中央トレセン学園を歩くエヌラスは、自分の後ろからついてくる相手に振り返る。
「……なんで君はついてきちゃうの、ダンツフレーム」
「えっ!? えっ、とぉ〜……場所わかるのかなぁって」
「案内板なり見ればわかる」
「エヌラストレーナーさん一人だと勘違いされて、また騒ぎになっちゃいそうですし」
「……君、お人好しってよく言われない?」
「えっ。なんでわかるんですか?」
わかるわそりゃ。
「君もなんか予定あるんじゃないのか」
「ポッケちゃんに誘われて、カフェちゃんの様子見にきただけなので」
「……あの子、いつ頃からあんな調子なんだ?」
「会長が倒れた後からです。大体……三ヶ月くらい前かな?」
日に日に体調が悪くなっていくのは知っていたが、友達としてできることはあまり多くないことに引け目を感じてしまう程度にダンツフレームは優しいウマ娘で、友達思いな一面があった。それと同じくらいマンハッタンカフェも気を許している。
「あの子にトレーナーは?」
「まだいなかったはずですよ。かくいう私もなんですけどぉ……」
照れ隠しの笑みを浮かべてはにかむダンツフレームに、エヌラスは相槌を打つ。トレーナーという隠れ蓑、その資格を剥奪されて学園への立ち入りを禁じられては本末転倒。ならば調査を続けるためにも、それらしい行動は示しておかなければならない。
「一番手っ取り早いのは彼女のトレーナーになることなんだけどなぁ。見た感じあの子、警戒心強そうだし。難しそうだ」
「カフェちゃん、あんな調子だから模擬レースでも実力が発揮できなくて……それでも声をかけてくれるトレーナーさんはいたんですけど」
「いたんだけど?」
「なんでか、その人達の身の回りで不可解な出来事が起きて、よけいに不気味がられちゃって」
やりすぎだぞ『お友だち』のみんな。ほどほどにしておけ。
「私としてもカフェちゃんのトレーナーさんになってもらえるなら嬉しいです」
「そりゃまたどうして」
「……カフェちゃん、幽霊騒動のせいでますます誤解されちゃってるんです」
元々成績も生活態度も模範的な優等生。だがちょっと変わった不思議な子だった。それが顕著に示される形でこの騒ぎ、当然それが良い方向に向くはずがない。だからますます一人で抱え込むしかなかったのだろう。
ダンツフレームの見ている前で、エヌラスは露骨に眉をつり上げて歯噛みした。
「胸糞悪ぃ。元凶見つけたらしこたまぶん殴ってやる」
「……思ってたより、ずっといい人で安心しました」
「はぁ? 俺こんなんだし、口も柄もお世辞にも良いとは言えないし。第一、顔がこれだぞ」
「でも。カフェちゃんのために本気で怒ってくれてるじゃないですか。それじゃダメですか?」
「……誤解が解けるというか、味方してくれる子が増えるなら悪い気はしない」
ダンツフレームの案内で生徒会室へ向かう。階段を登り終えると、ちょうど出てきた相手と廊下で鉢合わせる。
エアグルーヴと呼ばれたウマ娘は生徒会の副会長を担当しているらしく、会長に代わって様々な業務をこなしていた。
鋭い目元から、神経質な雰囲気を醸し出しているのは昨今の騒動のせいだろう。見慣れない不審者が生徒を連れて歩いていることに一瞬警戒するが、すぐにダンツフレームが説明した。
「──会長に話が? 新人トレーナーである貴様が何の用事だ。用件があるなら私が聞いてやる。手短に頼むぞ」
「あー……できれば直接話を通してくれると助かるんだけど……」
エアグルーヴからの視線がますます険しくなる。その迫力にはダンツフレームも冷や汗をかき始めていた。
「会長は今手が離せない」
「なら皇帝様のトレーナーでもいいんだが」
「いい加減にしろ」
どうも相当神経質になっているらしく、エヌラスが日を改めようと身を引こうとする。しかしその時、生徒会室の扉が開いた。廊下でエアグルーヴが剣呑な空気を出していることが不思議に思ったのか、生徒会長──“皇帝”シンボリルドルフその人が首を傾げている。
「エアグルーヴ、どうかしたのか?」
「会長。いえ、こちらの新人トレーナーが話があると……」
「君は……、うん。わかった。私が直接聞いておくよ」
「しかし」
「初日からああしてダンツくんと肩を並べている。短時間で信頼を得るだけの術があるのなら、彼の誠実さを信じよう。自己紹介が遅れたね、私はシンボリルドルフ。生徒会長を務めている」
「俺はエヌラス。ご覧の通り新人トレーナー、多忙なようなので手短に済ませます。ダンツフレームはどうする?」
「え? あ、じゃあ……乗りかかった船なので、もうちょっとだけお付き合いします」
──生徒会室は整然としており、シンボリルドルフの机の上だけは書類山脈が連なっていた。その光景にトラウマがフラッシュバックしたエヌラスがおののく。
「う、うぉぉ……すげぇ量……」
「あぁ、これかい? 以前ほど業務をこなすスピードが保てなくてね。日々片付けてはいるのだけれど、それと同じ量の物が毎日運ばれてくるんだ。さて、それで君の用件を聞いておこうか」
「──中央の幽霊騒動、その唯一の被害者であるシンボリルドルフに当時の状況を聞きにきた」
(うひゃ~、エヌラストレーナーって本当にズバッと言っちゃうんだぁ……)
ダンツフレームは生徒会室の空気とシンボリルドルフの雰囲気に気圧されて落ち着かないというのに。
(でも確かに、タキオンちゃんの言ってた通りちょっと普通じゃないのかも)
──ダンツ君。もし暇なようだったら彼と少しの間、一緒に行動してみてくれないか? いわゆる監視役というものだね。うん? どうして君なのかって、決まっているだろう。私は実験で忙しい、カフェはこの調子だ。ポッケ君は……、余計に一悶着起こしそうだからねェ。君だけが頼りなんだ。……と、アグネスタキオンに頼まれては断りきれない程度にはお人好し。
「それを聞いて、どうするつもりなのか尋ねてもいいかな」
「事件の参考に。早期解決の糸口になるかもしれませんので」
「…………君はトレーナーだろう? 確かに生徒のみんなも不安がっているが」
「これ以上の被害者を出さないためにも。情報提供のご協力をお願いします」
「──あの、私からもお願いします! ルドルフ会長!」
ダンツフレームが頭を下げる。それにはエヌラスも思わぬ助け舟を出されて驚いていた。
「私、まだ全然この人のこと知りませんけれど。でも! 幽霊騒ぎでカフェちゃんがつらい思いをしているって話を聞いた時、本気で怒ってくれたんです! 見ず知らずの私達に真摯に向き合ってくれているんだって思いました! なので──えっと、信じてあげてください!」
「君が頭を下げることはないだろう、ダンツフレーム。これは俺の仕事なんだから」
「私にお手伝いできること、これくらいかと思って……」
気が進まない表情だったシンボリルドルフが、ふたりのやり取りを見て表情を和らげる。
トレーナーの説明会でも、一際異彩を放っていたエヌラスのことをシンボリルドルフは一目で覚えた。外見的な印象だけで言うならば、あまり快い印象を受けなかっただけに不安だった。しかしこうして目の前にしてみると己の観察眼を恥じるばかり。
「わかった。私が覚えている限り当時のことを話そう」
「会長──! ありがとうございます!」
「あ、いや、だから君が頭を下げなくても……」
自分の代わりに再び頭を下げるダンツフレームにエヌラスが申し訳なさそうにしていた。
──シンボリルドルフの証言によれば。
トゥインクル・シリーズを駆け抜けた後、自らの功績に感謝すべく見守ってくれていた三女神像のもとへ向かった。当時は深く考えずに、心の赴くまま足を運んだ。しかし、そこで事件は起きた。
「──“黒い影”?」
「うん。そうなんだ。なんと言ったらいいかな……急に襲われたものだから私もあまり自信は無い。これでも人の顔を覚えるのには自信があるんだが……思い出そうとすると、輪郭が朧げでね。曖昧にしか思い出せない」
「そいつの特徴とかは」
相手の姿を鮮明に思い出そうとしているのか、シンボリルドルフが押し黙る。やがてひとつずつ、確かめるように喋り出した。
「私が襲われた時、まるで暗闇の中に閉じ込められたような不思議な感覚を覚えた。光ひとつない中で、微かに明るい方角を目指して駆け出したんだ。ただ……そこで、背後から追ってくる気配に振り返ったんだ。私が犯人を見たのはそれが最初で最後だよ」
暗闇に溶け込むような黒い身体、赤い瞳、獰猛な目つき。
「情けない話だけれども、私は……あの姿を思い出すだけで恐怖で手が震える」
ダンツフレームがごくりと唾を飲み込む。
「迫る影を振り払おうと走った私は力及ばす……、あとは皆が知っての通りだ」
「そうだったんですね……」
チラリとエヌラスに視線をやると、顎に手を当てて何か考えていた。
「……どうだろうか。なにか、君の望む情報は得られたかな?」
「──そいつは何処から現れたんだ?」
「わからない」
「三女神像の広場は俺も見た。だがあそこには身を隠せるような場所なんかなかったはずだ。ウマ娘は人間に比べて聴力も優れている。油断していたにしたって物音ひとつ立てず会長を襲うのは至難の業だ。それに暗闇に囲まれた場所を走った、と言っていたのも気になる」
正体不明の相手をなんとか言葉に形容した結果が“黒い影”である。そのことは別に大した問題ではない。エヌラスが気にかかる点は他にあった。
「そもそも、そいつの目的そのものが不明瞭過ぎる。命を狙うならわざわざ走らせたりもしない、ましてや暗闇の中に引き込めるなら死体も残さない。なのにそいつは、会長から足を奪っただけに留めた。ウマ娘にとって死ぬより酷いことかもしれないが、さておいて」
その横顔を覗き見ながら、ダンツフレームは驚いている。
オカルトハンターという肩書きに偽りが無いこともそうだが、突飛な幽霊騒ぎにこんなにも真剣に向き合っている。それは恐らく、目の前に被害者その人が立っているからだ。サングラスで目元を隠してはいるが、隣に立つダンツフレームはひしひしと怒りのようなものを感じていた。
「それは……確かにそうかもしれない。盲点だったな」
「なぜ狙われたのか、心当たりは?」
「どうだろうな、なにせ私は品行方正。ウマ娘のみんなが平等に幸せでいられるように、常に自らを正しくあるべきと律している。疎ましく思う生徒も少なからずいるかもしれないし、私の走りを妬ましく思う子もいるかもしれない」
「えっ、と。ルドルフ会長はトゥインクル・シリーズを“無敗の七冠バ”で飾ったとても凄い御方なんです」
「重賞ウマ娘、ってことか」
だとしても何故、シンボリルドルフが狙われたのか。エヌラスはひとまずその疑問を自分の中に閉じ込め、二人に自分なりの答えを話す。
「シンボリルドルフ、情報提供に感謝する。大きな収穫だ。ひとまず現時点で俺なりの考えを伝えておく」
「こちらこそ。突拍子もない騒動に私達も手をこまねいていたところだ。どうすべきか、とね。それで、エヌラストレーナーの考えは?」
「あらかじめ言っておく。あまり良い話じゃないことだけは覚悟しておいてくれ」
エヌラスは一拍、そう念頭においてから続ける。
「まず最初に、情けない話だが対策方法が無い」
「えぇっ!?」
「──理由を聞いてもいいだろうか?」
「正体不明、神出鬼没。目的も不明。そんな奴に対策する術はない。話を聞く限り、そいつは突然現れて暗闇の中に相手を閉じ込める。そいつに追いつかれたら“足”を奪われる。こんなところだが、事前に対策するのは不可能だ」
「ならどうしたら……」
「ただひとつ方法があるとしたら──そいつが姿を見せる時に俺がぶっ飛ばしてやるくらいか」
(自称)オカルトハンターをもってしても取れる対策はそれだけ。姿を見せる一瞬の隙を突く。誘い出す方法があれば話は変わってくるが、現状では目的も不明な相手だ。
「……あのっ」
「ん? どうした、ダンツフレーム」
「えっとぉ……多分、私の考えすぎかなぁって思うんですけど、いいですか?」
「なにか気づいたことでも?」
「ルドルフ会長を襲った幽霊って、もしかしたらなんですけど……“走りたい”んじゃないかなぁ〜……なんて……」
走りたい。ウマ娘にとって、それは衝動にも似た欲求。
勝ちたいから、負けたくないから。それは相手がいるからこそ成立する後付の感情。
原初の欲求、渇望して止まない本能。
なぜ走るのか──走りたいから。
「うまく言葉にできませんけれど、私ってポッケちゃんやタキオンちゃん、カフェちゃんに比べると自分の強みみたいなのなくって。でも、そんな私でも“勝ちたい”って思うんですけど、それってやっぱり他のみんながいるおかげで……だからもしかして、その幽霊もそうなんじゃないかなって思ったんですけれどぉ……」
「なるほど。確かに──今の私は、以前のように走りたい、と思う気持ちが湧かなくなった」
単に気落ちしているだけともシンボリルドルフは客観的に捉えていた。だが、もしもダンツフレームの仮説の通りだとすれば、奪われたのは“足”ではなく“本能”とも言える。
それとも奪われたのは“夢の煌めき”か──。
「だから、あの、多分……強い子と走りたくて、会長が狙われたんだと思います」
「──となると次に狙う相手は」
「トゥインクル・シリーズで一番強いやつ」
つまり“最強”のウマ娘が狙われる可能性が高い。
しかしそうなると、ますます懸念されるのはレース界隈が萎縮してしまわないか。勝利を目指すほどに狙われる危険性が高まると知られれば、当然レースそのものを辞退するウマ娘も出てくるかもしれない。それはシンボリルドルフも望まないことだ。
「となれば対策法は決まったな。これは俺の方から理事長に報告がてら対処しておく。どこまで動かせるかはわからないが、その時は口添えしてくれると助かる」
「ああ、もちろんだよ。今の私にどこまでできるかわからないが、尽力すると約束しよう」
──エヌラスとダンツフレームが生徒会室を後にする。
よもや初日からここまでの情報が集まるとは思いもしなかった。
「ダンツフレーム」
「私のことはダンツ、でいいですよぉ。なんですか、エヌラストレーナーさん?」
「なら、俺のことトレーナーとは呼ばなくてもいい。兼業だしな」
サングラスをずらし、小首をかしげるダンツフレームのあどけない表情に照れくさくなってつい目を逸らしてしまう。
「その……、ありがとな」
「へ?」
「俺一人じゃここまでうまく話は進まなかっただろうし、情報を聞き出すこともできなかった。君の仮説もあながち的外れじゃなかったし、助かったよ。だから、ありがとう」
「──ど、どういたしましてぇ」
陽が傾きだして茜色に染まる空を見やってから、エヌラスはダンツフレームの鼻先に指を突きつけた。
「それと、悪ぃ男に引っかかるなよ?」
「…………は、はい」
「またなんかあったら教えてくれ。できる限りで俺も君に協力する。それじゃあな」
「おや、おかえりダンツ君。首尾はどうだったかな?」
旧理科準備室に戻ってきたダンツフレームを迎えたのは、いつものように実験器具と向き合うアグネスタキオンと、手持ち無沙汰にしているジャングルポケットの二人。マンハッタンカフェは珈琲を飲み終えてから一足先に寮へ戻ったらしく、どうやらエヌラスの忠告を素直に聞き入れたらしい。
「随分戻りが遅かったけど、あの不審者に変なこととかされてねーだろな? なにせカフェにいきなり抱きついてたくらいだし──」
「ポッケちゃんっ。エヌラスさんに失礼だよ、ちゃんと謝って」
「…………ぉぅ?」
「それで、ダンツ君から見て、彼はどういう人だったのか教えてもらえるかい?」
「えっ。えーっとぉ……えへへへ……ちょっと、カッコいいかな……なんて、思っちゃったり」
顔が赤くなっているように見えたのは、果たして夕焼けのせいか。それとも彼女のが照れているからなのか。この僅かな時間で一体なにがあったというのか、興味は尽きないところだが──。
「……これはもしかすると、人選を間違えたかもしれないねぇ」
「おいタキオン。オメー責任取れよ……?」