東方備忘録   作:電子の妖精になりたい

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陰陽玉には原作(旧作含む)設定と独自設定が入り混じっています。


夢の名残、あるいは、忘れられた名前

 レイボの正体について、魔理沙と萃香と話し合ったその日の夜。

 

 私はひどく懐かしい夢を見た。

 

 夢の中の私は今よりずっと小さく、紅白の巫女服もまだぶかぶかだった。場所は見覚えのある博麗神社。柱の色や畳の匂い、縁側から見える木々の若さ。全てが私の知る今の神社よりもずっと昔の色鮮やかな光景だった。

 

 そしてその縁側に、私の隣には彼女が座っていた。

 地面に着いてしまうほどの長い黒髪を、注連縄で適当に結びつけた髪。

 

「ほら、あーん」

 

 彼女はにこりと笑って私にみたらし団子を差し出した。

 夢の中の私はそれを何の警戒もなく、大きな口を開けてぱくりと頬張る。甘くてしょっぱくて温かい。そんな幸せな味が口の中に広がった。

 

「美味しい。もっとちょうだい」

 

「ふふ、霊夢には吸血鬼異変で迷惑を掛けましたからね」

 

 その声は、夏の終わりの夕暮れのように、どこまでも優しく、そして、ほんの少しだけ物悲しい響きを持っていた。私は、その言葉の意味も、吸血鬼異変というものが何なのかも、よく分からないまま、ただ、口の中に広がる甘じょっぱい団子の味に夢中だった。

 

 縁側を吹き抜ける風が、軒先に吊るされた風鈴をちりん、と鳴らす。その乾いた、涼やかな音が、鼓膜を心地よく撫でた。足の裏に感じる、日に焼けてささくれた木の床の感触。鼻をくすぐる、畳の匂いと、彼女から香る、どこか掴みどころのない甘い匂い。その全てが、完璧で、永遠に続くかのような、幸福な午後のひとかけらだった。

 

「んー」

 

 突然、母が私を膝に抱え、私のつむじに顔を埋める。その仕草に、幼い私はくすぐったそうに身じろぎした。

 

「どうしたの?」

 

「いえ…少しですね」

 

 ああ、この声だ。いつも凛としていて、優しそうな彼女の声が、少しだけ悲しそうに揺れている。幼い私は、その些細な変化を敏感に感じ取っていた。

 

「何か辛いことでもあったの?」

 

「えぇ、まぁ…感傷に浸っていると言いますか…」

 

「言って」

 

「え?」

 

「だから、言っててば!」

 

 夢の中の私は、実直だ。彼女に悲しい顔をさせたくない、だが、その方法がわからないから、少なくともなぜ悲しそうなのか知りたい。ただその一心で、答えを急かしている。

 

「そ、そうですね。ついこの間、娘さんの事が大好きなお父さんが死んじゃったんですよ。私はその娘さんの後見人を頼まれたので、少し不安で…」

 

「嘘、ほんとのこと言って!」

 

 そうだ。私は、この人が嘘をつくときの、ほんの僅かな声の震えを知っていた。私の言葉に、彼女は少しだけ驚いた顔をして、それからもっと悲しそうな顔で笑った。

 

「嘘じゃありませんよ、ほんとのことです。…いえ、確かに。霊夢の言う通りです。きっと、私も怖くなったんでしょう。いつか、貴女と離れるのが」

 

「残されるのは慣れているはずなのにですね、私はこの幸福を手放す時が酷く恐ろしい」

 

 お母さんは、この時から未来に怯えていたのか。何も知らずに、ただ母の腕の中で満足気に笑っている私との、別れの時を。

 

「???ふぅん?よくわからないけど、私はお母さんと一緒だよ!ずっと一緒!約束ね!」

 

 幼い私は、その悲しみを、未来を理解できない。だから、子供にできる、最大で、最強の魔法の言葉を彼女に贈った。

 

 「ずっと一緒」という、果たされることのない約束を。

 

「……ふふ、ありがとうございます。とは言え、霊夢はいつか私の代わりに、この神社の巫女をやるんですからね、修行は手を抜きませんよ」

 

「ええー、修行やだー」

 

 母の言葉に、幼い私はぷくりと頬を膨らませる。さっきまでの真剣な顔はどこへやら。現金なものだ、と夢を見ている私は思わず苦笑する。

 

「だいじょーぶ! わたし、つよいもん! 修行なんてすぐ終わらせて、そしたら、ずーっとお母さんと一緒なんだから!」

 

 そうだ。この頃の私は、そう、本気で信じていた。

 私の言葉に、彼女は、今度は本当に嬉しそうに笑って、私の頭をくしゃくしゃに撫でた。その温かい手の感触。

 

「ふふ、そうだといいですね。博麗の巫女の道は、とても、とても長いものですから」

 

 彼女は何かを言い、そして、私を壊れ物を抱きしめるように、そっと抱きしめ直した。

 その腕の中は、世界で一番、温かくて、安全な場所だった。

 風鈴が、また、ちりん、と鳴る。

 

 

 

 

 夢の景色が切り替わる。

 縁側での穏やかな時間は終わりを告げ、私は、さっきより少しだけ年齢を重ねていた。母は、大きくなった私の手を引いて、神社の裏手にある稽古場へと向かっていた。

 

「さあ、霊夢。稽古の時間です」

 

「ええー、もうちょっとだけ、寝たい…」

 

「いけません。博麗の巫女に、弛みは許されませんよ。もう一杯寝たでしょう?昼寝の時間は終わりです。今日は陰陽玉についてですよ。霊夢、浮かせてみてください」

 

 その声は、先ほどまでの穏やかな母のそれとは違い、どこまでも厳格な師の響きを持っていた。

 

(そういや、修行の時はお母さんではなく、師匠と呼べって言ってたっけ)

 

 夢の中の私は、ぶつくさ言いながらも、渋々といった体で陰陽玉を霊力で浮かせる。陰陽玉は、私の未熟な制御に反発するように、ふらふらと覚束ない軌道で宙を漂っていた。

 

 今思えば、なんと稚拙な扱いであったことか。ただ、霊力で無理やり「押し上げて」いるだけ。あれでは、ただの重たい鉄球と何も変わらない。

 

「霊夢」

 

 師匠の静かだが、有無を言わさぬ声が響く。

 

「なぜ、陰陽玉が言うことを聞かないか、分かりますか?」

 

「…私が、まだ未熟だから?」

 

「それもあります。ですが、もっと根本的な間違いがありますよ。ほら、陰陽玉を貸してください」

 

 師匠は、私の目の前に立ち、ふわりと私の陰陽玉を浮かべ、まるで惑星の運行のように、静かで完璧な円軌道を描いて自在に動かし始める。

 

「貴女は、陰陽玉を「道具」だと思っている。自分の外にある、ただの武器だと。だから、力で無理やり動かそうとする。それでは、陰陽玉はいつまで経っても、貴女に応えてはくれません」

 

「…じゃあ、どうするのよ」

 

「陰陽玉は、そのまんま貴女の半身です。貴女の魂を映す、もう一人の自分自身。…命令するのではなく、対話しなさい。動かすのではなく、共に舞うのです」

 

 師匠の言葉は、いつも少しだけ難しい。だが、その声には、道を指し示す、確かな力があった。

 

「そうですね…一度、霊力で繋がるのをやめなさい。そして、ただ、感じなさい。その重さを、その質量を、その存在そのものを。貴女の手足であるかのように」

 

 そう言い、師匠が私に陰陽玉を返す。私はその大きな玉を抱えるように持ち、ひんやりとした感触。ずしりとした重みに触れる。私は、目を閉じ、ただその存在を感じることに集中した。私の心臓の鼓動と、この霊力の塊が持つ微かな振動が、やがて、同じリズムを刻み始めるような気がした。

 

「そうです。そのまま、ゆっくりと立ち上がりなさい。そして、大幣を振るう時のように、身体の中心で、世界と一つになるのです」

 

 師匠の声に導かれるまま、私は立ち上がる。

 不思議なことに、あれほど重かった陰陽玉が、まるで身体の一部になったかのように、すっと持ち上がった。

 

 そして、ふわりと宙に浮かび上がる。

 

 今度は、揺れていない。まるで、生まれた時からずっとそこにあったかのように、私の周りを、静かで、完璧な軌道を描いて、ゆっくりと回り始めた。無理に動かしている時の不快な霊力の唸りもなく、ただ調和のとれた動き。

 

 私が、驚いて目を開けると、そこには。

 ほんの少しだけ、本当に、ほんの少しだけ、口元を綻ばせ、満足そうに頷いている、師匠の姿があった。

 

「流石は霊夢。今までの巫女で一番飲み込みが早いですよ」

 

「!ほんと!!!」

 

 師匠からの思いがけない称賛の言葉に、幼い私はぱっと顔を輝かせた。小さな胸が、誇らしさでいっぱいになる。

 

「ええ、本当ですよ。その陰陽玉との親和性は、歴代でも抜きん出ています。…ですが、だからこそ、霊夢は理解しなくてはなりません」

 

 師匠は、優しく微笑んだ後、すっと真剣な表情に戻り、私の周りを静かに回る陰陽玉を指差しました。

 

「陰陽玉には強い力を宿ります。それこそ、持ち主のありとあらゆる願いを叶えるほど」

 

「なんでも!それじゃあ、地球崩壊でも!?」

 

 幼い私の突飛な発想に、師匠は一瞬目を丸くした。夢を見ている私は、その子供らしい無邪気さに、少しだけ顔が熱くなるのを感じた。

 

「…強く願えばできるかもしれませんね。私としてはそんな願いを叶えてほしくないですが」

 

「ちなみにお母さんは何を願ったの?」

 

「私はまだ何も願っていませんね。そのうち一緒に考えてみましょうか。それはともかく、修行の時は師匠と呼んでください」

 

「話を続けますよ」と師匠が言い、私は「はーい」と答え、陰陽玉を抱える。

 

「陰陽玉は扱う人に影響されて、その力を吸収します。今は私の回帰の力が主になっているようにですね。それ以外にも、陰陽玉は歴代の巫女の力が宿っています。霊夢が危機になれば、きっと助けてくれますよ」

 

「ふーん、それより、願いを叶える方法を教えて!」

 

 師匠は「もう、この子ったら」と、呆れたように首を振りながらも、その口元は、どうしようもなく綻んでいる。どこまでも優しい、本当に柔らかな笑顔。

 

「陰陽玉は持ち主によって、その性質を、少しだけ変える…それは先ほど教えたとおりですね」

 

 師匠は、私は抱えている白と赤の珠を、どこか懐かしむような、優しい目で見つめる。

 

「そうですね…その願いに関する『縁』のあるものを近くに置いたり、使ったりするのがいいでしょう」

 

「えにし?」

 

「ええ。例えば、もし霊夢が、「誰かの病を癒したい」と願うのなら。その人が大切にしているお守りや、あるいは薬草の一葉でも良いです。そういう、願いに繋がる物を、陰陽玉に触れさせながら、強く願うのです。そうすることで、陰陽玉は、貴女の漠然とした願いを、より正確に理解し、その力を、正しい方向へと導いてくれるでしょう」

 

 分かりやすくて、あまりにも魅力的すぎる説明。幼い私の頭の中に、一つの素晴らしいアイデアが、閃く。

 

「へぇー!じゃあ、お賽銭がいっぱい集まるようにお願いする時は、お金を触れながらやればいいのね!」

 

 私の現金な答えに、師匠は、一瞬だけ、きょとんとした顔をしました。そして、次の瞬間、堪えきれない、というように、くすくすと、喉を鳴らして笑い出した。

 

「ふふ、まあ、理屈としてはそうですね。ですが、霊夢。忘れないでください」

 

 師匠は、悪戯っぽく笑いながらも、その瞳だけは、どこまでも真剣だった。

 

「陰陽玉が応えるのは、物の価値ではなく、貴女の、その願いの本当の強さなのですから」

 

 その言葉は、まるで古いおまじないのように、私の心の一番深い場所に、すとん、と落ちていった。幼い私は、その本当の意味を、まだ理解できていなかったと思う。けれど、それがとても、とても大切な言葉であることだけは、なぜか分かった。私は、ただ、こくりと、小さく頷くことしかできなかった。

 

 その返事を見て、師匠は、満足そうに、そして、どこまでも優しく微笑んだ。

 ああ、そうだ。私は、この笑顔が見たくて…。

 

 風が吹いた。同時に、夢の景色がゆっくりと白んでいく。師匠の輪郭が、夏の終わりの陽炎のように、淡い光の中へと溶け始めていた。

 

「あ…」

 

 行かないで。

 まだ、あなたの名前を、思い出せないのに。

 

 声にならない私の叫びが聞こえたかのように、消えゆく手が、そっと私の頭に置かれた。

 

 ぽん、と一度だけ、優しく撫でてくれる。

 その温もりだけを、はっきりと残して。

 師匠の姿は、完全に光の中へと消えてしまった。

 

 そして、私の意識は、心地よい浮遊感と共に、現実へと引き戻されていく。

 

 ふと、目を開けると、そこは見慣れた博麗神社の自室の天井だった。障子戸の向こうから、朝の涼やかな空気が流れ込み、軒先の風鈴が、ちりん、と鳴る。

 夢と全く同じ、乾いた、涼やかな音。

 

 私は、ゆっくりと上半身を起こす。

 夢の中の温もりは、もうどこにもない。けれど、あの人の最後の言葉と、頭を撫でられた感触だけが、鮮明に残っていた。

 

 枕元に置いてあった、自分の陰陽玉に、そっと触れてみる。

 いつもと同じ、ひんやりとした感触。

 けれど、今は、その奥に眠る、歴代の巫女たちの力と、そして、あの人の…師匠の力の残滓を、確かに感じ取れるような気がした。

 

 頬を、一筋の涙が伝っていく。

 悲しいのか、嬉しいのか、自分でも分からない。

 ただ、忘れていた、けれど、決して失ってはいなかった、大切な何かを、ほんの少しだけ、取り戻せたような気がした。

 

「…あなたの、おかげなのかな」

 

 誰に言うでもなく、そう呟く。

 顔も、名前も思い出せない、夢の中の母にして師匠。

 それでも、確かに、私は、あの人に守られ、導かれていたのだ。

 

 朝の光が、燦々と部屋に差し込む。それは、まるで私の進むべき道を、まっすぐに照らしているようだった。




陰陽玉がヒロアカのワン・フォー・オールみたいになっちゃった。弾幕アマノジャクの血に飢えた陰陽玉の当たり判定を小さくする=空を飛ぶ程度の能力(半透明になって、当たり判定がなくなる?)みたいなことを考えていました。


本当に忙しいのと、ストレス諸々やモチベ云々でしばらく休ませていただきます。ストック出来たら、また再開します。ほんま、プロジェクトのメンバーの一人が失踪したせいで…時間がない。プロジェクトが終わるのが一ヶ月後のため…それまでに戻れたらいいな…(10月15日記入)

もし、読みたいならどの異変が読みたい?

  • 赫灼異変
  • 終わらない酒宴
  • 独月異変
  • 永昏異変
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