汝、暗君を愛せよ   作:本条謙太郞

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王たちの夜 2

 枢密院制度の設計を行う中で、グロワス13世と打ち合わせを持つ機会が格段に増した。

 

 そして彼は再び過ちに気づいた。

 

 ——自分はこの王を()()()過大評価していたらしい。

 

 グロワスは無能ではない。

 政策策定能力は決して低くない。情勢を見る目、将来の展望を組み立てる思考、人を説き伏せる話術。どれも一級のものと言ってよい。特に”先を読む”という点においては自身すら凌ぐ嗅覚を持っているだろう。

 だが、裏を返せばそれだけのことだ。

 

 王は常に何かを恐れている。

 端的にいえば”腰が引けている”のだ。これが正しいと信じ、堂々とその道を行く度胸がない。

 

 それは究極的には自己評価の低さからくるのだろう。

 枢密院制度はその最たるものだった。

 当初ピエルが想像したそれは、王権の庭先に外様諸侯を拘束する巧妙な檻であった。それが蓋を開けてみれば、王が作ろうとしているのは正真正銘”人々の宮殿”であり、作り手たる彼の方が庭先に小屋を建てて引っ込もうとする始末。

 会議における最終議決権をどう定めるか、最も重要な議論の最中にあってその姿勢は鮮明になった。王はとにかく手放せるものは全て手放したがった。最初の構想では自身の投票権すら捨て去ろうとしたのだ。

 

 長い議論を繰り返す中で、彼は王の恐れがどこに向いているのか、それを知ろうと腐心した。

 責任を負わされることに対する恐れか。

 当初そう当たりを付けたが、それにしては辻褄の合わぬ行動を平気でとる。

 王がガイユール館に自ら乗り込み演説をぶったと知らされたときの衝撃は忘れられない。暴動寸前の民衆の中に姿を現すなど自殺行為だ。いかに内務卿の周到な準備を経ようとも、一度民心が過熱したらどう転ぶか誰にも予測できない。

 

 王が責任を取る方法は畢竟二つしかない。

 歴史の中で断罪されるか、あるいは殺されるか。

 殺されることを恐れない王は、では歴史の裁きを恐れるのか。

 それも考えづらい。悪評を恐れる心情は賞賛を求める欲求と表裏をなしている。しかし、グロワス王は賞賛を求めない。彼は自身の色をできる限り消そうとした。

「全て皆がやってくれた」

「私は何もしていない」

 もはや口癖のようになったこれらの台詞は功績に対して向けられる。失策に対しては逆に「私の失敗だ」と明言する。

 

 つまるところ、アキアヌ大公にとっては到底理解不能な人物。客観的に見てあまりにもちぐはぐな人間。それがグロワス王だった。

 自分の功績は消し去ろうと望み、失策は引き受けようとする。他者の有能さを日々讃えながら、ここぞという場面では自分が行動する。正確な予測を元にした巧妙な一手で優位を確立したかと思えば、その優勢を今度は自身の弱体化のために振るう。

 

 手柄は他者に、失策の咎は自分に。

 耳障りはよくとも、それは所詮”凡人の道徳”である。

 王のあるべき姿ではない。

 

 王は手柄を占有し、失策の罪は他者に担わせるべきなのだ。

 完全性こそが求心力を生む。それが王の権威の源なのだから。

 

 もしグロワス王が誤解しているのであれば目を覚ましてやる必要がある。

 彼はサンテネリの王である。サンテネリの一部を領するアキアヌ公にとって、王の勘違いは他人事では済まない。

 だが、どうも”通俗的な仁君”の演技とも違うようだ。

 もし演技だとすれば、率先して自身の権威低下を図る姿勢と矛盾するからだ。

 

 英雄的な破滅主義者。

 言葉にするならば、そうとしか表現できない。

 恐らく王の中には彼なりの論理が存在するのだろう。しかし他者であるアキアヌ大公にとって、それは不可知のものだった。

 

 いずれにせよ危うい王だ。

 

 彼は貴族会の演説に結論を委ねる心積もりだった。

 常人には理解しがたい論理により破綻を来そうとする王。

 もし王が会を欠席したならば、アキアヌ大公は翌日から動き始める。幕引きすらできぬのであれば、もはや任せてはおけない。

 王は療養に専念し、彼は摂政となる。

 枢密院制度を維持しつつ数年かけて諸卿を説き伏せ、グロワス13世の退位と自身の即位を認めさせる。

 

 だが2月10日、王は登壇し、語った。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「”民の護り手”殿には酷な役回りをさせてしまったようです」

 

 そして今、王は平然と首相アキアヌ公と酒を飲んでいる。二人きりで。

 

「そのことよ! 身を裂かれる思いであったな!」

 

 道が一つしかないとしても踏み出すためには決断が必要だ。なぜなら隠れた選択肢——そこに留まり続けるという——もあるのだから。いずれにしても誰かが「行こう」と言い出さねばならない。

 アキアヌ公はそれを理解していた。

 数万人の確実な死を決定する道。

 

「アキアヌ殿は枢密院を生き返らせてくださった。先日私が絞め殺しかけた赤子を」

「なんの。物事には例外がつきものでしょうに。このような異常時、手続きなど。——それにしても陛下、変わられましたな」

「ああ、酒の飲み過ぎでしょう。だいぶ痩せました」

 

 反省の色など欠片もなく葡萄酒を掲げながらグロワス王は笑った。

 

「いやいや、容姿ではない。私の知るところ、陛下は今回初めて()()()ご決断を下された。部下に図らずに」

「図らずも。頼ろうにも皆が来られぬのだから仕方ありません」

 

 首相の目がすっと細まる。ここは核心に極めて近い。

 

「であったとしても、以前であれば陛下は待たれたでしょうな」

「恐らく。認めましょう」

「どのような心境の変化か教えてもらえまいか。陛下のお心分からずば、恐ろしくて夜も眠れぬ」

 

 王は目を伏せしばし黙考する。そしてぽつりとこぼした。

 

「変わったこと…。端的に言えば、保身はやめることにしたのです」

「それはまた。保身とは」

「部下と図れば責任をなすりつけられるでしょう。枢密院もつまるところ同じ、私の保身の産物です」

 

 返ってきた答えを聞いて、彼はここしばらく感じたことのない感情を思い出す。

 ——この期に及んではぐらかすか! これまでに、どれほどの不安と恐れをあなたは我々に与えてきたことか。その意味不明の行動で。

 

 それは侮りに対する怒りだ。

 

「グロワス殿。御身は私を愚弄されるか? その話で私が納得すると? あなたがそれだけの小者ならば、今ここに残っているのは王太子時代にあなたを取り巻いた小僧どもだけであろうよ。家宰殿、ああ今は宮廷大臣殿だが、そのフロイスブル殿も、財務卿も、軍務卿も、内務卿も、外務卿も、皆そのような小者を見抜けぬ愚物ではない。もちろん私もだ!」

 

 いつにない語気の荒さに驚きながら、グロワス王は無言で彼を見つめる。

 暖炉の光に照らされた大公の顔を。

 常に周囲をからかう隙をうかがう悪戯な瞳が、今、王が初めて見る色に染まっている。憤怒の。

 

「嘘ではない。だが、あなたの怒りを静めるためにもう少し補足しよう。つまり罪悪感の問題です。私は常に最善を欲する。私より優秀な人間がいれば、その者が何かをなすべきだ。それが皆にとって最善の結果となる。もしそうしなければ、私は罪悪感に苛まれる。よりよい道を選ぶことが()()()はずなのに、それを選ばなかったことに対して。——私はね、首相殿。我が心の痛みを避けるために皆を頼ったのです」

「罪悪感! それが何ほどのものか。王はこのサンテネリにおいて最も神に近い存在だが、神ではない。グロワス殿の言、それは神の言葉ではないか。できたはずなのにやらなかった? いやいやいや、()()()のだ、人間には」

 

 男は猛然と立ち上がり、興奮の余り床を強く踏みならす。

 

「ええ! そうでしょう。ですが、それでも努力すべきだと私は考えた。不可能と知りながら進もうとすることには価値があると」

「あなたが枢密院の初日に語ったように?」

「そう。依然そこは変わりません。ただ、一つ変わったのは、心の痛みを気にするのを止めた点でしょうか。——親になるとは偉大なことです。自分よりも大切なものができる。つまり、妻や子、そして彼ら彼女らを生かしてくれるこの王国、それが無事であればいい。だから今回、私は皆に図らず命を発しました。今でも後悔しています。よりよい方法があったのではないかと。しかしその苦しみは、今日我々が生き延びているという事実に比べれば些細なものでしょう。そう思えるようになったのです」

 

 王が語り終える。

 一瞬の間を置いて、薄暗い小部屋を哄笑が満たした。

 

「なるほどなるほど。そうか、お子か! グロワス殿は男になられた。サンテネリの男はそうでなくては。子と名誉が守れればよい。私と変わらぬ」

「一緒にしてくださるな。私は()()守る」

 

 再びアキアヌ大公の笑いが高まる。

 右に左に歩きながら大げさな素振りを見せる首相の姿を王は静かに見ていた。

 

「いやいや、言い忘れただけだ。無論妻も!」

「ついでにご執心の踊り子も守られるとよい」

「いいな、素晴らしい。グロワス殿はよいお方だ。そうか、お子か…」

 

 要するに、自己の心内にばかり意識を向けていた繊細な青年が妻の妊娠を切っ掛けに腹を括った。そういうことかと得心する。

 王は男になったのだ。()()()()()で悩むのを止めた。

 彼は男で、父なのだから、他にやることがある。

 

「いやぁ、それにしても陛下の仰るとおりだ。()()()()()()で悩んでもいいことはない」

 

 大公の上機嫌な一言に、グロワス王はいつも通り穏やかに、静かに答えた。

 

「首相殿に同意しましょう。——私はもうすっかり捨て去ってしまった。()()()()()を、全部」

 

 巨大な寝椅子に身体を預け、王は宙を眺める。そしてしばし動かなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「では”男の話”をしましょう。アキアヌ殿はどこまでなさるおつもりか、それを私は確認しておきたい」

「どこまで、とは?」

「今日の我々の決定は、小領主達に全てを諦めさせるものです。自力で民を救えねば統治は無理でしょう。暴動を収める力もない。つまり、余力を持たぬ彼らは領地を返上せざるをえない」

「……」

「そのように怪訝な顔をなさるな。私の愚かさは衆目の一致するところだが、暗愚にも程度というものがある」

 

 愚か? 

 冗談ではない。

 枢密院諸卿の中でも自身の発言が含む意図に気づいたものはいないはずだ。平素ならば思いつくかもしれないが、あの時皆の意識は貧民の死に集中していた。昼間の会議を思い返して彼は内心呟く。

 

「貴族会はもはや機能しないでしょう。我々が()()()()()()()した。枢密院令は貴族会の副署を必要としない。つまり、彼らには泣きつくところもなければ団結の場もない」

 

 枢密院は全ての貴族に政治への門戸を開いた。少々変則的な形で平民に対しても。よって貴族会の翼賛は不要となる。言いたいことがあれば枢密院に参加すればよい。そういう論理だ。

 アキアヌ大公は枢密院令に対する貴族会の承認不要を定めた案を王に告げられたとき、すぐにはその意図を見抜けなかった。時間をおいてこの事実に思い至ったとき、王の深慮を疑いながらもそれを打ち消した。恐らく王はこの条項の使い方に気づいてもいないだろうと。

 

 しかしグロワス王は理解していた。

 となると、前提は大きく変わる。

 枢密院は貴族への王権の分配ではなく、逆に貴族会を無力化する装置だ。貴族会の権限喪失はつまり、王権の強化である。正確には、王権を委任された枢密院の。

 

「ああ、なるほど。陛下は意図された? どのような絵を描かれたのか、むしろ私がお聞きしたい」

「貴族会は枢密院閣僚の就任に対する承認権を持ちますね。だが、罷免権は持たない。つまり枢密院は事実上の寡頭制です。ただし世襲ではない。構成員は緩やかに入れ替わる。いつかは平民出自の諸卿も生まれるでしょう。参与ではなく、正式な」

 

 最初から意図していたとは考えづらい。

 主目的はあくまで、貴族会演説で高らかに宣言したようにサンテネリを”ルロワ家領”から”国家”にすること。

 だが本当にそうなのか。

 大公の疑念は去らない。

 都合の悪いことを美名で覆い「上手く装う」のはこの王の得意技だ。婚姻式の費用が捻出できない醜態を仁王の美名にすり替えた。近衛の解体も国家親衛隊への改組によりデルロワズ家の軍事独占にくさびを打ち込む契機となった。

 そして今、貴族達を”招く”といいながら、当の彼らの特権を切り崩そうとしている。

 偶然なのか、それとも果たして…。

 

「終わりは明白でしょう。多くの貴族が名ばかりの存在となる。彼らはその忠誠を自家の名誉と繁栄ではなく、他のものに捧げざるをえない。雇い主に。つまり国家に」

「怖い話だ。——グロワス殿は怖い”男”だ」

「大公殿も同様のことを思われたはずでは?」

 

 囁くように低い、王の問い。地の底から薄ら湧き出す水のように静かに足下を襲う。

 

「認めよう。私も考えた。その上で陛下はどこまでなさりたいのか」

「首相殿、私の意志は変わらぬよ。会議で述べたとおりだ。急激な変化は望まない」

 

 ——ああ、これが本当の姿か。

 アキアヌ大公は嘆息を禁じ得ない。

 ”些細なもの”を全て捨てたこの王は、怖い。

 

「陛下がお考えの期間はいかほどか。歩調はどれほどか、教えていただきたい」

「私の代を目一杯、だろうか。もちろん私が明日死ぬ可能性もある。その時は()()()()の治世で思うままに実現されよ。あなたの速度で。しかし私がグロワス13世であるうちは、私の速度を考慮に入れてほしい。枢密院首相にお願いする」

「——いつぞやの旧城でもそうだったが、陛下の言葉は時折心臓に悪い」

「深い意味はありません。ただね、アキアヌ殿。高速馬車は目的地に早く着くが——事故が起これば即死だ」

 

 大公は手元の酒杯を一口で空けた。

 

 愚痴の一つも言いたいところ。

 ——馬車の速度を上げたのは他ならぬあなたではないか! それでいて最も気苦労の多い減速は我らに委ねるのか。

 

 一方でこうも思う。

 

 ——それでこそ王だ。

 

 

 

 

 

 

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