選抜レースに出走するウマ娘たちの中でも、やはり彼女は注目の的だった。それもそのはずだ。誰もが彼女の名前を知っている。彼女の家を知っている。その一族の功績を知っている。
一族が送り出した“血の結晶”──レース界を変える歴史の変換点がようやくお披露目となった。その担当となることは如何なるトレーナーであっても至宝の夢。ウマ娘だけでなく、トレーナーとしても箔がつく。高みへと昇るに違いない。そんな確信めいたものがあった。
しかし、彼女──ドゥラメンテと契約したのは無名の新人。功績も何もない、まったくの素人同然である新人であることに会場はざわめいていた。
「どういうこと!? 彼女のトレーナーとなるのは私のはず……!」
「そんなまさか……一体誰なんだ、彼女のトレーナーは……」
観衆の声を聞き流す柊は、フードタオルをかぶって人目を遮る。ある意味では、ドゥラメンテよりもその姿は注目の的だった。
前回は惜しくも二着という結果に終わった。だが今回は──。
ゲートイン前。ドゥラメンテは深く息を整えていた。緊張感が無いと言えば、嘘になる。だが一族の“誇り”として、“最強”を示すための第一歩はここから始まる。始めなくてはならない──そう考えるだけで闘争心が抑えきれなくなる。
「──ドゥラメンテ」
「……?」
柊に呼ばれたドゥラメンテは一度だけゲートを見てから、足早に駆け寄った。
「どうした?」
「手を出してくれ」
言われるままに手を差し出す。柊は手を取り、重ねる。その姿は観衆の視線を一身に集めていた。好奇と、興味と、関心と、それに混じって嫉妬や怪訝なものまで。或いは、憎しみにも似たもの。ドゥラメンテは自分の心臓が緊張で高鳴るのを感じながら息を整える。
「──君のやりたいように走れ」
「……え?」
「一族の誇りを示すのも、目指すべき“最強”も、これから先の君と俺でやり遂げよう。だから今だけは、ドゥラメンテ──
勝てると信じて送り出す。霜天路柊は、トレーナーとして。指導者としてまず一番最初にやるべきことをした。
手を握り、言葉を投げかけて、その背中を押す。
「…………」
不思議そうにドゥラメンテは自分の手を見つめていた。
緊張で強張っていたはずの手の震えがなくなっている。
(……君は、どうしてそこまで私の走りを信じてくれるんだ?)
わからない。
だけど──ドゥラメンテは確かに、胸を焦がす闘争心とは別な熱に安心感を覚えていた。
足取りは真っ直ぐゲートへ向かっていく。一度も振り返らず、しかしやはり身体は緊張の糸が張り詰めていた。
ゲートが閉まる。
緊張感はある。だが誰でもそうだ。みんなそうに違いない。
自分だけが緊張しているのではない。
──みんな、“勝ちたい”のだから。
(だが……それでも──!)
“最強”は私だ。この身体に流れる“血”が沸き立つ。
──ゲートが開く。
観衆がどよめくのを尻目に、柊はレースの顛末を見届ける。第二コーナーを曲がり第三コーナー、大外から上がってきたドゥラメンテは最終直線まで脚色は一切衰えることなく突き放して──今度こそ、一着でゴールに辿りついてみせた。
「なぁ、アンタ。この間の……あれだろ? レース見ないで帰ったトレーナーだろ?」
「……そうだが」
「その、どうやって彼女と契約にこぎつけたんだ? 参考までに教えてくれよ」
「大したことはしていない。俺はただいつものように星を見ていただけだ」
声をかけてきたのは、以前話した相手だった。しかし柊は相手に興味など微塵もなく、駆け寄ってくるドゥラメンテに視線を向ける。
「柊トレーナー。私の走りはどうだった?」
「理想的な走りだった」
「──ドゥラメンテ! その、すごくよかったよ!」
「……ありがとうございます。柊トレーナー、こちらの方は?」
「知らない相手だ。行こう」
「あっ、ちょ……! くそ、なんだあいつ……!」
あわよくばお近づきに、などという下心から声をかけたトレーナーをあっさり見捨てて柊はドゥラメンテと共にその場を後にする。
「……よかったのか? 放っておいて」
「他人を上辺だけで押し量る奴に用はない」
その言葉の違和感に、ドゥラメンテが眉を寄せた。柊トレーナーがどういった人物なのかは、ダンスパーティーで父親から教えてもらった。だがそれ以上のことは何も知らない。
勝利の求道者──あらゆる障害を、あらゆる強敵を、なみいる強豪達をなぎ払い、ただ勝利の道を突き進む修羅。
だからこそ、弱者には見向きもしない。かける言葉も、割く時間も無い。だから容赦なく切り捨てていく。
そうして彼は、孤高となった。──父親に聞いた話だ。eスポーツチームに所属しながらも彼が仲間を頼ることはなかった。今でもそのチームは強豪に数えられるが、それでも例年見劣りする。それ故に揶揄されていた──「王者の威光が無ければ、そんなものか」と。
(……私も、弱さを見せたら切り捨てられるのだろうか)
そんなことを思う。少しだけ怖いと思った。だが、出走前にくれた言葉は確かに温かった。血の通った人の言葉だったから。
──メディア主催による『トゥインクルスタークライマックス』の開催は大々的に発表された。それはまさしく“最強”を決める『トゥインクルシリーズ』に相応しい趣向となっていたが、これはエヌラスも寝耳に水。確かに秋川理事長に幽霊騒動における対策は話したが、まさかこのような手段に出るとは思いもしなかった。だが好都合でもある。メディア力を借りて席巻することにより注目を浴びる形となれば認知度が高くなることで明確に“最強”のウマ娘が絞り込める形だ。
しかし今、エヌラスはとある問題に直面していた。
「……すいません。よく聞き取れませんでした。もう一度お願いします」
「こんな時ですが、実は──長期に渡るアメリカ出張で理事長がしばらく学園を空ける形となりますので……」
「秋川ァ! どういうことだぁッ!」
「危機ッ! た、たづなぁ!!」
理事長室から響く咆哮。ちょっと世間様に向けられない顔を秋川理事長に向けるエヌラスの前に立ちはだかるたづなが改めて説明する。
ウマ娘と言えど何も日本国内にしかいないわけではない。海外にも存在する。中央で言えばタイキシャトルやグラスワンダー、エルコンドルパサーといった具合に帰国子女や留学生といった具合に。ファインモーションのように複雑な事情がある娘だっている。つまりはそうした打ち合わせだ。
「いや、まぁ、いい、この際そこは深く聞かない。理事長にも仕事があるだろうからな。ただ問題はその不在の間、誰が学園の面倒見るのかって話だ」
「それについてはURA幹部職員より理事長の代理人を派遣してもらう手筈が整っていますのでご安心ください」
「うむ! 実績のある信頼できる人物だ! 何よりウマ娘を心から愛している!」
「……ちなみに理事長、どんくらい出張すんですか」
「数年!!」
「秋川ァッ!!!」
理事長は半泣きになった。たづなもその気迫に硬直した。この人顔が怖すぎる。
──というような話があったのが一週間ほど前。
「URAより出向してきました、理事長代理人を務めさせていただきます、樫本理子です。どうぞよろしくお願いします」
──秋川理事長が飛行機で海外に飛んで行き、入れ替わるように代理人として来た理事長代理人と職員ならびにトレーナー達との顔合わせがあったのがつい先日の出来事だ。
「中央は自由過ぎる校風に問題があります」
──そして本日。波乱の幕開けである。
体育館に集合したウマ娘達に向けて宣言されたのは、着任した樫本理事長代理による『管理教育プログラム』だった。
ウマ娘とトレーナーの連携不足の指摘に始まり、自主トレーニングの禁止、開始時刻の徹底不足、睡眠時間の把握不足。
トレーニング内容から始まり、食事内容。ゆくゆくは私生活へも施行される内容にはウマ娘達から大ブーイングの嵐。
その話はトレーナーである柊や號、エヌラスも初耳だった。
「……すぅー」
「……エヌラスさん。耳塞いだほうがいいですよ」
「は? なんだ急に」
息を胸いっぱいに吸い込む弟の姿に、柊はそっと自分の耳を塞ぐ。口を半開きにして。それは対ショック姿勢では? エヌラスが訝しんだ直後──。
「━━異議ありッ!!!!」
──ギィィィンン……!
爆弾が爆ぜた。体育館を震わせる一喝、その声量を拾い上げた壇上のマイクがハウリングを引き起こしてノイズを走らせる。鼓膜がぶん殴られたような衝撃で耳鳴りに顔をしかめたエヌラスの顔はちょっと中等部が泣きそうな顔になっていた。
樫本理事代理も目を白黒させて固まっている。
「ちょ、ちょっと君。相手はURA幹部職員の……」
「知ったことかァ!!! それがどうした! 俺の教育方針に反する、だから異議を唱えるッ! 相手が誰であろうか俺は知らんッ!!!」
犬歯を剥き出しに吠え立てる號に、柊はため息を吐いていた。
「……お前の弟はいつもこうなのか?」
「いつもこうですよ、コイツ……」
他の職員が青ざめた顔で引き止める腕を振り払い、生徒たちの間を抜けながら吼える。
「自己紹介させていただく、俺は霜天路號! 地方トレセンより転属となったトレーナーだ! 樫本理事代理、俺は『管理教育プログラム』に対し、徹底抗戦の意思表明をさせていただくッ!!! 自由な校風大いに結構ッ!! それがウマ娘の個性を引き伸ばす要因であるのなら容認すべきだッ!! 秋川理事長が貴方を指名したからには貴方には相応の信頼と実績があるッ! だがっ! 俺は! 管理教育プログラムの施行だけは絶対に許さんッ!!!」
登壇し、樫本理事代理に號は指を突きつけた。
「撤回を求めるッ!!!」
「……いいえ。これは決定事項です」
「俺は譲るつもりなどないッ!」
「では、もしもです。その自由な校風であるが故に、自主トレーニングで“勝ちたい”と思うあまりウマ娘が怪我を負った場合。貴方は──どのように責任を負うつもりですか」
「その指摘には矛盾が生じる。樫本理事代理、貴方の言う『管理教育プログラム』における目的がウマ娘の才能の向上、ならびにケガのリスクの低下であるというのなら、トレーニング内容に応じた自主トレーニングの裁量を推し量るのもまたトレーナーの役割だッ! 違うかッ!!」
「────」
「ここにいるウマ娘の全員が才能を持つというのであれば、俺達トレーナーはその素質を開花させるべく尽力するのが仕事だッ! 徹底管理された教育の下で才能が向上するというのが貴方の教育方針であるというのであれば、俺と勝負しろッ!」
「……いいでしょう。勝負内容については」
「『アオハル杯』だ!」
その一声に、ウマ娘がざわめく。
──授業の中で聞いた、チーム対抗戦。だが『トゥインクルシリーズ』との並行開催で相次ぐ出走辞退によって風化していった。成績に記録されることもない学園内対抗戦。
しかし、チーム一丸となって互いに切磋琢磨する形で謳歌する青春はウマ娘たちにとってかけがえのない思い出になる。
「『短距離・マイル・中距離・長距離・ダート』の五部門に分かれたメンバーによる対抗戦! 貴方もトレーナーであるというのなら異論はあるまいなッ!!」
「……いいでしょう。私が勝利した場合には、管理教育プログラムを施行させていただきます。それまでの間、施行を延期しましょう」
「おい兄貴ッ! 聞いてのとおりだ、アンタも文句はないだろうなッ!!!」
そこで俺に振るのか。柊はフードタオルで顔を隠すようにしてため息を吐く。ウマ娘たちの視線が殺到していた。ついでに言うと他のトレーナー達の視線も。
「……お前のやりたいようにやれ」
「ぃよぉぉぉしッ!!!! 言質取ったぁぁぁぁあああっ!!!」
若干投げやり気味な一言に、號は天高く拳を突き上げて歓喜の咆哮をあげる。
「──今ここに、『アオハル杯』の開催を宣言するっ!!! 中央のウマ娘諸君、自由を掴み取るために走る意思をチームで示せっ!!
行くぞぉぉぉッ!!! トレセーンッ!」
━━ファイッ、オォォーッ!!!
体育館の窓ガラスが割れんばかりの声量でウマ娘達が拳を突き上げる。律儀にも號は樫本理事代理に深く頭を下げてから壇上から降りていた。
その姿にウマ娘たちから拍手喝采が巻き起こっている。
「……オメーの弟はあれか? 革命家かなんかか?」
「アイツ多分なんも考えてませんよ……」
本当に恥ずかしいからやめてほしい。柊は目頭を押さえていた。