私が命蓮寺を訪れて、二年。
幻想郷に新たな異変が起こりました。
……このところ、あまりにも多いです。守矢神社と妖怪の山の新たな支配者の出現、地霊殿からの間欠泉騒ぎ、そして記憶に新しい星輦船の飛来。立て続けに起こる異変と、その後始末。私たち賢者も対応に追われる日々です。ようやく、先の星輦船が命蓮寺と名前を変え、事態が収束したと思えば、こんな早くに異変が起こるとは。
スペルカードルールを制定したとはいえ、ここまで異変が起こるとは…読めませんでした、この賢者の目をもってしても。そもそも私たちが考えていたのは、紅霧異変と春雪異変のみ。それからは四年に一度ぐらいのペースで、異変が起こればいいと思っていたのですが、私たちの想定が甘かったですね。
独りごち、どうしたものかと眉間に皺を寄せていると、いつの間にか目の前に湯気の立つお茶が置かれ、そして、その向こうには見慣れた顔がありました。
「貴女も、今回の異変で?」
「正解。最近、あまりにも異変が起こりすぎているからね。久しぶりに賢者たちで会談を開くわ」
悪戯っぽく微笑む紫に、私は問い返します。
「今回は誰が参加するんです?」
「私と夕雲、華扇、あとは…」
「――隠岐奈もね」
「へぇ、隠岐奈も来るんですね。珍しいこともありますね」
「ええ、今日の会談は隠岐奈の発案。一体、何をするつもりなのやら」
「まぁ、何も言わずに行動に移されるよりはマシですよ」
私は、紫が淹れてくれたお茶を、静かに一口すすりました。摩多羅隠岐奈。私にとって、紫と並ぶ恩人であり、迷惑をかけてしまった相手でもあります。…言うほど、迷惑…いや、迷惑ですね。
「それで、場所はどこで?」
「後戸の国よ。あそこなら、誰にも邪魔されずに、ゆっくりと話ができるでしょう」
「なるほど。では、そろそろ向かいましょうか」
私が立ち上がろうとすると、紫は、それを手で制しました。
「いいえ、その必要はないわ」
彼女が、悪戯が成功した子供のように、にこりと微笑んだ、その瞬間。
私の足元の畳が、まるで黒い口を開けるかのように、音もなく裂けました。見慣れた、しかし、決して慣れることのない、『スキマ』です。闇の奥からは、無数の瞳がこちらを覗き、ひんやりとした、どこか別の世界の空気が、私の足元に纏わりつきます。
「紫…貴女という人は、本当に…」
私は、呆れと、ほんの少しの諦観を込めて、目の前の旧友を見つめました。
「ふふ、一番早くて、確実でしょう?」
私は、ため息をつく暇すらもなく、紫のスキマに呑み込まれました。
⋈◀「別に昔、黄泉の国に落ちていった時の悲鳴を気にしてるわけじゃないわよ」▶⋈
視界が、一度、完全な闇に閉ざされ、次の瞬間には、全く異なる法則で構成された世界へと吐き出されます。
そこは、後戸の国。
空には、無数の扉が、まるで星々のように浮かんでいます。開いている扉、閉じている扉、今まさに開かれようとしている扉。その一つ一つが、幻想郷の、あるいは、どこか別の世界の、誰かの背中へと繋がっているのでしょう。
「…相変わらず、気味の悪い場所ね」
紫が、扇子で口元を隠しながら、その言葉に反して何故か楽しげに呟きます。
「ようこそ、私の世界へ。歓迎するよ、それにしても、私たちが揃うのはいつぶりになる?」
「スペルカードルール制定の時ですよ、隠岐奈」
声のした方を見ると、そこには、既に二人の賢者が揃っていました。一人は、仙人であり、鬼でもある、私の旧友の茨木華扇。私が手を振ると、手を振り返してきました。最近、私の頼みを聞いて、博麗神社によく行っていると聞きます。今度、お酒を飲みながら博麗の巫女について聞きたいですね。
そして、もう一人。
豪華絢爛な衣装に身を包み、車椅子のような乗り物に座る、摩多羅隠岐奈。この後戸の国の神でもあり障碍の神、能楽の神、宿神、星神、地母神、養蚕の神・被差別民の神などなど、数多の神を習合した神格です。私に関わるものだと、
「それで、隠岐奈。貴女が私たちを集めた理由は何です?おおよその見当はついていますが、念のため、貴女の口から聞かせてもらいましょう」
華扇が単刀直入に切り出すと、隠岐奈は芝居がかった仕草でそれを制しました。その瞳が、舞台役者を値踏みするように、私たちをじろりと射抜きます。
「まずは、この私が今回の異変について語ってやろう」
その、あまりにも尊大な物言い。今日の彼女は、いつにも増して、「秘神」の仮面が分厚いようです。隠岐奈、個人で話すときは案外気安い感じなのですが、こうやって集団で話すときは仰々しい喋り方になるんですよね。ちょっと可愛いと思っています。
「今回の異変、その裏で糸を引く者の正体、お前たちにも、もう見当はついているのだろう?」
隠岐奈は、私たち一人一人の顔を、値踏みするように、見つめました。
その問いに、紫は扇子で口元を隠したまま答えず、華扇は「候補はいくつか…」と歯切れの悪い様子です。ええ、もちろん、私もいくつか心当たりはあります。ですが、この程度の情報で、彼女がここまで大げさに私たちを集めるとは思えません。つまり、犯人は、私たちの想定を、遥かに超える大物、ということでしょう。
「ふん、やはりお前たちにはまだ見えておらんか」
隠岐奈は、心底つまらなそうに鼻を鳴らしました。
「良いだろう、教えてやる。今回の件、その裏で糸を引いているのは、私の古巣の人間。いや、元上司、とでも言うべきかな」
元上司、ですか。その言葉に、紫の眉がぴくりと動きました。
隠岐奈の元上司…何かしらの習合した神の上司…いや、人間であった頃の秦河勝の上司…つまり、
「聖徳王、ですね」
私が告げた名が、後戸の国の時が止まったかのような空気に、重く響き渡りました。
「ですが、彼ほどの有名人が
「今、藍に点検させてるけど、何もなさそうだわ」」
「となると、元から幻想郷に居たか、それとも結界が正常に働いた結果、幻想入りしたのか、なんらかの方法で結界をする抜けたとかでしょうか?」
私がそう言うと、華扇が腕を組んで口を挟みました。
「原因究明は後で。それで?今回も霊夢に任せる形でいいでしょう?」
「いいや」
隠岐奈は、静かに首を横に振りました。
「今回ばかりは、我ら賢者が直々に動くべきだと考えた」
「…へぇ?」
紫が、面白そうに目を細めます。
「あの方は、ただの人間ではない。神霊であり、聖人だ。そして、何よりかつてこの国の頂点に立った為政者。彼女の目的も、力も、何もかもが未知数。博麗の巫女一人では荷が重すぎるだろう」
隠岐奈は、観客に語りかけるように、大げさに両腕を広げてみせました。……ん?今、彼女は「あの方」と……?
(――彼女!? えっ、聖徳王って女性だったんですか!?)
私の内心の動揺を置き去りにして、話は続きます。
「だから、提案だ。今回の件、我ら四人で対処しないか?我らの力を、改めて幻想郷の住人たちに見せつけてやる、絶好の機会だとは思わんかね?」
(…とすれば、私は裏方ですかね。まぁ、実働は紫や華扇に任せることにしましょう)
「…隠岐奈」
次に口を開いたのは、紫でした。彼女は、扇子で口元を隠したまま、その瞳だけは、氷のように冷徹な光を宿して、隠岐奈を射抜いています。
「貴女が我々を集めたからには、ただの亡霊騒ぎという訳ではなさそうね。その『元上司』殿は、一体何を企んでいるのかしら?」
紫の問いに、隠岐奈はそれまでの芝居がかった「秘神」の仮面を、あえて脱ぎ捨てました。その表情には、もはや余裕の色はなく、ただ、深い憂いと旧い知人に対する複雑な感情が浮かんでいます。
「ええ。…あの方は、ただの力自慢の妖怪とは違う。人の心を束ね、国を動かす術を知っている。そして、何よりも、自らが信じる『正義』のために、一切の情を捨てることのできる、本当の為政者だ」
隠岐奈は、一度、言葉を切ると、まるで、遠い過去の光景でも見ているかのように虚空を見つめました。
「生前の私はあの方に仕えていた。だからこそ分かる。もし、あの方の目的が幻想郷の『統治』であれば、まず間違いなく、人間の里を掌握する。そして、その人間たちを使って、妖怪を管理し、あるいは、討伐させ、幻想郷から『恐怖』という概念を、完全に払拭しようとするはずだ。それを博麗の巫女一人に背負わせるのはちと不味い」
その言葉に、私は背筋が凍るような感覚を覚えました。
人間が、妖怪を恐れなくなる。それは一見すると、平和な世界のようですが、その実幻想郷という危うい均衡の上で成り立つ、この箱庭の完全な崩壊を意味します。最悪、文字通りのバックアップがあるとはいえ、あれはあれで欠陥が多いので、使用を止めておきたいです。
「…つまり、これは、幻想郷の存亡を賭けた異変だということ?」
華扇の呟きに、私は頷きました。
「ええ、今回の異変で聖徳王に大きな力を持たせてはなりません。しかし、異変は人間が解決するもの。私たちが入っていいものですかね?」
私の問いかけに、最初に反応したのは華扇でした。彼女は険しい表情で、深く頷きます。
「確かに、夕雲の言う通りね。この間の永夜異変のように妖怪と人間が協力して解決するならまだしも、賢者のみが直接介入しては、幻想郷の理を自ら歪めることになるわ」
「あらあら、華扇は真面目ね」
あまりにも実直な仙人の言葉を、紫が扇子の向こうでくすくすと笑いながら遮りました。
「ええ、その通りよ。我々『妖怪』や『仙人』が、手を出すべきではないわ。…けれど、ねぇ?」
紫の楽しげな視線が、ちらりと私の方へと向けられます。その視線に隠岐奈が待ってました!とばかりに、楽しげに乗ってきました。
「そうだ。異変解決は、あくまで『人間』の仕事。だが、幸いなことに我らの中には、うってつけの『人間』がいるではないか。――なぁ、自称しがない人間殿?」
私の問い掛けが、見事なブーメランとなって、私自身に突き刺さりました。紫と隠岐奈の、二対の視線が、まるで袋の鼠をいたぶるかのように、私に集中します。
「…いや、私は駄目でしょう。異変解決の宴で、巫女に私の名前と顔が知られてしまいます。正体がバレてしまう一助になるリスクは取れませんよ」
私がきっぱりとそう言うと、紫は、扇子の向こうで楽しげに目を細めました。
「あら、再会が怖いのかしら?」
「冗談を言うのはやめなさい、紫」
私の声は、自分でも分かるほど、冷たく響きました。
「貴女も知っているはずです。博麗の巫女は過去の記憶を持ってはいけない。かつての巫女がどうなったかを、貴女も知っているでしょう?」
私はそれを
「確かに、夕雲の言う通り」
彼女の声は、仙人としての、厳かな響きに満ちています。ふふ、ここで私への援護射撃。これで形勢は互角です。
「私も霊夢とは仲良くさせてもらっているわ。私の所感としては、彼女は博麗の巫女としては完成している…いえ、完成しすぎている。だから、何と言うか…見てて不安になるわ。いつしか何もかも浮いて、この世からフッと消えてしまうのではってね」
…なんだか、雲行きが怪しいですね。華扇の言葉は、私の援護をしているようで、その実、全く違う方向を向いているような、奇妙な違和感があります。
案の定、彼女は紫と隠岐奈の方ではなく、私へとその視線を向けました。
「だからこそ、今の霊夢には、枷が必要だわ。彼女をこの地に人間として繋ぎ止めておくための、重石がね」
「…華扇?」
彼女の真意を測りかねて問いかけると、華扇は静かに、有無を言わせぬ力強さで、断言しました。
「夕雲。貴女がその重石になりなさい。別に正体を明かす必要はないわ。ただ、人としての繋がりをあの子に与え続けてやるの。それこそが今の巫女を、ひいては幻想郷を守るための最善の策だと私は思う」
ああ、そういうことでしたか。
私の援護射撃だと思っていたものは、私を撃ち抜くための、最も強力な砲弾だったんですね。もとより、私に味方は居ませんでしたか。
「あらあら、華扇。貴女もたまには良いことを言うじゃない」
紫が、待ってましたと楽しげに、その言葉を引き継ぎます。
「ええ、その通りよ。巫女が『機能』になってしまっては、意味がないわ。妖怪を倒すだけの機構になり果ててしまうのは、私たちが望んだのはそういうことではなかったはずよ」
「そうだ」と、隠岐奈も続きます。
「我らが定めた『掟』とは、あくまで巫女を、ひいては幻想郷を守るための手段。その手段を守るために、目的そのものを失っては、それこそ滑稽な話だろう?」
…見事な連携ですね。華扇が私の論理を逆手に取り、紫と隠岐奈がそれを大義名分へと昇華させてます。
「……」
私が抗議の意味を込めて沈黙を貫いていると、紫がぱちりと扇子を閉じました。その音は、まるで、会談の終わりを告げる合図のようです。
「決まりね。夕雲には、博麗の巫女の『支援』という名目で、今回の異変に介入してもらうわ。もちろん、貴女の正体は隠してね。私たちも援護するから安心しなさい」
「…ええ、ええ。どうせ、そうなるのだろうとは思っていましたよ」
私はがっくりと肩を落としました。こうして、私の複雑な思いと共に異変への介入が決まりました。
…強引だったかな。
表現に納得がいかないので、改筆するかも?
2025/11/17
以前、感想でも指摘されましたが、原作での星蓮船と神霊廟の間には一年のスパンがあるのですが、自分はとても短い間に二つの異変が起こったと勘違いしていました。そのため、その部分を修正。内容の大筋は変わっていないので、大丈夫だと信じたい。
一年じゃなくて、二年でした。マジかよ、兄弟。すまない、125季君。君は番外編行きだ。