星霜の影を踏みしめて   作:アメリカ兎

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怪我の代償、コーヒー一杯

 坂道を駆け下りる三人は、不気味な気配が追ってきているのを本能的に感じていた。走りながら振り返ろうとしたサトノダイヤモンドの視界を塞ぐ形でマスターが後を追っている。

 

「はいはい、前見て走る。転んだらお姫様抱っこしていくからなーダイヤちゃん」

「ウチは?」

「トランも」

 ガサガサと揺れる茂みに潜む“何か”の気配にトランセンドも好奇心が疼く。

 

「なんかいるのはわかるんだけど、見てみたいような気がしない?」

「野犬でしょ」

 あっさり答えたマスターが跳び上がる。トランセンドの頭上に覆い被さろうとしていた黒い何かを蹴り飛ばし、着地すると何事もなかったように駆け出していた。

 

「今ウチの頭上飛び越えなかった!?」

「下り坂なんだからそんくらい余裕!」

「今のは一体なんですか!?」

「おそらく犬!」

 騒ぎながら山を駆け下り、麓へ辿り着くと一呼吸。

 風が吹いているわけでもないのに、裏山の木々はざわめいていた。犬の短い悲鳴と、銃声にも似た破裂音が時折耳に届く。

 

 それから日が沈み、夜空に星が浮かぶ頃になってエヌラスがようやく戻ってきた。

 

「あ、エヌラスさんです」

「おー、見たところ無事なようだけど」

「顔こえーなーやっぱ」

「聞こえてんだよなぁ!!!」

 マスターの顔を見るなり声を張り上げる。低い割によく通る声量に、ヘラヘラと笑っていた。

 見ると、爪か何かに引っ掻かれたような怪我をしている。服もほつれている箇所はあるが、命に関わる怪我はしていない様子だった。

 

「怪我の手当をした方が……」

「あー、いいのいいの。こんなんしょっちゅうだから」

「っていうか、ウチら何に追われてたの?」

「まー……そうだな。野犬だな、うん。犬犬」

「やっぱ犬じゃん」

 ほら見ろ、と言わんばかりにマスターがトランをちくちく指差す。腑に落ちない様子で赤縁メガネを押し上げ、エヌラスに厳しい視線を向けた。

 

「ホントに野犬?」

「暗くて見辛かったが、四足歩行のもじゃもじゃしたこんぐらいの犬」

「雑種じゃん」

「とりあえずたづなさんに報告しておかねーとなぁ、秘密のトレーニングで怪我されても困るし。そっちは怪我してないか?」

「へーきでーす」

 ひらひらと手を振るマスターにもかすり傷ひとつない。そのことに安堵するが、サトノダイヤモンドがハッとした顔をする。

 

「あの、頂上のカヤさんは大丈夫でしょうか? 野犬が潜んでいるというなら心配です。帰り道で襲われたりしたら……」

「ええいくそ、今から行って──」

「ちょいまちー」

 相手もウマ娘、平気だとは思うが──それでも放っておくのは後味が悪い。エヌラスが雑に頭を掻いてから再び坂を駆け上がろうとするのをマスターが足を引っ掛けて止めた。エヌラスは盛大に転けた。顔からいった。

 

「うわ、いたそー」

「なにしやがりますかこのクソガキゃあ!!」

「おーこわ。アンタはそっちの二人を送るのが先。たづなさんとやらに報告もしなきゃならんでしょ? あの野郎は大嫌いだけどダイヤちゃんが気にかけるなら仕方なく俺が行ってくる」

 何故かと聞くと、この中で唯一学園と無関係だから。と素っ気なく答える。何があっても自己責任の範疇。

 

「無理はしないでくださいね」

「そっちのかおこわトレーナーに言っといてくれ。そんじゃいってきまーす」

 マスターは軽い足取りで坂道を駆け上がっていく。その姿を見送ってからエヌラスは肩を落としてため息をついた。悔しいがマスターの言い分は理に適っている。合理的な解決策にぐぅの音も言えない。

 後ろ髪を引かれる思いをしながらも三人はその場を後にした。──マグロ漁船の話の続きを聞き忘れてたと思いつつも。

 

 

 

 ──裏山の頂上にある休憩所。ベンチに座るウマ娘がひとり、鼻歌を口ずさんでいた。立てかけたステッキを指示棒のように振りながら、上機嫌に宙でリズムを執っている。

 

「〜〜♪ ……、おや? 何か、忘れ物でもしたかな?」

 迫る足音に鼻歌を止めると、首だけで振り返った。

 そこにいたのは、よろづ店主のマスター。不機嫌さを隠しもしないで眉を吊り上げていた。

 その隣には──。

 

「余計なトラブル持ってくるんじゃねぇよ、めんどくせぇ。そっちはそっちでやってくれ、俺を巻き込むな」

「ボクだって巻き込みたかったわけじゃないんだ、ホントだよ? なにせ相手は名を馳せた“オカルトハンター”だ。下手な小細工をしようものなら力技でどうにかしてしまう。そうなるとせっかくの舞台が御破算だ。それはダメだ。それは面白くない。だからこうして、人が寄りつかない場所で彼らのストレスを発散させているというのに、キミが連れてきてどうするのさ?」

「俺は付属品であって主犯じゃねーですー。テメェの身から出た錆だろうが」

 なぁ?と同意を求められるのは──黒い人影。

 

「ま、とにかく。お気に入りの舞台を台無しにされたくなかったらもう少し控えてくれ。でないとこっちも商売あがったりだ」

「はいはいわかっているよ。そういう“契約”だからね。今日はもう帰ることにするよ」

 肩をすくめて立ち上がるカヤは、ベンチに置いていたシルクハットをかぶると歩き出す。

 

「今しばらくは、キミに預けておくことにしよう。いい子にしているんだよ」

 そう言って、高い背丈の人影の鼻先を指先でつつく。歯を剥き出しに威嚇する姿にくすりと笑いながら、カヤは足取り軽く裏山の頂上から降りて行った。

 マスターは隣の人影を見上げる。

 

「さて、今日の晩飯何食う?」

 ──黒い人影は何も答えず、ただゆっくりと尻尾を左右に振っていた。

 

 

 

「──ってなことがあったんだよね」

 後日、トランセンドは自分たちの身に起きた出来事をありのままチーム〈オニキス〉に話していた。それを聞いたキタサンブラックは二人の体を観察して、怪我ひとつないことを確かめて安堵する。

 

「トラン先輩もダイヤちゃんも怪我がなくてよかったぁ」

「それにしても気になるのはエヌラストレーナーのことなんですけど」

「そうそう。野犬の群れーなんて言ってたけど、アレ絶対嘘。なんかいたのだけは間違いないっぽい」

 その正体不明の“何か”を探りたいところだが、生憎と敏腕秘書のたづなの口から裏山への立ち入りを禁じられてしまっていた。昨日の今日で対応が早すぎる。

 

「で。気になったからちょいと調べたんだよね、エヌラストレーナーのこと。そしたら……」

「そしたら……?」

「唯一出てきた手がかりが、ライブハウスでバイトしてたってことくらい。そこから掘り下げてったら、なんか“オカルトハンター”で有名らしくてさ。働いてたライブハウスも“ガールズバンド”専門店で界隈じゃ有名所」

 そこから情報を整理すると、秋山理事長が幽霊騒動でスカウトしてきた人物がエヌラス──ということもあるがそれよりも気になるのが、ライブハウス。

 

「なんか結構評判良かったみたいだよ?」

 あの顔で、という含みのある言葉にケイエスミラクルが苦笑いしながらもフォローをいれる。

 

「あのトレーナーさん、柊トレーナーと仲が良いみたいだし。顔の割にフレンドリーだし……それでかな?」

「だと思うよー。ま、ギャップに弱いからねぇ」

「……それにしても、トレーナーが来ないな」

 トレーナー室で軽い準備体操をしていたドゥラメンテが不意に呟いた。いつもならとっくにスケジュール帳と睨めっこしている時間なのに、まだ来る様子はない。

 何かあったのかと心配していると、ようやく柊が顔を出した。

 

「すまない、遅れた」

「お、やっと来た。なんかあった感じ?」

「……たづなさんに怒られた」

 目を丸くして驚くのはドゥラメンテだったが、それは他の全員も同じ。柊は消極的な態度が目立つものの、規則を破るような人には見えなかった。

 

「なにかしたんですか、トレーナーさん?」

「……俺が、というよりも。トランとダイヤの二人がな」

 心当たりしかない。その話を今し方していたばかりだ。目を泳がせる二人だが、キタサンブラックが不思議そうに首を傾げる。

 

「昨日、裏山に行っただろう。それ自体は構わないんだが、エヌラストレーナーが野犬の群れを追い払って怪我をした。幸い軽傷で済んだが、それで二人が怪我をしていたらどうするのか、と。俺の監督不足という注意だけで済んだが……」

「それだけじゃないのか?」

「……エヌラストレーナーはしこたま説教されてた」

 いたたまれない。

 

「あー……ゴメンね、トレちゃん」

「ごめんなさい。私たちのせいで」

「今後は気をつけてくれると助かる。時間が惜しい、トレーニングを始めよう」

 柊は気にしていないのか、淡々と話を終えた。

 

「あー、のさ。トレちゃん。エヌラストレーナーと仲良いよね」

「他に比べたら比較的話している方だと思う。それが?」

「今度それとなく探ってみてくれない?」

「自分で聞いてくれ。あの人なら君達を無碍に扱うことはしないはずだ」

「……怒ってる?」

「怒ってない。機会があれば聞いておく」

 

 

 

 ──その頃、チーム〈キャロッツ〉では號が指導していたが、その隣にいるはずのサブトレーナーの姿はなく、代わりにカオルちゃんがいた。ウマ娘の汗と涙と努力と以下略の味方であるカオルちゃんはアオハル杯にも熱心に取り組んでいるが、チーム所属はしていない。今日はたまたま號のチームの様子を見に来ていただけだ。

 熱心に向き合う姿は見た目もさることながら迫力がある。

 

「いいわねブライアンちゃん! その調子よ。でも指示を聞かないところはマイナスね! クールダウンはしておきなさい!」

「……くそ、調子の狂う」

「あとは仕掛けるタイミングね! 獲物を仕留めるのは一瞬よ、猛禽類のように! あなた時々猛禽カフェに行っているでしょ!」

「っ。なぜそれを」

「オホホ、これでもベテランなめないでちょうだい! プライベートに口を挟むつもりは全くないわ、安心しなさい!」

 チームの仕上がりとしては、まずまずといったところ。アオハル杯に申し込んだチーム数にして三十。〈キャロッツ〉は申請が一番最後だったことから最下位スタートとなるが、それならばむしろ下位転落することはなく這い上がるだけだと號は意気込んでいた。それに励まされたメンバーも少なからずいる。

 

「ところでエヌラストレーナーが遅いわね!」

「たづなさんに呼び出されていたのでおそらくしこたま説教くらってるものだと思われます!」

 トレーニングの時間になっても姿を見せない時は、號がエヌラスに代わってマンハッタンカフェ達の面倒を見ていた。

 今朝も姿を見せなかったことから不安そうな顔を見せるダンツフレームが、ちょうど走ってくるトレーナーの姿を捉える。

 

「あ、エヌラスさんだ……」

「いやーわりぃわりぃ。たづなさんの説教が長引いてよ、遅れたわ」

 まったく堪えていないのか、いつものようにしまらない顔で手を振ると、カオルちゃんと挨拶を交わしていた。

 顔に湿布と絆創膏を貼ったエヌラスを見て、マンハッタンカフェが目を丸くして固まる。

 

「お疲れ様です! どうしたんすか、その顔」

「いやほら、裏山に野犬出たっつー話で。俺が追い払ったって話したらたづなさんにどちゃくそ怒られてよ」

「………………」

「それでー……、あの、カフェ? めちゃくちゃ怒ってないか?」

「……貴方はどうして、そう……言ったばかりなのに……」

「担当より無茶をするトレーナーは早々いないと思うんだけどねぇ、エヌラストレーナー?」

 イカ耳のマンハッタンカフェに睨まれ、アグネスタキオンからの援護が刺さった。それには何も言い返せず、「あー」だの「うー」だの言っている情けない大人がひとり。

 

「いや、俺がちょいと無茶して怪我すりゃどうにかなるんならそれで良くねぇか。他の誰かが怪我するよりずっと良い。特に君らはレースに出る将来有望な選手なんだから」

「それでカフェちゃんの負担になっていたら世話ないわねエヌラストレーナー! 大人としては立派だけど、トレーナーとしては思うところがあるわよ! そもそも怪我しないようにしなさいな!」

「今更過ぎてまったく心に響かねぇな、カオルちゃん」

「……そんな無茶をするトレーナーさんには、コーヒーを淹れてあげません」

「ごめん! それだけは勘弁してくれねぇか!!! 俺が悪いのは重々承知してるから!」

 説教なんかよりもコーヒー一杯抜きにされる方がよほどダメージがデカい。今度からはそうしようと、マンハッタンカフェはそっぽを向きながら心に決めていた。

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