──たづな曰く、月刊トゥインクルはお得意様。特に乙名史記者は毎月毎週のように取材で訪問してくる。ウマ娘にかける情熱だけでなくレース知識も並のトレーナーを遥かに凌ぐ。特にこの時期、デビューするウマ娘とそのトレーナーを軸に取材している。らしいのだが、エヌラスは話半分に相槌を打っていた。
「へー、そうなんすね」
「はい、そうなんです」
「つかぬことをお聞きしますが、こちらの方もトレーナー……ですよね?」
「先ほどはお騒がせして大変申し訳ありません。この時期になると、どうしても許可なく取材する方の対応で忙しなくて。エヌラスさんのおかげか、そういった方の姿を見ることは減りました」
直接被害は受けなかったものの、乙名史記者も殺気立った様子は目の当たりにした。そりゃ業界でも噂になるわけだ。
腕を組んで二人の話を横で黙って聞いているだけだが、妙な威圧感を感じる。その原因はおそらく眉間に寄ったシワのせいだ。不機嫌に思われても仕方ないのだが、サングラスを着けてても日光が目に痛いらしい。吸血鬼か?
「しかし驚きました。噂の黒い番犬が、まさか中央のトレーナーさんだったなんて」
「……? なんすかその、黒い番犬って」
「え? 貴方のことではないんですか?」
「なんで?」
自覚ないらしい。
「あの、無許可の取材班を追い出しているというのは。貴方で間違いありませんか?」
「そうですけど」
「それが今、業界で噂になっているんです」
「なして?」
「いえ、ですから……外見的特徴と、ウマ娘を守る行動から黒い番犬、と」
「……なるほど?」
いまいち腑に落ちていないようだが、納得してもらえた。
相手がトレーナーであるというなら乙名史記者も少々態度を改める。だが、取材しようとした矢先にあらぬ方角に視線を向けていた。
「新手らしいんで行ってきます、たづなさん」
「はい、お願いしますね」
応接室の扉を開けて廊下を全力で走り抜けたかと思うと、もうコースに出ている。
喧騒、野太い悲鳴、重機のエンジン音のような腹の底に響く怒声。もはや聞き慣れてしまったたづなと、見慣れない光景に呆然とする乙名史記者。
「……あちらのトレーナーはいつもああなのですか?」
「お恥ずかしながら。最初は声掛けに留めていたみたいなんですけど、迷惑行為の後が絶たなくて……それで埒が開かなくて実力行使に出たみたいです」
「……怪獣のような方なんですね」
なんか今、窓の外をテレビカメラと成人男性を担ぎ上げてブルドーザーのように走り抜けていく姿が見えた気がする。しかし毎日がお祭り騒ぎのような中央において、エヌラスが暴れ回る姿はむしろウマ娘たちからすれば頼もしく映るらしく今や話題の人。本人はなるべく大人しくしていたいらしいが、それでもウマ娘が困っている姿を見ると居ても立っても居られずに飛び出してしまう。
ましてや相手がいい歳の大人、男性であるともー容赦しない。仮に女性であっても手加減しない。
学園から許可を貰って大人しく常識の範疇に留まるなら何もしてこないが、出来心で手を出した瞬間、敷地の反対側からでもすっ飛んでくる。
その甲斐あってか、近頃はきちんとルールとマナーを守ってくれる記者が増えていた。毒を持って毒を制すとはこのことか。──毒というか劇薬だが。薬と呼ぶのもおこがましい。劇物。
「風貌と言動で誤解を招きますが、エヌラストレーナーは悪い人ではありません。乙名史さんであれば、すぐ打ち解けられると思います」
あの人ぶっ殺すとか吠えてた気がしますが? しかしそこは社交辞令として乙名史記者も笑顔で答えることにした。
二桁近い違法記者を叩き出し、エヌラスは学園の敷地を歩いて回る。授業を終えたウマ娘たちと挨拶を交わしながら見回りをしているとマンハッタンカフェの『お友だち』が見えた。
ふわふわと風船のように浮いて中央の生徒達を眺めている。見れば見るほどにうり二つな姿だがそれは誰にも見えていない。エヌラスの目にはしっかりとその姿が捉えられる。
(まぁ、多分俺が魔術師ってだけじゃないんだろうけども)
この地球もエヌラスが知っている地球とは多少異なる。地名も言語も同一のものだが、細部が異なることから並行世界──パラレルワールドだ。とはいえやることはいつもどおり変わらない。
エヌラスの視線に気づいたのか、ふわりと宙を泳ぐように漂うとすぐそばまで寄ってくる。
中央トレセン学園で幽霊騒動は今に始まった話ではなく、以前からそういった噂そのものはあったようだ。中には悪さをする『悪霊』もいるが、そちらは主にマンハッタンカフェと『お友だち』の手によって除霊されている。ただ、エヌラスはそこまで優しくはない。
──ぷにぷに。
『お友だち』が微笑みながら人のほっぺをつついてくる。他の生徒たちの目がある手前、下手に反応すれば変人扱いされる、いやしなくても変人扱い手前なのだが。スポーツサングラスの下から目で訴えかける。
どうにも。マンハッタンカフェの『お友だち』は自分が見える相手が初めてなのか、こうしてちょっかいをかけてくることが多い。
(マンハッタンカフェは元気にしてる?)
────ウン。
エヌラスの問いかけに、素直に頷いて『お友だち』はある方角を指し示した。その先には旧理科準備室がある。今はそこにいるらしい。
(学園の見回りが終わったら様子を見に行く。ありがとな)
──待ッテル、カラ。
空気に溶けるように輪郭が薄れていくと間もなく見えなくなった。
視線を前に戻すと、もうひとり──ちょっぴり変わったウマ娘に最近絡まれる。
「………………」
長く伸びた末広がりの金の髪、目尻の下がったまぶた、考えの読めない青い瞳。アンテナのようにゆらりと立ったアホ毛──ネオユニヴァースがエヌラスの前に立ちはだかっていた。
「えー、と……ネオユニヴァース、だっけ?」
「──アファーマティブ。ネオユニヴァースは“挨拶”するよ。こんにちは」
「こんにちは。俺に何か用?」
「……貴方は、とても“ノイジー”。宇宙との“交信”が、途切れる──ううん、乱れる、ね。不思議な存在でネオユニヴァースは“困惑”してる」
「…………その、つまり、君は俺に迷惑してるってことでいい?」
「ううん」
違うのか。
「とても“ワンダー”な人。だから“観察”してる」
「……俺から言わせてもらうと君もだいぶ“ワンダー”なウマ娘なんだけど」
「……フフ。お揃い、だね。バイバイ」
「そだね……ばいばい」
最近、よく声をかけられる。長時間話をするわけではないが、それでもなんとも言えない妙な錯覚を覚える。ウマ娘なのだがウマ娘ではないような、相手の姿と中身が一致しないような。そんな不思議な感覚に陥るのだが、どうやら無害なようだ。
──ウマ娘ならぬ『UMA娘』。ちょっぴり不思議な、いや、だいぶ不思議なウマ娘はこちらに興味を示している。類は友を呼ぶということか。
独特な口ぶりと難解な言い回しのせいで少々コミュニケーションに難儀するが、大した問題ではない。
学園の見回りをぐるりと一周。
不審人物、なし。異常なし。不審者該当人物一名、俺。以上──!
今日も中央トレセン学園ですっかり日課となってしまった巡回を終えてから、エヌラスは旧理科準備室へ足を運んだ。
「どうやら君は、変わったウマ娘を好む傾向にあるようだねェ。エヌラストレーナー」
「お前もだいぶ変人だと思うけどな。なぁポッケ」
「そーだな。っていうか問題児筆頭みてーなもんだろ」
「心外だね、私はただウマ娘の可能性を求めているだけさ。というか君たちいつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
旧理科準備室ではジャージ姿のジャングルポケットがアグネスタキオンに併走しろと絡んでいたところだった。マンハッタンカフェもトレーニングを終えたばかりなのか、ジャージを着ている。その顔色はここ数日でだいぶ回復して血色も以前より良くなっていた。
「なんつーかコイツ、思ったよかいい奴でさ。ダチが世話んなったしよ」
「最近俺は“黒い番犬”って噂になってるらしい」
「なんだそりゃ、カッケーじゃん!」
「迷惑行為を繰り返す記者の姿をすっかり見かけなくなったと学園でも評価されてるよ。君は自分の力の使い所をきちんと見極めているみたいだ」
「いや、単に俺が見てて胸糞悪いからぶちのめしてるだけ」
半分憂さ晴らしのようなものだ。なにせ初日にシンボリルドルフから得られた手がかりからさっぱり音沙汰なし。学園を隈なく探知しても一向に進展がない。
秋川理事長ならびにたづなには報告済み、対応策はURAの出方次第だ。近々発表があるとのことだが、果たしてどう転ぶかはわからない。
エヌラスが盗み見るのは、旧理科準備室の自分のスペースでひっそりとおとなしく珈琲を飲むマンハッタンカフェの姿。香りを堪能してから、一口。ゆっくりと飲み進めている。その隣にはやはり『お友だち』がいた。にこやかに笑いながら手を振っている。それに小さく手を振り返すと、一瞬だけ固まるが、やはり嬉しそうにしていた。
「私にもポッケ君にも見えていないみたいだけれど、やっぱりいるのかい? “そこ”に」
「いてもいなくても、お前たちには無害なんだからいいだろ」
「まぁそうなんだけどねぇ」
ジャングルポケットは生唾を飲み込みながらマンハッタンカフェのスペースに目を向ける。
何もいない。誰もいない。珈琲を飲むいつもの黒猫以外には。
ただ、どうしても意識してしまう。物陰に、暗闇に。薄ら暗い空間のどこかに“何か”がいるような気がして──寒気がする。
「あー……俺、そろそろ帰るわ。カフェ、またな。タキオン、オメーは今度こそ併走すんぞ!」
「私の気が向いたらね」
ジャングルポケットが逃げるように旧理科準備室を後にすると、アグネスタキオンは自分の専用スペースでパソコンと向き合っていた。何かのデータを打ち込んでいるのか、キーボードの打鍵音だけが室内に響く。
「……あの、エヌラスさん」
「ん?」
「立っているのも大変でしょうし、もしよければ……どうぞ」
「俺は平気だ。気遣ってくれてありがと。マンハッタンカフェも、だいぶ血色よくなってきたみたいだし、一安心だな」
「……カフェで、かまいません」
ソファーに座るように促されたが、エヌラスはやんわりと遠慮した。隣に座っていた『お友だち』が少し残念がっているように見えたが、夜の巡回業務が残っている。
「『彼ら』から、あなたの話は聞いています。迷惑をかける記者の方だけでなく、夜は幽霊を相手にしていると……」
「その話は初耳だねぇ、実に興味が惹かれる! どのような手段を用いて幽霊退治をしているのか聞かせてもらおうか!」
「拳」
「参考にならないねぇ!!」
だって殴れるんだもん。
「そのおかげで、最近はよく眠れています。夢見も悪く、ありませんし……」
「そっか。ならよかった」
「……、それで。トレーナー契約のお話でしたが──もう少し考えさせてください」
「……それは。君に契約を持ち掛けたこれまでのトレーナーの不幸と何か関係があるのか?」
マンハッタンカフェは、少し気まずそうに顔を伏せる。
契約を持ち掛けたトレーナーが不幸に遭う。それは学園中の噂にもなっていた。選抜レースでも調子が戻ってきた走りを見て声をかけたトレーナーがいる。しかし、その人物は帰宅してから耳鳴りがやまず不眠に悩まされた。間もなく相手の方から契約を無効とする申し出があったのは言うまでもない。
「君は優しい娘なんだな」
「え……?」
「君がまだ悩んでいるのは、自分に近づくトレーナーが不幸に遭うからだろ? いーよ知らねぇよ俺はそんなん。何が起きても自分の身ぐらい自分で守れるから」
──開け放していた旧理科準備室の窓から突風が入り込む。春の兆しを告げるはずの春一番が冷気を伴って吹き抜けていくと、扉が勢いよく閉まる。
アグネスタキオンが驚きに目を見開いていた。あまりにも不自然な現象だったからだ。
扉に対して窓は直線上に配置されている。いくら突風が入り込んで来たとはいえ、勝手に閉じるはずがない。
「ぁ……また……」
「……ふむ? これはいわゆる“怪現象”という奴かい? ポルターガイスト、心霊現象、はたまた超自然的現象と、まぁとにかく今ここで、まさに、起きているわけだ」
「そうらしいな」
エヌラスがスポーツサングラスを外すと、血のように赤い瞳が怒りの炎で揺れていた。その視線が見据えるのは旧理科準備室の扉。
「で? カフェ、聞くんだが──アレは君の知り合いか?」
「……いえ」
いる。見える。はっきりとその存在が悪意と敵意を示している。
無数の黒い手が扉の隙間にこびりつき、エヌラスに向けて伸びていた。
アグネスタキオンには見えていないのだろう。
『──ソノ、子ニ……近ヅク、ナ……!』
「知らねぇよタコ。ほざきやがれ」
エヌラスは躊躇なく拳で扉を殴りつけた。
旧理科準備室の扉が歪む。その表面をなぞるように奔る無数の光が幾何学的な模様を描き、こびりつく黒い塊を引き剥がした。
苦悶の声をあげながら自らの身体を蝕む光から逃れようとするが徐々にその輪郭が薄れていく。分解されていく黒い手の塊は最後、床に落ちて這って逃げようとしていた。
しかし、エヌラスが容赦なく踏み潰す。ズドンと、まるで爆弾でも落ちたような振動でアグネスタキオンの頭にデータ資料の束がバサバサと舞い落ちてきた。
「ありゃハッキリ言うが悪霊だな。あんなのに付きまとわれてたのか?」
「……はい。なんでかは、わかりませんけれど」
「多分あれだ。君のこと好きだったんじゃないか? 居心地良さそうだし、君のそば」
タバコの火を消すように念入りに踏みにじる。扉は少しばかり歪んだが、開かなくなるほどではない。
エヌラスが問題なく動くか確かめるように扉を開けると──そこには、カバンを肩から提げたダンツフレームがちょっぴり泣きそうな顔をして立っていた。
──んーこれはやっちまったなぁ俺。内心冷や汗ものである。
「あ、あの。今、なんか、すごい音して……」
「……ダーンツ」
前かがみになって、エヌラスはダンツフレームと目線の高さを合わせながら回り込む。なるべく声色を優しくしながら、自分の唇に人差し指を当てて秘密のサイン。
急接近されて顔を真赤にしながら尻尾を扇風機のように振り回していた。
「ごめん、今のはちょーっとたづなさんに秘密にしておいてくれないか? こんなことで怒られたくないからよ」
「──は、はいぃ……」
なんという変わり身。切り替えの早さ。
はたから見れば、エヌラスが突然扉を殴りつけて床を踏み鳴らしたようにしか見えない。──ついでに言えばダンツフレームが口説き落とされそうになっている。
実際アグネスタキオンの目にはそうとしか映らなかった。だがマンハッタンカフェとの間での会話から察するに、今、目の前で“除霊”が行われたのだ。
「……本当に参考にならないねぇ!!」
拳て。