再開じゃなくてごめんね。
くしゅん、と、一つ。
静かな店内に、私の間の抜けたくしゃみが響きました。
夏の喧騒が、遠い記憶のように感じられ始めた、穏やかな午後のことです。窓の外からは、けたたましかったアブラ蝉の声に代わって、どこか物悲しげなツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきます。羅万館の窓からは、眠たくなるような柔らかな日差しが、店内の埃を金色に輝かせており、やけに幻想的な風景を作り出しています。
それはともかく。
「…誰かが、私の噂でもしているのでしょうか」
私は、鼻を啜り、カウンターの上で湯気を立てるお茶をひと口だけ含めます。「レイボ」という偽りの名と窮屈な役割を脱ぎ捨て、ただの夕雲として過ごす、この何でもない時間。それこそが、今の私にとって、何よりの贅沢でした。
贅沢なのは良いのですが…正直、とても暇です。贅沢も当たり前になれば、飽きてしまうものですね。
華扇を羅万館の店員にするという私の野望が絶たれ、現在の羅万館は閑古鳥が鳴いています。映画を見たり、読書をするのも良いですが、せっかくの自営業。自由に出来るのが利点です。外に出て、営業を掛けるというのも悪くはありません。
色々と言い訳をしていますが、結局のところ、外に出たいだけなんですけどね。
さて、では、どこに行くのかという話になるのですが…選択肢としては、博麗神社、香霖堂、鈴奈庵、紅魔館、後は守矢神社なんかも悪くはありませんね。
私がどこに行こうか頭を悩ませていると、突然頭に一つの名案が浮かびます。
「あっ、そう言えば、この間…」
神霊廟での異変時、霊夢にいつの間にか倒されていた知り合いがいました。彼女は、霊暮が巫女をしていた頃から、何かとお世話になっている妖怪です。なかなか良い子でして、傘を忘れた雨の日に、私を濡れずに帰してくれたこともあるなど、妖怪にしては珍しく善良寄りの存在です。
紫の術がありますので、私の名前を霊夢に伝えることはできないでしょうが、念のため、彼女に口止めをしに行きましょうか。それに、彼女がお気に入りのメリー・ポリンズの続きが出た事ですし、その事を伝えるのもありです。
(何をお土産にしましょうか?お酒もいいですけど、それだけじゃ芸がありませんし…)
彼女、物欲はあまりなく、人間に尽くすのが好きな妖怪にしては珍しい子です。最も、その人間から結構邪険にされていますけどね。この間、里に行った際には手配書があったほどです。
「おっ、これとか良さそうですね」
私は一冊の本と一つの絵巻を抜き出し、命蓮寺にある墓地へ向かいました。太陽がつるべ落としになりつつある夏の終わり、私が彼女の元に辿り着く頃には日が暮れる頃になりそうです。
⋈◀「鉄を扱う仕事させたら、幻想郷一かもしれませんね」▶⋈
予想どおり、私が命蓮寺の墓地に辿り着いた頃には、日はすっかり西に傾き、夏の終わりのどこか物悲しい茜色の光が、墓石たちに長い長い影を落とす時間帯でした。ほんと、最近は日が暮れるの早くなってきましたね。ツクツクボウシの鳴き声が、まるで、過ぎ行く夏を惜しむかのように、辺り一面に響き渡っています。
(さて、どこにいるのでしょう。まぁ、ここらを歩いていればあちらが見つけてくれるでしょうか…)
私が、きょろきょろと辺りを見回していたその時でした。私のすぐ背後にある一番大きな墓石の影から、ぬっと何かが姿を現したのです。
「わっ!驚けー!」
唐傘を開き、一つ目と長い舌を見せつけながら、彼女はそう叫びました。ふふ、いつも通りの可愛らしい驚かし方です。そうですね…彼女は驚いたふりをすると喜んでくれますし、形だけでも驚いておきますか。
そう思いながら声の方向に振り返った私ですが、彼女の姿を見ると、思わずにっこりと顔が喜んでしまいました。…せめて、台詞だけでも。
「うわー、びっくりしたー。こんばんは、小傘さん。お元気そうで何よりです」
「…ありゃ?夕雲さん?」
私の平常な反応に、愉快な忘れ傘こと、多々羅小傘さんは、ぱちぱちと目を瞬かせます。
「もう、夕雲さんたら。これだから、達観した人は面白みが無いんですよぉ。スリルこそが人生を豊かにする第一歩ですよ」
彼女は、唐傘をくるりと回しながら、拗ねたようにそう言います。
「ふふ、すみません。あまりにも見事な登場だったので、驚きよりも先に関心が勝ってしまいました。相変わらずお上手ですね、人を驚かすのが」
私がそう言って微笑むと、小傘さんはむぅ、と頬を膨らませます。ですが、その表情もどこか楽しげで、本当に怒っているわけではないことが伝わってきました。彼女のこういう素直なところが好きです。
「もう、口先だけじゃ騙されませんからね。今度はもっと本気で驚かせてやりますから、覚悟しててください!」
唐傘を肩に担ぎ直し、ビシッと私に指を突きつける小傘さん。その子供っぽい仕草に、思わず笑みがこぼれます。
「ええ、楽しみにしています」
最も、私はホラー映画を幾つも見ているので、余程のことがなければ驚きませんが。
ちなみに、小傘さんは以前、「人間の驚かせ方を学びたいです!夕雲さん!良い方法あります?」と羅万館にホラー映画を見た際は、気絶してしまいました。
まぁ、彼女の痴態は今度にしまして。とりあえずはお土産と要件を伝えなければ。
「小傘さん、お土産です。羅万館から持ってきましたよ」
私は風呂敷から、持ってきた本と絵巻を差し出しました。彼女は「わ、いいんですか?」と嬉しそうにそれを受け取ります。
「えっと、勢州風神異聞と私家版百鬼夜行絵巻?…初めて聞きました、どんな内容なんです?」
「ふふ。どちらもとても珍しい本で、小傘ちゃんに読んでほしいなと思いまして。特に『勢州風神異聞』は、小傘さんならきっと気に入りますよ」
私がそう言うと、小傘さんはぱちくりと目を瞬かせます。
「私に、ですか?」
「ええ。ある土地に伝わる、一つ目の風の神様のお話です。その神様は、人に恵みの風をもたらす一方で、一度機嫌を損ねると全てを吹き飛ばす恐ろしい嵐を呼ぶそうでして。…つまり、人を喜ばせもすれば、驚かせ、怖がらせもする。少しだけ、貴女に似ているでしょう?」
私の言葉に、小傘さんは「一つ目の…風の神様…」と呟きながら、本の古びた表紙を不思議そうに撫でました。人を驚かすことを本分とする彼女にとって、同じように畏れられる存在の話は、心に響くものがあったのかもしれません。
…と言うか、小傘さんは「一本だたら」を意識した格好をしていますし、その源流の神様…と同一視され、集合された龍神に関する書物。おそらく相性がいいでしょう。もしかしたら、何かしらのスペルカードの参考になるかもしれません。
「では、こちらの『私家版百鬼夜行絵巻』というのは?」
「ええ、そちらは私の記憶を元に、とある天狗に描いてもらったのですよ。流通させるつもりはないので、私家版というわけです。なかなか良い出来栄えだと自負しています。 さぁ、開いてみてください」
私は悪戯っぽく微笑んで、小傘さんに本を開くよう促しました。彼女がおそるおそる絵巻を広げた瞬間、その目が見開かれます。
「わ…!なんだか…みんな、楽しそう…?」
描かれていたのは、おどろおどろしい化物ではなく、酒を酌み交わし、踊り、どこか人間臭く笑い合う、実に生き生きとした妖怪たちの姿と一人の巫女の一枚絵でした。
「おどろおどろしいだけの妖怪図鑑なら、他にもありますからね。私が記録したかったのは、恐怖の象徴ではなく、この幻想郷に生きる、どこか滑稽で愛おしい隣人たちの姿です」
私は、本に描かれた宴会の様子を懐かしむように指でなぞります。一番目立つ場所に描かれているのは、私の愛し娘に酒飲み小鬼。その次に、にとりや文と続き、最後に黒い太陽が宙に浮かんでいます。…危険な妖怪は補遺の方にまとめましたから。この絵巻ならば、小傘ちゃんが持っても害はないはずです。
「あっ、私もいますね!」
彼女が嬉しそうに指さしたのは、宴会の隅の方、柱の影からこっそりと中の様子を窺っている、小さな唐傘お化けの姿でした。
「ふふ、よく見つけましたね」
「はい!なんだか、ちょっと恥ずかしいですけど…」
小傘さんは、照れくさそうに、ぽりぽりと頬を掻きます。少々困惑しているように見えますが、その表情はどことなく嬉しそうでした。ふふ、きっと自分の姿を探していたのでしょうね。
「よく見たら、この巫女さん。霊暮さんじゃないですか!」
小傘さんの純真な声に、私の口元の笑みが、より深く、慈しむようなものへと変わるのが自分でも分かりました。
「…ええ。よく分かりましたね、小傘さん」
「そう言えば、この間、ほんの一瞬ですが、霊暮さんを見かけましたよ!元気にしてました!」
…?あぁ、神霊廟の異変で会ったときの私を霊暮と勘違いしているのでしょうか。姿形はそっくりですし。まぁ、わざわざ、誤解を解くほどでもありませんね。
「そうですか。それは、何よりです」
私は、穏やかな笑みを崩さないまま、そう相槌を打ちました。霊暮について、目の前で嬉しそうに話す健気な妖怪。この子の純粋な勘違いを、今ここで壊す必要などどこにもありません。と言うか、私が聞きたいですから、話の腰を折ったりしません。
「はい!なんだか、前にお会いした時より、もっと綺麗になったみたいで…びっくりしました! さすが霊暮さんだーって!」
「ふふ、そうですか。あの子は昔から、良い意味でも悪い意味でも、人を驚かせるのが好きでしたからね」
小傘さんの優しい誤解を、もう少しだけ続けてもらうことにしました。もっと、霊暮について話を聞きたいだけですけど。
「きっと、霊暮も小傘さんに会えて嬉しかったのでしょう。あの子は、貴方のような真っ直ぐな妖怪が大好きでしたから。まぁ、ひねくれ者だったので、小傘さんには迷惑を掛けましたけど」
「いや、まぁ、確かにそうですが…毎回、最後には「お返し、これからも頼むね」って言って、美味しいお酒くれましたし、気にしてませんよ」
満面の笑みでそう誓う小傘さんの姿に、私の胸の奥がじんわりと温かくなります。どこぞの小鬼は結構、霊暮のことを変に言うので、論争になるんですよね。
「あの子は素直じゃないだけで、本当は誰よりも情の深い子でしたから。…そう言ってくれると、きっとあの子も喜びますよ」
霊暮の不器用な優しさを、小傘さんはちゃんと分かってくれていた。その事実が、私の心を温かく満たしていきます。
「霊暮は、貴女のことをいつも気にかけていました。『あの子はただの忘れ傘じゃない、きっと
「霊暮さんが…そんなことを…」
私の言葉に、小傘さんは息を呑み、胸に抱いた本をぎゅっと握りしめました。その瞳に、先ほどよりもずっと強く、確かな決意の光が灯ります。
「…はいっ!分かりました! 私、頑張ります! 霊暮さんが見ててくれてるなら、もっともっとすごい妖怪になって、今度こそ霊暮さんを本気でびっくりさせてみせます!」
「ええ、私も楽しみにしていますよ」
力強く宣言する彼女の姿に、私は満足して頷きました。もう、私が言うべきことは何もないでしょう。
「さて、随分と長居してしまいましたね。そろそろ私は失礼します。その本をどうぞ貴女の力にしてください」
「はい!夕雲さん、今日は本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げる彼女に優しく手を振り、私は夕闇に染まり始めた墓地を後にしました。ツクツクボウシの鳴き声が、いつしか涼やかな虫の音へと変わっています。
(…………にしても、私と霊暮の姿形は同じとはいえ、見間違えることもあるんですね)
何かが頭に浮かんできそうでしたが、その前に大事なことを思い出しました。
「あっ!小傘さんに口止めするの忘れてました!」
夕雲が霊暮と霊夢を語るときは、色眼鏡マシマシになります。いつもは正面から見てますが、他人に語る際、自分の思い出を振り返る際は、もうありとあらゆるを偏向報道します。
普通に書き方を忘れたのと、スランプで色々と終わってるぜ!
もし、読みたいならどの異変が読みたい?
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赫灼異変
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終わらない酒宴
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独月異変
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永昏異変