星霜の影を踏みしめて   作:アメリカ兎

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アナタ ヲ シリタクテ

 

「カフェちゃんのトレーナーさん、カッコいいよねぇ」

 休み時間。マンハッタンカフェの周囲は珍しく人だかり……もとい、ウマだかりが出来ていた。というのも話題にあがるのはトレーナーのこと。それ以外にも、幽霊騒ぎで酷いことを言った謝罪などだ。

 マンハッタンカフェはそれらを特に気にしてなどいなかった。しかし、どこか学園の雰囲気が変わったのは乙女の敏感肌で感じ取ったのかクラスメート達も明るい表情をしている。

 

「顔は怖いけど優しいところもあるよねぇ」

「そう、ですね……」

「でもよく知らないんだけど、カフェちゃんから見てトレーナーさんってどういう人?」

「話す機会滅多にないもんねー」

 和気藹々と盛り上がるクラスメートたちの質問に、マンハッタンカフェはしばし考え込む。

 

「トレーナーさんは……優しい人、だと思います。でも、なんというか……時々、ですが。危なっかしい時があるので、目が離せませんね」

 職歴は不明だが、トレーナーとしての腕は悪くない。どういったメニューをこなせばどういった効果が得られるのか。今からやるのはどこを鍛えるためのトレーニングなのか。そうした些細な解説を踏まえてから実践してくれる。

 ただし、ものすごく厳しい。だが、ただつらいだけでなく、かといってキツいだけでもなく、実りのあるトレーニングだと実感できる。

 

「あの人は歩調を合わせるのが上手なので……よく見ないと気づきませんけれど、無理をしがちみたいなので」

 隙だらけで気の抜けた風船のようにだらんだらんとたるんだ様子を見せる時もある。だが、それ以外は常に気を張っているようでもあった。つまりメリハリのハッキリした人、というのがマンハッタンカフェからの印象でもある。

 休み時間が終わる予鈴の音に、クラスメートたちは手を振って席についた。

 

 

 

 授業を受けて、休み時間を挟み、あっという間に昼休み。

 マンハッタンカフェは食堂で昼食を摂ると、そのままいつものように旧理科準備室へ向かった。

 鍵を開けて、珈琲を淹れて、自分のスペースに座る。

 カップから漂う湯気を吸い込み、目を閉じると視界が暗闇に覆われた。

 静寂。

 まるで世界に自分だけが取り残されたような感覚。遠巻きに聞こえてくる喧騒も意識の外へ押しやると、マンハッタンカフェは深呼吸を繰り返す。

 

(……──落ち着く)

 確かに学園の雰囲気は元通り明るくなった。だがそれが誤魔化しでしかないことをマンハッタンカフェは知っている。今は幽霊よりもエヌラスの方にみんなの意識が向いているのだから。恐らくそれも計算の内なのだろう。

 ──昨日も、今日も。あの人は変わらず『良くないモノ』を相手にしている。それなのに弱音のひとつも吐かず、学園で夜を明かしてトレーニングの時間には決まって顔を出していた。

 

(オカルトハンター……)

 怪異退治の魔術師。最初は戸惑った。だけど『彼ら』とはうまく付き合っている。何より強い。逆にこちらが守られてしまうくらいには頼りになる。それと同時に少し怖さもあった。

 目を開けて揺れる珈琲の水面を見つめる。

 

(……あの人は一体、どれほどの間一人だったんだろう)

 そんなことを思う。

 見た感じ、二十代半ばから後半。だが時々口にする言葉は、まるで遠い遠い昔の話のように感じられた。

 なんとなく。本当になんとなくではあるけれど。

 あの人は、少し。自分たちとは違う気がした。ウマ娘と人間という括りではなく、もっとこう──根本的に、根源からして生まれが違う気がする。だからかもしれない。放っておけないと思ってしまったのだ。

 

 ──私が黒猫なら、あの人はきっと。

 ──黒くて、大きな、ひとりぼっちの猟犬。

 首輪も無く、リードもなく、ただただ己の本能に従って駆ける。だからかもしれない。

 あの人が私を嗅ぎ分けたのは、子供の頃からずっと『お友だち』の背中を追いかけてきたからだろう。そういう『オカルト』と長い付き合いだったから。

 

(……でもあの人にとって『彼ら』は敵)

 悪さをする相手に、どういった方法に出るのかは学園でも話題になっている。なにせブルドーザーのように違法取材班と記者を叩き出す姿は多くの目撃者がいた。ウマ娘たちからすれば人間のじゃれ合いのように思えたが、深く考えてみれば常軌を逸している。

 あんな風に『お友だち』も追い出されてしまうのだろうか、と考えるだけで胸がチクリと痛む。重く暗く沈む気分に、頭を振って払いのける。

 

 マンハッタンカフェは珈琲を少しずつ飲み込んでいく。苦味と、すっきりとした後味。喉を通る熱が過ぎ去ると、ささくれ立つ心が室内の静寂のように平静を取り戻した。

 

『……────ダイジョウブ?』

「………うん、平気。ありがとう」

 ふわりと、閉め切った部屋の中にそよ風が舞う。薄暗い室内の中を黒い人影が漂っていた。

 

「……アナタは、どう思ってるの?」

 マンハッタンカフェは『お友だち』に尋ねる。

 

『──オモシロイ、人』

「ふふっ……そうだね。アナタのことも、ちゃんと視えているみたいだし」

『──ヤサシイ人』

「……うん。きっと、そう」

 『お友だち』の言葉に頷く。

 

(──でも、あの人の優しさは……)

 相手の意思を尊重する。それだけなら少しの思いやりと配慮ができれば誰でもできるものだ。だがエヌラスの優しさはそれだけじゃない。

 どこか自分のことを蔑ろにしているような、いきすぎた自己犠牲のような──一種の破滅願望にも似たものを感じる。そうでもなければ、あんな風にはならない。

 揺れる珈琲の表面をじっと見つめる。そこに映る自分の顔を見つめて、マンハッタンカフェは吐息をこぼした。

 

(……今は、何をしているかな)

『──トレーナー室』

「え? ……うん、ありがとう。あとで行ってみるね」

 

 

 

 午後の授業が終わり、マンハッタンカフェはエヌラスのトレーナー室へ向かう途中でたづなの姿を見かける。

 

「お疲れ様です……」

「あら、マンハッタンカフェさん。今日もご苦労さまです。これからエヌラストレーナーのところへ?」

「はい……。あの、そちらの資料は?」

 たづなが抱えていたのは、午前に開催されていたトレーナー講習会の資料だった。話を聞くと、午前中は仮眠を摂るためにどうしてもこうした催しへの参加が見送られてしまうエヌラスに届けに行くところだったという。

 

「もし、よければ……私が代わりにお渡ししておきましょうか?」

「本当ですか? ありがとうございます。実は業務がたて込んでて……」

「いえ。お気になさらず……いつも、お世話になっていますから」

「ふふ。助かります。それでは、よろしくお願いしますね」

 マンハッタンカフェに資料の束を渡してから、たづなは感謝の言葉を残して道を引き返した。

 

 抱きかかえるようにして資料を持ちながらトレーナー室の扉に手をかける。鍵をかけていなかったのか、あっさりと来訪者を招き入れた。不用心な、と心配にもなったが普段の振る舞いを思えば好き好んで訪れる者もいない。

 

「失礼します……」

 トレーナー室を見渡すと、その姿はすぐ見つかった。

 ソファーを占領するように横たわり、仰向けになったまま目を閉じている。寝息のひとつも聞こえてこないものだから一瞬死んでいるのかと思ったが、微かに胸が上下していた。

 テーブルの上に資料とカバンを置いてから、マンハッタンカフェはエヌラスの寝顔をじっと見下ろす。

 ソファーの肘掛けから足を投げ出し、右腕は力なく床に落ちている。眠っていても眉にシワを寄せていて不機嫌そうにも見えた。

 伸ばした前髪から覗く左目の刀傷がどうしても目を引く。

 “普通”の生き方をしていたら、よほどのことでもない限り顔に傷跡なんて残らない。ましてやこんな──そこで、マンハッタンカフェは眉を寄せた。

 

(……この、傷)

 あまりにも深すぎる。肌の表面だけではなく、間違いなく眼球にまで達しているはずだ。それだけではない。

 寝苦しさからか、ネクタイとシャツの第一ボタンを外している。さらにその下のインナーから覗く鎖骨に視線が釘づけになるが、それ以上に──微かに傷跡が見えた。

 

「──────」

 息を呑む。きっと、顔だけではない。この服の下も傷跡だらけだ。

 

(……どんな生き方をしたら、こんな)

 想像もつかないような凄惨な人生を歩んできたに違いない。

 

「……がふぁー……」

 なんか寝言言ってる。だけど、それだけ気を緩めている証拠でもあった。それが何故かちょっと嬉しくもある。

 エヌラスが鼻を鳴らすと、深く息を吸い込み()()を開けてまばたきを繰り返した。

 

「あっ……ごめんなさい……起こしてしまいましたか……?」

「……ん~…………、カフェ? なんだ、もうそんな時間か……」

 足を伸ばし、()()を使って大きく伸びをする。

 

「……?」

 マンハッタンカフェは、それに違和感を覚えた。しかしエヌラスは上体を起こして大きく欠伸をする。左手で口元を隠しながら。──右腕だけはだらりと力なく垂れていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「くぁ──……! ……ん? なんだ、カフェ。人の顔じっと見て」

「ぁ、いえ……その……」

「……俺の寝顔なんて面白いものでもないだろうに」

「…………」

「もしかして顔の傷が気になる?」

 しばし間を置いてから、マンハッタンカフェが頷く。

 

「それに、右手も……大丈夫なんですか?」

「──んー。まぁ、君には話しておいてもいいか。俺が魔術師ってことは話したと思う」

「はい……」

「ちょっと専門的な話になるんだが、魔術師の肉体ってのは電子製品の基盤のようなものなんだ。魔力を身体に流すための神経を回路のように設計するんだが──俺の場合、右腕をほとんど魔力で動かしてるんだ。昔……ちょっとばかり、やらかしてさ」

 エヌラスが右腕をぎこちなく持ち上げると、感覚を確かめるように拳を作るとゆっくりと開いた。何度かそれを繰り返してから肩を回す。

 

「では、左目も……?」

「まーそんなところ。あんまり気にしなくていいぞ」

 左手で目を揉むとエヌラスは両目をしっかり開けていた。再び身体を伸ばし、第一ボタンを閉じてネクタイを締め直す。テーブルの上に乗せられた封筒を見て腰をあげた。

 

「これってトレーナー講習会の資料? もしかしてたづなさん来てた?」

「あ、いえ。私が代わりに……」

「なんだ、そうだったのか。ありがとな、カフェ」

「──その、魔術のこと。教えていただいてもいいでしょうか?」

「ろくなもんじゃないからダメ」

「……あなたのこと、少しでも知りたくて」

「そう言われると悪い気はしないけれども、そういう顔をされると俺はちょっと、よわい……」

 見上げてくるマンハッタンカフェから顔を逸らす。困った顔をするエヌラスを見て、くすりと微笑む。

 

「やっぱり、貴方は優しい人ですね。魔術を教えたがらないのも、きっと自分がそんな目に遭ってきたからで……私達に危ないことをさせたくないから」

「……魔術以外のことなら、君に教えてあげてもいい」

「ふふ……貴方は、意外と押しに弱いんですね」

「むぐぅ。否定したいが否定できねぇ……ほら、カフェ。そろそろトレーニングの時間だ」

「はい。すぐ、着替えてきます。エヌラスさんも……」

「ん?」

「……寝癖、直してきてくださいね」

 エヌラスは自分の顔を覆った。

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