「悠、おまえ好きな奴いるのか?」
姉さんが僕に聞いた。
姉さんは僕の目をまっすぐに見ていた。
たぶん、真剣な質問なんだろう。
姉さんの表情からそう察せた。
さっきの、彼方との会話を聞かれていたのか。
彼方には言い淀んだけれど、前例のある姉さんの包容力につい口を滑らす。
姉さんのその真剣な表情に答えを引き出された。
「うん」
いるか、いないかの質問だと、意外にも言葉に詰まらなかった。
多分、好きなんだろう、どちらか、それとも、どちらも……。
自分でもよくわかっていなかったけれど、言ってしまった。
僕には好きな人がいる、と。
姉さんには別に隠す必要がないと思った。
応援とまではいかなくても、人生の先輩として、最も頼れる身内として、打ち明けてみたかった。
そういった好奇心。
誰よりも信頼する姉さんに……。
「そうか……」
姉さんは、悲しそうな顔をした。
夕日に照らされたその表情がひどく感傷的だった。
僕はこの光景を、姉さんの表情を、二度と忘れないのだろう。
姉さんは僕の腕を掴んだ。
姉さんからは、今まで向けられたことのない強い力だった。
「ね、姉さん!?」
「来い」
なんでそんな悲しそうなんだよ、姉さん。
そのまま、姉さんのなすがままに姉さんの部屋に連れられた。
「ど、どうしたの、姉さん!」
「悠……」
姉さんが僕の目を覗く。
泣きそうな目だった。
あんなに強かな姉さんのこんな表情は初めて見た。
まだ掴まれたままの左腕がきりきりと痛む。
「急にどうしたの?姉さん、僕が何かしたの?」
「ち、違う。違うんだ!」
「じゃ、じゃあどうして……」
姉さんの呼吸が荒くなっている。
「あたしが、悪いんだよ」
「ぜんぶ、ぜんぶ、あたしのせいだからな……」
そう言って、姉さんは僕を引き寄せ、ベッドに押し倒した。
急な動きに戸惑ったのも束の間。
襲ってきた、初めての感覚、味、感情。
姉さんにキスをされた。
僕のファーストキスは姉さんの涙の味だった。
唇が離れた、僕の腕も解放された。
姉さんは、ボロボロと涙を流していた。
「ご、ごめん……ごめんなぁ、悠……」
諦観の表情だった。
何もかも諦めてしまったかのような表情。
「ごめん、ごめん、ごめんな……」
何度も何度も謝る姉さんに僕は。
「姉さん、大丈夫だよ」
「あ」
姉さんの泣いている顔を見ると、僕の内側からすらすらと言葉が出た。
「……姉さんが初めて髪を染めて帰ってきた時あったでしょ?」
「こっぴどくお母さんとお父さんに叱られてさ、でも姉さんはそれでも強がって、ぜんぜん自分の意見を曲げないでさ。そういう姉さんの自分を曲げないところって僕、すっごい好きなんだよ……」
「ああ」
「それでも、姉さん、叱られた後、自分の部屋で泣いてたでしょ?今みたいに。……知ってたよ。でも、僕にはそれでも、姉さんがかっこよくて、お母さんとお父さんや……僕にそんなとこ見せないぞって、そんなところもいじらしくて」
「あああ」
「姉さんが受験のときはさ、お母さんに勉強しなさい!ってしょっちゅう怒られてるのを見てたけど……家族みんなが寝ているときに、夜遅くまで勉強してたでしょ?トイレ行くときに姉さんの部屋の明かりついてたから知っているよ」
「そんな、努力を見せないのもかっこよくて」
「それに、このあいだだってそうだ。僕がゲームを姉さんに買ってほしいって頼んだでしょ?実は悩んだんだよ、お父さんに頼んじゃおうかなって。でもね……姉さんに頼んだんだよ」
「だって、最近姉さんとあんまり話せてなかったから。寂しかったんだ……。姉さんと、久しぶりに、話したかったから、甘えたかったから……姉さんに頼んだんだ。僕の、かっこいい姉さんに」
「だから、姉さんは間違えてないよ?さ、さっきの、だって、何か理由があるんでしょ?キ、キスは、初めてだったけど、姉さんだから……嫌じゃないんだよ?」
「う、うぅぁああ」
姉さんは僕の腰に抱き着いて大人げなくわんわんと泣いた。
言ったら、怒っちゃうかもしれないけど、まるで僕に世話の焼ける妹ができたみたいだった。
僕は姉さんが泣き止むまで、頭を撫で続けた。
これであっているのかは分からなかったけれど。
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side翠
あたしには5つ離れた弟がいる。
あたしに似てとてもきれいな男の子だ。
小学生にしては自立しているし、あたしと違って頭もいい。
色々なことを察して、考えて、よくできた弟だ。
鈍くさいとこもあるが、そこがまたチャーミングポイントだ。
あたしは弟、悠のことが好きだった。
好きと言っても家族愛だけじゃない。
男女としての好きだ。
そういう好きっていうのは間違いだ。
かなり前から知っていたし、気づいていた。
歳の差もそうだが、姉弟の関係が問題を深刻にした。
あたしが中学生だった頃だ。
周りのみんなが付き合ったり、別れたり、それなりの恋愛をしていた。
対してあたしは、同級生や先輩なんかで好きな奴なんていなかった。
そんな奴らより、段々と成長してきた悠にずっと目が奪われていた。
告白は何度もされたが、好きでもない奴からの告白なんか反吐が出るくらい不快だった。
面倒くさいし、それだけで話題になる環境が嫌だった。
そんな、普通の人ができるような恋愛という娯楽を弟に奪われたあたしは段々と人生の道を逸れていった。
当然それだけが理由ではなかったが、バカで勉強ができないこともあって順調に落ちぶれていった。
中学生半ばで、髪も金髪に染め、夜はそういう友人たちと毎日のように遊び歩いていた。
あまり家にはいたくなかったからだ。
髪を親に無断で染めて、かなりキレられたし、正直気まずかった。
悠だけはかっこいいと褒めてくれたけど……。
家にいたくない理由として悠の顔も見たくないというのもあった。
悠を見たら好きって気持ちが溢れて止まらないのに、それでも悠に伸ばせない、悠に似た自分の手が嫌いだった。
悠をみたら、気持ち悪い自分を、落ちぶれた惨めな自分を自覚するから嫌だった。
去年は少しだけ勉強をまじめにした。
ギリギリ市で一番頭が悪い高校には受かった時は、久しぶりに両親の笑顔を見た気がした。
高校に行って新しい出会いもあり、未だに新しい友人たちと遊びまわっているが、あたしはもう恋愛に興味をなくしていた。
その穴埋めをするかのようにやんちゃばっかりして、気を紛らわしているのだ。
今日は、いつもつるんでる奴らみんなが用事があるとかで、放課後の予定がパーになっていた。
しけてんなぁと思いながらも、今日は早めに家に帰ろうと決めた。
このあいだ悠にせがまれて、しかたなく買ったゲームの感想でも聞いてやることにしよう。
自分の考えに反して、やっぱり悠に近づきたくて、気が付くとなにか共通の話題や理由を探していた。
そうだ、あたしの分も同じゲーム買って帰るか。
あんな子供だましのゲームなんかには興味はないが。
一応、一応な。
悠があたしを頼るなんてのは久しぶりだったから、少しハイになっているのかもしれない。
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玄関をそっと開けて、家に入る。
両親はまだ仕事だろうけど、あんま顔合わせたくないしな。
階段を上がり、あたしの部屋の手前にある悠の部屋のドアの前で足を止めた。
ん?悠の部屋の中で、話し声が聞こえた。
友人でも呼んでんのか?
ドアに耳をそばたてる。
「で、どうなんだよ?悠は黒澤さんのことが好きなんだよな?」
は?
あたしの心の中で何かが崩れた気がした。
想定していたこと、実際に悠が誰かと恋をして、付き合う。
想定していたことだけど、目を背けていたことでもあった。
それ以上は聞くべきではないと、理性の壁があたしを守る。
ドアから耳をはなした。
一気に立ち眩みがした。
頭に浮かぶ、悠と一緒に笑いあう誰か。
何もできない。
あたしは、その場所にいないんだと。
足が震えてその場を動けなくなった。
ぐるぐると、同じような、どうしようもない討論を頭の中で繰り返した。
すると、急に悠の部屋のドアが開く。
中から出てきた、悠の友達とぶつかりそうになった。
「悠のお姉さん。お邪魔してます!」
「お、おう。そうか、帰りか?」
「はい」
「気ぃ付けてかえれよ……」
上の空で、そいつと軽いコミュニケーションをとる。
「はい。じゃ、じゃあな悠」
「うん、また明日」
悠、お前は……。
とりあえず、頭を冷やそう。
「おい悠、見送りだけでもしてこいよ」
「う、うん」
悠は、玄関に向かった友人を追いかけていった。
その後ろ姿を、なぜか目で追いかけた。
さっきそういう景色を、頭の中で見た気がしたから。
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悠を見下ろしてあたしは問う。
「悠、おまえ好きな奴いるのか?」
もはや、悠の回答は何でもよかった。
その覚悟を決めた。
あたしの愛と理性を乗せた天秤が、壊れる音がしていた。