星霜の影を踏みしめて   作:アメリカ兎

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いつメン、集合(+不審者一名)

 

 旧理科準備室の中を見渡す限り、どうやら彼女のスペースは部屋の幻想的な空間側らしくそこから動こうとしない。陽射しの当たらない薄暗い隅っこでじっと大人しく珈琲を飲んでいる。

 インスタントとは違う、淹れたての芳醇な香りにエヌラスは気になって尋ねた。

 

「……きみ、コーヒー好きなのか?」

「はい……貴方は、お好きですか?」

「たまにしか飲まないけれど、好きな方だな」

「……そう、ですか」

「あんま金無くてさ。どうしてもって時に飲むようにしてる」

「あの。もし、よろしければ……一杯、いかがですか」

「え、いいの?」

「……いいよね? ……うん。『彼ら』も、貴方は信頼できる人と言ってくれています。気遣ってくれた御礼だと思ってください」

 ソファーから立ち上がり、マンハッタンカフェは来客用のマグカップとソーサーを取り出す。

 挽きたての香りが室内に漂う。

 

「お砂糖や、ミルクの方は……」

「俺はブラックしか飲まないんだ」

 何故なら金がないから。

 

「ブレンドの方とか、味の濃さとかは君に任せるよ。同じやつでもいいし、ドギツイやつでも構わない」

「……わかりました。それでしたら、私と同じのにしますね。どうぞ」

 すぐに差し出されたコーヒーを受け取り、エヌラスはまず香りを堪能した。それから冷める前にすぐ口に含み、舌で味わう。

 眠気を直接殴りつけるような苦味を感じたのは一瞬、それからすぐに清涼な後味に変わる。豆本来の味を損なうことがない妙技に驚く。

 マンハッタンカフェはエヌラスの様子をじっと見つめたまま人形のように動かない。

 

「……お口に合いませんでしたか?」

 不安そうな表情に応えるようにエヌラスは一息に飲み干す。

 コーヒーは抽出する温度によって味わいも変化してくる。

 一般的に最適とされる温度は90℃〜95℃。最も味のバランスが取れる温度だとされている。マンハッタンカフェが淹れたのも同程度。それを一息に飲み干すのは、目の当たりにしても尚信じられない光景だった。

 

「──、くぅ〜〜! 淹れたてはやっぱ違うなぁ。美味しかったよ、ありがとう。一気に飲むのは流石に勿体なかったか……」

「…………あの、大丈夫ですか」

「え? あぁ、大丈夫大丈夫。平気平気。慣れてる。せっかく淹れてくれたんだ、出来立てで熱いうちに味わっておきたくてさ」

 ご馳走様、と空になったマグカップを渡す。

 

「……いやでもやっぱ勿体ねぇな。次の機会があれば、ゆっくり味わっていただくことにするよ。美味しかったのは本当」

「貴方の言葉に、嘘が無いことは『彼ら』も理解してます……安心してください」

「そっか。ところでその、君の『お友だち』とやらは他の人には見えていないのか?」

「…………」

 表情が翳る。それが何を物語っているのかは察しがついた。それもそうだ、彼女の『お友達』が見えている他の生徒がいたならこの幽霊騒動はもっと大騒ぎになっているはず。

 ──ひとりでは手が回らなくなってきた、と言っていた。それが答えだ。

 

「踏み込んだことを聞いてごめん」

「いえ……」

「……君の『お友だち』が俺を誘い込んだのは、もしかして君を助けてほしかったからか?」

「それは──……」

 彼女にしか見えない存在が何を言っているのか、聞き取るつもりはない。ただそれは、マンハッタンカフェにとって余計なお世話と突き放せない優しさだった。

 

「……ううん。謝らなくていい……うん……見つけてきてくれて、ありがとう……」

 黒い影が薄く笑った気がする。それは朧気な輪郭で、しかしエヌラスの視線に気づくとどこかへと消えていった。

 

「ごめんなさい……貴方の申し出は嬉しいですけれど……まだ、少し信じられなくて」

「いや、俺の方こそごめん。突然ひとりの時間を邪魔したどころかわけわからんこと言ったりして。急な出来事で混乱してるだろうし、ゆっくり答えを出してくれればいいよ」

 やんわりと距離を置き、エヌラスは旧理科準備室を後にしようとする。しかし、空になったマグカップを片付けようと立ち上がったマンハッタンカフェが不安定な傾き方をするのを見た瞬間──身体が咄嗟に動いていた。

 

 身体を受け止めるように腕を差し出し、それを支えにしてマンハッタンカフェが踏みとどまる。手元から滑り落ちたマグカップをエヌラスは靴でキャッチしていた。カップが割れるよりもマシだ、汚れは洗い落とせる。

 

「あ……──」

「ふぅ~、あっぶね……あぁ、足癖悪くてごめん」

「……いえ、その……、ありがとうございます──」

「しかし君、なんつうか。思った以上に細いっていうか」

 あまりにも軽い。食も細そうだ。それに加えて寝不足気味なのだろう。立ちくらみしても無理ない話だ。

 

(こんなとこ、他の生徒に見られたらやばいよなぁ……)

 冷静に考えてみれば、人気のない部屋にウマ娘とはいえ女の子がひとり。そこに見るからに凶悪な不審者が一名。

 それが今はこうして至近距離に迫っている。腕を支えに立っているとはいえだ。

 これはちょっと急いで離れた方がいいかもしれない、とエヌラスが考えた矢先に足音が近づいてくる。

 いやまさかね。足取りまっすぐ旧理科準備室の扉を開けるなんてことは──。

 

 ──ガラッ。

 

「やぁやぁカフェ、具合の方はどうだい? 新しい滋養剤を考えたのだけれどもよければ──」

「おーい、元気してっかー」

「カフェちゃん、気分の方はどう? 元気になった?」

 ──そのまさかだった。まっすぐ旧理科準備室の扉を開けて、バッチリ目が合った。

 空気が凍りつく。

 一秒あれば充分、覚悟完了──!

 

「っすー……よーし、怒られる覚悟だけはできてる。かかってきやがれ」

「…………おや? ふゥん、なるほどこれは──通報するべき案件かな?」

 三人のウマ娘はどうやらマンハッタンカフェの知人のようだ。

 一人は特徴的な赤い瞳のウマ娘。こちらを興味深そうに見つめている。

 もう一人は顔を引きつらせて眉をつり上げた。カバンを振るのを見て、エヌラスは足で受け止めていたマグカップを跳ね上げると優しく下から放り投げる。

 

「落とすなよ」

「あ? ──おわぁぁぁっ!? 何考えてやがんだ!」

 虚を突かれた相手は、それがすぐに来客用のマグカップであることに気づくとカバンを放り投げて慌ててキャッチした。

 その隙にマンハッタンカフェを優しく座らせてからエヌラスは人の良さそうな雰囲気のウマ娘の横をすり抜けて廊下に駆け込む。

 

「あっ! テッメ、待ちやがれこの不審者ー!!!」

 マグカップを置いてからその後を追いかける足音が遠ざかっていくと、マンハッタンカフェはなにか言いたげに手を伸ばしていた。

 

「カフェちゃん、変なことされてない? 大丈夫?」

「はい。あの、今の人は……」

「ポッケ君がすぐに捕まえるだろうからここで待とうじゃないか。いやしかし意外だねぇ」

「……何がですか」

「ここで君が逢引していたことにさ」

「そういう関係では……ありません。──お早い、お帰りですね」

 二人が顔を見合わせる。その言葉は自分たちではなく、第三者に向けられたものであったから。しかし、入口の物音に振り返ると今しがた走り去っていったはずのエヌラスが腕を組んで不満そうに扉へ寄りかかっていた。

 

「ぅひゃあぁぁぁっ!? ぽ、ポッケちゃんは!?」

「ひとりでどっか突っ走っていったよ……なんで俺戻ってきちまったんだ……?」

「犯人は現場に戻るとは言うけれども、こんなに早いとはね。なにか忘れ物かい?」

「強いて言うなら一般常識かな……」

「アッハッハッハッハ、面白いことを言うねェ。ふむ。ダンツ君、ポッケ君に連絡して呼び戻してくれたまえ。どうやら彼には事情がありそうだ」

 

 

 

 ──なんで初日からウマ娘に包囲されて事情聴取されなければならないのか。エヌラスは天井を見上げる。うーん見知らぬ天井だ。

 旧理科準備室を私物化しているのはマンハッタンカフェだけではなく、アグネスタキオンという赤い瞳のウマ娘の二人。

 男勝りな性格のウマ娘がジャングルポケット。

 人の良さそうな雰囲気のウマ娘がダンツフレーム、というらしい。お互いの自己紹介を終えたところで、エヌラスは改めて事情聴取に協力する。

 

「──ははぁ。そうなんですね。エヌラス……トレーナー?は中央の噂を聞いて」

「俺ってそんなトレーナーに見えないのか……」

「ズバリ言わせてもらうと反社会的な人間の模範解答だねェ」

「まずツラが悪ィ。っつーかなんだそのサングラス」

「日本の日差しがキツいんだよ俺は」

 滅びろ太陽。

 今は屋内、それもカーテンを半分締め切ったマンハッタンカフェのスペースに身を置いている。それならばサングラスを外してもいいだろう、とエヌラスはジャングルポケットに言われるまま外した。

 その顔を見て、ダンツフレームがちょっぴり怯える。

 血のように赤い瞳。垂れた前髪から覗き込む左目の深い刀傷。切れ長の目、人を寄せ付けない目付きの悪さ。

 

「どちらにしろ顔立ちが怖いことに変わりなさそうだねぇ」

「タ、タキオンちゃん。そんなはっきり本当のこと言っちゃダメだよ!」

「いやでもヤベェ顔してるって。俺でも街中で見かけたら近寄らねえって面だ。マジモンだって」

「おーい、全部まるっと聞こえてるからなー」

「おや、これは失敬。失礼ついでに聞くけれど──君はどうやってここに辿り着いたんだい?」

 アグネスタキオンの質問にジャングルポケットは疑問符を浮かべる。

 

「何言ってんだ? どうやってって、そりゃ……」

「わかってないねェ、ポッケ君。彼は見たところ新人トレーナー、その彼が。どうして。旧理科準備室にいるカフェのもとへ真っ直ぐ辿り着いたのか。私が聞いているのはそういうことだよ」

「……あ、そっか。エヌラストレーナーさんは学園のことを知らないのに」

「そう。彼はまるで“何か”に導かれたかのように出会った。これは実に興味深い。そこのところどうなんだい、エヌラストレーナー? それに君の言う『オカルトハンター』についても興味は尽きないところだ」

 エヌラスは一度だけマンハッタンカフェに目配せする。果たして話していいものか。視線に気づいたのか、やがてすぐに頷いた。

 

「だったらわかるだろ。その『オカルト』絡みで此処に辿り着いた」

「いや、ちょっと待て」

 耳を畳んだジャングルポケットがすぐに口を挟んでくる。

 

「──んじゃ、マジでいんのか? その……」

「今お前の後ろにいる」

「ぅひゃあぁぁ!?」

「冗談だよ」

「何だよテメーやんのか!? ふざけてんのか!」

 ちょっとした冗談だというのに耳を絞って怒り出していた。どうやら怖いものは怖いらしい。

 

「俺の方からいくつか質問がある。幽霊騒動での被害者は今までで何人出てる」

「噂の範疇だけれど、生徒会長でもあるシンボリルドルフだけだよ」

「これまでその幽霊を見たことがある生徒は?」

「それらしい目撃情報はいくつかあるね。でも証人がいない、眉唾物さ」

「当時の状況は」

「それは直接会長に聞いた方が早いだろうねぇ、私は実験で現場にはいなかったのだから」

「ご協力どうも。そっちの二人も何か知っていたら教えてくれると助かる」

 しかしジャングルポケットもダンツフレームも知っている情報はアグネスタキオンと同等程度のものだった。こうなるとコレ以上の収穫を望むには直接生徒会長であるシンボリルドルフに尋ねる他になさそうだ。

 

「今度は私の方から質問をさせてもらうよ。君の言うオカルトの定義について」

「超常現象」

「超自然的現象。幽霊。未確認生物、それらも含めてかな」

「そうなるな」

「ふゥん、なるほどね。では次の質問だ。君はどうしてトレーナーになったんだい?」

「事件の真相をこの目で確かめるため、学園側の依頼で。これ以上の被害を出さないためにはウマ娘と生活した方が効率的だと判断した」

「合理的判断だ。納得したよ。ではこれが最後の質問だ──君は、“何者”なんだい」

「何者って、タキオンちゃん。この人、普通のトレーナーじゃ……あ、えっと、普通じゃない人かもしれないけど」

 ちょっとその訂正の仕方は心が傷つくぞダンツフレーム。君だけは癒やし要素かと思っていたのに。エヌラスはちょっとショックだった。

 

「ダンツ君の言う通り。そう、普通“じゃないかもしれない”トレーナーだ。なにせオカルトハンターなんて仕事を生業にしているくらいだからね。となると君には、オカルトを相手にする相応の理由なり実力なりあるわけだ。そうでもなければここにはいないはずなのだから。そうするとだね、やはり好奇心が疼くのさ──果たしてこのトレーナーは何者なのか、と」

 実に興味深い。その赤い瞳は好奇の色を隠さず輝いて見えた。だがそれは純粋な興味であるというよりも、新しい玩具を見つけたような怪しさ。

 エヌラスは自分に向けられる半信半疑の視線を見渡してから、軽く手を叩いた。全員の耳が興味を示すように前を向く。

 

「はい、俺の右手に注目」

『?』

 手を開いて、手のひらを見せる。それから手の甲を見せる。何も持っていないことを確認させるとダンツフレームがしきりに頷く。

 エヌラスがぐっと握ると、拳が発火する。目を見開いて固まるアグネスタキオンに、驚くジャングルポケット、目を輝かせるダンツフレーム。マンハッタンカフェはその炎の揺らめきをじっと見つめていた。

 手を振り払うと炎は何事もなかったように消える。

 

「簡単に言っちまうと俺は『魔術師』なんだ。『怪異』側の存在ってこと」

 怪異を狩る側の怪異──だから、オカルトハンター。

 ソファーから立ち上がり、サングラスをかけると唇に指を当ててエヌラスは旧理科準備室の入口で振り返った。

 

「できれば今見たものは秘密にしておいてくれ。仕事柄、あんま目立ちたくねぇんだ」

 またな、と最後に言い残して扉を閉める。

 ──次に目指す場所は生徒会室だ。

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