平和な朝の挨拶運動
朝の中央トレセン学園の校門ではたづなが脇に立ち、登校してくるウマ娘達を迎えていた。元気な挨拶を返す生徒もいれば、まだ寝ぼけてふにゃふにゃの挨拶を返してくる生徒もいる。友達と仲良く笑い合いながら話題に花咲かせるウマ娘たちの姿を見ているとこちらまで自然と笑顔になれた。たづなもにこにこと笑みを崩さずに会釈している。
ここ一月で迷惑業者は撲滅どころか全滅、影も姿も見せなくなった。
「エヌラスさーん、おはよーございまーすっ」
「おーおはよう、ダンツ。朝から元気でいいな」
「えへへへぇ……って。あの、なんですかその竹刀……?」
「これか? 威嚇用」
たづなの隣、欠伸をかみ殺しながら並ぶエヌラスに制服姿のダンツフレームが元気な挨拶。しかしその手に握られた竹刀に首を傾げる。
威嚇用とは言うが、人相のせいか凶器同然の威圧感があった。
「エヌラストレーナーおはよーっ!」
「おはよう、ウララ。いやー見てて気分のいい笑顔だ」
「えへへ、褒められちゃったぁ」
しかしあまり気にしているウマ娘はいない。何故ならそれが自分たちに向けられることがないのをわかっているからだ。エヌラスの矛先は常に中央に仇名なす外敵(業者)にのみ向けられる。
ハルウララを見送ってから、駆け込んでくるキングヘイローが鞄を二人分抱えていた。多分忘れ物でもしたんだろう。
「ちょっとウララさん! 忘れ物! ……あっ! コホン……。おはようございます」
「うん、おはよう。君も朝から大変だな……」
十人十色、個性豊かなウマ娘を見送る中に混じって見覚えのあるトレーナーの姿。エヌラスが片手を挙げると相手もすぐに気づいて小走りで寄ってくるなり頭を下げてくる。
「おはようございます!」
「相変わらずデケェな声。嫌いじゃねぇけど」
「エヌラストレーナーが竹刀持ってると雰囲気ありますね」
「どんな?」
「組の兄貴というか若頭というか」
しばいた。
小気味よい竹刀の音が朝から響き渡ると同時に號が尻を押さえて崩れ落ちる。何事かと目を向けてくるウマ娘たちに、たづなはにこやかに挨拶していた。
「おーし行っていいぞ」
「ぐぉぉぉ……! ケツが割れるように痛い……!」
「お、樫本理事代理だ」
相変わらず厳しい目つきをしている。しかし、校門前に並ぶたづなとエヌラスの姿を一瞥すると会釈と挨拶を交わした。
「おはようございます」
「ぅおはようございますっ! 本日もよろしくお願いしますッ!!」
號が立ち上がりながら挨拶を返すと、樫本理事代理は呆然と立ち尽くす。
「……ええ、おはようございます。號トレーナー。しかし貴方は私を敵視しているのでは?」
「敵視? 何故です?」
「私の提示した『管理教育プログラム』に対し、徹底抗戦の意を示したではありませんか」
「記憶に新しい出来事に違いありません、が! それはそれ、これはこれ! 挨拶は大事です! 貴方を敵と認識はしておりませんが、貴方の教育方針は断固として認められません! むしろトレーナーという意味合いでは尊敬の念すら抱いてます!」
「……なるほど」
つまり號は、樫本理事代理その人そのものではなく『管理教育プログラム』に対して敵意を抱いているということだ。これには樫本理事代理も怪訝な表情。
「では、貴方から見た私はどういった立場にあるのでしょうか。ここらではっきりさせておきましょう」
「越えるべき目標の一人、以上!」
清々しいほどの簡潔な断言に、たづなも思わず笑みをこぼしていた。面食らった樫本理事代理は硬直している。
「どうやら少々……貴方に対する認識を改める必要があるようですね」
「では樫本理事代理は俺をどのように認識を?」
「勢いばかりで無鉄砲、無計画、情熱的な方であると思ってました」
「概ねその通りです!」
コイツ本当にバカなんだな。横でやりとりを聞きながらウマ娘たちと挨拶を交わすエヌラスはそんなことを考えていた。
「オメーは訂正の余地ねーのか?」
「失礼な。俺は自分を客観的に見てバカだと理解してます!」
「んじゃあ治せや!」
「死んでも我が道貫き通すつもりなのでそのつもりで!」
「よーしこのバカよく言った! もう一発!」
「ケツがぁぁぁっ!!!」
ズパァンッ!!! ──號が二度、崩れ落ちる。その姿を見てウマ娘たちがくすくすと笑いながら通り過ぎていく。
なるべく他人の振りをしようと見ないように通り過ぎようとしていた柊だったが捕まった。エヌラスが引きずってくると無惨な弟の姿を憐れむような目で見下ろす。
「……おはようございます、樫本理事代理」
「おはようございます、柊トレーナー」
「じゃあ、俺はこれで……」
「この薄情者ぉぉぉ……!」
そそくさと逃げる柊に號は手を伸ばすが華麗にスルーされて見捨てられていた。
「時に、貴方。エヌラストレーナーでしたか」
「え? 俺が何すか?」
「海外からの“特待生”という形での編入。秋川理事長がどのような意向で判断されたのか、私は判断致しかねますので敢えて何も言いません。ですが、貴方の生活態度。とても許容できるものではありません。改善していただきたい」
「心当たりが多すぎてどれから正せばいいのやら」
「號トレーナーを意味もなく叩くなど、節度ある大人の態度とは思えません。まずはそちらから改めてください。生徒達に示しがつきませんので」
「そーは言われましてもねぇ。見せしめって大事だと思うんですよ。ただでさえ秋川理事長って緩い校風でやってたわけですし、そのせいで調子乗るバカどもが大挙して押し寄せてきてたわけでしょう?」
「その言葉遣いもです。感受性豊かな生徒の前でそのような物言いは感心しませんね。真似をする娘がいたらどうするおつもりですか」
唇を尖らせてエヌラスは不満たらたらな態度を隠さない。
「お言葉ですがねぇ、理子ちゃん」
(理子ちゃん!?)
「俺ほど反面教師に向いている奴はいないと思いますよ。むしろ模範的と言ってもいいでしょう」
「確かに」
「確かにっつったか號?」
パシパシと竹刀で手を叩くエヌラスに號が首を必死に横に振っていた。樫本理事代理からは厳しい視線を向けられているが、気にも留めていない。
「つーか別にそんなんトレーナーに求められるものじゃないでしょう。教師じゃないんですし。トレーニングの指導して結果出しゃいーんですよそんなん。それで俺の真似するウマ娘が出たらそん時は俺が“教育的指導”するんで言ってくださいよ」
エヌラスの言い分には納得できる部分もあるのか、樫本理事代理は小さく頷く。
「指導者がバカやってんなら「あーならないように」って教えてやるのが正しい教育ってもんでしょう? 違います?」
「一理ありますね」
「こんだけ広い学園でこんだけトレーナーいるんだから俺みたいなのが一人くらいいてもいいじゃないですか」
「ぁ~ら、貴方たち! 朝から随分と仲がいいのね! おはよう!」
「おはようございます、カオルちゃんっ!」
「おほほほ、相変わらず聞いてて心地良い声じゃない! 號トレーナーを見習いなさいな」
明朗快活、元気の塊、生命力の塊、エネルギッシュなオカマがやってきた。號が深々と頭を下げると、カオルちゃんは満面の笑みを浮かべている。
樫本理事代理も苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「で、樫本理事代理。あの人にはなんか言う事ないんですか」
「……………………おはようございます、カオルちゃん」
「理子ちゃん、おはようっ! 朝からこんな色男たち捕まえて盛り上がるなんて隅に置けないわね。アタクシ調べだと今一番注目されてるわよ、エヌラストレーナー!」
「なんで俺なんすか。コイツ(號)のが注目されてんじゃないすか」
「オーッホッホッホ! 貴方自分が何してきたかわかってるかしら。いくら人間よりも強いといっても彼女たちのハートは可憐な乙女そのもの! そんな彼女たちの矢面に立って不審者を自分から撃退するトレーナーなんて今までいなかったもの。良くも悪くも中央はレースの名門中の名門。体裁を保つという意味で強く出られる人はそういないわ。だ・け・ど、貴方は違ったわ!」
エヌラスを指差し、カオルちゃんは白く輝く歯を見せて笑う。
「カッコいいじゃない! 自ら悪の道を選ぶアウトロー!」
「多分この人シラフで暴力的なだけだと思います!
「チェェェストォオオオッ!!!」
號のケツが三度、爆ぜた。空気の破裂音、風圧でウマ娘のスカートがふわりと揺れる。
もはや言葉を発することすらできず、悶絶して倒れ込む姿にカオルちゃんが口に手を当てて驚いていた。
「あらやだ、示現流? 本当に頼もしいわね、その調子でこれからもウマ娘ちゃん達のことを守ってあげてちょうだいな! それじゃあ今日も一日よろしくお願い!」
おーっほっほっほ、と高笑いしながらカオルちゃんはウマ娘と元気に挨拶を交わしながら去っていく。なんだったんだあの人、と思いつつエヌラスは四つん這いになったまま動かない號に視線を落とす。
「で、お前はいつまで倒れてんだ」
「ケツが痛くて立てないんです……!」
「……はぁ。私も先を急ぎます。それでは」
樫本理事代理もまたそそくさとその場を離れた。
遅刻ギリギリに駆け込んでくるウマ娘に軽い言葉を投げつつ、たづなとエヌラスは登校してくる姿がないことを確認すると正門を閉じる。
竹刀をしならせながらエヌラスは身体を大きく伸ばした。
「く、ぁ~あ……! はぁ~、朝の挨拶運動はこれでおしまいっすか」
「はい。お付き合いいただいてありがとうございます。宿直勤務を終えたばかりで大変でしたでしょう?」
「そこは慣れてくんでなんとかしますよ。流石に午前中は仮眠させてもらいますけど」
「それでしたら午前のトレーナー講習会の資料は放課後、トレーナー室の方にお届けさせていただきますね」
「すいませんねー、よろしくお願いします」
たづなと別れたあと、竹刀を手首で回しながらトレーナー室へ向かう。宿直室で寝てもいいのだが、そちらの方が都合が良かった。旧理科準備室に向かおうかとも考えたが、流石にマンハッタンカフェとアグネスタキオンの場所にずかずかと乗り込むわけにはいかない。
そのため自然と足はトレーナー室へ向かうのだが──不意に、エヌラスは妙な匂いに鼻を鳴らした。ウマ娘のつけている香水とはまた別な感覚。鼻腔をくすぐる妙に甘ったるい残り香。
(……こいつは)
香水は香りを引き立たせるために嫌な香りを微量に混ぜる、だがエヌラスが捉えた香りの中にはそんな不快感はなかった。だからこそそれが異様に気にかかる。
魔術師としての勘、というよりも嗅覚。鼻に残る、というよりも頭の奥にこびりつくような甘い香り。
(なんの香りだ……?)
大勢のウマ娘が通り過ぎた後だ。みんなの香水が混じってそう嗅ぎ取れただけかもしれない。だがエヌラスはどこかその匂いに郷愁の念を抱く。懐かしいような……だがそれはおかしな話だ。
何故ならそれは
鼻をこすり、エヌラスは首を傾げた。
「……気の所為、じゃねぇよなぁ」
サングラスをずらして学園の瘴気を観察する。
心なしか、黒い煤のような汚れが増えている気がした。
周囲を見渡してもウマ娘の姿はない。エヌラスは息を吸い、僅かに自分の視覚を魔力で強化させると匂いの残滓を視覚化する。幸いにもその匂いは確かに魔術の触媒としての性質の側面があったのか、すぐに反応を示した。容易に視覚的に捕捉できるようになった。
白いモヤのようなものが微かに尾を引いている。それを目印にエヌラスは後を辿っていく。
だがそれは、校舎の中へ伸びていくと間もなく途切れ途切れとなって霧散していた。あれだけ往来の激しい場所なのだから無理もない話だ。あっという間に徒労で終わり、肩を落としながらも自分のトレーナー室へと足を運ぶことにする。
しかしエヌラスは欠伸をこぼしながら首を傾げた。──香りの原料が思い出せないことに自分でも納得のいかない様子で。