──ルドルフを送った後、神無月國弘はトレーナー寮ではなく自分が住んでいるマンションまでの道のりを歩く。
夜の町並みは見慣れた景観であり、彼自身そうした霊感は皆無だ。そのため、学園で騒がれている幽霊騒動に関しては傍観に務めていた。学生の身分であればそうした話は絶好の話題作りになる。そのことは國弘も理解している。だがそれが実害を伴う、というのは初体験だった。
これまでトレーナーとして活躍してきた中で、担当ウマ娘がケガによる休止や引退なども経験してきた。望まぬ形でレースの世界から去る姿を見送ってきたが、それは決して彼女たちの責任ではない。ひとえに己の未熟さからだ。
“無敗の七冠バ”──その功績は國弘自身、この先の生涯において唯一抜きん出て並び立つもののいないものであると自負している。しかしだからこそ、恐ろしかった。
それが他の誰かの記録に塗り潰されてしまうことが。まるで“無かったこと”のようにされてしまうのではないか、と。
夜風が頬を撫でる。冷やりとした空気は気を引き締めてくれた。自分がこんな弱気でどうするのかと活を入れると同時に、運ばれてきた匂いに紛らわせた空きっ腹が訴えかけてくる。
時計を確認すれば夜の十時を過ぎたところ。この時間帯でも店を開けているのはファーストフードのチェーン店か、それでなくてもラストオーダーの迫る居酒屋や地元の店くらいのものだ。
(しかし、どこから……)
屋台ではない。通りのまばらな人影を見回し、なんとも食欲を誘う香りの元を探る。
通常、住宅地からほどない場所に飲食店は軒先を連ねて顧客を奪い合う。手軽なテイクアウトメニューの豊富さで日々仕事に勤しむ客を少しでも店に引き込もうとする。そのためどうしても人通りの多い道は雑多になりがちだ。
しかし、國弘が見つけたのは一件の居酒屋。老舗の趣深いその店は商店街の片隅にポツンと建っていた。中央に勤務してから立ち寄ったことは数えるほどしかない、それも酒の回った頭だったせいか店の印象をほとんど覚えておらず、どういった店舗だったかは恥ずかしながら記憶にない。
(ルドルフの不調から私もしばらくは外食を控えていたからな)
食生活はお世辞に整っていると言えなかった。コンビニで済ませてしまうことが多い。そのため誰かの手料理、というものは口にして久しい。たまの贅沢、ルドルフも許してくれるだろう。そう考えた國弘は静かに暖簾を垂らしたその店舗へ足を運び、不意に違和感を覚えた。
以前は居酒屋だったのを覚えている。だが、軒先に置かれたイーゼルスタンドにかけられた黒板には手書きで「本日のおすすめメニュー」が書かれていた。だがそこに並ぶ文字列はどう見ても居酒屋であるようには思えない。
暖簾には確かに「営業中」の文字。店の扉に手をかけ、ふと脇を見れば「和風純喫茶よろづ中央支店」と木目調の看板がかけられていた。
不思議に思いながら國弘が戸を開ける。カラカラと音を立てて中を覗き込むと、客足は皆無だった。閑古鳥も立ち寄らない店内では、店主が一人。厨房でクロスワードパズルを辞書片手に解いていた。来客に顔を上げるが、國弘は驚く。以前は老夫婦が仲良く切り盛りしていたことだけは覚えていたからだ。
しかし今はどうか。
店を預かっている相手は自分が普段接しているウマ娘達とさほど年の差が感じられない青年。くすんだ蒼い髪色のウルフカットは野性味が感じられ、鋭い目つきからは紫色の瞳が覗いている。端正な顔立ちながら、どことなく掴みどころのない雰囲気が人を寄せつけない。だが口を開けば思いのほか親しみやすさを覚える。単にやる気がないだけかもしれないが。
「いらっしゃいませー」
「まだ食事の提供の方はしているでしょうか?」
「もちろん。あまりにも暇なもので店じまいするとこだった」
カウンター席に促され、國弘は店主に言われるまま席に腰を下ろした。
店内を見回してもメニュー表らしきものは見当たらない。居酒屋だった間取りをそのままにしているのか、座敷席が三つ、カウンター席が四つと手狭な店内だ。どう見ても「純喫茶」というような趣ではないし、店内には食事の香りが色濃く染みついている。
グラスに注がれたお冷と、熱々のおしぼりが提供されるが國弘はまだ店に困惑していた。
店主はざっと國弘の姿を観察してから伝票を取り出す。
「その、お品書きとかは……」
「うちの店には無いでーす」
正気かこの店? 普通じゃない。どんな料理がどんな値段で提供されるかわからない飲食店などあっという間に口コミが広がって誰も立ち寄らなくなるに決まっている。國弘は生憎とそうしたレビューなどを見ないオールドタイプだが、店選びに失敗したかと痛感していた。
「──見た感じ、中央のトレーナーさんみたいだし。仕事の帰りにふらりと立ち寄った、って感じ? うち宣伝とかやる気ねぇからさ。来る客なんて大体一見さん、常連顧客もいないし」
「それは……君の営業努力の欠落ではないか?」
「俺「努力」っつー言葉が「ボランティア」と同じくらい嫌いな言葉。俺は基本的に客に合わせた食事を提供するし、俺が作りたいもん作るだけなんで、まー客のウケなんか知ったこっちゃないスタイル。というわけで簡単な質問、何が食いたい? 肉なり魚なり野菜なりあるっしょ」
「あー……まぁ……そういうことなら……」
時間が時間だ。明日も早い。
「恥ずかしながら、歳のせいか脂物が最近食べれなくてね。胃もたれを起こすんだ」
「それは加齢というよりも食生活の問題。食育って言葉ご存知? 飯は身体の資本なんだから蔑ろにしたら身体が音を上げるのは当然」
ぐぅの音も出ない論破に國弘は苦笑いしながら冷えた水で茶を濁す。献立を考えているのか蒼髪の店主はペンを顎に当てていた。
「米と麺、どっちがいい」
「それなら米で」
「んじゃ軽めの定食で。少々お待ちを」
伝票に何かを書き込むと、思い出したように國弘にペンを向ける。
「食後に甘いものは?」
「あー……いや、結構」
「なんでぇ」
ちょっと残念そうにしながらも店主は食事の準備に取り掛かった。
店選ぶの失敗したかな、などと思いながら伝票に目を通す。「本日のきまぐれ定食」とだけ書かれていた。気になるお値段は──そこそこ。普通と言えば普通だが、やや高めという程度。
「ほい漬物。おかわり欲しければどうぞ。あ、梅干しもあるけど」
「いや、こちらで結構」
「ご飯どうぞ」
「どうも」
炊きたての白米は粒が立ち、輝いて見えた。國弘は箸を手に、合掌する。
「いただきます」
浅漬の塩気が白米の甘みを引き立て、それだけでも箸が進む。しかし、パチパチと脂の弾ける音に顔を上げると魚の焼ける香りが立ち込める。
焼き立てのアジの開きは白身が膨らみ、旬を迎えたばかりで脂が乗っていた。
「あ、醤油忘れてたわ。お好みでどうぞ」
店主も三角巾を着けて髪をうなじでゆるく束ねている。國弘は焼き魚を見ているだけで自分の口内からよだれが溢れてくるのを飲み込みながら箸で骨と身を分けて、醤油を一差し。口に運ぶとほぐれる白身から鯵の脂が溢れ出す。臭みもなく、焼色の香ばしさに思わず唸る。
「くぅ、美味い……!」
「そりゃよかった」
客の感想になんの興味もない相槌を返しながら、店主は差し出される空の茶碗に米をよそう。遅れて提供される汁物の中をみれば、豚汁だった。
赤だし味噌を吸い込んだ野菜はゴロゴロと食いごたえがあり、細切れの豚肉は硬すぎず、かといって多すぎない分量。自分の胃が脂ではなく、満足感で満たされていくのを舌で実感しながら國弘は一心に食事を頬張っていく。
気づけばご飯三杯に豚汁ニ杯とアジの開きだけでなく旬カツオの炙り焼きまでご馳走になってしまった。
多幸感に包まれながら國弘は唸る。これはとんだ穴場の名店を見つけてしまったぞ、と。しかしそうなるとやはり気になるのは値段。自分が何度見てもとても値段に釣り合わない。明らかに倍の値段を支払っても釣り合う。
本当に大丈夫かこのお店? 國弘は入店とは真逆の意味で店が心配になった。
「本当にこの値段でいいの?」
「え? あー、いいのいいの。どうせ人件費差っ引いてるし」
「いやそれは……」
いいのか? とは思ったが、國弘は疑問点を口にする。
「このお店、以前は老夫婦が経営していたはずだが」
「あぁ、親父さんが腰やって店やめるってんで俺が譲り受けた。元は居酒屋だったけど今は和風純喫茶ってことでやらせてもらってる」
「……君、定食屋でもやっていける腕をしているよ。というか普通喫茶店で定食は出てこないんじゃないかな」
「いーんだよ今は俺の店なんだから俺が好き勝手やって」
それで経営が成り立っているのならなにも問題はないのだろうが。
「その、折角だから食後に甘いものをいただこうと思うんだが」
國弘の言葉に、ごとりと置かれた茶碗の中を見れば湯気の立つ粒あんから白玉が覗いていた。
「ぜんざい」
「……いや、これはお汁粉」
「ぜんざい」
「……おしるこでは?」
「ぜんざいっ」
「…………ぜんざい」
圧に負けた國弘が口に運ぶ。お冷を下げて食後の緑茶を湯呑みに変えて渡される。
「にしてもトレーナーってこんな時間までお仕事やって大変そうですね」
「ん? いや、好きでやっていることだからね。大変、ではあるけれど辛くはないよ」
「まーそりゃあんな美人に囲まれてやる仕事なんだから贅沢言ってられませんでしょ」
最初は店主の態度がどうかと思っていたが、腕は確かだ。少々フランクすぎるかもしれないが、それは裏を返せばそれだけ相手に警戒心を抱いていないことでもある。もちろんそれが無礼で不躾であると憤慨する客もいるかもしれないが、國弘は年頃のウマ娘たちと接する機会の多いトレーナーだ。それだけに、同じ年頃の若者に対してある程度の理解があった。
「……ところで人違いだったら申し訳ないんですがね、アンタもしかして神無月國弘さん?」
「そうだが」
「おー、マジか。有名人じゃん」
トレーナー界隈では確かに有名かもしれないが、世間的に有名かと聞かれると実はそうでもない。メディアが評価するのはウマ娘の方だ。それ故に認知度で言えば圧倒的にウマ娘が注目される。だからこそ店主の口から有名人、と評されたことに國弘は少しこそばゆい感覚だった。
なぜ自分を知っているのかと店内を見渡すと『月刊トゥインクル』の先月号が置かれていることからそのインタビュー記事から知ったのだろう。
「担当のー、誰だっけ。シンボリルドルフ? まだ調子戻んない?」
「あぁ。残念ながらね……だがいつかまた、彼女が芝の世界に戻ることを私は確信しているよ」
「戻れるといいねぇ、レースの世界に。新しい担当のウマ娘とか見つける気は?」
「実は恥ずかしながら、言い寄られていてね。今度は皇帝を超える帝王になる、と言って聞かない娘だ」
「あらまぁ隅に置けないことで。既婚者なのに」
左手薬指の指輪を見てそう思ったのだろう、抜け目のなさに心臓が跳ね上がるのを感じながら國弘は頭を掻いた。
「妻も娘も私の仕事は理解してくれているし、応援してくれている」
「ふぅん」
「……正直なところ、不安なんだ。本当にルドルフが以前のように走れるようになるのか」
だが自分が弱気になってどうするというのか。聡明なシンボリルドルフのことだ、薄々勘づいているのかもしれない。だからこそ、自分の将来を見据えて行動を起こしている。走れなくても、誰かの夢を後押しする存在であるトレーナーの道を選びつつあることに國弘は気が引けていた。彼女の理想に共感し、それを支えると決めた手前、後には引けないとわかっている。だがそれでも今のシンボリルドルフの姿は決して望んだ姿ではない──。
沈痛な面持ちの國弘に、店主は思い出したような口ぶりで話題を切り出す。
「医者が診てもわからないってなら、願掛けでもしてみます? ま、俗に言う神頼みってやつですけれども」
「……それで彼女が走れるようになるのなら、私は藁にも縋る思いだよ」
「それならちょいと心当たりがあるんですが──曰くつきの雑貨屋なんですけどね?」
店主は伝票に書き足していく。
それを受け取った國弘が目を通した。
「気まぐれ定食+情報料」「ぜんざい」と書かれた実に良心的な値段に思わず二度見する。
追加料金は食後のデザートだけだった。
「和風純喫茶よろづ中央支店」を後にした國弘が向かったのは、手書きの地図を目印にした入り組んだ路地の中に佇む一件の雑貨屋。
見るからに異国の雑貨がゴミ屋敷のように溢れ出ていた。なにも雑多に品物を置かなくてもいいだろうに、そう思いながら國弘は「商い中」の看板を確認して店内へと踏み入る。
店内は暗く、それでいて細長い。人一人がようやく通れるというような状態だった。雑貨を壁に飾りきれず通路の端に寄せていることで辛うじて道ができている。
照明も頭上で怪しく輝くランタンが等間隔でポツポツと置かれているだけだ。その炎が揺れるたびに影がまるで別な生き物のように蠢くことに國弘は背筋が寒くなる。そのくせ妙に煙っぽく、甘ったるい匂いが充満していた。まるで埃そのものが香りを発しているかのような。女物の香水でもこうはいかない。
國弘は鼻にハンカチをあてがいながら店内を奥へと進むと、やがて広い空間へと出た。
そこもまた異国の雑貨で埋め尽くされており、まるで自分が異界に迷い込んだような錯覚すら覚える。
なにせこれだけの物が積み上げられておりながら物音ひとつしないのだから。自分の心臓の鼓動がうるさいくらいに鳴っている。
「おや、これはこれは意外なお客様だ。こんばんわ」
艶っぽい女の声に身体が跳ねる。驚きながら声の主の姿を探すと、積み上げられた本の後ろから一対の耳が見えた。
「そう身構えなくてもいいじゃないか」
それは、ウマ娘だった。跳ねた黒い髪を結い上げて、黒いウマ耳と黒い尻尾を揺らしている。スーツにベスト、それでいてパンツスタイルの相手はずり落ちるメガネを押し上げながら國弘の顔をじっと見つめる。
失礼かと慌ててハンカチをポケットにしまい込むと、雑貨屋の店主はカラカラと鈴を鳴らしたような声で笑う。
「失礼失礼。ぼくのお店は少し埃っぽいからね。気にしなくてもいいよ。それで? ここにはなにかお探しかな?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みをたたえながら気にした風もなく気軽に尋ねてくる。分厚い異国の書籍を平積みにしたそれを尻に敷き、長い足を組みながら値踏みするように國弘を見つめていた。
「その様子だと……誰かの紹介かな?」
「あ……はい。まぁ、そんなところです」
「ははは、そうかいそうかい。嬉しいねぇ、ぼくのお店も誰かに広められるくらい知られているだなんて。見ての通りここは曰くつきの品物ばかりだよ。幸運を呼ぶウサギの前足から水晶ドクロにネブラ・ディスク。まぁ、オーパーツの類だね。他にもパワーストーンやちょっとばかり呪われた肖像画や、どこかの学校で動き出した人体模型なんてものもあるよ」
「では……「病魔退散」といった効果の御守なんかはありませんか?」
「うん? 変なことを言うね。病は気から、その通りだ。でも病魔退散、健康祈願なんていうのは日々の生活を改めることで得られるのだから神頼みするまでもないじゃないか?」
「しかし、不慮の事故や不運に見舞われたウマ娘の快復を祈るためならば──」
「ウマ娘、ね──君はどう思う?」
「え?」
不意に雑貨屋の店主は笑みを崩さないまま尋ねる。
「不思議に思ったことはないかい? “彼女たちはある日、唐突にケガに見舞われる”なんて。まるで
ウマ娘についてまだわからないことは多い。それは店主の言葉に挙げられた通り、なんのことはない日に突然ケガをすることだ。もちろんトレーナーだったら無茶なトレーニングはさせない。だが自主練習となるとそうもいかない。それでも、だ。
「ぼくはね、思うんだ。
熱の入る店主の言葉に、國弘は理解が及ばなかった。ただこの相手は、乙名史記者と同じようにウマ娘に対する情熱が強すぎるのだと思うことにして生唾を飲み込む。陶酔して紅潮した頬を撫でながら、深く息を吐き出す雑貨屋の店主がメガネを直す。
「──ぉっと、失礼。ぼくとしたことが、ついつい熱が入ってしまった。でもね、ぼくは本当に好きなんだ。そういう運命を乗り越える姿が。人間であろうと、ウマ娘であろうと。
「………………」
「あぁ、そうだ。君の言う病魔退散、健康祈願といった効果のある道具は生憎とうちには置いていないんだ。申し訳ないね。でも、そうだね。もしも君が、この先訪れる運命を変えたいと願うのであれば──良い物があるよ。ちょっと待っていたまえ。どこに置いたかな」
雑貨屋の店主が立ち上がると、積み上がる本の後ろで雑貨をひっくり返しながら目的の品物を探し当てる。舞い上がる埃に隠れて、國弘の足元に転がってきたのは液体を満たしたガラス瓶。なにげなく手にしてみると、それは──脳みそだった。
声にならない悲鳴をあげて思わず手から取りこぼすが、頑丈なガラス瓶はごとりと音を立てて床を転がる。その前をネズミが横切っていく。
「あったあった。ほらこれだ。あ、それかい? 世にも珍しい宇宙旅行を体験した脳だよ。意外と値が張るから購入はオススメしないけどね」
雑貨屋の店主が見つけてきたのは、古臭いレトロな目覚まし時計。決まった時間にベルを鳴らしてけたたましい大音量で寝ている人間を叩き起こす単純な構造。電池が入っていないのか、時計の針は止まっていた。手入れだけはされていたのか、不思議と汚れ一つ見当たらない。
足元に転がってきた瓶詰めの脳みそを足で押さえると、雑に横に蹴飛ばしていた。
「それ、は?」
「見たこと無い? 目覚まし時計だよ」
それはわかるけども。
「これはね、不思議な不思議な目覚まし時計。君も一日くらいあるだろう? 「もしも今日がやり直せたら」なんて。些細な不幸で台無しになった日、大事な約束が守れなかった日、とり返しのつかない選択をしてしまった日。これはね、そんな“台無し”を“台無し”にしてくれる摩訶不思議な目覚まし時計なのさ。まさに“ご都合主義な機械仕掛け”という代物なんだけどね──生憎とこれは少しばかり壊れてるんだ。巻き戻せるのは“一日”だけなんだ」
それでもぼくのお気に入りなんだけどね、と雑貨屋の店主はうっとりしながら目覚まし時計を撫でる。それを口実に購入を断ろうかとも思った國弘に、雑貨屋の店主はそれを押しつけるように渡した。
「これは、ほんの“お近づき”の印に。君にあげよう」
「え、いや、そんな……」
「いやいやいや、お代は結構。ほんの、ぼくからの気持ちさ。なんというのかなぁ、きみの、トレーナーとしての気概というのかな? わかるんだよ、ぼくには。長年こういう骨董品屋……あぁいや雑貨屋だったかな? まぁどっちでもいいか。こういう一風変わった店を構えていると、客の顔を見ただけでなんとなくわかっちゃうんだ。相手が、なにを、求めているのかも──例えば、そうだねぇ……ぼくの身体……なんて、ね」
いたずらっぽく笑いながら身を乗り出す雑貨屋の店主に、國弘がさっと顔を逸らす。
「あっははは、冗談さ冗談。それは君の未来が華やかなものであることを祈って譲るよ。ただし──ひとつだけ気をつけてほしいんだ。これだけは守ってくれないかな」
「……なんでしょうか?」
「その目覚まし時計を使うのは“五回”だけだよ。もしそれ以上使おうとした、その時は……何が起きても当店は保障致しかねますので、ご了承ください」
「それは、つまり……この目覚まし時計が時を巻き戻せるのは、五回だけ、と……?」
「そういうこと。願わくばそれを使うような時がなければいいね、トレーナーくん。さぁて、こんな怪しいお店からは早く離れることをお勧めするよ。貴方のように堅実な人間は、こんな“オカルトチック”な場所は似つかわしくないから、さ。
それでも、もしもまた──神頼みがしたくなった時は、ご来店をお待ちしております」
自分が手にした目覚まし時計に視線を落とし、國弘は礼を言うとビジネスバッグに時計をしまい込んで踵を返した。薄暗い廊下の闇の中に消えていくトレーナーの背中を見送ると、雑貨屋の店主は口角をつり上げる。
「──でも、でもですよ? 神に縋ろうとする人間を救うかどうかは、それこそ