──夜の学園というのは不気味なものだ。
ましてや、幽霊騒ぎまで起これば絶好の心霊スポット。
いささか季節外れの肝試しにもうってつけ。スリルを求めて学園に忍び込み、一夜の恐怖体験に身を乗り出す……ウマ娘の姿はなかった。それもそのはずだ。怖いもの見たさで忍び込むまでもなく、目に見える形でそれより怖いものがいるのだから。
そう。今や中央の有名人(一部)となってしまったエヌラスである。
本来であれば、宿直勤務はローテーションが組まれる。しかし昨今の幽霊騒ぎを裏づけるかのような証言が教師陣から出てきてしまった。とはいえ実害が及んだ、という話ではなく単純に業務に支障が出るという理由からエヌラスが買って出た。たづなさん公認で。
元々そちらが本業だけに、好都合でもある。教師陣からも感謝された。もはや完全に学園で寝泊まりしていると言ってもいい。
(まぁトレーナー寮に帰ってもやることねぇしなぁ……)
夜の学園を懐中電灯片手に歩き回る──ことはなく。エヌラスはポケットに手を入れたまま廊下を歩いていた。日が沈んでからはサングラスもお役御免、裸眼で校内を見て回る。
中央で生活するようになってから気づいたことがあった。それは、学園の至るところに付着している黒カビにも似た瘴気が、他には無いこと。此処でしか見られないことにエヌラスはますます疑問が重なる。
地方にもトレセン学園はあることは號の言葉からもわかる。近隣で言えば船橋トレセン学園だって存在しているし、そこからの特別留学生であるフリオーソだって確認していた。だが、やはりそれでも中央にしか見られない現象だ。
(このまま調査に進展なしだと、流石にまずいよなぁ)
たづなにもそれは報告してある。だが「気にしなくてもいい」と言われた。幸いなことにトレーナーとしても警備員としても役立っているから本業は二の次でもかまわないとのことだ。それはそれで複雑な心境だが。
「はぁ……」
ため息を吐くと幸運が逃げるとは言うが、じゃあなんだ? 深呼吸すれば幸運にでもなんのか? エヌラスは逆ギレしながらも学園内を見て回る。
校内に忍び込んでいる生徒はいないか。不審者はいないか(俺以外)。
昼間はウマ娘達で華やかで賑やかな学園も、人がいなくなれば水を打ったように静まり返っている。窓ガラスから差し込む陽射しも今は青い月明かりが差し込み、物陰の一層暗い影に“何か”が潜んでいるのではないかと恐怖心を煽るものだ。
夜風で震える窓枠も。視界の隅に映る人気のない教室も。揺れ動くカーテンも。足音が吸い込まれるような暗闇が広がる廊下も。どこからか聞こえてくる物音も。心霊スポットとして絶好のロケーションだ。これで廃れていれば完璧なのだが──……物音?
(……ん?)
耳を澄ませる。なにか、不思議な音楽が聞こえてきた。
こういう時、定番なのは音楽室のピアノが独りでに鳴るものだが、エヌラスの耳に届くのは不思議な曲だった。それは楽器で鳴らされるというよりも、より人工的な電子音で奏でられるメロディーで、明らかに心霊現象とは結びつかない。
音の出所を探る。窓に近づくと風に乗って聞こえてくることから、外からのようだ。少なくとも校内ではない。階段に足をかけて上階へ向かうと、よりはっきりと聞こえてくる。
(設備の故障か?)
そうなると業者に連絡しないといけないのだが。エヌラスは増える面倒ごとにため息を再び吐きながら屋上へ続く階段を登り、扉の鍵を開ける。
──そこにいたのは、一人のウマ娘。どことなく見覚えのある後ろ姿。
ちょっと変わったウマ耳とゆらりとアンテナのように立つアホ毛。
夜空に向けて両手を伸ばしていた。まるで『交信』でもするかのように。
「……ネオユニヴァース? なにしてんの君、ここで」
後ろから声をかけられて驚くかと思いきや、そうでもなかった。相変わらず表情の読み取れない顔でネオユニヴァースは振り向くと、首を傾げる。
「“WHY”? ……失われた『繋がり』を求めてるよ」
相変わらず少し難解な言い回しをしてくるウマ娘にエヌラスは腕を組み、周囲を見渡した。他に人影はない。
「君一人だけか? なんか妙な音が聞こえてきたんだが……」
なにか異変でもあったのなら、と思う。しかし、ネオユニヴァースは不思議そうに首を傾げてからスマホを取り出した。
「この音?」
そう言って鳴らされるメロディーに、エヌラスは頷く。
どうやらネオユニヴァースが鳴らした曲が聞こえてきていただけらしい。とんだ肩透かしを喰らったことにエヌラスが肩を落とす。幽霊騒ぎでもなんでもなかった。とはいえ、それとはまた別な問題が出てくる。
「そう、その音。なんだ、君が鳴らしてただけか。……で、質問」
「“QUES”……?」
「君、こんな時間にここでなにしてんの。門限あるでしょ、寮の」
「──アファーマティブ。『門限』は理解している。まだ間に合うよ」
間に合うどうこうではないのだが本人が大丈夫と言っているなら大丈夫なのだろう。なら一番の疑問は、夜の屋上でなにをしているのか。本人の口から『交信』をしていると言っていたが、エヌラスは再び夜空を見上げてみる。
晴れ渡る夜空には星が瞬いていた。満天の星空に欠けた月がひとつ浮かんでいる。
「……『断絶』された“繋がり”を求めてる。『コネクト』したい。それは手段、目的はその先にある……『???』……」
「あー、んと……」
聞き慣れない言葉、というよりもネオユニヴァース自身言語化に失敗したような発音にエヌラスは頭を悩ませた。ただなんとなく言葉のニュアンスから相手の感情を察することができる。
「つまり君は……トレーナーを探してるってことでいいか? 君の目的を達成するために」
「────アファーマティブ」
多少コミュニケーションに難儀するが、ネオユニヴァースは悪いウマ娘ではない。ただちょっと独特な言い回しをするだけで。
(とは言っても、俺もさすがにこれ以上担当増やせないしなぁ……)
だからといって放ってもおけない。だがせめてなにかしてやれないか、と言うだけ言ってみる。
「ネオユニヴァース。そのー、君が良ければ『居場所』を用意できるがどうする?」
「『居場所』?」
「そ。アオハル杯のチームだ。そこで活躍すれば君と『コネクト』したがるトレーナーが現れるかもしれない。『アンテナ』を張り巡らせるのも大事だと思うんだが」
「……チーム……『アンテナ』……“NAME”は?」
「〈キャロッツ〉だ。明日来てくれたらみんなに紹介する」
エヌラスの言葉を反芻するようにネオユニヴァースは夜空を見上げて考え込んでいた。それからしばらくして、深く頷く。
「……アファーマティブ」
「それはよかった。今日はもう遅い、早く帰った方が良い」
「うん。『従う』をするよ」
「校門まで送る。最近物騒だからな」
主に幽霊とか幽霊とか悪霊とか超自然的現象とか。
その申し出に、ネオユニヴァースは微笑んだ。
「“TNKY”……『感謝』をするね」
「どういたしまして。ほら、行こう」
屋上の鍵を閉めて、階段を降りる。
三階から二階へ降りようとした時、不意にネオユニヴァースが立ち止まった。遅れてエヌラスも止まり、二段上の相手を見上げる。
「…………」
「どうしたんだ、ネオユニヴァース? なんか忘れ物か?」
それなら急いで取って来なければならない。そんな思いとは別に、なにを思ったのかネオユニヴァースはエヌラスにぐっと顔を近づけてきた。それには驚き、離れようとしたが足場は狭い階段。そのうえ、逃さまいと相手は頬を掴んできた。
感情の読み取れない無機質な顔。どこか神秘的な雰囲気を醸し出している青い瞳と見つめ合う。鼻先が触れそうなほど、相手の吐息が感じられるほどの距離にエヌラスは息を止めていた。
「……“シュレディンガー”……ううん、『アストラル』? ネオユニヴァースは“触れる”をしている。だから此処にいる実体……でもどこに?」
不思議そうに。心底疑問に思いながら、エヌラスの頬をむにむにと引っ張る。痛くはないが、むしろ小さな手は柔らかくて気持ちいい。
「────あなたは、なに? ここにいるのに、どこにでも行ける? ううん、でも……或いは……“断絶”された『交信』の“鍵”?」
ネオユニヴァースの言葉に息が詰まる。
相変わらず感情の読み取れない顔に、エヌラスは何も答えなかった。
「やっぱり“不思議”を感じる。でも……悪い人、じゃない。だから“信じる”をしたい」
手を離すと、何事もなかったように階段を降りていく。
「……──俺からすると、君もやっぱり“不思議”なウマ娘だよ」
ネオユニヴァースを校門まで送り届け、まっすぐ寮に戻るように言うとエヌラスは柱に背中を預けて深く息を吐く。
どうしてこう、地球には必ずと言っていいほど自分の正体に勘づく相手がいるのか。もうやだ地球怖い。というか日本怖い。
気を取り直してエヌラスが立ち上がると、生徒会室に明かりが点いているのが見えた。肩を落としながら気分転換がてら早足で向かうことにする。
──生徒会室の扉をノックしてから、扉を開けるとそこには居残っていたシンボリルドルフとそのトレーナーである神無月國弘が書類を仕分けていた。
「こんばんは~、っと。誰が残ってるのかと思ったらルドルフ会長と國弘さんか」
「やぁ。エヌラストレーナー。すまないね、こちらはもう少しで切り上げるところだったんだ」
「宿直勤務、ご苦労さま」
「やー、いいのいいの。俺はこういう仕事の方が気楽でいいんで」
あっはっは、と中身のない笑いで茶を濁す。
「しかしルドルフ会長、相変わらずすげー仕事の山だな」
「うん、情けないことにね。こうしてトレーナーくんの力を借りている状態さ。君も新しい担当の指導で忙しいだろうに」
「何を言っているんだ。それを言ったら君の方だってそうだろう」
「まぁ俺としては、うら若い乙女と異性が夜遅くまで校舎に残っていることのほうがどうかと思いますが」
いや今ちょっとさっき人のこと言えない状況だったんですけどそこは棚に上げておく。
エヌラスの言葉にシンボリルドルフと國弘が顔を見合わせてから、顔を赤くしてそっぽを向いた。お互いそこまで意識していたわけではないだろうが、他人に指摘されてようやく恥ずかしさが込み上げてきたらしい。
「俺になんか手伝えることがあれば手伝いますけど? どうせ学園の見回りなんて後でいくらでもやれるんで」
「ほ、本当かい? それは助かるよ。うん、実に助かる。そうだろう、國弘トレーナー」
「あぁ、うん、まったくもってそのとおりだな。うん、ルドルフの言う通りだ。そうだ、折角だからここで少しお茶にしないか? 君もずっと働き詰めだっただろうし、ひと休憩といこう! エヌラストレーナーも来てくれたことだし、お茶のひとつ出さないのもなんだろう?」
早口でまくし立てながらテキパキと書類を片付けて早速國弘は勝手知ったる生徒会室でお茶の用意を始めていた。シンボリルドルフもわざとらしい咳払いを挟んで執務机から立ち上がる。
向かい合う形で備え付けられているソファー、その間にはローテーブル。茶菓子と紅茶を三人分並べて一服。
「ルドルフ会長、あれから体調になにか変化は?」
「至って健康。念の為医者にも診てもらったけれど、特に異常なし。健康体であると太鼓判を押されているよ」
「それは何より」
「私なりに考えたんだ。もしこれから先、走れなかったとしたら私はどう道を選ぶべきか──とね。そこで今回の『トゥインクルスタークライマックス』の開催を受けて、トレーナーとして後進の育成に注力してみるのもいいかもしれないと考えたんだ」
シンボリルドルフは笑顔を見せるが、どこか寂しげに思える。無理もない。トゥインクルシリーズで快挙を成した矢先の出来事だったのだから。まだまだこれからも走り続けていく──そのはずだった未来を奪われて、平気なはずがない。気丈に振る舞っているが、それでもやはり本心は悔しさと寂しさがあるはずだ。
「──ルドルフ。きっと治る。必ず治るさ」
「……國弘さん。この幽霊騒動について、どこまで知ってる?」
「にわかには信じがたいが……現実に起きている以上、信じるしかない。ルドルフの脚を奪った相手を私は許さない。一連の騒動については、全部ルドルフから聞いている」
トレーナーとして当然の態度に、エヌラスは紅茶を口に含みながら思案する。
「──これはあくまで俺の仮説だが。治す手段があるとしたら、奪った相手に勝つ以外にない」
「だが相手は正体不明で神出鬼没。どのように仕掛けてくるかもわからない」
「そのことだが。ルドルフ会長は三女神像の前で襲撃されただろ? となると、次にそいつが仕掛けてくるとしたら恐らくレース場だと思う」
「その根拠は?」
「考えてもみてくれ。そもそもそいつは“無敗の七冠バ”を打ち負かすほどの脚の持ち主だ。となれば今度は引きずり込むまでもなく直接勝負を仕掛けてくる」
暗闇に引きずり込んだのは、おそらく自分に優位な場所を用意するためだ。今度はそれが不要となったと考えれば妥当なところだろう。問題はその読みが外れて同じ手段に出た時だ。
「勝負の方法に関しても、そいつは“走る”ことに固執している。こいつに勝つとなると、並の実力じゃ無理だろうな。『クラシック三冠』や『トリプルティアラ』でも厳しいと俺は見る」
「なら一体……──いや、まさか……そんな逸材が現れるのか? “無敗の七冠バ”を超えるウマ娘が現れたら、それこそまさに歴史がひっくり返るぞ──!?」
「現れてもらわないと俺が困る」
相手の力量を見誤ることなく、冷静に分析したからこその掛け値なしの評価。
「……國弘トレーナー。“絶対”は無いよ、レースの世界においてね。だから私の記録は、いつか誰かがそれを打ち破ると信じている」
「…………ああ。そうだな。君の言う通りだ。だが、だがもし……そんなウマ娘が現れなかったらどうするつもりなんだ」
「そん時は……まぁ、俺が走るくらいしかねぇかなぁ?」
ポカンと間の抜けた顔でシンボリルドルフと國弘が固まっていた。やがて、それを場を和ませるための渾身のジョークだとでも思ったのか笑い出す。
エヌラスもまた、そんな二人につられて茶菓子を頬張りながら笑っていた。
──そんな日が来ないことを願いながら。