マフィアのボスは元シスターフッド   作:茄子与一

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第5話

 

 

 

「“──借金って、何のこと?”」

 

 

 アビドス高校・廃校対策委員会の部室に、凍りついたような空気が流れた。

 口火を切ったのは先生だったが、その声音には強い詰問の意図はなかった。ただ、純粋な驚きと戸惑いが滲んだ、ごく自然な問いかけだった。

 

 だが、それだけでも場の空気を止めるには十分だった。

 セリカは目を見開き、アヤネと顔を見合わせて固まる。ノノミは気まずそうに笑い、視線をそらす。シロコとホシノだけは無表情のまま、状況を静かに見つめていた。

 

 数分前までの和やかな雰囲気が、まるで嘘のように掻き消える。

 

 無理もない。つい先ほど、彼らはヘルメット団の前哨基地を予定通りに制圧し、手応えある戦果を引っ提げて校舎へと戻ってきたばかりだったのだ。

 彼女たちは先生に改めて感謝の意を伝え、そして厄介な敵を打ち倒したことに素直な喜びを見せていた。敵の鬱陶しさを思えば、その反応は当然だったろう。

 

 しかし、その達成感に浮かれた勢いで、セリカはつい──まだ詳しい事情を知らぬ先生の前で「これで借金返済に専念できる!」と明るく口にしてしまったのだ。

 当然ながら、先生がその一言を聞き逃すはずがなかった。

 その問いかけの意図が詮索や干渉から来るものでないことは、セリカにも分かっている。だがそれでも彼女は動揺を抑えられず、アヤネが何かを言いかけたのを慌てて遮る。

 

 

「ま、待って! アヤネちゃん、それ以上は……!」

 

 

 場の緊張がにわかに高まる中、ひときわ軽い調子で割って入ったのはホシノだった。

 

 

「いいんじゃない、セリカちゃん。隠すようなことでもあるまいし」

「か、かといって、わざわざ話すようなことでもないでしょ!」

 

 

 ホシノは、いつもの調子のまま続けようとしたが、セリカの顔には明らかな苛立ちが滲んでいた。

 

 もちろん、先生への感謝は忘れていない。

 ︎︎鬱陶しかったヘルメット団を退けられたのは、彼の助力あってのものだ。しかし──それでも彼は所詮、外部の人間に過ぎない。

 

 アビドスが抱える莫大な借金。それはこの地の問題であり、過去に見捨てられた歴史そのものでもある。

 あれほどの危機に見舞われながら、誰も助けてくれなかった。自治区の機能が崩れ、生徒も市民も多くが去ったこの場所に、大人たちは誰一人、目を向けようとしなかった。気にも留めなかった。

 

 それでも残った者たちが少しずつ肩代わりし、今に至るのだ──そうやって積み上げてきた時間を、数時間前に来たばかりの“部外者の大人”に踏み込まれることは、セリカにとってどうしても受け入れがたかったのである。

 

 

「この学校の問題は、ずっと私たちだけで何とかしてきたじゃん! なのに今さら、大人が首を突っ込んでくるなんて……私は、認めないから!」

 

 

 叫ぶように言い放ち、セリカは教室を飛び出していった。残された空気は痛々しいほど重い。ノノミが無言で席を立ち、慌てる様子もなく彼女のあとを追っていく。

 

 気まずさに思わず冷や汗をかく先生に、ホシノがやや申し訳なさそうに口を開いた。

 

 

「えーっと……簡単に説明するとね、実はこの学校、借金があるんだよね。まあ、ありふれた話だけど」

 

 

 そこまでは軽い調子だったが──彼女の声が少しだけ低くなる。

 

 

「でも、問題はその額で。大体……今は八億円くらいなのかな?」

「“は、八億……”」

 

 

 思わず先生が聞き返すと、ホシノは肩をすくめて笑う。

 

 

「そ。それが私たち、廃校対策委員会が背負ってる額」

「これを返済できなければ、学校は銀行の手に渡り、廃校の手続きが取られます」

 

 

 アヤネが淡々と補足する。声に感情はなかったが、その言葉の一つ一つが、事態の重さをありありと物語っていた。

 

 

「でも実際、完済の可能性なんてほとんどないんです。だから、生徒の多くはもう諦めて、この学校と街を去っていきました」

 

 

 そして──最終的に、残ったのが今この場にいる彼女たちだ。

 先生は、先ほど通り過ぎた街の風景を思い出していた。廃墟と化した建物。人気のない道路。そして、驚くほど閑散とした校舎内。すべてが今、繋がっていく。

 この学校、そして自治区が抱える問題の根源は──その、八億という桁違いの負債だったのだ。

 

 

 アヤネがさらに続ける。

 数十年前、この地を襲った大規模な砂嵐。

 ︎︎その被害は甚大で、街の広範囲が砂に埋もれた。嵐が過ぎ去った後も、吹き寄せられる砂による被害は後を絶たず、自治体はその都度莫大な資金を対策に投じた。

 

 だが、当時のアビドスはすでに最盛期と比較すれば割と衰退しており、銀行からの信用も薄かったという。結果として手を差し伸べてくれたのは、民間の悪徳金融業者だった。

 融資を重ねるごとに利子は増し、借金は膨れ上がった。しかしそんな苦労も、最終的には自治区の半分が人の手の届かぬ砂地に埋もれてしまったことで結局は意味を失う。

 

 

 生徒も、市民も、その多くが姿を消し──今のアビドス高校に残されたのは、彼女たちと八億円の負債だけだった。

 

 ︎︎沈黙が落ちる。

 ︎︎彼女たちが背負っている現実は、あまりに重すぎた。先生は軽々しく言葉を挟むべきではないと感じ、黙ったまま部室に残っている三人を見つめる。

 

 

「……私たちの力だけでは、毎月の利子を返済するのが精一杯で……弾薬も補給品も、もう底を尽きかけています」

 

 

 静かに口を開いたのはアヤネだった。しかしその声音には、諦めの色ではなく、事実を伝えようとする決意が滲んでいる。

 

 

「セリカがあそこまで神経質になっていたのも、これまで誰も、この問題にまともに向き合ってこなかったからだよ。……話を聞いてくれたのは、先生が初めて」

「”……そう、なんだ……”」

「──まあ、一応。最近は何とかなり始めてはいるんだけどね? ほんの少しだけだけど借入残高も減らせてる。あと先生のおかげでヘルメット団っていう厄介な問題も片付いたから、これからは借金返済に全力投球できるってわけ!」

 

 

 笑いながら言うホシノの声は明るいが、どこか浮かべた笑みには影が差していた。それは空元気というほど露骨ではないが、彼女自身がその重さを理解している証左でもあった。

 だからこそ、先生は言葉を選びあぐねてしまう。

 

 

「ホシノ先輩の言う通りです。私たちは絶対に完済を諦めません。……実は、去年アビドスに進出した鉱業会社──GM社が、定期的に多額の寄付をしてくださっていて。それで、少しずつではありますが、借金も減らせるようになってきたんです」

「”……採掘場を作ってるってアヤネが言ってた会社?”」

「はい。道中、先生も何度か車両を見かけていらっしゃると思います」

 

 

 先生は頷きながら、ヘルメット団の前哨基地へ向かう途中で見かけた車列を思い出す。

 

 ︎︎フロントと荷台に”GM”と記された大型トレーラーやトラックたち。いずれも重機や建設資材、あるいは大量の砂を積載していた。けれど先生の印象に残っているのは、彼らの車両そのものではなかった。

 

 運転手や作業員たちが、自分へ向けた視線──そこに宿るのは、見知らぬ大人への興味や無関心ではなく、もっと別の何か。初対面のホシノが自分に向けた、あの不可思議なまなざしに似たものを彼は感じたのだ。

 

 だが、こうして彼女たちの口から語られるGM社の支援の実態を聞く限り、そこまで警戒すべき企業でもないのかもしれない。アビドスのような廃れた地域の学校に寄付をする姿勢からすれば、むしろ社会奉仕精神に富んだ企業とも取れる。

 

 

──おそらく、疲労のせいで感覚が過敏になっていたのだろう。

 そう自らに言い聞かせながら、先生はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「”……まだ来たばかりで慣れないことも多いけど。私も対策委員会の一員として一緒に頑張りたいと思うよ……もちろん、みんながよければ、だけど”」

「そ、それって……! はいっ! こちらこそよろしくお願いします、先生!」

 

 

 顔をぱっと輝かせるアヤネと、それに頷くシロコ。シャーレからの支援という公的な後ろ盾を得たことで、彼女たちの間にようやく希望の色が戻りつつある。

 

 そんな穏やかな空気の中で──ただ一人、ホシノだけは違う表情をしていた。

 他の誰でもなく、先生のことを静かに見つめていたのだ。

 

 

「へぇ……先生も、変わり者だねぇ」

 

 

 その冗談のような口調の中に、どこか引っかかるような響きが混じっていた。

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、あの指名手配犯の姿。

 ︎︎契約は遵守、しかし信頼は不要──言外にそんなスタンスを崩さなかった、あのマフィアの首領。

 ︎︎ホシノにとってあの少女は、こと契約面での信用はできても、個人的に信頼はできない相手だった。

 

 では、この先生はどうだろう。

 ”彼女”や”あの男”と違って見た目には不審な点はなく、言動や仕草にも怪しさは見受けられない。むしろ、外見上はあまりにも無害すぎて逆に拍子抜けしたほどである。

 

 

 ︎︎セリカの暴発から始まった会話ではあるが、アビドスが抱える問題に真剣に耳を傾けてくれた──それは間違いなく彼が初めての大人だ。

 だが、ホシノの胸の内にはいまだにしこりが残る。

 ”あの子”と違って信頼できるかもしれない。だが、信用しきれるかはわからない。

 

 イエスとノー、その両方がせめぎ合う。

 ︎︎それらが入り交じった感情の渦のなかで──ホシノは静かに揺れていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

──その日、”陸八魔アル”は人生最大の危機に瀕していた。

 

 

 ︎︎ゲヘナ学園に籍を置く彼女は、校則で厳しく禁じられている起業行為に手を出し、現在進行形で停学中の身である。だがその道を選んだのも、自らが志す「一流のアウトロー」への道を突き進むためだった。

 

 ︎︎そうして彼女が興したのが、便利屋68──違法すれすれ、いや時に越境する案件も請け負う、アウトローの便利屋である。

 

 ︎︎当然ながら、かの空崎ヒナ率いる風紀委員会の監視下ではまともな活動などできようはずもない。だからこそ、アルたちは“木を隠すなら森の中”の理論にならい、ブラックマーケットの片隅にひっそりと事務所を構え、逃げたペットの捜索などの小さな仕事も受けながら、今日も今日とて依頼の電話を待っていた。

 

 ︎︎そんなある日、事務所の受話器が鳴る。

 

 

『──仕事を頼みたい。便利屋』

 

 

 ︎︎依頼主の詳細は伏せられていた。だが、直感と欲望に忠実な社長は迷わずそれを受け、部下とともにすぐさま身支度を整える。

 

 ︎︎依頼の内容は、アビドス自治区から逃げ出したカタカタヘルメット団の残党を討伐するというもの。提供された情報を頼りに、アルたちは奇襲に成功し、見事に任務を完了させた。

 ︎︎あくまで本命ではなく「ついで」として語られた内容だったが、便利屋としては久しく十分な成果であり、彼女たちは上機嫌で歩を進めていた。

 

 

──だが、それはほんの始まりに過ぎなかった。

 

 

「……っ、ハルカ、絶対に動いちゃダメだよ」

「は、はい……」

「あは~……コレやばいね♪ どうする、アルちゃん?」

 

 

 ︎︎武器を構え、いつでも発砲できる体勢でありながらも、誰一人として引き金を引こうとはしない。

 ︎︎彼女たちに先ほどまでの余裕は一切消え失せていた。 敵がただ者ではないことを、直感が告げていたからだ。

 

 

 ︎︎便利屋68が足を踏み入れていたのは、アビドスの郊外。

 ︎︎ヘルメット団残党の掃討任務を終え、その足でアビドス高校襲撃に向けた下見をしていた最中の出来事だった。

 

 ︎︎故に、まさかこんな片田舎でこの人物と遭遇するとは──便利屋の誰もが予想だにしていなかったのだ。

 

 

「──ふむ……お前たちの顔、どこかで見たことがあるような気がするね。はて、どこだったか」

「ブラックマーケットです、ボス。最近よく噂を聞く、例の便利屋ですよ」

「……ああ、ゲヘナの問題児か」

 

 

「──赤城リナ、なぜあなたがアビドスに……!」

 

 

 ︎︎便利屋の視線を一身に受けていた彼女こそ、リナであった。

 ︎︎マスメディアにこそその姿は出ていないが、ブラックマーケットでその名を知らぬ者はいない。クロノスの報道や公安局の声明でも、彼女が率いる「オラトリウム」は近年の裏社会で最も急速に勢力を拡大した犯罪組織としてしばしば取り上げられていた。

 

 ︎︎荘厳な本拠地と圧倒的な資金力。

 ︎︎敵対者への容赦ない制裁と、それによって築かれた恐怖と支配の構図。赤城リナ率いるオラトリウムは、ブラックマーケットの一画を今や掌握するまでになっている。

 

 

 ︎︎便利屋68課長・鬼方カヨコの背に、冷たい汗が伝う。彼女が声を絞り出したのは決して恐怖によるものではなく、確認だった。

 

 だが──それに対する赤城リナの視線は、徹底して冷ややかだった。問いかけに応じることすら無用とでも言いたげに、彼女は一歩、静かに前へ踏み出す。

 

 

「便利屋のリーダーは誰だ」

「それを聞いてどうするつもり?」

「ただの質問だよ。そんなに殺気を向けないでくれ」

 

 

 ムツキの鋭い眼光さえ、リナは意に介さない。飄々とした態度を崩さぬまま、その双眸はギラリと便利屋一同を射抜く。

 暴走気味な一面のあるハルカが、彼女から放たれる尋常ならざる気配に応じるように一歩前へ出ようとしたが──寸での所でカヨコがそれを制した。

 

 このままでは、間違いなく戦闘になる。

 彼女の背後に控える取り巻きならまだ対処できるかもしれない。だが唯一にして最大の問題はリナだ。

 

 荒くれ者の多いゲヘナ出身のアル達だからこそわかる。赤城リナの纏う明確な「強者」のオーラは、便利屋68が恐れを抱くゲヘナ最強の風紀委員長・空崎ヒナと比肩するものだった。

 

 真正面、しかも遮蔽物ひとつ無い砂漠のど真ん中で戦って勝てるような相手では、断じてない。

 

 

「……便利屋68の社長は、私よ」

「アルちゃん……!」

「いいの、ムツキ。もし彼女たちがその気なら、とっくに銃撃戦になっていたはずよ。そうなっていないということは──少なくとも今は、彼女たちに戦う気は無いということ」

「実に賢明な判断だ。君の名は?」

「陸八魔アル」

「そうか、では敬意を表してアルと呼ばせてもらおう。君はなぜアビドスに? 私の記憶が正しければ、君たち便利屋68がこの地に来たことはこれまでなかったはずだが」

「依頼、とだけ。悪いけどクライアントの名前や内容は教えられない。そもそもあなたたちの方こそ、なぜアビドスに?」

「野暮用さ」

 

 

 堂々たる態度でリナの問いに答えるアル。その姿に、リナもまた毅然とした表情で応じた。

 

──もっとも、内心ではアルも怯えていた。

 自分と相手との実力差を彼女は正確に理解していた。仮に陸八魔アルという少女がその類の嗅覚に鈍い生徒であったならば、とうに裏社会の闇に飲まれて消えていただろう。

 

 ︎︎便利屋68は、アルを含めて四人きりの非常に小規模なグループ。対するオラトリウムは目視できるだけでも十人。組織規模を鑑みるに、何処かでもっと大勢が控えていてもおかしくはない。

 だが問題なのは人数ではなかった。

 ︎︎真に厄介なのは、そんな彼女たちを率いるリナの存在である。その実力を噂で知るアルにとって、この場の戦力差は表面的な数字以上に深刻だった。

 

 

 相手はマーケットで名を馳せるマフィアの首領。

 ︎︎アルがある種の敬意を抱かざるを得ない相手である。

 

 自分と同じ学年の少女が、わずか一、二年でブラックマーケットの古株すら無視できぬ勢力を築き上げた──その手腕と胆力は、たとえ自身と出身校が異なるトリニティの元生徒であったとしても、決して無視できるものではなかった。

 

 ︎︎拉致や詐欺、テロや収賄……普段耳にする噂の数々は、アルが理想とするアウトロー像とはかけ離れている。だが所詮は零細企業の身である自分と比較すれば、彼女に一定の畏敬を抱かざるを得ないのも事実だ。

 

 

 アルは理解していた。今、この瞬間において自分がすべきは交戦の回避であると。

 ︎︎ブラックマーケットに拠点を置く便利屋にとって、オラトリウムのような有力組織との銃火は死活問題だ。自転車操業の経済事情はさておき、そもこの場でリナに挑んだところで勝算は限りなく低い。ましてやこの砂漠で戦って、逃げ切れる保証もない。

 

 

「そんな目をしなくとも、私に君たちと戦う意思はない」

「……」

「部外者に言うことではないが、私に楯突いた不良どもがアビドス近辺にいると聞いてね。確か……カタカタヘルメット団とか言ったかな」

 

 

 その名を聞いた瞬間、アルの顔に険が走った。

──カタカタヘルメット団。彼女たち便利屋68が、クライアントの依頼を受けて真っ先に潰した相手だ。

 

 アビドス砂漠の片隅でオラトリウムと出くわしたのは、たしかに偶然かもしれない。だが、彼女が自分たちに声をかけてきた意図は明白だった。

 

 リナからすれば、便利屋は“獲物を横取りした”存在に映るはずだ。敵意こそ抱いていなくとも、釈明を求める程度のことは当然だろう。

 組織というものは得てして面子を重んじる。特に、オラトリウムのような裏社会に根ざした犯罪組織であれば、なおさらだ。

 

 しかも、今回現れたのは赤城リナ本人。普段はマーケットの外へ滅多に姿を見せないという彼女が自ら足を運ぶというのは、それだけで事態の重さを示している。

 

 ヘルメット団が何をしでかしたのか──アルは詳しくは知らない。だが、今回の件がオラトリウムにとって無視できない案件であるのは確かだった。

 

 ライフルを握る手に、じわりと汗が滲む。

 背後に控える部下たちはアルを案じながらも、社長の対面に立つリナの動きに視線を注ぎ、油断なく構えている。

 

 

「申し訳ないけど、そのヘルメット団は私たちが潰したわ」

「そうか。……なら、ここまで来たのは無駄足だったかな」

「聞きたいことはそれだけ? もしそうなら私たちはこれで──」

「……いや。一つだけ、君に頼みたいことがある」

「……何かしら?」

 

 

 “横取りした謝罪をしろ”──仮にもしリナにそう言われたなら、アルは全力で抗うつもりだった。

 

 いかに相手が名のある組織であれ、今回の件は偶然のすれ違いに過ぎない。オラトリウムと便利屋68に直接の関係がなかったからこそ、すれ違っただけの話だ。ならば頭を下げる必要も、罪悪感を抱く必要もない。

 リナもそのあたりを承知しているようで、自身の言葉を静かに受け取り、ただ肩を竦めただけだった。

 

──そう、アルは思っていたのだが。

 

 

 だが実を言えば、ホシノからの警告を受けていながら、その素顔を隠すこともなく赤城リナがアビドスに姿を現した理由は、決してヘルメット団を追う事ではなかった。

 

 

「伝言を頼みたい、アル」

「……伝言?」

「君の依頼主に──たった一言、こう伝えてほしいのだ」

 

 

 リナは一切の迷いなく告げた。

 

 

「パラ・ベラム。赤城リナが、そう言っていた……と」

「……?」

 

 

 意味が掴めず、思わず間の抜けた声が漏れる。

 だがリナは、むしろそれを待っていたかのように微笑んだ。

 

 

「ふふ。君が意味を知らなくても構わない。伝えさえすれば、きっと向こうは分かるはずだから」

 

 

 いたずらっぽいその笑みに、アルは隠すことなく困惑を露わにした。“パラ、ベラム”──弾薬の種類か何か? そんな単語の響きは思い浮かぶが、場違いな冗談とは思えない。

 

 この状況で軽口を叩くような人物ではないことくらい、アルにも分かっていた。

 言葉の意味は分からない。ただ、そこに込められた意図と圧力だけは、確かに伝わってくる。

 

 

──リナは、既に知っている。

 カイザーがヘルメット団を使っていたことも、やがて切り捨てるつもりだったことも。

 

 昼過ぎ、ホシノから届いた、どこか喜びが混じったテキストメッセージ。その一節にあった“ヘルメット団が片付いた”という話を読んだとき、リナはすぐに察した。

 

 無謀な真似をした連中がアビドスに踏み込めばどうなるか──いかに傲岸不遜なカイザーとて、それくらいは見越していたはずだ。

 

 つまり、最初から彼女たちは“捨て駒”なわけだ。だが、実際に彼女らを完全に潰したのは、カイザーでもアビドスでもなく──便利屋68。

 

 カイザーが仕掛けた駒を片付けた者たちが、いまアビドスにいる。彼らの影がちらつく、この廃れた自治区に。

 

 

 依頼主の正体について、アルは何も知らないと口にした。それが本当だとしても状況はあまりにできすぎている。確証はないけれど、リナが疑うには十分すぎた。

 

 カイザーが投げた石。

 ︎︎その波紋の果てに現れた、便利屋68という存在。

 

 ようやく掴みかけたその尻尾を──リナは、決して離すつもりはなかった。

 

 

「あ、ちょっと……!」

「この先へ行くといい、陸八魔アル。そして便利屋68。私は君たちの邪魔をするつもりはないからね……言っておくが、私がアビドスにいたことは、依頼主以外には伏せておいてくれよ」

 

 

 そう言い残して、リナは静かに背を向ける。

 アルたちの行動を止める気はない──その言葉に、嘘偽りはなかった。

 

 カイザーにアビドスを握らせるわけにはいかない。それはリナにとっても、オラトリウムにとっても、絶対に譲れない一線だ。

 

 だが、あそこにはホシノがいる。アビドス最強の生徒が。

 

 便利屋68……特にアルの戦闘技術が相当高いことをリナはひと目で見抜いていたが、それでもゲヘナの風紀委員長やトリニティの歩く戦略兵器などなど、キヴォトスの名だたる“怪物”たちと並び立つに足る存在である小鳥遊ホシノが、彼女たちに敗れるとは到底思えなかった。

 

 だからこそリナは、便利屋68が何をしようとしているのかを薄々察していながらも、止めることはしなかった。

 

 そうして──何が起きたのか掴みきれないまま呆然と立ち尽くすアルたちを残し、彼女はどこかへ向かってゆっくり歩み去っていった。

 

 

「ひぅ……」

 

 

 無意識とはいえ、強烈な圧力を放っていたリナがその場を離れたことで、辺りの空気が一気に緩む。

 アルは糸が切れたように、その場にへたりと座り込んだ。

 

 情けない声が漏れるも、普段なら茶化すであろうムツキも、今ばかりは真剣な表情で彼女に駆け寄った。

 

 

「大丈夫? アルちゃん」

「え、ええ……大丈夫よ」

「はぁぁぁ、良かった。何事も無く終わって。社長には感謝だね、ほんと」

「あ、あああああの人……すごく、怖かったです……」

 

 

 額に浮かんだ汗をハンカチでぬぐいながら、大きく息を吐くカヨコの言葉に、三人は心からの安堵を込めて揃って頷いた。

 

 

 ︎︎まともに戦うべきではない相手だ。

 オラトリウムともなれば、敗北した便利屋の面々を力ずくで従わせ、縛り上げ、監禁することなど造作もないだろう。そう思えば、彼女たちとの交戦を回避するために全神経を注いだアルの判断は正しかったと言える。いや、英断だった。

 

 

「まさか、こんなところで赤城リナと出くわすとはねぇ~? 最近色んな組織と揉めてたって噂だけど……カタカタヘルメット団もその中にいたってこと? だから追ってきたのかな?」

「いや、ヘルメット団の目的はアビドスの襲撃だった。なのにいきなり外のマフィアと戦えなんて流石に無理があるよ──まあでも、オラトリウムがアビドスに手を出してて、それがクライアントの邪魔だったっていうなら話は別だけど」

「依頼主が赤城リナと敵対してる可能性があるっていうこと?」

「私の単なる推測だけど……でも、そうでもなきゃ彼女がこんな片田舎で不良狩りなんてやるわけがない。あの規模の組織が動くには、もっと大きな理由がいるはず」

 

 

 カヨコは、なおも冷静に思考を巡らせていた。

 ︎︎なぜ、あのオラトリウムがアビドスに居たのか。何もない砂漠の只中で、偶然出くわすにはあまりにも出来すぎている。社長がいたおかげで事なきを得たものの──やはり、そこには拭えぬ違和感があった。

 

 リナは「ヘルメット団を潰す」といった趣旨の発言をしていた。だが、そもそもそれが妙だ。カタカタヘルメット団が標的にしていたのはあくまでアビドス高校であり、オラトリウムとは表立った関係も接点も見当たらない。因縁があるはずがないのだ。

 

 となれば、逆に──その因縁を持ち込んだのは“第三者”、つまり自分達のクライアントではないか。カヨコはそう仮定した。

 

 ︎︎アビドスであるかどうかはさておき、どこかでオラトリウムとクライアントが衝突していた可能性は高い。そしてその延長線上で、今日までクライアントに雇われていたカタカタヘルメット団が排除対象となったのだとすれば、一応の筋は通る。

 

 だが、それでもなお疑問が残る。なぜ、赤城リナ本人が出てきたのか──という点だ。

 

 一年前に起きた、複数の自治区を巻き込んだ大規模な抗争事件。彼女はその中心人物として公安局や主要校から指名手配を受けている。ブラックマーケットにおいてですら、オラトリウムの勢力圏以外で見かけるのは稀だ。そんな人物がわざわざこんな片田舎まで来ていて、何の意図もないとは考えにくい。

 

 ︎︎今思えば、あっさりと帰っていったのも変である。

 

 

 ︎話を聞いていたムツキもカヨコと同様の結論に至ったのか、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「あは♪ これは随分と──きな臭くなってきたねぇ」

「金に目が眩んだ結果か……」

「うっ」

「社長、アレ完全に目をつけられているよ。どうする?」

「い、今さら帰れる訳ないじゃない! まだアビドスも襲撃出来てないのに!」

 

 

 カヨコとムツキの難解なやり取りを隣で聞きながら、アルもまた薄々と理解していた。自分たちが今、どうしようもなく危うい立場にあるということを。

 

 裏社会でも相当の地位にあると思われる正体不明のクライアント。潰されたカタカタヘルメット団。落ちぶれたとはいえ、依然として存在感を放つアビドス。そして、その影を現し始めたオラトリウム──様々な思惑が交錯し、火薬のような空気が漂うこの砂の地に、よりにもよって便利屋68も足を踏み入れた。

 

 加えて、彼女達はすでに大金を注ぎ込んでいる。

 アビドス高校への襲撃に備え、多数の傭兵バイトを雇い入れた結果、便利屋の資金は底を尽いていたのだ。残された所持金はわずか数百円で、人数分の缶ジュースすら買えるか怪しい。

 

 故に、いまさら引き返す選択肢などアルたちには最初からなかったのだ。クライアントの依頼を完遂できなければ、路頭に迷うどころでは済まない。

 

 

 けれど、だからこそ。まだアルはこの地に立つつもりだった。オラトリウムと対峙する覚悟も、赤城リナという“怪物”とぶつかる可能性も──すべてを呑み込んだうえで。

 

 本気で“真のアウトロー”を目指すのであれば、こんな程度の修羅場に怖気づいてなどいられない。泥の中を這い、銃声の中で笑ってこそ、真のはみ出し者だ。

 

 

「さ、さあ。とにかく行くわよ皆! まずは寝床を探さなきゃ! 良さげな廃墟を見つけないと」

「こんな砂まみれの場所で寝るのか……公園で野宿してた頃の方がまだマシじゃない? ご飯もないし」

「しーっ。アルちゃん、せっかくやる気出してるんだから♪」

「わ、わたしは何処でも大丈夫ですよ……?」

 

 

 太陽は既に沈み、夜の砂漠特有の乾いた冷たい風が彼女たちの肌をスラリとなでる。途方もない静けさが砂の街を包む中、彼女たちは足元を確かめるように歩き出した。

 

 

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