星霜の影を踏みしめて   作:アメリカ兎

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夜を駆ける闇

 

 生徒会室で一服終えたあと、エヌラスは國弘とシンボリルドルフの仕事の後片付けを手伝った。家でできる仕事は持ち帰って続きをやろうとする二人にエヌラスは厳しい目を向ける。

 

「残業はクソ。労働時間っつーのは大事だ。こっからここまで御社のために働きます、っつー契約だ。だからその規定の時間内に終わらねぇ仕事ぶん投げてくる上司は総じて無能だ。なぜなら時間の配分の把握ができてないんだからな」

「……ものすごい火の玉ストレートな意見だ」

「というかエヌラストレーナー、なぜそんなに残業に憎しみを?」

「借金のカタに百時間ぶっ続けで仕事させられた経験者からしたらまともな労働時間ってのは慈悲に思えてならなくなる」

 それは借金した貴方が悪いのでは? というか労基はどこ? 深く聞こうと思った國弘だったが、ヘドロのような疲労を滲ませる吐息に聞くに聞けなくなった。

 

「労働環境の改善ってな、國弘さん。無理やって仕事終わらせてたらむしろ悪化するんだ。だから仕事なんて手付かずで帰ってもいいんだよ」

「いや、しかしだね……」

「いーんだよ仕事なんかやんなくたって死なねーんだから」

 俺のように。謎に自信満々な表情で自分を指差すエヌラスの姿を見て、妙な説得力がある。いやちょっとこの人稀有な例かもしれないけども。

 

(ん? というか借金のカタに百時間労働……?)

 いったい総額いくらになるのか。最低賃金額だとしてもその百倍なので相当な額の気がする。好奇心で尋ねてみた。

 

「その、いったい幾ら借りて……」

 エヌラスは、ただ“ニッコリ”と笑顔を向ける。その貼りつけたような、絵に描いたような笑顔だけで國弘は口を閉ざした。聞いてはならないような気がして。

 

「はいはいはい、いいから片付けて帰る。家でやる仕事なんかクソほども役に立たないんだから。家は家、仕事は職場、プライベートと割り切ってやるもんだ。大事なことは夜中に決めない」

 テキパキとエヌラスは書類を仕分けて、明日の朝提出するものから返答待ちのものまでローテーブルにすら広げて並べた。

 どの順番で片付けていけばいいかも説明して、シンボリルドルフが生徒会室にしっかり施錠して部屋を出たことを確かめる。

 

「では、私はこれからルドルフを送ってくるよ」

「校門まで見送ります?」

「大丈夫さ。とはいえ──」

 シンボリルドルフは困ったように笑いながら、耳を畳んでいた。心なしか尻尾も國弘の足にかかっている。

 

「何かあるといけないからね。念には念を押して、頼めるだろうか?」

「おまかせを。俺より怖いもんなんかありませんので」

 あっはっは、と笑うエヌラスに冗談とも本気とも受け取れず國弘は苦笑していた。

 

 シンボリルドルフの不安をよそに、校門に何事もなくたどり着くとエヌラスは二人に軽く手を振って見送る。その背中が宵闇に消えるまで見つめてから、身体を慣らしつつ学園へ戻った。

 

 

 

 ──ウマ娘のトレーニング時間は主に放課後。それから夕方。夜遅くまでやるにしろ、健全な女子学生。ましてや未成年者である。そのため練習時間は限られるうえ、寮生活ともなれば門限の縛りもあった。だから人一倍トレーニングを積むとなれば早朝、休み時間、昼休みの隙間時間といった具合になる。

 つまり、夜九時以降。一般的に「良い子は寝る時間」とされる時間帯からは完全に学園内は無人でなくてはならない。宿直を除いて。

 当番であるエヌラスは有事の際に鍵を迅速に開閉できなくてはならないため、鍵束を持ち歩く。もちろんこの時は宿直室も鍵を閉めているため、仮に鍵束を狙ったところで無意味だ。

 しかし──エヌラスは“魔術師”である。多岐に渡る流派、分類においても極めつけの異端とされる死霊秘術の師を持つがゆえに、決してエヌラスの魔術は“真っ当”とは呼べない代物だ。

 基本は属性魔術、だがその取り扱いは危険物などという枠に収まらない。当然ながら、自然エネルギー操作となる。一歩制御を誤れば甚大な被害をもたらす代物だが、それは逆に自在に操ることができれば絶大な恩恵を享受できるものだ。

 ……の、だが。それは“普通”の話。エヌラスの師はその枠に留めなかった。

 つまり「全部やれ」ということである。バカか?

 それがどれほど至難の業かと言われれば薬学から工業系まで網羅しろと同義であると理解した、その上で。()()()()()師から地獄のような試練がファーストフードばりの気楽さで提供された。

 なのでエヌラスにしてみれば、鍵開けなど欠伸しながらできる小手先の技。

 

 指先で触れた用具室の鍵穴を魔力で構造を解析。あとはそこから逆算して鍵の形に魔力を形成、固定させて解錠。お茶の子さいさいだ。魔術耐性のある構造だとこうはいかないが、そもそもそんなもんあるわけがないことは“以前”で学習済みである。

 トレーニングコースの用具室は土臭く、暗闇に包まれていた。エヌラスがその中で探したのは芝の手入れ道具。それら一式を持ち出してから扉を閉めて施錠(魔術)。

 

「……よしっ」

 誰もいないことを確認。

 幽霊もいない。

 化け物いない。

 怪物もいなければ怪獣もいないし、未確認生物もいない。

 なんかほぼ全部該当しそうな俺以外誰もいないな、うん、泣いてなんかないぞぉ! ──エヌラスは再三周囲を警戒する。完全な無人であることを確かめてから、準備体操。筋肉を伸ばし、運動の下準備を整えてからコースに立つ。

 

 普段であれば。

 本来ならば、中央に通うウマ娘達が走る大事な場所だ。部外者や門外漢が立ち入って、イタズラに踏み荒らしていい場所などではないことはエヌラスも重々承知している。しかし──最悪の場合に備えて損はない。常に最悪の事態を想定して立ち回らなければならない。

 

 ──ウマ娘達の履く靴には「蹄鉄」が打ちつけられている。彼女たちの持つ脚力は凄まじく、それを蹄鉄の重量で抑えている形だ。シューズの補強も兼ねており、レースの際は着用が義務付けられている。デリケートな爪先をカバーする意味合いを兼ねているだけでなく、蹄鉄そのものの重量を上げることで足全体のトレーニングにも効果的だ。そのため車道ないし、歩道、或いは自転車用レーンに加えて「ウマ娘用レーン」での走行が基本的に認められている。何しろ下手したら自動車並みの速度で突っ込んでくるのだから。

 ──当然だが、エヌラスはウマ娘ではない。魔術師である。そして魔術というのは素質だけではどうにもならない時がある。座学に対する知識、実践に対する体力、魔術における体力と言ってもいい精神力、魔力。人外の理を扱うには相応に精神を摩耗する。“正気度”と言ってさえいい。だがそれらを根本的に支える支柱とは何か。

 ぶっちゃけ体力である。問答無用で体力勝負だ。そんなもん身体さえ鍛えていればメンタルなんていくらでもついてくる。気分転換をしよう、という行動力すら体力がなければ起こらない。

 一般的に想像される魔術師といえば、読書をしているとんがり帽子の魔女だろう。だが本というのは思った以上に重量がある。辞書や図鑑といったものは特に。それを本棚から出したり戻したりとしなければならないのだから結局パワーである。腕力に物言わせてなんぼである。

 

 ──エヌラスは芝の感触を確かめてから、ブーツで地面を蹴って走り出した。

 軽いランニング程度の速度で身体を慣らし、少しずつギアを上げていく。それでもウマ娘の全速力には程遠い。当然の話だ。どう天地がひっくり返ったってヒトのオスがウマ娘に敵うはずがないのだから──。

 

「──フッ……!」

 呼気を整える。身体を一本、軸を通して全身のバネで地面を蹴ったエヌラスが加速した。

 前述の通り。エヌラスは魔術師だ。だがその派生として気功術、剣術、体術──格闘技にも覚えがある。というのも身体が資本、であるならば身体構造を把握するために医者の真似事までさせられていた。人体の急所から始まり、秘孔術まで。

 軽身功、というものがある。内勁の一種だ。自らの体重を羽のように軽くさせることで軽やかな身のこなしを可能とする、まるで冗談のような技法だが──エヌラスは確かにそれを行う。

 踏まれて起き上がる芝が足音をかき消した。まるで踏まれたことさえ気づいていないかのように姿が通り過ぎてから微かに揺れる。

 

(──いや、ちげぇな)

 これは確かに“疲れない”歩法ではあるが速くない。速度を落としてから、再度、駆け出す。

 発勁。気を練り、勁を発するとは字のごとく。ならば、その“発勁”とはなにか?

 丹田、つまり人体のへそより指三本下に位置するそれを中心として発せられる勁のことである。それは“套路”と呼ばれる型から放たれるものだが、エヌラスの場合それに“魔力”を乗せることで武術における外道の極地とされていた。当然だ。水と油を混ぜ合わせて我が物顔にしているのだから、真っ当な武人からは禁忌とさえ貶められている。

 故にそれを「魔道発勁」としてエヌラスは修めていた。

 

「……フンッ──!」

 瞬間、踏み込む足が芝を沈ませる。根の張った浅い芝からの反発力──すなわち大地からの反動をバネにしてエヌラスが爆発的な加速と共に夜のトレーニングコースを駆けた。

 その速力は、ウマ娘に劣らない速度を維持しながらコーナーを曲がる。時速二十、三十、四十Km……徐々に速度を上げていった。

 そして、時速六十Kmに届くかという速度をキープしていると背後から誰かが追ってくる気配に気づく。エヌラスは振り返らずに前だけを見て走り続けた。

 地面を蹴って、身体を前に押し出す。たったそれだけの単調な運動。呼気を保つ。ペースを維持しているうちに背後から迫る気配が横を抜けて前に出る。

 それが誰だかエヌラスはわかっていた。

 夜闇に溶けるような長く黒い髪、細く長い足。その後ろ姿はマンハッタンカフェに瓜二つで──しかし、彼女がいるはずはない。何故ならとっくに門限の時間を過ぎている。きちんと寮に帰らせたはずだ。ならば、目の前を走る黒い影が何者なのか。考えるまでもない。

 

 少しずつペースを落としていき、ギアを上げていた心臓の鼓動を徐々に落ち着かせていく。すると自分が相手を置き去りにしていることに間もなく気づいて相手も立ち止まった。

 エヌラスは自分の身体から汗がじわりと滲むのを感じながら、額を袖で拭う。

 

「……こんばんわ。いや、やっぱ速ーな、君は」

『…………────』

 振り返ったマンハッタンカフェの『お友だち』の顔は、相変わらず読み取れない。暗闇に覆われたように輪郭がぼやけていた。それでも優しい雰囲気と線の細さはマンハッタンカフェによく似ている。なにかいいたげにしている相手に、エヌラスは自分の唇に指を当てた。

 

「みんなには、内緒な。驚かれるだろうしさ」

『──ワカッタ』

「にしても君、疲れないのか?」

 今日のトレーニングでもマンハッタンカフェと一緒にチームトレーニングに混ざっていたが、その時も走り込みをしていたのを覚えている。幽霊だから疲れないのかもしれない。それに肯定するように頷く『お友だち』に、エヌラスは腕を伸ばす。

 時刻はまだ日付が変わる前。使った後の芝を均して元通りにしておかなければ怒られる。走れてもニ時間程度か。夜明け前には早朝トレーニングで使おうとするウマ娘が来る。

 

「せっかくだし、もうちょっと付き合ってくれるか?」

『……イイヨ』

(もうちょい本気出して走れればいいんだが──)

 

 ──その後もマンハッタンカフェの『お友だち』と秘密のトレーニングに勤しんでいたが、終始エヌラスはどこか自分の走りに納得のいかない顔をしていた。

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