──裏山の頂上に現れる人影を見たというウマ娘は、帰れなくなる。……という噂が広まったのは、いつからか。誰かの吹聴したタチの悪いホラ話かもしれない。だが、実際に目の当たりにした中央の生徒がいるとなれば話は変わる。
その調査に踏み出したエヌラスは日が沈み、影法師が背伸びをする逢魔時に裏山の麓で時計を確かめた。
裏山といっても中央トレセン学園の裏ではなく、住宅地の裏手の山のため少しばかり移動しなければならないが、生徒には寮の門限もある。
何事もなければ山を往復するだけの話だ。
ジンクス破りのためにサトノダイヤモンド、情報通のトランセンドの二人と合流する。二人とも赤いジャージなのは、トレーニングを終えた足で来たからだろう。
二人の姿は遠巻きに見ることがあれど、こうして直接会話をするのは今回が初めてだ。初対面に等しい。
「……で、なんでオメーもいんだよ! よろづ店主!」
「面白そーだから」
そしてなぜか居る和風純喫茶よろづのマスターはケラケラ笑いながら手を振っていた。店を臨時休業で閉めるなりついてきていることにエヌラスは頭を悩ませる。
「なぁに平気平気。多少怪我したって男の子ってことで」
「オメーはよくてもこっちがダメなんだよ!」
「そうはならんようにアンタがいるのでは?」
「そうだけども仕事増やすなぁ!」
相変わらず意地の悪い笑みを浮かべているが、気を取り直してトランセンドたちに向き直ったエヌラスは改めて自己紹介を挟んだ。
「どもども〜。噂はかねがね」
「早速で悪いんだが、トランセンド。噂の詳細教えてくれるか?」
「オッケー。ウチが仕入れた情報は安くないんだけどー……“黒い番犬”さんの活躍ぶりを直接見れるなら安いものかな。今回は無料での提供にしておくよん」
「なんもなけりゃ肩透かしで済むんだけどな」
トランセンドからの話は、事前に柊から聞いていた情報と一言一句違わない。その話にサトノダイヤモンドは嬉しそうにしていた。なぜに?
「出会うと帰れなくなるという噂の黒い人影。是非お目にかかりたいです!」
「……あのねサトノダイヤモンドちゃん? 出会うと帰れなくなる、という噂。帰ってこれた人がいなかったら噂がそもそも広まらないと思うんだけど」
「…………あ! 言われてみればそうですね」
噂がどうやって広まるのか。事の目撃者がいなければ広まらず、被害に遭えば静かに収まる。その被害者がいるというのであれば、命に障りない程度の事件だ。とはいえ不安の芽は摘んでおくに越したことはない。ただでさえ界隈の空気は俄かに神経質なのだから。
よろづ店主は準備体操をしながら話に耳を傾けていた。
「ま、よーするに頂上で人影探すってことでしょ? 自分の身は自分で守る。余裕があればそっちの二人に手を貸す。そんでアンタはアンタの仕事する、簡単な話じゃん」
「オメーは怖くねーのか、お化けとか」
「ユーレーとかお化けとか地縛霊とか。そういう、なんつーの? オカルトっての? 全部くっだらねぇ話だと思って聞いてる。でもまぁせっかく近場にいるっていうなら一目見て話のネタにでもしてやろうと思って」
「ほんとマジオメー性格悪いな……」
相手がウマ娘だろうがなんだろうが女の子は女の子。男として守ってやるという紳士的な姿勢は評価するが、エヌラスはいまいち腑に落ちない様子で首を傾げた。
茜色と夜の境界が崩れていく裏山は、なんとも不気味な影に覆われていく。
「ま、鬼が出ても蛇が出ても俺がなんとかするよ」
「頼りにしてまーす」
「オメーは自分でどうにかしろ」
何も話さず登山するのも味気ないので、エヌラスはトランセンドに話を振る。中央の生徒にとっては隠れた穴場、トレーニングにうってつけの場所らしい。坂の勾配は坂路のトレーニングに最適、踏み慣らされた地面はダートの感覚に近いことから密かにここで練習をするウマ娘もいる。頂上で休憩している姿を勘違いしたのではないか、とも指摘するが目撃情報をまとめるとどれも証言が一致しないのは不自然だ。
ウマ娘の脚であれば問題なく登坂できる。人間の脚でもちょっとしたハイキングだと思えば良い有酸素運動だ。
よろづ店主はどうかとエヌラスが盗み見ると、余裕の表情。人並み以上に体力はあるようだ。
「マスター、なんか面白い話しろ」
「なんか俺の扱い雑じゃね?」
「オメーが俺を適当に扱うなら俺もそうする」
「まーそっちの方がお互い気兼ねなく話せるってならそれでいいっすけどねー。よーしそんじゃ俺が漁船乗って朝イチマグロ釣りしてきた話を」
「オメー何屋だよぉ!!!」
面白い話以前の問題。トランセンドもサトノダイヤモンドは微笑ましい表情で二人を見ていた。
よろづ店主、マスターの話の内容もさることながら語り口が興味をそそる。緩急のついた展開を聞き入っている間に、山の頂上に辿り着こうとしていた。
「──そしたら急にイカの足が出てきて漁師のおっちゃんが! おっと頂上に着くな」
「オチどうなったのさ!?」
「無事に帰れたら話すわ。さーてエヌラストレーナー、人探しの始まりだー」
「なんでマグロ釣り行ってクラーケンに襲われてんだよオメーは……」
「話の続きが気になって仕方ありません、ですが今は黒い人影探しです」
すっかりのめり込んでしまったサトノダイヤモンドは人影探しに意気込むが、エヌラスはそれとなく魔力で周辺を索敵している。周囲に魔力反応がないことから、当たり前のことに落胆した。幽霊なりなんなりであれは知覚できそうなものだが、空振りに終わりそうである。
頂上は簡素なもので、小高い休憩所のようになっていた。町を見下ろせるベンチで休憩しながら澄んだ空気を吸い込んでリフレッシュできる。
トランセンドが周辺を調べてみるが、誰もいないようだ。手分けして探そうかとも提案したものの、エヌラスからは消極的な意見。
「今回は空振りってことにしとこう。何もいきなり大当たり、ってわけにはいかないからな」
「ちょっとした息抜きがてらフラフラ〜っと来るにはいいなここ」
「それでトラブルに巻き込まれてもぜってぇ助けねぇからなオメーだけは」
「ところで行方不明者の捜索願とか出てないんだよな? そこまでの大事になってない、ってなら大したことじゃないでしょ」
マスターの言う通りだ。帰れなくなる、という話もどうせ帰り道がわからなくなってしまったのを曲解しただけかもしれない。そこまで本腰入れて取り組むばきではないことにエヌラスは肩の力を抜いた。
「女の子は噂するのも広めるのも好きだから、変な話が広まって誤解を招くもんだよ」
「そりゃわかるが、物事には限度ってのがある」
「ウチとしては噂の真実を確かめられるんなら全然オッケーなんだけど」
「お会いできなくて残念です」
「好奇心旺盛なのは良いことだけど、自分から危険に飛び込む真似はしちゃダメだぞ。サトノダイヤモンド」
仮にもサトノグループのご令嬢、怪我をされたら何を言われるかわからない。まぁ喧嘩売られたら本腰入れて立ち上がれなくなるレベルで物理的な打撃を与えるつもりだが、エヌラスとしてはそんな面倒は回避したい。ただでさえ魔力の維持と回復方法に難儀しているというのに。
ベンチに人影なし、周囲の森にも人気なし。トランセンドが茂みの後ろを覗き込んでも誰もいない。マスターも柵から身を乗り出して周辺を見渡すが、木々のざわめきしか聞こえなかった。
「今回は空振り、さっさと帰ろう」
「へーい。んじゃマグロ漁船の続きを」
「それはもういいっつうの」
「「えー、聞きたーい」」
抗議の民主主義の前に敗北を喫したエヌラスはさらに肩を落とす。仲良しなのは良いことだ、と聞き流すつもりだった──。
坂の下から足音が聞こえるまでは。身構え、警戒していると黒いウマ耳が見えてきた。目を凝らしていると、それは黒いウマ娘。
頭からつま先まで真っ黒な姿は夜中に出会ったら幽霊かと思うほどに闇夜に溶け込んでいた。
「おやぁ? これはこれは、誰かと思えばよろづ屋の店主くんじゃないか。こんばんは」
「んだよ誰かと思えばテメーかよ。今日は顔見なくて済むと思ってたのに」
「ははは、これはまた随分な嫌われようだ。そんな君の態度が嫌いではないんだけどねぇボクは」
現れたウマ娘と知り合いなのか、マスターは見るからに機嫌を損ねている。しかし相手は気にした様子もなくトランセンドとサトノダイヤモンドに帽子をとって会釈していた。
黒いシルクハットに、黒いステッキ。まるで手品師のような燕尾服のパンツルック。雑貨屋を営んでいるというカヤと名乗った相手にエヌラスも軽い会釈で済ませた。
「雑貨屋がなんでここに?」
「なにって、ただの気晴らしさ。人気がなくて静かで過ごしやすい。都会の活気も悪くないけど、何事も程々に、さ。この国の言葉にあるだろう? 侘び寂び、というやつが。風情を楽しむ心を忘れてはいけないよ」
どこの雑貨屋なのか、と聞くと路地裏にあるらしい。滅多に客は寄りつかないが、本人は満足しているようだ。しかし口をへの字に曲げて不機嫌そうなマスターは早く帰りたそうにしている。
「どーせ黒い人影ってのもテメェの仕業だろ。足運んで損した。さっさと帰ろうぜ」
「確かにここで一服しているとたまに出会うけど、驚いて逃げられてしまうんだ」
「そらそうだ。こんな薄暗い場所でテメェの顔見たら腰抜かすっつうの」
「店に行ったら『臨時休業』の札は掛けられていたし、肩を落としたものだけど。君もそんな噂話に興味がある年頃で感心したよ」
「一応、高校生なので」
「お前そんな歳下だったの!?」
エヌラスだけでなく二人も驚いていた。
「ウチらより年上だと思ってた」
「よく言われるー」
どうやら噂の真相は、夕闇の中でひとり休憩をしていた雑貨屋の黒いウマ娘らしい。それを勘違いして噂が広まった。結局のところ、蓋を開けてみれば大したことはない。
落胆しながらも道を引き返すサトノダイヤモンド、真相が判明したことで少しガッカリしたトランセンドはすぐに気持ちを切り替える。それなら今度雑貨屋に行ってみようと提案していた。
余計な体力を使うこともなかったエヌラスは首を馴らしながら安堵のため息。しかし、マスターだけはカヤを睨んでいた。
四人が立ち去ってから、一人残されたカヤは備えつけられているベンチに腰を下ろすと、足を組んで街を見渡していた。
「ご用心、ご用心。こんな時間に出歩いていると──どんなものと出会うかわからないものさ」
血のように赤い夕焼け雲を見て、口角をつりあげる。
「──ったくよー、結局んところただの勘違いじゃねぇか。よりにもよってアイツかよ」
「オメーさっきっから愚痴ばっかじゃねぇか」
「至極当然当たり前。俺、アイツ、嫌い。出来れば顔見たくない」
この態度に比べれば自分に接する態度はまだ本気で嫌われているわけではないようだ。エヌラスは少しだけマスターに対する評価を改める。
「えー、なんでさ。あんな美人さんなのに」
「あんなんが常連になるなら君等二人の方がマシ。かわいいから」
「口説くなや」
「この程度口説きに入らないでしょ」
相手との距離の縮め方も嫌悪感を抱かれない程度の歩みだが、若者同士だからかそれがあっさりとしていた。
「マスターさんもトレーナーさん達と遜色ない顔立ちだと思いますけど」
「それはどーも。お近づきになるなら同年代か歳下の方が気楽でいいねぇやっぱ。大人相手はいい加減面倒になってきた」
飲食店を経営している人間とは思えない言動に呆れながらも、三人の後ろ姿を見ながらエヌラスは山から降りる足取りを止める。
──背後から冷たい風が吹いてきた。それが“良くないもの”を含めて。
「……おい、マスター」
「んー? なにさ?」
「二人は任せていいんだな?」
「アンタの方が花束抱えるの慣れてそうだけど。ま、いっか。頼まれたらやるけど」
「なら任せる」
疑問符を浮かべるサトノダイヤモンドとトランセンド。そんな二人の手を引くように、マスターは坂を小走りで駆け下りる。
ざわざわと揺れる木々の合間を吹き抜ける肌寒い風が運んでくる不穏な気配にエヌラスは指の骨を鳴らし、呼気を整えた。
三人の足音が遠ざかっていったのを聞き届けてから、振り返る。
「ここ最近音沙汰なくて苛立ってたとこだ、来いよ化け物──遊んでやる」