「あはははは!ひーっ、腹がよじれる!傑作だ、傑作だよ夕雲様!その頭、まるで爆発した薬草園みたいになってるよ!」
てゐは未だ地面を転げ回り、お腹を抱えて爆笑しています。目尻には涙まで浮かべて、遠慮のかけらもありません。いい加減、笑うのはよしてほしいです。
「ぷっ……くく……っ! だ、駄目です、笑っちゃいけないのに……!すみません、夕雲さん……でも、その……あまりにも……っ!」
鈴仙さんは必死に口元を手で覆い、震えながら笑いを堪えようとしていますが、漏れ出る噴き出し音は隠せそうにありません。その長い耳まで、可笑しさでピクピクと震えています。
兎たちの笑い合う声が、迷いの竹林に響き渡ります。
賢者としての威厳も、店主としての品格も、どうやら、その全てがこのアフロヘアーの中に埋没してしまったようです。
…やれやれ。このまま永琳に会えば、向こう百年は笑い話のネタにされることでしょう。それは、流石に避けたいところ。
私は、深く、息を吸い込み、自らの身体に刻まれた「時間」の記録に、意識を沈ませていきます。
「――戻れ」
私の呟きと共に、指先から淡い光が溢れ出し、私自身を包み込みました。
「
世界が、逆回転を始めます。 爆発した髪の毛が、しゅるしゅると音を立てて縮み、元の艶やかな黒髪へと戻っていく。焦げた肌が再生し、消失した眉毛が、何事もなかったかのように蘇ります。
数秒後。 光が収まったそこには、いつもの烏の濡れ羽色の髪に、砕月の髪飾りをつけた私の姿がありました。うん、万事解決です。
「ええっ!?直しちゃったんですかぁ。もう少しあの姿で良かったのに」
てゐがつまらなそうにぼやきますが、私は断固拒否します。あんな恥ずかしい姿、二度と御免です。
私は、何食わぬ顔で微笑むと、来た道を数歩戻りました。そこには、先ほどの逃走劇の最中、私が無我夢中で放り出した手土産の籠。籠は所々焦げており、中身もあまり状態がよろしくありません。再び能力を行使し、元に戻した後、籠を背負い直します。
何故かにやけているてゐと、呆気に取られている鈴仙さんを促し、今度こそ、私は永遠亭の門をくぐりました。
◆
「永琳~話しましょ~」
私が、友人の家に遊びに来た子供のように、少し間の抜けた声を上げながら襖を開けると、そこには予想通りの光景がありました。
薬の香りが漂う診療所ではなく、その奥にある静かな奥座敷。文机に向かい、静かに筆を走らせていた
「……随分と、騒がしいお出ましだったわね、夕雲様」
その声には、呆れと、そして微かな笑いの色が滲んでいます。うげげ、どうやら、竹林での一件は、全てお見通しのようです。いや、もしかしたら、適当に言ってる可能性も…その一縷の望みにかけて、少し誤魔化しをします。
「ええ、少し、竹林の迷路に手こずりまして。元気にしてましたか?永琳」
私が、素知らぬ顔で挨拶をすると、彼女はようやく顔を上げ、私をじろりと見つめました。その鋭い視線が、私の頭のてっぺんからつま先までを、検分するように舐めます。
「あら?因幡たちからは、『来客が見事なアフロになってる』って聞いていたのだけど。……つまらないわね、もう直してしまったの?」
「ええ、まあ。貴女にお見せするようなものではありませんでしたから」
バレていましたか。とは言え、見られてないのでセーフです。
私は苦笑しながら、手土産の籠を机の上に置きました。先ほどまで黒焦げだったとは思えないほど、瑞々しい輝きを取り戻した秋の食材と、天狗酒です。
「それより、これ。妖怪の山の秋姉妹から受け取った食材と、天狗から貰ったとっておきのお酒です」
「天狗から貰った…ねぇ」
永琳は、籠の中身を一瞥すると、ふふ、と楽しげに笑いました。
「妹紅が暴れていた原因は、貴女の仕業だったのでしょう?輝夜も、何やら上機嫌で、『妹紅の可愛い写真を手に入れた』なんて、はしゃいでいたわよ。……今は、遊び疲れたのか、奥でぐっすり眠っているけれど」
「それはそれは。……輝夜も、喜んでいただけたのなら、何よりです」
遊び疲れたのではなく、気絶しているだけなのでは?まぁ、そのうち起きるでしょうし、それほど気にすることではありません。
私は、彼女の向かいに腰を下ろしました。
永琳は、机の上の書き物を片付けると、私に向き直り、悪戯っぽい子供のような瞳で、こう言いました。
「それで?輝夜の喧嘩相手を激怒させたという『証拠写真』……なんて、今更ね。輝夜がもう、自分の部屋の壁一面に貼り出しているもの」
……壁一面、ですか。それはまた、妹紅さんが見たら卒倒しそうな光景ですね。
「私が貴女に求めているのは、そんなどうでもいいものじゃないわ」
永琳は、悪戯っぽく、しかし逃げ場のない笑みを浮かべて、こう続けました。
「竹林を騒がせた慰謝料よ。――次の新作映画。羅万館で公開する前に、まずは『永遠亭』で、プレミア上映会を開いてもらおうかしら?姫様が首を長くして待っているの」
どうやら、永琳はゴシップよりも、可愛い姫様の退屈しのぎの方に、興味があるようです。私は、観念して、苦笑いと共に予約を承りました。
「わかりました。近いうちに用意しときますよ」
と言っても、輝夜さんの好きなジャンルなんて知りませんし、まぁ、適当に選びますか。そうですね…不思議の国のアリスとかいいかもしれません。
「あら、意外と素直なのね。もっと渋るかと思ったけれど」
永琳が、少し拍子抜けしたように言います。
「ええ。どうせ断ったところで、貴女のことですから、薬の実験台にされるか、解剖してくるに違いありません。それなら、映画一本で手を打つ方が、よほど安上がりです」
私が肩をすくめると、永琳は、心外だわ、と言わんばかりに苦笑しました。
「人聞きの悪い。それは昔の話。今は、ちゃんと許可を取ってからにするわ」
彼女はそう言いながら、机の上の書き物を完全に片付けると、お猪口を用意し始めました。
「さて、商談も成立したことだし。せっかくのお酒、頂きましょうか。…輝夜が起きる前にね」
彼女は、悪戯っぽく片目をつぶります。どうやら、姫様想いの従者もたまには息抜きが必要なようです。
「ええ、喜んで」
私は、籠の中からお酒を取り出し、封を切りました。ふわりと、芳醇な香りが部屋に広がります。…何のお酒でしょう?御神酒なのは確定だと思いますが…おっ、今回は白酒ですね。
「はい、永琳。注いであげますよ」
「あら、ありがとう。……ふふ、白酒とはね。外の景色と張り合うつもりかしら?」
その言葉に外を眺めると、いつのまにか日が暮れ、雪が降り始めてきました。
永琳は、私の手から猪口を受け取ると、注がれた白濁した液体を、月明かりに透かすように眺め始めます。トクトク、という液体が器を満たす音が、静かな部屋に心地よく響きました。
「うん、美味しいですね。口当たりは甘いですが、芯は強い。……昔話に花を咲かせるには、丁度いいでしょう?」
「そうね。なら、遠慮なくいただくわ。……貴女とこうして、肩を並べるのも久しぶりですもの」
カチン、と。二つの杯が、心地よい音を立ててぶつかり合いました。しんしんと降り積もる雪の音だけが響く、静かな冬の夜。琥珀色の天狗酒が、杯の中でゆらりと揺れました。
「…ふふ。こうして永琳と酒を酌み交わしていると、なんだか不思議な気分ですね」
私は、杯を口に運びながら、しみじみと呟きました。
「昔の貴女からは、想像もできません。私と初めて会った時の永琳は、冷静沈着、合理主義の塊。人間らしいところなんて、新しい定理を証明できた時か、珍しい実験材料を見つけた時くらいでしたから」
「前に会った時と全く同じこと言ってますよ、夕雲。いい加減忘れてくださいな」
永琳は、静かにそう言いました。その声には、昔のような鋭さはなく、どこか穏やかな響きを、私は感じ取ります。
「いいや、忘れてなんてあげませんし、忘れるはずもありません。あの時の貴女は…そう、まるで、抜き身の刃のようでした」
私の脳裏に、遠い、遠い昔の記憶が蘇ります。
黄泉と常世の狭間。永遠の黄昏に満ちたあの場所で。高天原からの過酷な旅路の果てに、私の前に現れた彼女は、疲労困憊で倒れる寸前でありながら、その瞳だけは、狂気じみた探求心で爛々と輝かせていました。
『貴方のその力!その知識!是非私にください!』
まるで、珍しいおもちゃを見つけた子供のように。あるいは、知識という名の業火に焼かれる、哀れな蛾のように。
「あの時、私を止めてくれたのが伊弉冉様で良かったと、今でも思うわ」
永琳は、遠い目をして、杯を見つめました。
「伊弉冉…ナミですね。ほんと、なんだかんや永琳はナミにお世話になりっぱなしでしたからね」
私は、懐かしいその名を、口の中で転がしました。私が地位を譲った黄泉の女王。勝ち気で、力強く、そして誰よりも冷静だった私の妹分。万物を産み出した『生』の奔流と、全てを飲み込む『死』の静寂。その両義性をその身に宿した、超然としながらも人間臭くもあったナミ。
「目が覚めたら、いきなり箒を渡されて『まずは掃除から始めなさい』ですって」
永琳は、可笑しそうに、くすりと笑いました。
「屈辱だったわ。この八意永琳に向かって、召使いの真似事をさせるなんて。私は、世界の理を解き明かすために来たのに。一日に何時間も掃除させるなんて」
「ふふ、彼女なりの、荒療治だったのですよ」
私は、当時の光景を思い出して、目を細めました。不満たらたらで、それでも
「ええ、今なら分かるわ」
永琳は、杯の酒を、くい、と飲み干しました。
「あの時の私は、知識に喰い殺されそうになっていた。思考を止めることが怖くて、走り続けて、周りが見えなくなっていた。…伊弉冉様は、それを強制的に止めてくれたのね。単調な作業の中で、頭を冷やし、自分自身と向き合う時間をくれた」
「ナミは、心配していたのですよ。貴女が、その膨大すぎる才能の重みに耐え切れず、壊れてしまうのではないかと」
まぁ、当時は、正直あまり意味はなかった気がしますが、しばらくして自動掃除機を作り、掃除をやめてましたし。最終的には、ナミの懸念通り、不眠不休で研究をしていました。
私は、彼女の空になった杯に、お酒を注ぎ足しました。
「『この子は、放っておくと死ぬわよ。だから、私が、生きるための作法を叩き込んでやるの』…そう、言っていましたから」
「…そう。あのお節介焼きの神様らしいわね」
永琳の口元に、柔らかい笑みが浮かびます。それは、かつての合理主義者には決して浮かべることのできなかった、慈愛に満ちた表情でした。
「今の貴女を見ていると、彼女の教育は、無駄ではなかったようですね。…輝夜を見る貴女の目。あの時のナミの目によく似ていますから」
私の言葉に、永琳は一瞬、きょとんとして、それから、照れ隠しのように、ふいと視線を逸らしました。
「…よしてちょうだい。私はまだ伊奘冉様に届かないわ」
「はいはい、そういうことにしておきましょう」
私たちは、顔を見合わせ、静かに笑い合いました。かつて、神代の彼方で交錯した私たち。元、月の賢者は地上の片隅で、不死の姫を守り。私は同じ地上の片隅で、愛し娘を見守ってる。
違う道を歩みながらも、私たちは今、こうして同じ夜の下で同じ酒の味を分かち合っている。それは、あの騒がしくも懐かしい、黄泉での日々があったからこそ。
私は、ナミのあの勝ち気で、不器用な笑顔を思い出しながら、ゆっくりと杯を傾けるのでした。雪の夜の静寂が、私たちの思い出話を優しく包み込む。そんな夜の一幕。
豆知識、月の髪飾りには位置発信機が取り付けられてるとか、なんとか。
本番は幕間なので、ほんと触りだけです。その幕間はまだまだなので(これに当たる幕間は紺珠伝でやるつもり…)
その前には別の幕間があるんですけどね。