──パーティー会場へ戻ってくると、すでに食事の席もほどほどに。関係者同士が輪を作って談笑していた。
ドゥラメンテと柊が戻ってきたことに気づいた國弘が一言断りを入れてからシンボリ家の集まりを離れる。
「やぁ。戻ってきたんだね、彼女の父親に呼び出されるなんて余程のことだ。どうなることかと冷や冷やしていたが……その様子では悪い話ではなかったみたいだね」
「まぁ、そうですね」
「それで、一体どんな話を?」
「……どう説明したらいいものか悩みます」
「ははは、そういうことなら聞かずにおいておくよ。もし差し支えなければ、私の方からも君をみんなに紹介しようと思うのだが、どうかね」
「いえ、お気持ちだけで」
自分が中央に配属されたことに対して、柊は妙な居心地の悪さを覚えた。トレーナーとして地方トレセンに勤務することになった弟よりも、自分がそのようにして恵まれてよかったのか。結果的に言えば、號も実力を認められて中央への転属を持ちかけられていたわけだが──それでも柊は浮かない顔をしていた。
弟は確かにバカだが、自覚がある。だから物事には人一倍時間と熱意を持って取り組む。だからこそ、そんな弟よりも理不尽な理由で自分が中央に配属された事がどこか居心地の悪さを覚える。
周囲を見渡し、柊はわざわざ自分が輪を乱すことはないだろうと会場を後にしようとしたが──不意に、URA関係者に囲まれた男性に目が留まった。
銀の髪、白いスーツ。人を惹きつける朗らかな笑み。握手を交わす二十代半ば程の青年は、自分に向けられている視線に気がついたのか柊の視線とぶつかる。すると、関係者の輪から離れて心からの笑みを向けてきた。
「ヒイラギ、久しぶりじゃないか! キミと直接会えるなんて驚きだよ! 元気にしてたかい」
「元気じゃなかったら死んでる」
「あぁうん、その言い草。本物だ! 会えて嬉しいよ!」
「ハグはやめてくれ。目立つし恥ずかしい」
ドゥラメンテの目の前で交わされる男同士の熱い抱擁(一方的)。柊はげんなりとした顔をしているが、口角がわずかに上がっている。相手もまた、営業スマイルなどではなく自然な笑み、心からの信頼を寄せる相手に見せる笑顔で迎えていた。
困惑しながらもドゥラメンテは相手の顔と名前、職業を思い出す。そしてそれがどうしても、自分のトレーナーとなった人物との接点が思いつかなかった。
「柊トレーナー、こちらの方とはどういった縁で?」
「あぁ。コイツは」
コイツ呼ばわり。
「海外留学生ということで、中学時代のクラスメイトだ。どうしてここにいるんだ、クリス」
「どうしても何も、父の仕事を継いだからさ。今や一企業の社長、というわけ」
「……本当に、意外だ」
──クリス・クライング。
アスリート向けコスメブランド『クリア&フレグランス』社、通称『C&F』の若旦那。日本市場にも進出しており、トップシェア……とまでは行かずともコツコツと売上を伸ばしている。本社は欧州にあり、当然ながら世界一のGⅠレース『凱旋門賞』においても出資者に名を連ねていた。
「キミはドゥラメンテちゃんだね。お会いできて光栄だ。キミの一族には私の父も、会社も返しきれない程の恩がある。若輩者ではあるけれど、私にできる事があれば是非協力させてもらうよ」
「はい。ありがとうございます。では早速になりますが……」
「うんうん、遠慮なく言ってくれ」
「……柊トレーナーは、学生時代。どのような方でしたか?」
ドゥラメンテの質問に対して、クリスは柊を指差す。
「昔っからこんな感じだよ。あの頃の方が可愛げが……、なかったかもね」
「おい」
「だって本当のことじゃないか。キミ、みんなでゲームやると言った時も手加減無しでクラスメイト全員叩き潰してたじゃないか」
「そんなこともあったな」
「今の方が丸くなったんじゃないか? 弟さんは元気にしてる?」
「元気じゃないアイツは見たことがない」
「あははは、それもそうだ!」
本当に仲が良いらしい。ぺしぺしと叩かれている柊は困り顔で笑っていた。
「ヒイラギと来たら、私の父が社長と聞いた時も眉ひとつ動かさないで「俺に関係あるのか?」なんて言ったんだ。いやまったく、めちゃくちゃ関係あるじゃないか。今」
「そうだな。二度とお前の顔を見ることはないかと思っていたんだが、長生きするものだな」
「絶妙に笑えないジョーク、やめなね? さて気を取り直して──ヒイラギ、少しいいかい?」
あれほど嬉しそうに、楽しそうに笑っていた顔から一変して神妙な面持ちのクリスがドゥラメンテに聞こえないように耳打ちする。
(今年のトゥインクル・シリーズなんだけれど、少しばかりきな臭い)
(どういう意味だ?)
(ほら。例の皇帝、シンボリルドルフの謎の不調。前例の無い奇病のことさ)
表向きそれは多忙なる学業と生徒会の役職による過労で片付けられているが──真相は異なっていた。クリスもその話は耳にしている。
(レース界に名を馳せるシンボリ家も顔は平静そのものだけど、内心どうだか。その顰蹙を買う真似だけは上もやりたがらないだろうね)
(なにが言いたい)
(今回は“荒れる”ってことさ。耳に挟んだ情報だと、いつもと趣向を変えて開催されるようだよ。皇帝様の件から世間の目を欺くためにだろうけどさ)
(お前はどうする)
(私かい? それはもちろん会社の利益優先、滞りなく開催されて業績が伸びてくれれば言う事無しだよ)
この商売上手め。しかし柊はそれがクリスの本心ではないことはわかっていた。
(君も気をつけなよ? なにか変わった点に気づいたら教えてくれると助かる)
(変わったこと──)
柊の脳裏をよぎる、黒づくめのトレーナーの姿──おおよそ真っ当な筋とは思えない人気者を思い浮かべて、振り払う。
(まだなんとも言えないな。中央に配属されたばかりで学園の全貌すら把握しきれていない)
(それもそっか。ならなにかあったら教えてくれると助かるよ)
「……? 二人とも」
「あぁ、ごめんねドゥラメンテちゃん。ついつい話し込んでしまった」
ドゥラメンテの一声に、素早く身体を離すとクリスは思い出したように指を鳴らした。
「そーだ。ヒイラギ、トレーナーになったのならうちの広告塔になってくれないか? うちの新商品のサンプルとか贈るよ」
「いらない」
「そう言わずに。キミなら絶対いい宣伝になるからさ。私も『凱旋門賞』の開催までは日本に滞在する予定だから、詳しい打ち合わせはまた後日に」
「勝手に決めるな」
「その時は連絡するよ、またね」
怪訝な視線が向けられ始めていることに気づいたのか、クリスは関係者の輪の中へ何事もなかったかのように戻ると早くも笑い声が聞こえてくる。
柊も何事もなかったように背を向けて会場を後にした。
──月刊『トゥインクル』編集部。
「なぁ、知ってるか? 最近中央トレセン学園で噂になってるアレ」
「中央なんていつも噂が絶えないだろ、どれだよ」
「出るんだとよ、中央で。最近──『黒い番犬』ってのが」
「なんだよそりゃ」
「いや、なんでもな? しょっちゅういるだろ、取材許可無しで突っ込んでくバカ。そういう連中を見つけるととんでもねぇ勢いで突っ込んできて、とんでもねぇ腕力で引きずって叩き出されんだとさ」
別な出版社では早くも犠牲者が出ている。自業自得とはいえ、哀れなことに商売道具を台無しにされたらしい。
パソコンデスクで編集作業に手を動かす男性が身体を伸ばすと椅子の背もたれに背中を預ける。
「取材許可貰っててもウマ娘に迷惑かけるとすっ飛んでくるんだと。そんで付いたあだ名が『黒い番犬』ってわけだ」
「おいおい、そんなんどうやって見分けてんだよ。許可貰ってるかどうか」
「それがよぉ、妙なんだよ。ぶっ飛ばされた知り合いが気になって聞いたんだと「俺が許可貰ってるかどうかなんてわからねえだろ!」ってな」
「そしたら?」
「そうしたらそいつ「そんなもん匂いでわかるわ!」ってよ」
「こわ」
中央の取材やめとこ。予定をキャンセルした。
「乙名史さんも気をつけてくださいよー、これから中央行くんでしょー?」
ショルダーポーチに取材用のメモ帳を入れて席を立つ女性に声をかけると、微笑む。
「お気遣いありがとうございます。ですがきちんと中央からの取材許可もいただいているのでご心配には及びません。それでは編集長、行ってきます」
「おーう、気を付けてなー」
──乙名史悦子が編集部を飛び出し、中央へ向けて急ぐ。
メイクデビューを果たした新進気鋭のウマ娘たちを今すぐにでも、一秒でも早く取材したい気持ちの表れ。そしてその子たちを導くトレーナーの方々にも取材したい。
ああ、早く彼女たちの“夢の煌めき”をこの目で、この耳で、この肌で感じたい──!
と、思っていた乙名史記者を迎えたのは中央トレセン学園の正門からまさしく今、叩き出される違法取材記者達と思わしきボロ雑巾の山。団子のように転がり出てくる見覚えのある顔と初見の顔が入り混じったもみくちゃの団体。
「━━出てけオラァ!!! ブッ殺されてぇかぁッ!!!」
『ヒ、ヒィィィィィッ!!』
いつから中央では猛獣を飼うようになったのか。怒声で空気がビリビリと震える。大の大人がこんなにも情けない声をあげて、情けない姿で逃げ出していくのを目の当たりにした乙名史記者の前に現れたのは──噂に名高い『黒い番犬』まさにその人だった。
鼻息荒く、肩を回して骨を鳴らしている。スポーツサングラスに、黒いフォーマルスーツ姿。左目の刀傷が覗く不審者。だが、確かにトレーナーバッジを着けていた。
手の埃をはたき落とすと、乙名史記者の姿に気づいてスポーツサングラスをずらして赤い瞳と目が合う。目を白黒させて驚きのあまり硬直している姿に、ぎこちなく会釈する。
「……っす、ども……」
「どうも……あの、はじめまして。私、月刊トゥインクルの記者、乙名史と申します」
「あー、はい。ご丁寧にどうも……その、なんつうか、すいません。見苦しいところを」
「あ、いえいえいえ、お構いなく」
「はぁー。まったくなんだって春先にあんな不審者ばっか増えるんだか、毎年こうなんですか中央って」
目の前にいる相手もだいぶ不審者に片足を突っ込んでいるというか肩まで浸かっているような気がするが乙名史記者は大人の対応をすることにした。
「貴方のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「いえ、名乗るほどのもんじゃないです。取材許可はー……、あぁ、うん。そうなの? へぇ……貰ってるみたいなんで、どうぞどうぞ」
何かいま、とても不自然な相槌が挟まった。違和感しかない。
春の暖かい日差しの中で、いやに寒気だけが背中を撫でていく。
「あ、あのぉ。そちらに誰か、いらっしゃるんでしょうか……?」
「え? いや別に。……見えねぇ人か」
「今なにか……」
「あっはっはっはっは、お気になさらず」
──気にしたら殺される。乙名史記者は少なくとも分別のある大人だった。そして死にたくなかった。冗談だとわかっていても、乙名史記者は直感的に理解していた。それは記者として活動してきた観察眼と空気。
この人は、躊躇なく殺れる人種だ──。
幸いなことに、自分に向けて警戒を緩めている。むしろ努めて温和に接しようと気遣ってくれているのがわかった。
この人を記事にすることだけは絶対にやめよう。乙名史記者は固く誓った。