこに在るというだけで、蹴り飛ばされてしまうかもしれないのですから。賢明な判断、というものでしょう。
私は、大きく息を吐き、階段を降り始めました。ひんやりとした空気が、足元から這い上がってくるようです。石でできた螺旋階段は、どこまでも深く、この館の心臓部へと続いているかのようでした。私の足音だけが、こつ、こつ、と壁に反響しては、重い静寂の中に吸い込まれていきます。
そうして、長い階段の終わりが見え、その最下段に、静かに降り立ちます。目の前には、何の装飾もない、ただ、絶対的な拒絶を示すかのような、重厚な鉄の扉がありました。
私は、その扉の前で、一度だけ、足を止めます。胸に抱くのも複雑な想い。フランにどの面を下げて、顔を合わすのか、そもそもヴラドを殺した私が会ってよいのか、レミリアやパチェリーさんと会った時のフランの様子…
私はそれらを一旦、飲み込み、冷たい鉄の扉に、そっと、手を伸ばしました。ひんやりとした金属の感触が、指先から伝わってきます。そして、私は意を決して、扉をノックしました。
(ええぃ!南無三!何とでもなるはずです!)
「――だぁれ?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、鈴を転がすような少女の声。
「…私です。夕雲、ですよ」
「夕雲!夕雲なのね!待ってたわ!ずっと、ずっと、待ってたんだから!」
次の瞬間、固く閉ざされていたはずの鉄の扉が、吹き飛ばされました。
「ぐはぁ」
無論、扉の前にいた私は扉に吹き飛ばされます。ええ、もちろん、扉の前にいた私は、その数トンはあろうかという鉄の塊と共に、廊下の反対側の壁まで吹き飛ばされます。背中から、ゴシャア!という、大変に、こう、聞きたくない音がしました。
壁に叩きつけられた衝撃で、視界の端を、可愛らしい星がちかちかと飛んでいます。
「夕雲!どこー?」
瓦礫と化した扉の向こうから、ひょっこりと、一人の少女が顔を出しました。七色に輝く美しい羽を背負った吸血鬼、フランドール・スカーレット。彼女は、廊下の壁に、まるで蝉のように張り付いている私を見つけると、ぱあっと、花が咲くような笑顔を浮かべました。
「あ、いた!夕雲、何してるの?壁と友達にでもなった?」
「ええ…ええ、そうですよ。今、この壁と、人生について、深く語り合っていたところです…」
私が、朦朧とする意識の中、そう答えると、フランは、こてん、と可愛らしく首を傾げました。
「ふーん?でも、それより、私と遊んでよ!」
彼女は、私の元へと駆け寄ると、壁にめり込んでいる私の腕をぐいぐいと引っ張ります。
「ねえ、早く早く!今日は何をするの?」
ええ、ええ、そうですね…
まずは、来客を迎える際は、扉を吹き飛ばすのではなく、ドアノブを回して開ける、という基本的なマナーから、始めましょうか。
◆
気を取り直して、私はフランに挨拶をします。ついでに、地下室の扉と壁、メイド服を能力で直しておきます。
挨拶と同時に、扉を壊してはいけませんよと注意しようと思いましたが、フランのニコニコとした顔を見ると、怒る気も失せてしまいました。
うーん。どうにも、私は吸血鬼姉妹に弱いです。
「それで、夕雲。今日は何をするの?というより、何で最近来なかったのよ!」
「…用事が立て込んでいまして、最近になってようやく時間が出来たんですよ」
「ふーん、前回の続き?まぁ、来てくれたなら、いいや。今日は何をするの?」
前回の続き…、こほん、何をする…ですか、正直考えていなかったのですが…そうですね、あれをしましょう。
「そうですね。今日は、少し、頭を使う遊びをしてみましょうか」
「頭を使う?」
「ええ。道具は何もいりませんですし、必要なのは考えることだけです」
私がそう言うと、フランは、不思議そうに、しかし、興味深そうに、こてんと首を傾げました。私は、彼女を部屋の中央にある、小さなテーブルへと促します。散らばっていた人形の残骸を、ささっと片付け、二人で、そのテーブルに向かい合って座りました。
「これから、私が、ある奇妙な物語の、ほんの一部分だけをお話しします。フランは、その物語の真相が何なのかを、当てるのです」
「ふーん、なぞなぞ、みたいなもの?」
「少し違いますね。貴女は、私に、どんな質問をしても構いません。ですが、私が答えられるのは、『はい』か、『いいえ』、あるいは、『関係ありません』の、三つだけ。その三つの答えだけを頼りに、物語の全体像を、貴女の頭の中で、組み立てていくのです」
「へぇ、面白そう!」
フランの瞳が、きらりと輝きました。どうやら、この遊びを、気に入ってくれたようです。
「この遊びを、外の世界では、『ウミガメのスープ』と呼びます。では、始めましょうか。最初の話は、こうです」
私は、少しだけ、声を潜め、ミステリアスな雰囲気を演出します。
「ある男が、レストランに入り、『ウミガメのスープ』を注文しました。その男は、そのスープを一口だけ飲むと、店の外へ出て行き、自ら命を絶ってしまいました。…さて、一体、なぜでしょう?」
私の問いに、フランは、うーん、と少しだけ考え込む素振りを見せました。そして、最初の質問を、私に投げかけます。
「そのスープ、毒が入ってた?」
「いいえ」
「お店の人と、喧嘩した?」
「いいえ」
「じゃあ…スープの味が、問題だったのね?」
「はい」
私の肯定に、フランの瞳が、楽しそうに、すっと細められました。
「その男の人は、前にも『ウミガメのスープ』を食べたことがあった?」
「はい」
「それで、今日飲んだスープと、前のスープは、味が違った?」
「はい」
「前のスープを食べたのは、船の上?」
「はい」
「船が、壊れちゃった?」
「はい」
彼女の質問は、まるで、一本の細い糸を、迷いなく手繰り寄せていくかのようです。私は、ただ、はい、と答えることしかできません。
「その時、誰か、死んじゃった人がいた?」
「はい」
「その人は、男の人の、大事な人だった?」
「関係ないです」
フランは、そこで一度、質問を止めました。そして、最後の、そして、最も残酷な、確認作業に入ります。
「…男が以前飲んだスープは、死んじゃった人で、作られてた?」
「…はい」
参りました。
彼女は、たった数回の質問で、全ての真相に、辿り着いてしまいました。
「…ええ。その通りです。男は、レストランで本物のウミガメのスープを飲み、かつて自分が食べたスープが、ウミガメの肉ではなかったことに、気づいてしまったのです」
私がそう答えると、フランは、ふふん、と、実に満足げな、得意げな笑みを浮かべました。
「うん、結構面白いわね。このまま続けましょ?」
そう、フランはレミリアみたいな口調で言いました。
それから私たちは、数問、ウミガメのスープに興じました。自分の時間感覚を信じるとするのならば、おそらくは真夜中。人間である私にとっては、そろそろ休息の時間です。
「ふぁ…」
思わず、大きなあくびが漏れてしまいました。瞼が、鉛のように重いです。
「フラン、次が最後の問題です」
「えー、もっと遊びましょうよ、遊び足りないわ」
フランは、不満そうに頬を膨らませます。
「…と言っても、私も眠いですし」
ご飯も食べていませんし、湯浴みもしていません。能力を使って、綺麗な状態に戻れば、諸々の時短は出来ますが、それでも、この、どうしようもない眠気だけは、どうにもなりません。
「文句は無しですよ。最後の問題です」
私は、重くなる瞼を必死にこじ開けながら、最後の物語を、語り始めました。その声は、自分でも分かるほど、どこか、夢見心地で、ふわふわとしています。
「そうですね…ある昔の話、ずっとずっと昔の話です」
「ある所に、一つの家族がいました」
「その家族の元に、ある女の子が滞在することになりました。それも何年もです」
「その女の子と家族は仲良く過ごしましたが、別れは勿論やってきます」
「別れの日、その女の子を迎えた人は、女の子を元々いた遠い場所に帰しました」
「そして、その迎えた人が帰ってくると、家族はいなくなっていました」
「何故でしょう?」
私がそう言い終えると、フランは、いつものように、すぐに質問を始めるのではなく、ただ、じっと、私の顔を見つめていました。その赤い瞳は、まるで、私の心の奥底を、覗き込んでいるかのようです。
「その女の子って、夕雲のこと?」
フランの声が、まるで、水の中から聞こえてくるように、遠くに、響きます。ああ、もう、駄目です。この、どこか温かくて、静かな場所は、眠るには、あまりにも、心地が、良すぎる…。
フランが私の肩を揺さぶる、その微かな振動を感じながらら私の意識は、ついに、深く、穏やかな、眠りの海へと、沈んでいったのでした。
少女…いったい、誰でしょう?
半月分のストック消えました。…感想とか書いてくれるだけでめちゃ励みになりますので、是非とも…良かったら、評価も!!!!!!