鍋の用意をする、と言って厨房に消えた店主はすぐに戻ってくる。手には卓上ガスコンロと大きな土鍋。
まさか?と思っている柊の目の前で手早く配膳されていく。
「はいちょっと失礼するよー」
小皿に箸に取り分けるための菜箸とおたまと、次から次に並べていくと再び厨房に引っ込む。
「……マジでやるんだ」
トランセンドが呟く。
「あの店主、やりたいことしかやらないんだ」
「よく通えるね、トレちゃん」
「……飯は美味いんだ、本当に」
食べればわかるとでも言いたげな柊に、戻ってきた店主の手には山盛りの具材。
白菜、にんじん、きのこ、長ネギ、にら、木綿豆腐、油揚げ……綺麗な切り口で分けられた野菜などの群れに驚く。しかし鍋と言えば肉が主役、それが見当たらない。
土鍋の中ほどまで水を入れてからコンロの火をつける。それから店主が怪しい粉をひとつまみ。ちょっと待てなにを入れた。
「なんだそれは」
「本当は鶏がらスープでしっかりやりたいとこだけど割愛。出汁の素」
「化学調味料だねぇ」
妥協点はあるものの、ベースとなる鶏白湯の出来上がり。あとは火の通りにくい具材を下にして、上には白菜の葉やニラ、キノコ類を盛り付ける。
「鶏肉あるけど団子でいい?」
「これ、ちゃんこ鍋では?」
「よーし団子作ってくるわ」
人の話聞く気がない店主は柊の疑問をスルーした。なにが面白いのかトランセンドが笑いをこらえている。
「トレちゃん、ほんとに常連?」
「彼はいつもああなんだ」
──あっという間に戻ってくるなり空いてる箇所に鶏団子を並べ、蓋を閉じてから中火で煮込む。出来立てがいいだろ、と店主が断言していたが出来上がりまでの時間がもったいない。言葉にせずともそれは伝わっていたのか、空き時間につまめる物をと漬物と白米をよそってきた。
「飯を食わすでごわす」
「「ぶはっ!!!」」
突然の店主の呟きに柊とトランセンドの二人が吹き出した。
ドゥラメンテを始めとした〈オニキス〉メンバーは眉を寄せる。そのような意図がなかったのか店主ですら不思議そうな顔をしていた。
「なに笑ってんのそこの二人は」
「いや、ゴメ……ちょっと不意打ちで……!」
「ははぁん、さてはアレだな。アンタら同類だな? 仲良しめ」
「……」
店主の一言に、ドゥラメンテが少し眉をひそめる。
「柊トレーナー。先ほどの一言は、どういった意図が……」
「────」
「トラン先輩もその意味を知っているようですが」
「────」
素朴な疑問。意味を知らないからこそドゥラメンテやキタサンブラック、サトノダイヤモンドとケイエスミラクルはなんとも思わなかった。相席のダンツフレームもアグネスタキオンも同上。
となればその言葉を理解している二人は共通の認識をしている。単純にドゥラメンテはそれが知りたかったからこその疑問なのだが……。
だがその一言に二人は“ヤバい”と直感した。何故ならアングラなネタだから。そしてそれを解説することが如何に難しいか。お笑い芸人がスベッたネタを説明するような感覚に近い。もはや拷問、公開処刑のようなものだ。
そこに目ざとく助け舟、店主だ。
「あ、そうだ。唐突に聞くんだが柊トレーナー」
(わざとか!?)
トランセンドが撃沈した。
「俺あんまり客の仕事だのプライベートにだの興味ないから今まで聞かなかったんだけど、担当の子ってどれで誰で何?」
「……隣に座っているドゥラメンテを担当してる。他のはチームメンバーだ」
「ははぁん、なるほど。ご丁寧にどうも。ざっと見た感じ有名どころ揃ってる感じ? そっちの子とか」
「私ですか?」
「まーこんなんでも客商売してるんでね。客の顔と名前覚えるの得意なんだ」
店主の言葉に、サトノダイヤモンドからキタサンブラックたちまで自己紹介を一通り終えると頭を下げる。
「こりゃどうもご丁寧に。俺のことは気軽に“マスター”とでも呼んでくれればいいよ」
「そういえば随分お若いようですけど、おいくつなんですか?」
「当ててみな。ハワイにご招待するぜ」
「君、絶対わかってて言ってるだろ」
「なーんのことだかさっぱりー、ハワイは冗談にしても」
あっはっは、と上機嫌に笑いながら店主は手を振っていた。珍しい。今まで通っていた時も機嫌がいい時はあったが、こんな風に冗談を言うのは今日が初めてだ。
土鍋の蓋を開けると、程よく火の通った具材が香りと彩り豊かな顔を見せる。その匂いだけでも御椀を空にしてしまいそうだ。
柊がよそおうとするが、そこは店主。客に振る舞う手前まずは自分から実践していく。
ドゥラメンテからキタサンブラック、と順番に渡していくと、ケイエスミラクルが少し遠慮がちな顔を見せた。
「あ、おれは……そんなにたくさんは大丈夫」
「ん? もしかして食が細いタイプ?」
「えっ……」
「見た感じ線が細いし、箸がそこまで進んでなかったからそうかと思った。そっかー、となるとちょっと別メニュー用意した方がいいか。ま、いいや。はい」
それでも具材を一品ずつ丁寧に掬ってよそうとケイエスミラクルに渡す。
ダンツフレームとアグネスタキオン、最後に柊トレーナー。あっという間に鍋の中身は汁が目立つようになったが、店主は厨房からおかわりの具材をすでにスタンバイ済み。問答無用でぶち込んで追加した上にちょっと味変までしている。
『いただきまーすっ!』
「米のおかわり欲しけりゃお気軽にー」
出来立ての熱い鍋を冷ましてから頬張ると口の中に広がるのは野菜とスープの旨味が絡み合った新鮮な食材。噛むたびに溢れる素材の味、飲み込むと体の芯から温まる。
味は少し妥協したと言っていたがとんでもない。口にした全員が納得して舌鼓を打つ。
「どうよ柊トレーナー」
「……毎回思うけれど、なんでこんな美味い料理出せるのに商売っ気がないんだ?」
「だってURAから協賛金と助成金貰ってんもん。金なんて余らしてるくらい」
商売に抜け目なし。貰えるものは貰っておく。制度を活用した上で、欲張らずに堅実な経営を。どこかでそんなやり方を見たような気がしたが、すぐに顔を思い出す。
店主の話では、商店街振興組合に所属していた老夫婦のツテでトレセン学園の後援として店を構える、という段取りで進めていたところに『トゥインクルスタークライマックス』の開催。それにかこつけてさらに加盟店として申請、滞りなく受諾されたことにより助成金が支給されて、とのこと。中々の額らしく当面は遊んでても問題ないらしい。
「ってーわけで俺は割と適当に遊んで暮らせるってわけ」
「君、本当に世渡り上手だな……」
「そりゃー、人間行くとこまで行ったら最後に頼れるのは身体ひとつな訳だし? 世の中どんだけ便利になっても、だ。おっとそろそろ鍋いいかな」
弱火に変えてから蓋を開けた追加の鍋からは香ばしさが漂う。ちゃんこ食ってる場合じゃねぇ、とばかりにキタサンブラック達が白米をかきこむ。
『おかわりー!』
「はいはーい、少々お待ちを」
受け取ったお椀をお盆に載せて、厨房へ。戻ってくると山盛り一杯にして渡していく。
「ドゥラ、味はどうだ?」
「美味しい。それだけじゃない、身体作りに必要なたんぱく質を豊富に含む鶏肉を中心とした鍋料理は流石と言える。君が通うのも頷ける」
「……俺の場合、本当にただの偶然だったんだけどな」
朝、いつも通りに星を見送って街を歩いていたら看板に『本日のおすすめ』を書いていた。何気なくその姿を見ていたら「食ってく?」との一言から、気づけば数少ない常連客。
早起きは三文の徳とは言うが、まさかこんな形になるとは柊も思わなかった。
「ん〜、美味しいよ〜!」
「ダンツ君はさっきパフェまで食べたばかりなのによく食べるじゃないか」
「だってエヌラスさんがぁ、モグモグ……」
「はい鍋おかわり食う人ー」
「あ、私食べまふー!」
喋って食って大忙しなダンツフレームに続くキタサンブラックとサトノダイヤモンド。トランセンドはマイペースに食べていた。ケイエスミラクルは少食なこともあり、最初の一杯で満腹らしい。それでも大いに満足し、食卓を囲むみんなの笑顔に頬を綻ばせていた。
あれよあれよと言うまに鍋が空っぽになる。そこで店主が今度は鍋の残り汁を見て小皿で味見。今?
「鶏白湯でやっちまったし味変して濃いめにしたからそうだなー……まだ食う人ー」
「「はいっ!」」
「食べ盛りだねぇ」
雑炊にするかうどんにするかを聞かれて結果は半々。
マスターは厨房で茹でたうどんを入れた器に鍋の残り汁を入れて青ネギを散らして渡していく。ちなみに茹ですぎたのでわんこうどんである。
減った鍋の中に水を足して一煮立ち、薄まった味つけに追加で調味料を入れて味を整える。その手つきは慣れたもので、サトノダイヤモンドが感心していた。
残り汁を混ぜてから溶き卵を静かに流し入れる。固まったところに白米を投下。よく混ぜ合わせてから蓋をして弱火で煮込む。雑談交えて時間通りに蓋を開ければ、沸々と煮立つ鳥雑炊の完成。
よそってから余りの青ネギを散らし、さらに追加で潰した梅の果肉をひとつまみ。
「とっても美味しいです♪」
「おーそりゃよかったよかった。こんなんでよけりゃ作るよ」
「いやいやいや、こんなんって。めちゃくちゃ手が込んでるじゃんか。っていうかウチらあんま疑問に思ってなかったんだけど本当に喫茶店なんだよね?」
「表の看板見てくれよ。漢字間違えてねぇはずだから」
定食屋顔負けの料理を出されて忘れそうになるが喫茶店である(一応)。
ダンツフレームが口にした雑炊にハフハフ言いながらも幸せそうに食べている。
「はーい食後のデザート食ーべるー人ー」
『はーいっ!』
柊とケイエスミラクルを除いた全員が手を挙げる。伝票に何かを書き込んでからマスターが厨房へ姿を消し、柊は裏返して置かれた伝票を恐る恐るめくった。だいぶ食ったような気がするし追加のデザートまで出すつもりなので財布が冷や汗がかいている。しかし杞憂に終わった。良かった、あの店主を信じて。良心的な価格に抑えられていることに安堵のため息。
ドゥラメンテ達の前に置かれた皿にはカットケーキの盛り合わせ。
「そっちのウマ娘さんはこれくらいなら食べれる?」
「わ……綺麗な盛り合わせ。ありがとう、これなら食べれると思う」
ケイエスミラクルの前に置かれたのは、一口サイズのカップケーキとマカロン。色とりどりの皿を見て、笑顔で会釈する。
「トレちゃん、ここの店主さんってなに頼んでも良さげな人?」
「彼の気分次第」
あと俺の財布。「ほほぉ?」とトランセンドが悪い顔で笑う。
「店主さんやー」
「はいやー?」
「ノリ良っ。ちょい変わったスイーツとか、なんかある?」
「……食いたい?」
マスターがこれまた悪い顔をする。トランセンドの分のカットケーキをさりげなく柊に向けるが丁重に断られたのでダンツフレームの皿にしれっと追加。
「よーしちょっと待ってろ」
何を作る気なのか。そしてあまりにも手早く伝票に書き込むのを見逃さなかった柊は再び伝票を盗み見る。なんかちょっと高い。
「……トラン。情報料、ツケておくからな」
「え? ぅゎやば」
金額を見てからトランセンドが驚いていた。
キタサンブラック達が上品なケーキを食べ終えて一息ついたところでマスターが戻ってくる。
トランセンドに一つだけ洋菓子を載せた小皿を差し出す。もう片手には大皿。
「まぁまずはこちらをひとつ」
「……これって、マリトッツォじゃん。いやまー、確かにちょっと変わってるけども」
イタリア料理のお菓子だ。パンに溢れるほどの生クリームを挟んだそれを見て、ちょっと前に流行ったのを思い出す。当然トランセンドも一度や二度、食べたことはあるがそれほど変わり種という風ではない。肩透かしを食らいながらも、言われた通りに食べる。──ちなみにマリトッツォはパンの部分であって生クリームを挟んであるとまた名称が異なるがそれはそれとして。
「……んー、なんか普通? もっとこうインパクトあるやつ来ると思ってたんだけど。美味しいんだけども──」
「これでもか」
ドン、と置かれる山盛りマリトッツォ。見ただけでは全部同じに見える。
トランセンドが固まった。
「ロシアンマリトッツォだ」
ヤバ。
「……何を入れたんだ?」
「…………さぁ?」
怖い。手術中に聞こえてくる医者の「あ、やべ」と同じくらい怖い。いや、場合によってはこちらの方が怖い。何故なら今からそれを口に含まなければならないのだから。
「ちなみにさっきのは唯一普通に作ったマリトッツォ。他は知らんけど」
「ちょっと待て本当に何を入れたんだ」
「少なくとも食えるやつ」
食えはする。知らんけど。味は。
めちゃくちゃ怖い。だが、トランセンドは注文した手前逃げるわけにはいかなかった。何より“ゾクゾク”させてくれる。
数にして十一個、みんなに目配せすると口を緩めた。
「……せっかくだし、みんなもいっとく?」
巻き込むつもりだ。みんなが視線を泳がせる中、サトノダイヤモンドが挑戦に名乗りをあげる。となればキタサンブラックも引くわけにはいかない。そうするとドゥラメンテが、柊だけは断固拒否した。
「実に面白い試みじゃないか、私たちも参加させてもらおう。そうだろう、ダンツ君?」
「え、えぇ!? 私もぉ?」
そう言いながら手を伸ばすアグネスタキオンにダンツフレームが巻き添えを食らっている。でも食べるようだ。
「……いちおー、聞いときたいんだけどさ。当たりは何味?」
「さぁ?」
マスターはポーカーフェイスを一貫している。意地の悪い笑みを浮かべるでもなく、かといって表情を繕うわけでもなくいつも通りの飄々とした態度を崩さない。
手にしたマリトッツォを大きな口で頬張る。ふんわり生地のパンに生クリームの甘さが広がる──までは共通、だがそこから一番に口を押さえて悲鳴をあげたのはキタサンブラックだった。
「苦ぁぁい〜〜〜!!!」
涙目になりながら断面を見やれば、なんか緑色のソースが生クリームの間に隠れるように挟まれている。
「なんですかコレェ!?」
「ゴーヤ」
思ったよりヤベーのが出てきた。隣のサトノダイヤモンドも最初こそ美味しそうにしていたが、違和感に気づいた瞬間顔が赤くなっていく。
「か、か、辛いッ!! お水ください〜!!」
「あれ、なに」
「ハバネロ」
やべぇぞコイツは。柊は心底食わなくて良かったと思った。
阿鼻叫喚の絵面に隣のドゥラメンテに視線を向ける。黙々と、時折頷きながら食べていた。マリトッツォの生クリームに挟まれた赤いソースが垂れてきている。
「ドゥラ。中身は何だった?」
「この酸味と風味、恐らくストロベリーソースだと思う」
「お、正解。よかったなまともなので」
どうやら少なくとも普通の中身もあるらしい。となると……、柊の目がなんとも言えない顔をしているアグネスタキオンに留まる。
「アグネスタキオン、微妙な顔だな。なんだったんだ?」
「ザラメだねぇ。なんというか、他のを見るとまだマシなんだろうけど……食感がなんとも言えなくてね。味も、まぁ、微妙なところさ」
おみくじでいうところの『末吉』みたいなものだ。隣のダンツフレームは顔をしかめている。その中身はドゥラメンテのストロベリーソースと同じように赤いものが見えるが、なにか硬い塊が覗いていた。
「ダンツ君はどうだったんだい?」
「…………梅干し」
「あぁ、余ったから入れたんだっけな」
すっとぼけた物言いに抗議したそうに涙目で見つめている。よく見ると中に入っている梅干しが一個だけじゃない。
……。ここまで一切無言だったトランセンドに、柊が気づく。
「トラン。どうした? 黙り込んで」
「…………」
黄色いソースらしきものを口にして、飲み込むのをためらっているようにも思われた。
「……トレちゃん、これね。中身何だと思う?」
「言っておくが食わないぞ」
「これね、しょうが」
「絶対に食わないからな」
眉間にシワを寄せながらも難しい顔で咀嚼するが、飲み込むのに一拍置いている。
マスターは腹を抱えて笑っていた。
「あっはっはっは! はーおもろ、いいもん見たから割引しとくわ」
(この店主、さてはめちゃくちゃ性格悪いな?)
今後、絶対に興味本位で「面白い料理」を頼まないことを柊は誓った。伝票に書き込まれた金額を見ると、驚きの三割引。どんぶり勘定にも程がある。
残るロシアンマリトッツォも戦々恐々としながらも口にして皿を空にした。
会計の際、マスターは思い出したように厨房から余り物のケーキの詰め合わせとクッキーやスコーンといった洋菓子をこれでもかと持ってきて全員に持たせる。不思議そうな顔をする全員にいつものように飄々とした態度で手を振っていた。
「夕飯作って待ってるだろう寮長さんに渡してやってくれ、今後ともご贔屓にってことで」
「いいんですか、こんなに?」
「捨てちまうくらいなら客に食ってもらった方が俺も気楽でいいしな。捨てる手間が省ける」
小腹が空いたらどーぞ、と小分けにした手作りクッキーの袋まで全員に渡す。
ロシアンマリトッツォを作った人物とは思えない気配りになんとも言えない気分になりながら柊は全額現金で支払ってチーム〈オニキス〉は店を後にした。