聖徳王の復活騒動も、今ではすっかり過去の話。幻想郷には、いつもの気だるげで、平和な日常が戻ってきていました。
私たち賢者としてのお仕事もある程度の終わりが見えてきました。神子の復活を危惧した一匹の妖怪が、博麗大結界を越えた事だけが不可解ですが、本当にそれだけ。
私は、久しぶりに羅万館のカウンターで、静かな午後の時間を過ごしていました。初夏の日差しが、店内の埃をきらきらと輝かせています。…ええ、これこそが私の日常。実に落ち着きます。
神子の騒動の諸々を終えるまでの勝手知ったる博麗神社の生活も良かったですが、あそこは気が抜けませんからね。急にレイボと呼びかけられても反応できないので、普段から私はレイボ、私はレイボと暗示しながら過ごしてました。
(ん〜〜)
この眠たくなる空気感に思わず、欠伸をしてしまいます。今日は早めに店仕舞いして、早く寝ましょうかね?
そう思ったその時でした。
チリン、と。
店の扉につけられた古い鈴が、来客を告げる軽やかな音を立てました。
「ごめんくださいな」
入ってきたのは、どこか人の良さそうな、少しだけ古風な旅装束を身にまとった若い女性でした。その見た目に反して、柔和な笑みと穏やかな物腰は、長い旅路の中で、多くのことを見てきたであろう人生の深みを感じさせます。端的に言えば、とても老練。
(…こんな特徴的な人がいれば、知っている筈なんですけどね)
おそらくは妖怪でしょう。それも、化けるのが上手いやつです。私も普通に騙されるところでしたが、そもそも人間がこんな僻地に来ることなんて、滅多にありません。
…それにしても、ここまで化けるのが上手い妖怪は初めて見ました。おそらくある程度の名が通った妖怪でしょう。私が知らないとなると、聖地出身か外の世界の妖怪でしょうか?
「いらっしゃいませ、今日は如何なさいましたか?」
私は、内心の探求心はおくびにも出さず、穏やかな店主の顔で、彼女を迎え入れます。
「いやあ、こんな雰囲気の良い店があったもんで、ついつい入ってしまいました。ここはどんなお店なんです?」
女性は店内を興味深げに見渡した後、私を見つめ、目をぱちくりさせます。
「そうですね、ここは羅万館という、簡単に言えば動く画像を見せるお店ですね」
「ほう…映画館というわけか」
「おや、お客さんはずいぶん博識でいらっしゃいますね。幻想郷では、滅多に知っている人がいないのですが…」
私の言葉に、彼女は一瞬硬直した後、「ふぉっふぉっふぉ」とどこか芝居がかった、古風な笑い声を上げました。
「ええ、まあ。少し趣味なだけですよ。外の世界の面白いものには、少しばかり詳しいんです」
「へぇ、映画が趣味なんて気が合いますね。どんな作品がお好きなんです?」
「そうですなー、『妖怪百物語』という作品が気に入っております」
私は、確信を深めました。この底知れない大物妖怪は、最近、幻想郷にやってきた新顔、という訳ですね。だって、私が羅万館に開く際に、紫に幻想郷中のフィルムを集めてもらいましたし、幻想郷に流れ着くものだって、私が独占しています。
「…お目が高い。あれは、名作です」
私は、にこりと、穏やかに微笑み返しました。
「ですが、お客さん。あの映画は、この幻想郷には、一本しか存在しないはず。そして、その一本は、今、この店の棚に眠っているのですが…?」
私の静かな指摘に、彼女はそれまでの柔和な笑みを、ふっと、消しました。ですが、それは、見破られた者の狼狽ではありません。むしろ、ようやく面白い玩具を見つけたかのような、深い、深い愉悦の色が、眼鏡の奥の瞳に浮かんでいました。
「ほう…これは一本、取られましたな」
彼女は、芝居がかった仕草で、感心したように頷いてみせます。
「ですが、店主殿。私が見たのは、その棚に眠っている一本ではないのです」
「と、仰いますと?」
「わしに、その『妖怪百物語』を見せてくれたのは、もっと厄介で、もっと食えんお方…」
彼女は、そこで一度、言葉を切ると、まるで、私の背後にいる誰かに語りかけるかのように、楽しげに続けました。
「確か、八雲紫、とでも名乗っていましたかな?」
……………そういう事ですか!おそらく、この推定大妖怪さんは私と同類、同じ考え方をしています。わかります、わかります。とりあえず、紫の名前を出せば、「なにっ!」とか「そうでしたか…」と納得してくれますよね。
しかし、甘いです。私が紫と交流が深いのは知らなかったご様子。反撃です。
「へぇ、初耳ですね。今度、紫に聞いてみましょうか」
「ほへ?」
「ふふ、実は私も紫と仲が良くてですね。…おそらく、彼女の最も古い知己でしよう。お客さん、お名前は?」
やがて、その凍り付いた表情が、ふっと緩みます。そして、次の瞬間、彼女は、それまでの老婆の演技をかなぐり捨て、腹の底から実に楽しそうな、豪快な笑い声を上げました。
「かっかっか!これは一本、取られたわい!まさか、あのスキマ妖怪の一番古い馴染みだったとはな!」
彼女の姿が陽炎のように揺らぎ、次の瞬間には、そこに、木の葉をあしらった着物を着こなし、二つの大きな尾を揺らす、美しい化け狸の姿がありました。
「わしは、二ッ岩マミゾウ。見ての通り、ただの化け狸よ。あんた、面白いな!名は、何という!」
「私は、夕雲と申します。見ての通り、ただの、しがない人間ですよ」
私は悪戯っぽくそう返しました。
「かっかっか!しがない人間が、あのスキマ妖怪の古馴染みで、儂の正体を見抜くものか」
マミゾウさんは、実に楽しそうに、再び、笑います。
「ああ、面白い!面白いな、幻想郷は!なあ、夕雲とやら!一杯、どうだい!?わしと、あんたの、この、面白い出会いを祝して!」
彼女は、どこからともなく、大きな徳利を取り出しました。
「おや、早速幻想郷に馴染んでいますね。幻想郷で仲を深めるには、杯を交わし合うのが一番ですから。少しお待ちくださいね、私も諸々の準備をします」
私は、店の奥からとっておきの杯をお酒を取り出しながら、このどこか食えない、しかしどこか気の合う旧友のような新しい客人を、心から歓迎するのでした。
⋈◀「もう失礼しちゃうわね。確かによく胡散臭いって言われるけど、それを利用する貴女たちと大概だわ」▶⋈
「それで、夕雲よ。そなたは一体何者なんだい?」
「さっきも言ったじゃないですか。ただのしがない人間ですよ」
「そんなわけないじゃろ、ただの人間が八雲紫と古い知己であるわけなかろう」
「うーん、禁則事項です」
マミゾウさんは明らかな大妖怪。彼女ほどの力を持つ妖怪であるならば、慧音の歴史改竄も紫の博麗の巫女に「夕雲」という名前を告げられなくなる術も効きそうにありません。
となれば、私の正体を明かさないのが一番でしょう。
「ふーむ、実に興味深い。お主の姿はぱっと見ではただの人間だが、穢れがあまりにも多い。まるで妖精のようじゃ」
えっ、あ…だから、マミゾウさんは私の顔を見た時に目を見開いていたのですね。幻想郷の大妖怪は殆どが私の正体を知っているため、隠すことさえ忘れていました。
「そうですね…私の正体はなんだと思います?不老不死な妙薬を飲んだ蓬莱人?それとも過去からやってきたタイムトラベラー?」
「うぅむ…一つだけわかったことがあるぞ」
「ほぅ?なんです?」
「お主が答える気がないことじゃな」
その言葉に、私は思わず、くすくすと笑みをこぼしてしまいました。やられましたね。今度はこっちが一本取られてしまいました。
「ありゃ、ばれちゃいましたが…ちなみになんでわかったんです?」
「普通に態度じゃよ。まぁ、人妖問わず誰にだって、触れられたくない秘密があるからの。探るのはやめにするわい」
「おや、助かりますね。じゃあ、礼…というわけではないですが…」
私はそう言って、彼女の杯に、そして自分の杯に、とっておきのお酒をなみなみと注ぎました。琥珀色に輝くお酒は、芳醇で、どこか懐かしい森の香りがします。
「さあ、改めて。私たちの、この面白い出会いに」
「うむ! 乾杯じゃ!」
杯を軽く合わせると、カチン、と心地よい音が店内に響きました。すっかり打ち解けた後で、私は一つ、気になっていたことを尋ねてみました。
「そういえば、マミゾウさんは、なぜ幻想郷に?貴女ほどの妖怪なら、外の世界でも自由に暮らせたでしょうに」
私の問いに、マミゾウさんはお酒をくいっと呷ると、少しだけ遠い目をしました。
「ああ、そいつはちと野暮な話でな。…幻想郷にいた友人に、援軍を頼まれたのよ。何でも、変な坊主やら聖人やらが復活して、妖怪の復権がどうとか…。まあ、来てみりゃ、大方片付いておったがな」
なるほど。神子の異変の裏で、そんな動きもあったのですね。まぁ、その辺りは正直私には関係ないこと。異変解決までが私のお仕事でしたし、まぁ、霊夢がなんとかするでしょう。
「それで、用事が済んだのに、まだこちらに?」
「かっかっか! 当たり前じゃろう! こんな面白い場所、そうそうないわい! あんたみたいな食えん奴もいるしな!」
マミゾウさんは豪快に笑うと、私の杯に酒を注ぎ足しました。どうやら、この化け狸の長はすっかり幻想郷を気に入ってしまったようです。私たちの箱庭を気に入ってもらえて、嬉しいですね。
私はお酒に檸檬なる果物を混ぜて、飲み干します。
あぁ、良い撹乱具合です。
ぬえは元々、正体不明の妖怪という事で、夕雲さんの正体隠しに一役買っている設定(なんなら、主人公の神獣的なのを考えてた)でしたが、チミさんが出たことで、詳細が出るまで書くのをやめていたら、出すのを忘れました。タイミングを逃したともいう。
今日は作者の誕生日なので、他に外伝でも投稿しようかな?
り、リアルが忙しすぎる