星霜の影を踏みしめて   作:アメリカ兎

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プロローグ

 

 ──中央トレセン学園に、まことしやかに囁かれる噂がある。

 取るに足らない幽霊話。学園には付き物の怪談話。

 例えば音楽室のピアノが夜な夜なひとりでに演奏を弾いている。

 例えば理科室の人体模型が動き出す。

 例えば深夜、誰もいないコースを走る影を見た。

 取るに足らない怪談話。雑談に花を咲かせる夏の風物詩。

 身近に感じることができなくても、話題に挙げるくらいの悪戯は怖い話が苦手な友達をからかうのに十分すぎる暇つぶしだ。

 

 ──それが被害者を出さなければ、という一点に尽きる。

 そしてそれが起きてしまったのが全ての始まり。

 

 新人トレーナーを迎える時期を前にして中央トレセン学園で起きたのは未曾有の大事変。

 無敗の七冠バである皇帝、シンボリルドルフが犠牲者となった。

 心身共に健康体。至って正常、変わりなし。

 ただ一点──ウマ娘の身体能力を失ったこと以外は。

 それでも皇帝の人望と功績を疑うものはなく、周囲のサポートによって問題なく私生活を送れている。

 しかし学園側としては危惧していた事態が引き起こされてしまった以上、対策を練らなければならない。

 

 中央トレセン学園理事長、秋川やよい。そしてその秘書である駿川たづなは神妙な面持ちで理事長室で向き合っていた。

 

「危機ッ! たづな、何か対策を練らなければ!」

「はい。学園関係者の方々にはご説明しましたが、やはり不信感が拭えないようでして……かといってこの様な怪談話、まともに取り合っていただける方もいませんでした」

「相手は幽霊。こちらからどう仕掛けたものか皆目見当もつかない」

「そうですよね。幽霊退治の専門家でもいれば話は別ですけれど……」

 そんな奇特な職業の人間、まともな界隈に存在するはずがない。一般常識を備えているならば当然真っ当な職にありついて真面目に働き一家の稼ぎ頭として過ごすに決まっている。

 

「提案ッ! たづな、「オカルトハンター」という人物の噂を聞いたことはあるか?」

「オカルトハンター……ですか? いえ、初耳です」

 秋川理事長も半信半疑ではあったが、このような状況で生徒であるウマ娘たちがのびのびと学園生活を送れなくなることだけは避けたかった。ならばと藁にも縋る思いで名を出したのはとある噂。

 曰く、怪異退治の専門家。……なんのこっちゃ、とは思ってはならないし、思ってもたづなは言わなかった。絶対まともな人じゃないであろうことは薄々感じ取れる。

 理事長からの説明もどことなく怪しい。

 

「……つまりその、オカルトハンターの方を学園にお招きして昨今の幽霊騒動を解決してもらおうということですか?」

「うむ! こうなってしまっては仕方ない! 至急連絡を!」

「それはかまいませんが理事長。連絡先の方はご存知なのですか?」

「…………失念ッ!」

「はぁ。わかりました、こちらでお調べして連絡を取ってみますね」

 

 

 

 ──あっさり見つかった。それもそのはず。

 何故ならそのオカルトハンター、なんと“自称”であるというのだから。

 そしてそんなのを名乗る奇特な人物を特定することなど噂話や流行に敏感な女学生特有のネットワークにかかればあっという間だ。

 たづなの集めた情報によれば、普段はライブハウスでアルバイトをしているらしい。

 早速現場へと急行した秋川理事長とたづなの二人が見た人物は、頭のてっぺんから爪先まで黒一色。不穏な人相。

 どー見たってカタギの面をしていると言うには無理がある、左目に大きな刀傷をつけた二十代半ばの成人男性だった。

 それを隠すように伸ばした前髪のせいか、人相の悪さに拍車が掛かっている。

 声をかけるのをはばかられるような人物像ではあるが、不思議なことに彼の周囲の人々はまるで当たり前のように受け入れている。

 ならば顔ほど悪い人間ではないのかもしれない(失礼なようだが)。

 人当たりも悪くなさそうな事から、たづなが声をかける。

 

「すいません。少々お時間よろしいでしょうか?」

「はい? どちら様です?」

「私、中央トレセン学園理事長秘書官を務めさせていただいている駿川たづなと申します」

「紹介ッ! 中央トレセン学園理事長秋川やよいである!」

「はぁ……どうも。あ、もしかして俺のこと探してるのって中央の幽霊騒ぎで?」

「ご存知なのですか?」

「そりゃまぁ。仕事柄」

 それならば話は早い。たづなは早速話を持ちかける。

 

「──ということなのですが、引き受けていただけませんか?」

「引き受けるにしたって、そこはまぁ構わないんですけど……」

「何かご質問等あれば、ご遠慮なく。お答えします」

「こんな訳分からん怪しい風体の奴を学園にホイホイ招くのはちょっと気が引けるんですが。いや俺の台詞じゃねぇなこれ。つまり何が言いたいかって言うと、ウマ娘となんら無関係な人間が学園に滞在することになるってのは世間体的にあまり良くないんじゃないかってことです」

「確かにそれはその通りではありますが……」

「確かにって言いました今? 訳分からん怪しい風体の奴のくだりに納得いただいてますもしかして今?」

「了承ッ! そういうことならば私の方で手配する!」

「理事長!?」

 つまりこの(自称)オカルトハンターが懸念しているのは自分のことよりも学園の体裁。無関係者を学舎に招く以上、トンチキ幽霊騒動よりも建前を用意しなければなならない。

 

「たづな。確かまだトレーナー採用の枠は空いていたな?」

「ええ。確かに、その通りですけれど……」

「質問ッ! 教職の経験は?」

「……非常勤講師としてなら」

「採用ッ!」

「いや無茶でしょ」

 オカルトハンターからですら無茶だと言われる始末。たづなも頭を悩ませている。

 ウマ娘のトレーナーというのは一朝一夕でなれるようなものではない。厳正厳格なる試験に合格して、ようやくなれるものだ。

 担当ウマ娘と過ごす日々も犬猫とは違う。トレーニングにしたって別物だ。

 トレーナーになる、ということはつまりウマ娘と一心同体。彼女たちと苦楽を共にして、尚もまだ夢に駆ける覚悟の是非を問われる。

 たづなとしてもそこだけは一線を引いておきたい。

 理事長の無茶振りはいつものこととはいえ、だ。

 

「こほん。オカルトハンターさん。トレーナー適性試験は様々な基準が設けられています。ですが、私から尋ねておきたいことはひとつだけ。

 ──貴方はウマ娘の皆さんに何かあった時、どう責任を取るおつもりですか?」

 無茶なトレーニングで怪我をするかもしれない。

 レースで挫折するかもしれない。

 もしかしたら、走れなくなるかもしれない──自分の指導でそうなったその時、どうするつもりなのか。もちろん、そんなことが起きないに越したことはない。

 だが万が一。もしも、シンボリルドルフと同じように犠牲者が出てしまったら。たづなが危惧しているのはそこだ。

 この人は、果たしてどの程度の信頼に足る人物なのかと。だが意外にも返答は早かった。

 

「腹切って詫びろというならそうします。俺にできることなんて、それこそ自分の命をかけることくらいですよ」

「…………」

「うら若き乙女の人生預かるって、そういうことでしょう? こんなやつに頼らなければならないほど切羽詰まってるなら、俺にできる限りのことをします」

 そんだけ。そう締めくくって、オカルトハンターは腕を組む。

 春も目前に迫る日差しの暖かさ、だが頬を撫でる風はまだ肌寒く、長袖であることに違和感はない。しかしその袖の下からわずかに覗く傷痕にたづなが目を取られると、オカルトハンターはすぐに気づいて隠した。

 今は問うべきことではない。しかし、信頼に足る相手であることにたづなは頷いた。

 

「トレーナーとしてではなくても、用務員でも雑用でも、とにかく中央トレセン学園に出入りさせてもらえるならこちらで調査の方を進めておきますので、そこの采配は理事長達にお任せします」

「わかりました。ありがとうございます。では日程が決まり次第、追ってご連絡しますので連絡先の方をよろしければ」

「……っすーーー…………」

「……?」

 途端にオカルトハンターの歯切れが悪くなる。明後日の方向へ目を逸らしていた。

 

「その、大変、申し上げにくいことなんですが……」

「はい」

「……一文無しで家もないんすよ俺」

「……はい?」

 思わず自分の耳を疑った。目を丸くして驚くたづなに、秋川理事長も言葉を失っている。

 理由を尋ねると、愛犬と旅をしていたらしい。しかしはぐれてしまったことから日本で身動きが取れなくなってしまったという。

 野宿は慣れていることから公園で寝泊まり。日銭を稼ぐためにライブハウスでアルバイト。この御時世に珍しく、携帯電話不所持。つまり連絡手段一切なし。旅支度の荷物も何もかも紛失して着の身着のまま。

 

「……たづな。保護するべきだと私は思う」

「そうですね。トレーナーになっていただければ寮で寝泊まりはできますし……」

「雨風しのげれば犬小屋でも文句言いませんよ、俺」

 ──もしや人間としての尊厳というものをお持ちではない? たづなは訝しんだ。

 たまたまその様子を眺めていた女性スタッフが近づいてくる。話が長引いているのを見て、助け舟を出そうと思ってのことだ。

 

「すいません。こちらの方はいつもこんな調子なのですか?」

「そうなんですよー。駄目な人ですよねー」

「はは……なんも言い返せねぇ……」

「でもこのちょっと抜けてるところが憎めないっていうか、人相の悪さのガス抜きになっているっていうか。なんていうか、ちょっと放っておけないんですよねー」

 もしや犬扱いされてる? 秋川理事長は訝しんだ。

 たづなは当人に話すよりも責任者と話した方が解決すると踏み、ライブハウスのオーナーに直接話をもちかけたところ──「いいよー」とのこと。軽い。

 ただこのオーナー、ただでは転ばない。ウマ娘のライブ練習にスタジオを利用する契約を中央トレセン学園へ持ち掛けた。それを条件として飲むのであればオカルトハンターをトレーナーとして転向させても良い、という。

 背に腹は代えられない秋川理事長とたづなからしてみても、決して悪い話ではない。

 互いにその条件を合意の上で契約を締結することとなった。

 

「それでは私たちはこれで。そろそろお暇させていただきますね」

「いえいえこちらこそ、中央の方とこうしてお話できて光栄です」

「そういえば……オカルトハンターさんのお名前をお聞きしていませんでしたね」

 

「ああ。俺は──エヌラス。ま、幽霊騒動が解決するまでの短い間かもしれませんけどよろしくお願いしますよ、秋川理事長、駿川さん」

「名前でかまいませんよ、エヌラスさん」

 

 ──こうして急遽、ひとりのオカルトハンターが中央トレセン学園へトレーナーとしての道を進むことになった。

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