4つの脚で地面を蹴って前に進む。
月明かりの下、俺は故郷の森から遠く離れたどこかの山肌を踏みしめていた。やや傾斜した地面は豊富な植生に覆われ、次の一歩を踏み出すための足掛かりになってくれている。
しかし、どこを見ても新しいものばかり。膨らむ好奇心に視線が泳いでしまう。あの森の中しか知らなかったのだから当然だが、こうあちこちを見まわしていたら田舎者丸出し。外からやってきたモンスターだと一瞬でばれてしまうだろう。
ばれなくたって縄張り争いは起こるけど。
特殊環境に身を置くわけでもない俺が「いい感じの場所だなぁ」なんて感想を持てる場所はだいたいのモンスターから見ても同じように映るはずなのだ。
静かな窪地、川向かいの洞窟、朽ち木の下、苔に覆われた竪穴…ここまで来る間に見つけた新居候補にはすべて先客がいた。
なので逃げた。
誰も好き好んで戦いたくはない。在りし日の大将に迫る勢いで屈強さを増している姉だって、本当はおっとりした性格だ。俺と並んで日向ぼっこして大あくびをかますのが彼女の日課だった。
木漏れ日を浴びながら尻尾に顔を埋めて二度寝を繰り返す、そんな生活こそ俺の求めるもの。そっぽ向いて逃げ出せば諦めてくれるなら、進んでいくらでも恥を晒そう。
『ガアアアアア!!』
が、例外もいた。
『ガアアアアアアアア!!!』
竪穴を覗き込んだ俺とそいつの目があって「あ、どうも」と何事も無かったように去ろうとしたその時。何がそんなに気に入らなかったのか、そいつは爆発したように暴れだした。
鮮やかな黄緑色の翼膜を持った飛竜──ライゼクスだ、と記憶が言った──は必死に逃げる俺を執拗に追いかけて電撃を飛ばす。
怒りから放たれるそれはろくに的を絞っていないようで、流れ弾が次々と立ち木を焦がしてゆく。はた迷惑にも程がある。そのうちまぐれ当たりが起きるも電属性への耐性を持つ俺にはあまり効果がない。
それで諦めて帰ってくれないかと思ったが、電撃が無効火力と悟った奴は急降下しての直接攻撃を試みてきた。
あまりの殺意にひるんだ俺を見てそいつは確かに笑った。
しかし素直に食らってやるほどの動揺はなく、俺は即座に振り向いて尻尾を振り上げ、近づいてくる顔面にカウンターを打ち付ける。
『グガァ!』
奴は予想外の反撃に受け身を取れなかったらしく回転しながら吹き飛んで地面に転がりやがった。そのコミカルな動きに少しだけ笑ってしまったが、いけなかった。
無様を晒されて頭に来たんだろう。そいつは勢いよく起き上がったかと思えば体中に青筋を浮かべて吠え立て、そこからまる3日もこの調子のまま追いかけ回してきた。
「ッ、フゥン…」
それでなんとか逃げ延びてきたのが今。姉から受け取ったありったけの電力とライゼクスから
もう耳障りな咆哮は聞こえないし、完全に撒いたはず。
それにしても3日、3日だ。イラついたにしてもそこまでするか?当時は恐怖が先行していたが、落ち着いたら今度は無性に腹が立ってきた。今度会ったらとっちめてやる。
……やっぱ怖いから無しで。
怒りはエネルギーを与えてくれるが、それもどうやら限界のようで。何気なく振り上げた前足が思った高さまで上がらなかったのを見て、俺の怒りは急速に冷めた。
疲労を認識したとたんに足元ががぐん、と重くなる。尻尾も、瞼も重い。今にも横たわりそうな体にこの場で寝てしまうのは危険だと言い聞かせ、一夜を過ごせるだけの場所を探し歩く。
もう奴が追いかけて来ないという保証もないのだ。
「…ン?」
一息つくために立ち止まっていると真っ白な羽毛を持つ小鳥が現れた。頭から三本の飾り羽を覗かせたそいつは何度か目をしばたいて、じいっとこちらを見ている。視線の先にあるのは俺…というより帯電毛。
電力が抜けてフワフワの見た目に戻ったそれが同族の姿に見えたのだろうか。
俺は鳥を脅かさないようにゆっくりと身をかがめ、目線を合わせてにじり寄ってみる。
細いクチバシとつぶらな瞳がなんとも愛らしい。お前はシマエナガ?それとも白変種のヒガラ?にしてはとんでもなくでかい気がするけど。
と、鳥が立ち上がった…ァ!?足、長っ!
あまりの美脚っぷりに驚いて反射的に体を起こしてしまった。突然動き出した
「くぁあああ……」
…あ、ダメだ。眠い。
起こした上半身はまだ制御できるが、身をかがめたときに操作を投げ出した下半身はもう動かせない。末端から眠気が流れ込んでくる。結局ここで寝ちまうのか、俺。
遡れば、立ち止まった時点でもうだめだったのかも。
俺は顎が外れるほどの大あくびをして、外敵の存在を舐めきったような姿勢で眠りに落ちた。頂点捕食者にのみ許されるだらけきった体勢、もしこの場に別の捕食者がいたならば明日を迎えることのできないような体勢で…
◆ ◆ ◆
「ンごッ」
オレンジ色の光に当てられ、目が開く。
気だるい体を起こしてみれば空に輝くお天道様。これが朝日か夕日かでだいぶ話は変わってくる。
……沈んでるね。夕日だ。めっちゃ寝た。
1日の半分以上をいい加減な場所で無防備な体勢で寝て過ごして、呑気に夕日を拝めると来た。
もしかしてここ、縄張りの空白地帯か?
妙に重い体を起こしながら考えを巡らせる。
周囲に他のモンスターが残した痕跡はなく、縄張りを知らせるような匂いもない。いくつか獣道は見かけるが、道幅は狭く足跡も小さい。この場に限っては大型モンスターはいないと言い切っていいだろう。
周りには人の背丈ほどの茂み、主に広葉樹からなる雑木林。寝る前に見た小鳥のような存在が集まって体を休ませるような場所なのかもしれない。
もしこの推測が正しいのならなかなかの優良物件。競合する捕食者が付近にいないというだけでも大金星。周辺の状況とか草食モンスターの分布とか、生きていく上で必要な情報に欠落はあるがそれはまた追い追い。
閉鎖感がないので完全に落ち着ける場所とは言い難いものの、今まで目星をつけた場所が全部ハズレだった悲しみを差し引けばお釣りがドバドバ出てくる。
ひとまずは、よかった。まともな宿を見つけることができて。
ゆっくり寝てみて分かったのは、ライゼクスに追い回されて自分が結構参っていたということ。急降下をかましてきた時の奴の目は本気だった。本気で命を取りに来ていた。
狩るか狩られるかの世界なんだから当たり前だが、今までそういう"殺意"に触れてこなかった俺は希釈されていないそれを直で浴びて心にダメージを負ってしまった。
やっぱり戦うべきだったのか?と考えて、首を振る。まともに命の取り合いをしたことがなかった俺があの場で奴を殺しきれた気がしない。
もっと恨まれて終わりだ。
「ハァーーーーッ」
あー、ヤダヤダ。この程度のこと軽く流して生きていかなければならないのに。もしここに定住するとして、外敵が来たら立場が逆になるんだぞ。
ぺたんと地面に伏せて目を閉じる。
小さな足音。
近づいてくるそれに薄目を開けてみれば真っ白いフワフワ。3本の飾り羽。先端が黒いクチバシ。寝入る前に見た鳥だった。
と、記憶が「こいつはフワフワクイナだ」といまさら告げた。名前がそのまんますぎる。
俺の頭ほどあるそいつは長い足でのっしのっしと歩き、ときおり身をかがめ、立ち上がり、もう一度かがめ、こちらを伺っているらしかった。
まぁ明らかに被食者のデザインだし、大型捕食者を前にしたらバクっといかれないか不安だよね。それでも近づいてくるのはよっぽど気になるってこと?
彼がよこした返答は背中の重みだった。飛び上がったかと思えば短い羽で羽ばたいて滑空、俺の背中に降り立ったらしい。
視界を後ろに向けると、フワフワクイナは帯電毛と一体化して満足げに目を細めていた。かわいいね。
…あの、居座るつもりでいらっしゃる?
記憶の中のフワフワクイナは草食モンスターと共生する生き物だ。肉食モンスターを避けるため、草食モンスターの背中を借りて集団で暮らすフワフワ天国な生き物。
だが仮に、肉食モンスターが間借りを許してくれるならば別にそれでもいいということか。まず捕食される、という重大な欠点から不可能だというところに目をつぶれば。
背中のフワフワクイナは安心しきった様子で微動だにしない。俺が襲ってこないと信頼したのだろうか。見立てが甘すぎる。
俺としてもこんな可愛い生き物を血の塊に変えたくはないので手は出しにくいが…
俺は今、腹が減っている。猛烈に。
ライゼクスに追い回されてろくに休むこともできず、倒れ込むように眠って目が覚めたのが今。体が重いのは十分なエネルギーを確保できていないためだった。
可及的速やかに獲物を探さなければ。できれば背中のこいつ以外で。
…というか、こいつはどこから来たんだ?
◆ ◆ ◆
答えはわりと近くにあった。
寝床(暫定)から数キロも離れていない、さっぱりした雰囲気の渓流。マイナスイオンに溢れていそうなこの場所は今は血の匂いで満ちていた。
踏み出した脚が何か柔らかいものを捉える。見れば草食モンスターの遺骸。あちこちがひどく損傷し、何か集団に痛めつけられたような感じだ。
少し視線を上げればそんな死体が無造作に転がっている。群れごとやられたんだろうか。
比較的状態のいいものを眺めているとそれが「アプトノス」だとわかった。パラサウロロフスじみたトサカはこの生き物の大きな特徴だ。
そして、傍らに散らばる白い羽毛はフワフワクイナの特徴だ。
この群れを襲った存在にまとめて狩られてしまったらしい。可愛そうだが、こうなってしまってはどうしようもない。
「ピッ」
背中のフワフワクイナは落ち着かない様子。
わざわざ逃げてきた場所に帰ってきたのだからそうだろう。あと彼には申し訳ないが、アプトノスの遺骸は食べさせてもらう。共生してきたのだろうそれを目の前で口に運ばれるのはいろいろと思うところがありそうだけれども。
本当に腹が減って仕方がないのだ。
俺が遺骸に口をつけ、その周りが血で赤く染まっていくさまを見つめる小さな双眼。
ただ見ているだけなのか。その小さな瞳からは感情が読み取りづらい。
「ン」
黙々と食べ進めて一頭を骨と皮にしたあたりで俺は何かの接近を感じた。フワフワクイナも同様に一点を見つめて固まっている。
空腹であまり頭が回っていなかったところに臨時収入を見つけてがっついてしまったが、アプトノスたちの死骸はわりと新しいものだった。
だとすれば群れをこんな状態に追いやった存在が、フワフワクイナが俺のもとに逃げてくる原因を作った存在が近くにいるはずなのだ。迂闊な行動をとってしまったことに後悔しつつ、なるべく状態のよさそうな死骸を探す。
空きっ腹はアプトノス一頭ぶんの肉では満たせない。
「ンぐッ」
目星をつけたアプトノスを咥え上げてその場を後にする。走り出した後ろで何かの気配が濃くなってゆく。間一髪だ。
そのまま寝床についた俺は持ってきたものを食べてしまった後、なるべく何も考えないようにして丸くなる。あの場に匂いを残してしまったこととか、持ち帰ったアプトノスに小さな歯型がいくつもついていたこととか…
どうしても悪い考えが止まらないが、帯電毛にくるまれて既に寝入っている存在を眺めると少し心が安らいでくる。フワフワクイナの何も考えていなさそうな寝顔が愛しい。
そのうち満腹からくる眠気が俺の瞼を押し付け始めて、結局は眠りに落ちた。
──そうして休眠状態に入った体は、遠くからこちらを見つめる鋭い視線に気がつくことができなかった。
・"俺"
温室育ちのジンオウガ。
プライドがないので恥も外聞もない。
・美脚の鳥
若いフワフワクイナ。フワフワのモンスターがいたので近づいてみた。
安全そうだったので居着くことにした。
・ライゼクス
住処に押しかけてきたジンオウガにガンくれられた。
やる気だったのに逃げられてキレた。
・アプトノス
いつもの被害者。