──翌日。
柊のトレーナー室の扉が軽くノックされる。新たな訪問者の姿にキタサンブラック達は目を丸くした。
「どもども〜。トランセンドだよ〜。今日からチームのダート担当になるからよろしくね」
あっさりと見つけてきた新メンバーと、柊の顔を交互に見つめるドゥラメンテ。どういった繋がりから勧誘したのか思い当たらない。
「その、柊トレーナー。どうやって……?」
「ぃやー、トレちゃんがさぁ。ウチに勝負持ちかけてきたの。まぁゲームだったんだけどね」
「あぁ……」
納得した。
キタサンブラックとサトノダイヤモンドのことは事前に知っていたのか、早くも打ち解けている。挨拶代わりなのか、手をワチャワチャと叩き合いながら笑っていた。
「残るは短距離のウマ娘だけだな」
「それについてウチから質問。誰かお目当ての娘はいる? もし必要なら情報出すよー」
「タダじゃないだろう」
「もち」
「最有力候補として──ダイイチルビーに目をつけている。が、彼女のトレーナーは一流であることが求められる。試験期間にして三十日。そんな悠長な真似はしていられない」
「それでしたら、次のサトノ家のお茶会で私の方から彼女にお声がけしましょうか?」
「いや、結構だ。今後機会があれば、という程度に留めておく」
申し出を丁重に断り、柊は次点で候補に挙げていたウマ娘の名前を出した。
「俺が勧誘しようと思うのは──ケイエスミラクルだ」
「……いや、いやいやいや。トレちゃんさ、その子めちゃくちゃ難易度高いよ? どういう子か知ってる?」
「知ってる」
「短距離やれる娘なら他の娘紹介するからさ。ほら、例えばバンブーメモリー」
「彼女は號が目をつける、却下だ」
「ニシノフラワーちゃんとかさ」
「すでに他のチームに勧誘されている」
「デュランダル」
「彼女も候補者だが、優先順位が低い」
「……カルストンライトオ」
「制御できる気がしない」
他にもサクラバクシンオーやカレンチャンの名前を出すが、即座に却下。
なんの考えもなしに候補に挙げたわけではないことくらいトランセンドにもわかる。だが、彼女がどういったウマ娘で、その背景にどれほどの物を背負っているか。そしてその危うさが故に、担当トレーナーとなることがどれだけ難しいものなのか。
「……本気なの?」
「彼女と仲が悪いのか?」
「や、まともに話したこともないけどさ。なんでその子なのか理由聞かせてもらってもいい?」
「彼女の走りを見た。それだけだ」
「あの子さ。滅茶苦茶危ない走りするじゃん」
「……好きだろう? そういう“ゾクゾク”するの」
トランセンドの頬が引きつる。否定しようとしたが、否定できなかった。
「トランセンド。見たいと思わないか」
「何を?」
「あの“奇跡”が、最高に輝く瞬間を。特等席で」
──見たくないと言えば、嘘になる。そして、このトレーナーならそれを見せてくれるという期待があった。どんな奇跡を見せてくれるつもりなのか、頬が思わずゆるむ。
柊はメモ帳を取り出し、メニュー表に書き写していく。それらをバインダーに綴じると、ドゥラメンテに差し出した。
「彼女の勧誘が終わり次第戻る。それまでは頼んだ」
「わかった」
最低限の会話で済ませ、柊はすでに行動を始めている。
「噂には聞いてたけどさ。柊トレーナーってあんま話さないよね」
「そうですか? あのエヌラストレーナーとはよく話してるところ見かけますけど」
「あれは話してるっていうか絡まれてるんじゃないかなぁ。ドゥラちゃんはどう?」
「確かに私もよく見かけるが仲が悪いとは思えない。弟さんと三人で話している姿は、とても楽しそうに見える。それよりも、トレーニングの時間だ。行こう」
あのトレーナーにしてウマ娘あり。似た者同士と言われるわけだ。
──ケイエスミラクルの走りをひと目見た。
トランセンドの言っていた「危ない走り」というのは、自らを顧みない走りのことだ。それは何も事情を知らなければ、ただただ圧巻の速さをみせるだけだっただろう。事実、何人かの新人トレーナーは彼女に契約を持ちかけようと考えていたらしい。だがそんな危険な走り方をするウマ娘を担当して、実績も実力もないトレーナーが果たして本当に止められるかどうか。
結果、ケイエスミラクルを担当しようとする新人は先輩たちに引き止められていた。
「あの子が本当に無茶をしようとした時、お前は止められるのか?」と。そんな自信も実績もない
なぜなら、ケイエスミラクルの走りに自分を重ねたから。
『止まらない』ではなく『止まれない』──そんな走りに。
中央トレセン学園のトレーニングコースに、その姿はあった。
短距離コースを走る姿に声をかけようとする柊を遮るのは、見るからに屈強な体格のトレーナー。だが、その姿は異彩を放っていた。エヌラスとは別なベクトルで目立つ。
「ぉ待ちなさいッ!!!」
背丈は高く、肩幅も広い。褐色の肌は生まれつきのものではなく、健康的な小麦色。しかしその肌艶は日光を浴びて輝いていた。香水の匂いに柊は顔をしかめる。
明らかに体格は男性だがどうにも女性的な印象が拭えない。
よもやまさかと疑り深い視線を向けると、バッチバチのまつ毛。
綺麗にリップを塗りたくって潤った唇がニッコリと笑みを浮かべた。ピッチピチのシャツとベストは窮屈そうにしている。筋骨隆々の相手に猜疑の目。
「そんな目をしないでちょうだい! 貴方、柊トレーナーでしょ! アタクシのことは“カオルちゃん”と呼んでちょうだい! 號トレーナーから聞いてた通り、ちょっと陰気なコね!」
オカマだった。
強烈なオカマだった。
視覚的にも嗅覚的にも鮮烈なインパクトで夢に出そうなオカマだった。
目を閉じたら幻覚だったりしないかと思い、柊がゆっくりと目を開ける。
金剛力士像のようなオカマが立っていた。
ハキハキとよく喋る相手に、目頭を押さえる。
まさかと思い、相手の服装を観察していくとトレーナーバッジが確かに付いていた。
「これが中央か……」
「そうよ、これが中央よっ! 安心なさい、アタクシはアナタの味方! ウマ娘ちゃんの味方! 夢と努力と汗と青春の味方よ! そしてそれを見守り、世に送り出すトレーナーの味方! だからアタクシは號トレーナーの味方でもあるわ! イイ男じゃない、素晴らしいわっ!」
「……そっすか」
圧が強い。存在感が強い。なんというかもう、全部強い。できれば視界に入れたくない。だが自分を遮る形で立っているトレーナー、カオルちゃんに柊は苦虫を噛み潰した顔を向けていた。マジでそっち方面からお近づきにだけはなりたくないので距離を置きたかったが、相手は歴戦のトレーナーの風格。化粧のせいか年齢不詳、推定して三十代後半から四十代といったところだろう。
生命力の塊のような相手を決して無碍にできないのは、どことなく弟に似たものを感じるからか柊は息を整えて向き合う。
「あの、カオルさん」
「カオル“ちゃん”よ」
「……カオル先輩」
「ノンッ! カオル“ちゃん”で結構よっ!」
「…………カオルちゃん」
「んあぁ遠慮しないでいいのよ柊トレーナー! 言わなくてもわかるわ。貴方もアオハル杯に向けてスプリンターを勧誘にきたのよね? ──ケイエスミラクルちゃんを誘う気ならやめておきなさい。あの子を担当するなら相応の覚悟をしなければならないわ」
なぜ覚悟の是非を問われなければならないのか。柊の訝しむ表情に、カオルちゃんは余裕を含んだ笑みを向けている。
「アナタ、あの子の走りを見てどう感じたかしら? ほとんどのトレーナーは「すごい速さ」だと言うでしょうね。でもね、ケイエスミラクルちゃんの走りはとても危険なものよ」
「知っています」
「柊トレーナー、アナタの担当はドゥラメンテちゃんのはずでしょ? アオハル杯に参加するとしても、短距離が彼女である必要は?」
「あります」
間髪入れず即答する柊には、カオルちゃんも態度を改めた。
「恐らく、彼女の走りを支えられるとしたら俺だけです」
「そう断言する根拠は?」
「俺と同じだからです」
彼女が、なのか。それとも──彼女の走りが、なのか。カオルちゃんは目を細める。
「彼女を止めるつもりはありません。ですが、あの『奇跡』を制御できるとしたら俺だけです」
「……柊トレーナー。アタクシが思うに、アナタ──」
「引き止めていただいてありがとうございます。それでも俺は、ドゥラメンテが望むのなら“最強”のチームを作りたい。そのためにもケイエスミラクルの『奇跡』が必要です。これ以上の理由が必要ですか」
頭を下げて、カオルちゃんの横を抜けようとする柊が呼び止められた。
「──お待ちっ。本気でケイエスミラクルちゃんを勧誘するのなら、これを持っていきなさい」
手渡されたのは分厚い書類の束。それは最新のトレーニングケア方法、少食の人向け栄養管理資料だった。それを大事に持ち歩いていたカオルちゃんが、どれだけケイエスミラクルのことを気にかけていたのかがわかる。通常、これらの資料を外部から取り寄せる場合は日数を要してしまう。
柊は不思議に思った。なぜカオルちゃんは彼女の育成の助けになる資料を持ち歩いていたのか。
「なぜ貴方がこれを?」
「なんでだと思う? ふふ、やーだもぅ! 乙女の秘密は探らないのが良い男よッ! おーっほっほっほッ!」
乙、女……? 柊は渾身の疑問符を浮かべるが、相手をしている時間が惜しい。できるかぎり記憶の彼方に投げ捨てることにした。
遠ざかる後ろ姿は迷いのない足取りをしている。
(柊トレーナー。アナタも『止まれない』足取りをしているのは、彼女と同じように『奇跡』の上に立つ命だからなのね)
弟ほどではないにせよ、柊もトレーナーたちの間で噂になっていた。
あのドゥラメンテを担当している新人はどんな人物なのか、と。例に漏れず、カオルちゃんもそうだった。
しかし新人とは思えないほどに、彼は迷わない。躊躇わない。まるでレース中のウマ娘たちのように。──或いは、そんな時間すら自分には残されていないかのように。
「アタクシはウマ娘ちゃん達の味方。そしてそのトレーナーの味方。──アナタの『奇跡』、見守らせてもらうわよ」
──種目別競技を終えたケイエスミラクルのもとへ真っ直ぐ向かう。彼女に声をかけようとするトレーナーの姿は、他にはなかった。それどころか柊を引きとめようとする。しかし、その手を見向きもせずにすり抜けて、膝に手をついて息を整える青い髪のウマ娘に歩み寄った。
「……。あの、おれになにか……?」
「ケイエスミラクル。アオハル杯、うちのチームのスプリンターになってくれないか」
最初、その言葉の意味を理解していなかったのか呆然と柊の顔を見つめる。
「でも……どうして、おれに」
「俺も君と同じように『奇跡』の上に立っている命だ」
「──!」
驚きに目を見開くケイエスミラクルに柊は手を差し伸べた。
「貴方も、おれと同じ……──」
「だからもし、君の『奇跡』を扱い切れるとしたら俺だけだ」
「ぁ……、でも──」
「君がどういったウマ娘であるのかは知ってる。俺は新人だし、なんの実績もないトレーナーだ。だがそれでも──」
──父に言われた。やりたいように生きろ、と。
──母に言われた。自分の好きなことを見つけなさい、と。
──医師に言われた。いつまで生きられるかわからない、と。
それは、どれだけの『奇跡』なんだろう。
それは、いつまで続くのだろう。
いつまで自分は生きられるだろう。──わからない。明日さえ迎えられる確証はない。
それでも生きたいと思う。最期まで前に進みたい。
どれだけ理不尽な死が待っていたとしても、この命がある限り『止まれない』。
「俺は君を止めない。止まらないのならそれでいい。止まれないのなら、それでもいい。俺も立ち止まるつもりはないからだ」
「──────」
「君の担当トレーナーになることは厳しいが、それでも──」
「──お願いしますっ」
柊の言葉を待たず、ケイエスミラクルは手を取り頭を下げていた。
青い瞳に透き通った涙を浮かべている。
「あの、おれ。おれ……がんばりますっ! だから──、よろしくお願いします!」
「あぁ。よろしく、ケイエスミラクル。ひとまず一度休憩を入れた方が良い」
「──あ。すいません、おれ……走り終わって、そのままで……!」
「いや、こちらも終わったばかりなのに声をかけてすまない」
自分が汗だくなままで柊に近づいていたことに気づいて、ケイエスミラクルは慌てて手を離して距離を置いた。
柊は特に気にせず、集合場所を伝える。しっかりと休んでからでかまわない、と付け加えて。詳しいことはそこで伝えると言い残すと、すぐにその場を後にした。