呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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第十一話 初めまして

「帰ってきたか。遅いぞ」

「……今度は何?」

 

 扉を開け中を覗き込むと、後部座席に祖父が座っていた。いつもの様に着流しの着物を着ており、然しいつもと違う所はその着物がいつも以上に上等なものに着替えている。いや、普段も高級そうな着物なのだが、けれども今日はそれとは違う、まるで特別な事があったかの様にしっかりしていた。いつも乱れている胸元の前身頃も、今日はきっちりかっちりと整えていた。

 

「本当に何事?」

「まぁ車内に入れ。此処ではとてもじゃないが目立つだろう」

「もうとてつもなく目立ってるのよ」

 

 そう返しながら、然し矢張りこうしている間にも周りの目は此方に集中しているもので、私は祖父の言葉に従う形で車の中に入る。車の中は嫌に煙たく、祖父の手元を見ると窓も開けていないのにも拘らず、火の付いた煙管を吹かしていた。今からでも助手席に移動したいが、けれども今更離れたところで角が立つに決まっている。

 

 そうこうと考えているうちに、私が乗り込んだ側の扉が音を立てて閉められた。先程迄まだ逃げ道は用意されていたのだが、今のこれでもう後戻りが出来なくなってしまった。

 

 溜息を吐き、背持たれに身を預ける。無駄にふかふかしている座席は深く私を沈めた。

 

「絵名。きちんとシートベルトをしなさい」

「……わかってるわよ。今しようとしてたの」

「だったら携帯を開く前にしなさい。東雲家たるもの、マナーもしっかりと身につけておけ」

 

 確かに祖父の言っている事はご尤もなのだが、後の〝東雲家たるもの〟と言う言葉に引っ掛かりを覚える。別に私は〝東雲〟と言うカテゴリーで動いている訳では無い。

 

 けれどもまぁ、今そんな事を言ったって仕方がない。そう思い私は大人しくシートベルトを付ける。それが合図かの様に車は発進する。エンジン音を聞きながら、後ろ髪を引かれる思いで校舎の方を見遣る。愛莉は別の友達と何処か遊びに行くのだろうか。

 

 あぁ、良いな。私も行きたいな。

 

 放課後に寄り道して、写真撮って、馬鹿みたいだねって笑って、そんな当たり前の事。それがどれだけ貴重で、有難い事だったか今になって漸く身に沁みてわかった。

 

 私には、そんな当たり前の事すら羨ましく感じる。

 

「これから鳳財閥との会食がある」

 

 徐に祖父は口を開く。開いた口から煙が漂い、車内に充満する。その煙が煩わしく、手で煙を払いながら窓を開けた。

 

「会食?」

「この前のお礼がしたいだと。お前をお呼びだ」

「……何でまた」

 

 思い出すは三ヶ月前。まだ遠くない記憶。私が初めて呪霊を祓ったあの日。あれは本当に大変だった。痛いわ骨折れるわ他の生徒にジロジロ見られるわ。平和に暮らしたい私からするとこれ以上に無い程鬱陶しい視線だった。

 

「そういうの、おじいちゃんが行けば良いでしょ。私は関係ない」

「関係ないも何も、お前が祓ったのだから当然だろう。他に誰が居ると言うんだ」

「…………」

 

 何も言い返せなかった。確かにあれを祓ったのは私だが、然しそれは祖父に言われたからで、お礼を言われる様な事は何もしてない。

 

「それにこれはお前だけの話じゃないぞ。家同士の問題でもある」

「何それ。でもやっぱ私関係ないじゃん」

「強情じゃのうお前さんも。それが分からぬとはまだまだ子供だな」

 

 そう言って、祖父は鼻を鳴らしながら笑う。その姿を見ると少し腹が立った。見下されているような、そんな感じ。まぁ、実際のところ見下してはいるのだろうが。それがどうも気に入らなかった。

 

 溜息を吐きながら窓を見る。空は黒雲が広がっており、今にも雨が降りそうだった。先程まで太陽が出ていたのに六月と言うのは天気が安定しないものだ。今朝だって気圧の変化で頭が重かった。

 

 運転している伊地知さんと祖父が何か話している。然し何を話しているか分からない。言葉として耳に入るが、内容として理解わたしは出来ない。これが大人の会話というやつなのか。全く羨ましくないが。

 

 目を瞑る。そう言えば最近忙しすぎてあまり眠れていなかったな。呪術師の繁忙期と伊地知さんが言っていたが、成る程。これは確かに忙しい。忙しさで倒れる大人の気持ちが、少し分かった気がした。

 

 うつらうつらと、意識が遠退いていく。思いの外座り心地の良い車であるからか眠気が一気に襲ってくる。父の持っている車とは全然違う、高級そうな車。汚してはならない雰囲気が漂っていた。然しそんな事を考えている間も無く、私は意識を手放した。

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 優しくて、暖かくて、それでもどこか寂しい、そんな夢。

 

 目の前に男の子が立っている。着物姿で、口に布を掛けている。顔に影がかかっている所為か表情を見る事は叶わなかった。

 

 己の手を見る。それは子供の様に小さかった。足元には水仙が沢山咲き誇っていた。その地面に、水滴が落ちる。どこから流れ出ているのか分からなかったが、すぐに私の涙と分かった。

 

 どうして泣いている? どうしてこの子を見ると胸が締め付けられるのだろう。悲しいとも、苦しいとも、辛いとも違う。これは──罪悪感だ。

 

 御免なさい。御免なさい。心の中で何度も懺悔した。何に対しての謝罪なのか、分からないまま。

 

 男の子が私に手を伸ばす。私はそれを握り返そうと私も手を伸ばす。けれどその手を掴める事もなく、男の子は泡沫となって消えた。

 

 その瞬間襲いかかるのは諦めと、絶望。

 

 私はその場にへたり込み、声をあげて泣き喚く。暗闇の中、光が差し込む事はない。その中に独りぼっち、私はただ泣くしかない。

 

 どうにも出来ない現実。今も尚伸ばされた腕が、少しの救いを期待して。

 

 

 

「そろそろ起きろ。鳳家に着くぞ」

 

 肩を杖で小突かれ目を覚ます。先に目に入ったのは車の床と、それから私の太腿。そうか、寝てしまっていたのか、私は。

 

 窓の外を見る。黒雲が空を覆っており、ザーザーと音を立てて窓を叩きながら雨が降っていた。昼は晴天とは言い難いまでも晴れていたはずだが、今はそれも見る影もない。

 

 目がしぱしぱとし、少しばかり擦る。

 

 手が濡れた。見ると大きな水滴が手の甲に乗っていた。

 

 ……泣いていた?

 

「鳳か……」

 

 ポツリと、祖父が言葉を溢す。その声は何処か寂しげであった。

 

「奴の家に行くのは何年ぶりか。なぁ、伊地知。覚えているか?」

「え!? えっと……あの……」

「はっはは。冗談だ。その時は思えはまだ高専にも入っていなかったしな」

 

 そう言って愉快に笑う。それに対して伊地知さんは苦し紛れの渇いた笑いを溢した。成る程、初めてパワハラというものを見た気がする。

 

 鳳財閥。名前だけは聞いた事ある。日本各地に数多な施設を運営しており、その中で此処、東京に構えてあるフェニックスワンダーランドは人気の遊園地である。私も昔家族と行ったことがあるが、名の通りまるで不思議の国に来た錯覚だった。

 

 楽しかった。幸せだった。全ての人が笑顔で溢れ、私も彰人もお母さんもお父さんも笑顔だった。それはきっと、全員が楽しいという気持ちだったからなのだろう。お父さんが居てお母さんが居て、彰人が居て、私が居て。本当に幸せだった。また来ようねと、約束をした。そのきっかけを作ってくれたのは他でもない、フェニックスワンダーランドだ。

 

 ──その約束も、結局果たせず終わってしまったのだが。

 

 車が右へ曲がり、窓の外には大きな塀が現れる。広さ的に何かの美術館か資料館だろうか。前を見るもその塀はずっと続いていた。こんなに広大な施設、都内にあったらすぐ情報が回ってくる筈である。それとも最近出来た施設なのだろうか。

 

 私がぼうっと眺めていると、いつの間には門の所に来ており、其の儘車は門を潜り中へと入っていった。

 

 ……まさかあの広大な敷地全て鳳家とは言わないわよね?

 

 玄関口前で車が停まる。そしてトドメかという様にメイド服を着た女性と、執事服を着た男性が一列に並びお辞儀をしていた。それはまるで私が実家に初めて来た時みたいだ。

 

 伊地知さんが先に降り、玄関側に座っている祖父が座っている方のドアを開けた。祖父が降り、そしてそれに倣って私も降りた。

 

 雨の匂いがする。草木を雨が叩く音、蛙の音。その全てが梅雨を感じさせる。

 

「良くぞいらっしゃいました。東雲八郎様。東雲絵名様」

 

 その中で一際威厳を放っていたスーツを着た男性が一歩近づきそう言った。その言葉に顎を擦る。その仕草が当然だが何処か年寄り臭く見えた。

 

「息災じゃったか、幸之助。此処も変わらんのう」

「八郎様もお元気そうで。外は寒いでしょう。どうぞ中へ」

 

 そう促され、祖父は中へ入る。鳳側の男の人の他に比較的若そうな男の人が二人。一人は眼鏡を掛けた厳格そうな人。もう一人ま前髪を流している今時そうな男の人。どちらも他とは違いスーツを着ている。

 

「絵名様。鞄お持ちします」

「え? あ、有難う御座います」

 

 そう言って手を差し出す使用人の方に、私は荷物を渡す。この遣り取りももう慣れてしまっていた。それもこれも全部東雲家の使用人の所為だ。彼等の所為で敬われて当然だと言う感覚が染み付き初めてしまっている。治さなくては、そんな考えは。

 

 私も促されるままに、室内へ入る。

 

 まるで宮殿に来たような──と言えば少し大袈裟だが、然しそう思ってしまう程に家の中は広かった。流石鳳財閥と言ったところか。うちも狭くはないが、それとはまた別の凄さがあった。

 

 前では廊下を歩きながら祖父と幸之助さんと言う人が何やら難しい話をしていた。改装の調子はどうだとか、権利問題がどうだとか、土地の所有者がどうたとか。一介の中学生には分からない世界だ。

 

 ふと、視線を感じ上を見る。其処には上へ続く階段があり、二階から一階を眺められる様になっていた。誰かに見られていると感じたが、然し其処には誰も居なかった。

 

 気の所為だったか?

 

「どうされました? 絵名様」

 

 横についていた伊地知さんが顔を覗き込ませた。

 

「あ……ううん。なんでもない」

 

 人の家をまじまじと見るものではないなと思いつつ、私は気の所為だと思うことにした。

 

 通された所は、恐らくリビングだろうか。窓から庭が一望出来るリビングに、広すぎるキッチン。そして綺麗に磨かれた机。部屋には埃一つ舞っていない。家の古臭い設計とは大違いだ。家のキッチンなんて──いや、あれは横文字は似合わない。台所と言った方がお似合いだ。兎も角家の台所はいまだに土間である。あんなオーブンなんてものはない。いや、あるのだろうが私の知る限り見た事がない。

 

 体全体に〝洋〟を感じる。あんな所にいたら心まで侘しくなってしまう。確かに東雲邸は金持ちと言われても納得の広さを有しているが、まずそもそも家の雰囲気が何処か古臭い。

 

 ふと、机に目をやる。リビングの椅子には点滴に繋がれた年寄りのお爺さんが座っていた。

 

 ……誰だ?

 

「どうぞ、お座り下さい」

 

 椅子を引かれ、そう促される。私は祖父が座ったのを見て同じく腰掛ける。椅子もミルクの様に真っ白であった。

 

 鳳側も向かい側に座り、漸く空気が落ち着いた。然し私自身はそんな事はなく、そわそわと内心落ち着きがなかった。

 

「突然の誘いを受けてくださり誠に有難う御座いました。こんな雨の中足を運んでくださり恐縮です」

「何、気にするな。此処のシェフが作った飯は美味いからな」

「そう言ってもらえるなんて光栄です」

 

 祖父の言葉に、眼鏡を掛けた男性はホッと胸を撫で下ろす。他人の敷地内でも、祖父は殺気を抑える事はしなかった。私にマナーを説く前に自分でマナーを守ったらどうなんだと、皮膚にピリピリと刺す殺気を感じながら溜息混じりにそう思う。

 

「絵名様は、初めましてですよね」

「えっ、は、はい」

 

 眼鏡の男性に突然に喋り掛けられ、思わず背筋が伸びる。

 

「鳳慶介と申します。父から譲り受け、フェニックスワンダーランドの社長をしています。こっちは弟の鳳の晶介。フェニックスワンダーランドの専務を担当しています。そして父の鳳幸之助。鳳グループの会長です。そしてこちらは鳳楽之介。今は現役を退き体を療養中です」

「え。体は大丈夫なんですか?」

 

 慶介さんの言葉に、私は少し腰を浮かせ気味にそう聞く。表情は穏やか点滴に繋がれている姿を見ると、今にも死にそうであった。

 

 お爺さん──楽之介さんは私を見て矢張り穏やかに笑った。

 

「はは。大丈夫だよ。心配してくれて有難う。見た目は大げさじゃが、今でも走り出せそうじゃわい」

「やめてくれ。救急車を呼ぶ羽目になる」

 

 そう言って幸之助さんはため息をつく。その様子を見て楽之介さんは愉快そうに笑った。その笑みは私の祖父とは違い、彼等の雰囲気は穏やかであった。

 

「あ、東雲絵名です。宜しくお願いします」

 

 思い出した様に自己紹介をした。三人が頭を下げたと同時に私も同じく頭を下げる。成る程。眼鏡の人が慶介さんで、右目が少し隠れている方が晶介さんか。うんうん。覚えておこう。

 

 ……本当に覚えられるかな?

 

「先日は本当に有り難う御座いました。絵名様が呪霊を祓ってくださったおかげで改装工事が滞りなく進んでいます」

「いや、私はお礼言われる様な事なんて何も……」

「何を言いますか。あなた様のおかげですよ」

「ははは……」

 

 渇いた笑いしか出ない。こんな感謝された事はない為、困惑が優っている。然しまぁ、こんなに嬉しそうにしているのだから、体を張った甲斐はあると言うもの。

 

「お前さんも元気そうじゃな。楽之介」

「はは。そう見えるか? まぁ確かに毎日楽しいよ。雨が降っていても雨音や蛙の音。それに楽しい事は室内でも出来るしな」

「お前さんの能天気さも相変わらずだな。反吐が出るわい」

 

 静寂が流れる。私も晶介さんも慶介さんも、そして私の右後ろに立っている伊地知さんも変な汗をかきながら二人を見ていた。張り詰める空気の中、時計が時を刻む音だけが無情に響いて居た。

 

 少しの身動きも許されないこの空気。私たちはただ彼等の動向を見守るしかなかった。

 

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