ダンツフレームをエヌラスが必死に慰める。大丈夫だよー怖くないよー、さっきのはちょっとそのほらあれだよ……幽霊退治だから。いやでも扉を殴って床を踏みつける理由になるかこれ? しどろもどろになりながら言い訳するとなんとかご理解いただけたので一安心。
「……えぇ!? 今おばけいたんですかここ!?」
やっちまった。エヌラスは天井を仰ぐ。もういいや、正直に話そう。
「カフェに近づくトレーナーに悪さしてた幽霊が現れて、俺がぶん殴った」
「それで、どうなったんですか?」
「消滅した」
「……えぇ〜」
ダンツフレームもドン引き。そらそうだ。顔の怖いおにいさんが突然暴れ出したと思ったら幽霊退治とか言い出すのだから正気を疑われても仕方ない。とはいえ証人がいる。マンハッタンカフェに目で問いかけると、確かに頷いていた。
アグネスタキオンは不服そうに散乱した紙を拾い集めている。
「いやしかし、私としてはあまり納得のいく話ではないね」
「タキオンちゃん?」
「今しがたエヌラストレーナーの除霊は見せてもらったが、非現実的であると言わざるをえない。非科学的であるとも言える。なぜ君の拳で幽霊を追い払えるのかも理由は定かではない」
「貴方はまたそうやって……」
「これでも私は君のためを思っているんだがねぇ、カフェ? 考えてもみたまえ。幽霊騒ぎでただでさえ君の評判は向かい風、だというのにこの“黒い番犬”と評されるちょっと名状しがたい風体のエヌラストレーナーと契約を結ぶとなればますます厳しいと思うが?」
「人のこと名状しがたいっつったかおめーこんにゃろ」
「事実だよ。君は行動で自らの身の潔白を表明している。実際それは功を奏して生徒達の信頼を勝ち取っているのだから。だがカフェはどうだい? 彼女のことを案じるのであればもう少し何か手を打たなければ──」
「だったら話は簡単だ。俺がカフェの身の潔白を証明する。無罪を主張し続けるだけだ」
エヌラスの判断は早かった。マンハッタンカフェに向けられた疑いを晴らす。そういう意味合いでも彼女のトレーナーとなるのが一番手っ取り早い。
「ですがそれでは……貴方にまで迷惑が」
「君が俺に迷惑かけるなら、俺も君に迷惑かける。これで対等、この話おしまい。他に何か?」
「…………」
「──ククク。アッハッハッハッハ! いや参ったねぇ、これは。中々どうして面白いじゃないか。身を引くどころか押し倒す勢いだ。ただそうなると別な問題が出てくる」
何か他に問題でもあるだろうか? そもそもマンハッタンカフェとの契約が、どうしてアグネスタキオンに横槍を入れられなくてはならないのか。友達同士だとはいえ。
「まだなにか?」
「ここは私が学園から許可を得て使わせてもらっている場所だ」
「貴方ではなく、私が使っていた場所です……貴方は勝手に使っているだけでしょう」
「まぁまぁまぁそんな細かいことはいいじゃないかカフェ。そこで、だ。我々の場所に君が上がり込むとなると、我々の許可を得る必要が出てくる。『郷に入りては郷に従え』と言うだろう?」
一理ある。そこはエヌラスも理解できた。
「念の為確認させてもらうよ。カフェ、今後も彼が此処に来ることに君は許可を出すのかい?」
「はい。貴方よりは、信用してもよさそうです」
「お前信用ねぇんだな……」
「ふむ。それはさておき。ならば、カフェの分も合わせて私から条件を二つ提示させてもらうよ? もちろん君に拒否権はない。
まずひとつ──君の誠意がどの程度のものなのか見せてもらいたい。なぁに簡単だよ。これを飲んでくれればいいだけだからね」
アグネスタキオンが持ち出したのは、フラスコ。中に入っている液体は紫色で、何故かボコボコと沸騰している。加熱されているわけではなく、化学反応による気泡の発生。明らかに人体に影響を及ぼすであろう“ソレ”を見てダンツフレームが青ざめていた。
「タ、タキオンちゃんなにそれ……!?」
「これかい? 病み上がりでトレーニングに励むカフェのために用意した滋養強壮薬さ。まぁあくまでウマ娘に向けて用意したものだから人間にどのような効能を及ぼすかまでは未検証だが」
エヌラスはアグネスタキオンの手から“ソレ”を引ったくるように奪うと、一息に飲み干す。あまりにも自然な、躊躇のない動作だったものだから引き止める暇もなかった。
「ゲロまず」
タァンッ! フラスコを叩きつけるように置く。
「飲んだんだから文句言うなよ。次は?」
「──────」
アグネスタキオンが絶句している。ダンツフレームも開いた口が塞がらない様子で唖然としていた。マンハッタンカフェも目を白黒させている。
「──命の危険を考えたりしないのかい?」
「滋養強壮剤と言ったのお前だろ。摂取して命に危険が及ぶ代物じゃないことだけは確かだ。人体に害を及ぼすとしても、俺の場合は問題ない」
「根拠は?」
「腹壊したことねーもん。で、もうひとつの条件はなんだ?」
──血のように赤い瞳の奥底に宿る炎。虹彩の中に潜む狂気にも似た暗い炎を見た。
目の前にいる『オカルトハンター』がヒトの姿をした別の何かであると確信を得るには十分すぎるほどのモノを見た。だが、それは可能性を追い求めるアグネスタキオンの信念に反する。
仮説も、検証も、何もかも足りない。検体が足りない。サンプルがない。前代未聞の未知との遭遇に対して、頬が綻ぶ。意識もせずに口角が上がる。喉の奥から、腹の底から湧き上がる興味、好奇心が堪えきれず決壊した。
突如として壊れたように笑い出すアグネスタキオン。
逃すものか。誰にも渡すものか。この検体は、この人物は。決して他の誰にも譲れない。幸いなことにマンハッタンカフェにご執着なようだ。熱心なアプローチをかけていることは人生最大の幸運と言ってもいい。
「タ、タキオンちゃん?」
「──……あぁ、いや、失礼。私としたことが、ふふッ、いやぁ。こんなにも嬉しいことはない。エヌラストレーナー。もうひとつの条件は簡単なことさ。私のトレーナーになりたまえ」
「は?」
「えぇッ!?」
「いいのかそれ。基本的に専属だと思ってたんだけど」
「なぁに、真面目に指導してくれる必要はない。君の名前だけ貸してくれればそれでいいよ。トゥインクル・シリーズに出走するにはトレーナーがついていなければならないからねぇ」
「……ってことらしいんだが、どうする?」
「おっと、忘れていないかい? 君に拒否権はない、よってこれで契約は成立だ。いやぁ実に楽しみだよ」
「……ダンツ、まだトレーナーいないなら仮契約で名前貸すぞ?」
「え、えぇ!? まだいませんけどぉ……いいんですか?」
「いーよ、なんかもう、二人も三人も変わんねぇよここまで来ると。書類取ってくるわ」
エヌラスが旧理科準備室を離れると、マンハッタンカフェの鋭い視線がアグネスタキオンに向けられる。
「……どういうつもりですか、タキオンさん」
「そんな怖い顔をしないでおくれよ~カフェ~、元々私としても今回のトゥインクル・シリーズには興味があったからねぇ。仮説、検証、証明。実験の結果をこの目で確かめたいのさ。そのためにはトレーナーが必要になる。だから彼が君に接触してきたのは私にとっても実に好都合だった、というわけさ」
「貴方という人は……」
「何も君と彼の邪魔をするつもりはないよ。むしろ私も君のサポートに回った方が良いデータが取れそうだ」
「私もいいのかなぁ……」
ダンツフレームからすれば棚からぼた餅。瓢箪から駒。
確かにトレーナーの中には複数人を担当する者もいる。だが大抵の場合、担当ウマ娘が引退ないし落ち着いてきてからだ。トゥインクル・シリーズに出走するウマ娘を同時に担当するトレーナーなど早々いない。
体力もそうだが、トレーニングメニューの用意にレースの出走登録、それらの管理能力が問われる。うっかりでは済まされない。預かるのは全国各地から選りすぐりのウマ娘、それもレース界に名を残すであろう実力者達だ。そんなウマ娘を、ついうっかり、などで出走させられなかった場合ご親族の皆様にどんな顔向けをするというのか。
「カフェ。これは君の友人としての忠告になる──」
「……なんですか?」
「彼には気をつけた方が良い。どの程度気を許しているかはわからないが」
──あの瞳の奥に眠る暗い炎は、正気の沙汰とは思えない。
──彼の態度の奥底にあるのは憎悪の炎だ。
──常軌を逸した身体能力。『怪異』を相手取る『オカルトハンター』。
──ならば。彼もまた決して『ヒト』であるとは限らない。
──どれほど姿形が精巧に似ていたとしても。
「普通ではないことだけは確かだ。彼の本当の目的もわからないままだからね。もしそれが君を裏切る結果になった時、覚悟だけはしておいたほうが身のためだ」
──理事長室。
秋川理事長の前に立つのは、乙名史記者。
今年度開催されるトゥインクル・シリーズは例年と趣が変わっていた。シンボリルドルフの無期限出走停止、再走は未定。そのニュースはメディアでも騒然となり、レース界に激震が走った。
だからこそそれを上回るインパクトで塗替えしてしまおうという考えだ。
しかしそう簡単に“無敗の七冠バ”を超えるウマ娘が現れるとは思えない。
ならば、決めてしまえばいい──歴史に残る“最強”を。
ならば作り出してしまえばいい──“伝説”を。
そのためにはメディアの協力が不可欠。ファンの声援が必要だ。
「──それは、本当ですか秋川理事長!」
「うむッ! 本年度の『トゥインクル・シリーズ』は君たちメディア主催という形で開催してもらいたい! 題して──『トゥインクルスタークライマックス』だッ!」