長い微睡みから目覚めると、そこは知らない天井でした。
全然話変わりますが、川端康成の作品である「雪国」の冒頭である「国境の長いトンネル抜けるとそこは雪国だった」と言う文章、確かに素敵な一文だと思いますが、次の「夜の底が白くなった」という一文も同じぐらい綺麗だと思うんですよね。積もった雪が微かな月光に照らされて、仄かな光を放つ。隣で寝ている誰かさんの髪色のようで、美しいと思います。
それはそれとして、
「ずぴー、ずぴー」
と、私の隣で眠る妹紅さん。障子から差し込む朝の光が、その白い髪と、普段は険しい光を宿しているはず瞼を、優しく照らしています。
…いつぞやの酒の席で、「私は、片膝を立てて座り、背中を壁に押し当てて眠る癖がある。深い眠りにつかず考え事が出来るからだ…」みたいなことをやけにキリっとした顔で言っていたのに、今じゃこんなにも気持ちよさそうに寝てます。お酒ってすご。
(…それにしても、ふむ)
今は妹紅さんを揶揄う材料を手に入れる絶好の機会では?
こんな無防備な姿、記録に残しておかなければ、後で絶対に後悔します。私は、どこからともなく取り出したカメラで、妹紅さんのあまりにも平和な寝顔を、ぱしゃり、ぱしゃりと撮影します。気分はどこぞのパパラッチ天狗です。
「にしても、よく寝てますね。何かに使いたいもんです…輝夜のお土産とかでしょうか」
「よく寝てたのは君もだぞ、夕雲」
あら…こほん、あやや。妹紅さんの写真を撮るのに夢中になりすぎて、障子が開いたことに気づかないとは…相当、気が抜けていましたね。
「まず、そのカメラはどこから出したんだ?それと、盗撮はダメだ。許可を得てからにしなさい」
その声には、怒りではなく、呆れとほんの少しの笑いの色が滲んでいます。それと、ほんの少しの羨望……であるならば、文ならこうしますね。
「写真、何枚欲しいです?」
「…………………三枚で手を打とう」
そう言って、人間の里の半獣教師こと、上代沢慧音は天狗特製の下劣な賄賂に屈しましたとさ。
その感情が入り混じった顔をパシャリ。ふふ、いい顔です。
⋈◀「とりあえず、大丈夫そうかしら?」▶⋈
「それで、夕雲殿。朝餉の支度はできているが、食べるかね?」
「ええ、いただきます。妹紅さんはどうしましょうか?」
「…まあ、起こすのも可哀想だ。もう少し寝かせておいてやろう」
慧音さんはそう言うと、妹紅さんの体にそっと布団を掛け直してあげました。 そのあまりにも自然で優しい仕草。私はその光景を気づかれないように、静かにカメラに収めました。ええ、これも後で慧音さんに三枚のうちの一枚として渡してあげましょう。
にしても、慧音さんはお母さんみたいですね。寺小屋にやってくる子供の相手も得意なようですし、大人になってからも彼女のお世話になる人間もいると聞きます。きっと、里のお母さんみたいな立ち位置を確立しているのでしょう。
「…準備を手伝ってくれないか、夕雲殿」
「はぁーい」
私と慧音さんは、同じ机を囲んで、朝食を摂ることにしました。 湯気の立つほかほかの白米と具沢山の味噌汁。そして昨夜の残りでしょうか、香ばしく焼かれたきのこのお浸し。 静かな冬の朝。ぱちりと囲炉裏の炭が時折音を立てて爆ぜるだけ。
「…それで、夕雲殿」 味噌汁を一口すすりながら、慧音さんが不意に問いかけてきました。
「昨夜はなぜあんなにも飲んでいたんだ?貴女は普段、そこまで羽目を外すようなことはしないだろう」
「そうでもないですけどね、私だってお酒で忘れたくなることはありますよ。まぁ、気まぐれです。それに、ぐーすか寝てるあの人と飲むのは楽しいですから」
そう言い、白米に口を運びながら、妹紅さんを横目で見つめます。これはきっと本音です。妹紅さんのように私と馬鹿になって飲んでくれる方は少ないです。神友たちもそれに値しますが、なかなか一緒に飲む機会が少ないですし。紫は…私をどこか子供扱いしてる節があり、外から持ってきた美味しいものを食べさせて、喜んでいます。
「それと、飲み潰れても介抱してくれる人がいますからね」
片目をつぶり、慧音さんにアピールすると、なんか言いたげな顔をしました。
「まったく、貴女という人は…。私をなんだと思っているんだ」
「ええ? 頼りになる、里の保護者様ですが」
「そういう意味ではない。あまり私を当てにして羽目を外すんじゃないぞ。次からは妹紅と一緒に外で寝かせるからな」
慧音さんの声色は、本気で怒っているというよりは、呆れと、ほんの少しの心配が混じっているように聞こえました。本当に、お母さんみたいですね。私はくすくすと笑いながら、味噌汁の最後の一口をすすります。
(…そういや、慧音さん、私たちがお酒飲んでいるときは、いなかったはず。どうして介抱できたのでしょうか。そもそも、どこで私たちが潰れているのを知って…まぁ、聞けばいい話ですね)
「そういえば慧音さん」
「ん、なんだ?」
「昨夜は私たちを介抱してくださったんですよね? ありがとうございます。でも、どうして私たちが酔い潰れているって分かったんです? 昨夜はご一緒していませんでしたよね」
私の問いに、慧音さんは一瞬、味噌汁をすする手を止め、わずかに視線を泳がせました。
「…ああ、それか」
「はい。もしかして、夜回りでもしてました?」
「いや…」
慧音さんは少し言いにくそうに口ごもった後、ふいと顔をそむけながら言った。
「…昨日、実は妹紅と飲む予定があってな。いざ、屋台によれば、貴方達が潰れていたというわけだ」
昨日、妹紅さんはそんな事を一切言っていませんでしたが、それに待ち人がいるのに、私と潰れるまで飲むような人じゃありませんし。
ちらりと、いまだ幸せそうに寝息を立てている張本人を見ます。妹紅さんが忘れている可能性もありますけど…いや、やはり、辻褄が合いません。となると、今のは苦しい言い訳でしょう。であれば、夜回りしてたと言えばいいものを…そういや、屋台は里の外でしたね。
私の疑問符が顔に出ていたのかもしれません。それを見た慧音さんは、にっこりと完璧な笑顔を私に向けます。
「そういうわけだ。だから、たまたま見つけたに過ぎん。分かったか、夕雲殿」
その笑顔は、いつもの穏やかなものではありません。口角は綺麗に上がっていますが、その翠の瞳は一切笑っておらず、むしろ、有無を言わさぬ強い意志、「これ以上、余計な詮索は許さない」という静かで絶対的な圧力をひしひしと感じさせられます。
(うわぁ……)
私はごくりと唾を飲んだ。ここでさらに踏み込むのは、賢明とは言えません。私はまだ、この幻想郷で穏便に暮らしていきたいのです。ただでさえ、記憶がなくなってるというのに、下手に白澤の逆鱗に触れて、頭突き(物理)で記憶処理なんてされたらたまりません。
(障らぬ神に祟りなし、ですね。はい)
私は慌てて、営業スマイルにも似た笑顔を貼り付けました。
「な、なるほど! そういうことでしたか! いやぁ、それは慧音さんも災難でしたね、妹紅さんが約束をすっぽかすなんて。私たちは慧音さんのおかげで助かりましたけど!」
「…分かればいいんだ。まったく、妹紅も貴女も、私に迷惑をかけすぎだぞ。昨夜は二人をここまで運ぶのがどれだけ大変だったか…」
私が素直に引き下がったのを見て、慧音さんは満足そうに(あるいは、ようやく圧を解いて)鼻を鳴らし、再び味噌汁に口をつけました。私は内心でそっと胸を撫で下ろし、残っていた白米を急いでかき込みます。
(慧音さんの笑顔には、気を付けよう…)
そうして、静かな朝餉が終わり、私と慧音さんが食器を片付けようと立ち上がった、その時。
「ん……、ふぁ……」
背後から、くぐもった声と、布団が擦れる音。振り返れば、長い髪をくしゃくしゃにした妹紅さんが、ゆっくりと身を起こそうとしているところでした。
「おや、やっとお目覚めですか、寝坊助さん」
「……ゆう、ぐも…? それに、慧音も…。あれ、なんで私、ここで…?」
まだ完全に覚醒していないのか、妹紅さんはきょとんとした顔で私と慧音さんを交互に見つめています。その無防備な顔は、先程までの寝顔とはまた違った趣がありますね。
シャッターチャンス。いえ、ここは動画にしておきましょう。私はすかさずカメラを構えました。
「おはようございます、妹紅さん。昨夜の記憶はありますか?」
「あ? 昨夜…? 夕雲と屋台で飲んで…それから……」
必死に記憶をたどろうとする妹紅さん。その隣で、慧音さんがやれやれと首を振っています。
「夕雲殿と一緒に見事に屋台で潰れていたぞ。私が運んでやったんだ」
「うぐっ……まじか。すまん、慧音…」
途端にバツが悪そうな顔になる妹紅さん。ふふ、面白い。 これは写真じゃなくて、動画にしましょう。私は、永い時を生きる不死鳥が見せる、実に人間らしい罪悪感に満ちた表情を、しっかりとカメラに収め続けます。
「おい、夕雲…」
妹紅さんが、ようやく私がその手に持つカメラの存在に気づいたようです。じろり、と、いつもの鋭い視線が、私を貫きました。
「…お前、さっきから、何してる」
「何って、見ての通り、撮影ですよ。いやあ、貴重な映像が撮れました。『伝説の不死鳥、二日酔いで友人に謝る』…どうです?中々、良いタイトルでしょう」
「お前なぁ…!」
妹紅さんが、低い唸り声を上げて、私に掴みかかろうとします。が、その動きは、昨夜の深酒のせいで、ひどく鈍い。私は、その手を、ひらり、と柳のようにかわしました。
「はいはい、そこまで」
ぱん、と。 慧音さんが、手を一つ叩くと、その凛とした音だけで、私と妹紅さんの動きが、ぴたりと止まりました。
「二人とも、いい加減にしなさい。妹紅、朝餉はできている。さっさと顔を洗ってきなさい。夕雲殿も、あまり妹紅をからかうものではないぞ」
有無を言わさぬ、まさに「里のお母さん」の風格。 私と妹紅さんは、顔を見合わせ、そして、どちらからともなく、ふい、と視線を逸らしました。
「…ちっ」
「…はい」
妹紅さんは、悪態をつきながらも、大人しく、水を浴びるために部屋を出ていきます。 私は、その、どこか、しおらしい後ろ姿を、もう一枚だけ、こっそりと撮影しました。
「…夕雲殿」
慧音さんの、じと、とした視線が、私に突き刺さります。まるで、授業中に悪戯がバレた生徒を見る、教師のそれ。
「…すみません、つい」
私は、悪戯っぽく、ぺろりと舌を出してみせました。ですが、慧音さんは、眉一つ動かしません。ただ、ふぅ、と深いため息をついただけです。
「いや、そうではなくてだな」 彼女は、こほん、と一つ咳払いをすると、おもむろに、私に一歩、近づきました。そして、周囲を気にするかのように、そっと声を潜めます。
「その動画、私にもくれないだろうか?」
…この人も、だいぶ妹紅さんの事が大好きですねぇ。
夕雲さん「射命丸文ならそうした」