呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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太陽の様な君


第十二話 出会ったわんだほーい

「あー。生きた心地しなかったぁ……」

 

 月夜に照らされながら私は鳳家の庭を歩く。鳳家の庭は本当に広く、庭の中心なんかは噴水も設けられている。本当にお金持ちの家だ。こんな広大な庭では落ち着く事は出来ないが、然し彼処に居るよりか百倍マシだった。

 

 結局あれから殺伐とした空気は消えず、折角出された恐らく高級であろう食事も味が全くしなかった。耐えられなくなった私は外の空気を吸うと伊地知さんに伝え、あの空気から逃げ出したのだ。

 

 噴水の淵に座り、夜空を眺める。夜だからか噴水は水を吐き出しては居なかった。

 

「……綺麗な満月」

 

 空の上には大きな満月が地を照らしていた。眩しいくらいに光っている月は嫉妬してしまう程に綺麗であった。

 

 絵を描きたい。然し絵を描く道具は部屋に置いている為何も出来ないのだが。私が持っているのは精々死にかけのスマートフォン一つだった。スマートフォンでも絵は描けるが、然しあと10%しかないスマートフォンを酷使するのは避けたかった。では何をするかと言われてもそれはそれで何も思いつかない。かと言って彼処に戻るのは絶対に嫌だ。

 

 ため息をつく。結局私は彼等の話が終わるまで此処で暇を潰すしかないのか。抑も私にお礼をしたいからと言って連れてこられたのにその当事者を差し置いてビジネスの話を進めるのは如何なものだろうか。

 

 私がぼけっと座っていると、何やらガサガサと草むらが音を立てる。呪霊かと思い体制を整えるが、然し呪霊特有の呪力は感じない。

 

「わんわん……わんだほーい!」

 

 その言葉と共に、女の子が草むらから勢い良く飛び出す。あまりの勢いに思わず声も出なかった。

 

 沈黙が流れる。せめて大声で驚ければ良かったのだが、無言で彼女を見つめる形になってしまい微妙な空気が私たちの間を流れた。

 

 ……わんだほーい?

 

「お姉さんも、わんだほーい!」

「わ、わんだほーい……?」

 

 二度目のわんだほーい。今度は私もさせられた。両手を大きく広げ、まるで教育番組で見る様な仕草。彼女は私が一緒にわんだほーいをしたのがお気に召した様で、満面な笑みを貼り付けていた。月にも負けない程の眩しい笑顔だった。

 

 私が困惑していると、彼女は私の隣に腰掛ける。

 

 誰なんだ、この子は。

 

「どうしたんですか? なんだか元気無い様に見えなんですけど」

「え? あぁ、別に大した事じゃないよ。少し外の空気を吸いたくって」

「むむぅ……?」

 

 そう言って女の子は首を傾げる。見た目は小柄な女の子だが、いくつなのだろうか。小学生と言ってもあまり違和感はない。それを助長させているのは、彼女の行動一つ一つが幼いからだろう。

 

「確かお兄ちゃんたちが今日お客さんが来るって言ってた様な……えっとしのののめさん?」

「東雲ね。()()()()

「あ、ご、御免なさい! えっと、しののののめめさん!」

「そんな長ったらしい苗字産まれてこの方聞いた事ないけど」

「うぅ……。し、し、し、の、めさん!」

「しが多くなっちゃった」

「ご、御免なさい……」

 

 そう言って女の子は肩を落とす。後半はわざとやっているんじゃないかと訝しんだが、然し女の子の様子を見るとあながち本気で間違えてしまっていたらしい。難しい苗字ではないような気もするが。

 

「いいよ。どうせなら名前で呼んで。絵名って言うの」

 

 落ち込む女の子の顔はどこか見て居られなかった。

 

 私がそう言うと、女の子は先程の落ち込み具合から打って変わって満面の笑みを貼り付けた。

 

「私、鳳えむって言います! 中学二年生です!」

「そっか。えむちゃんね。宜しく」

 

 と言うことは慶介さんたちの妹に当たるわけか。成る程、それだったら私の前へ急に現れる事は不思議ではない。抑も此処はえむちゃんの家なのだ。不純物はこの家に来ている私なのだから。

 

「絵名さんは、どうして家に来たんですか?」

 

 そう言ってえむちゃんは首を傾げる。どうやら会食の内容は聞かされて居なかったらしい。抑も最初からあの席にえむちゃんは居なかった。ビジネスとは無関係だからか、それともえむちゃん自ら席を外していたか。

 

 いや、後者はないだろう。だったら初めから内容は分かって然るべきだ。恐らく会食や誰が来るという事は言ってもその内容は教えて居なかったのだろう。私たちに粗相がないように。私から見れば明るくて良い子に見えるのだが、東雲家。延いては祖父を相手にしている手前、何を発するか分からない彼女の存在は、彼等鳳家の男児からしてみれば地雷原そのものだったのだろう。

 

「えむちゃんはさ、呪霊って知ってる?」

「あ、知ってます。お父さんが言ってました。なんか人の負の感情から流れ出たものって」

「そう。それを祓ってるのが私達呪術師なんだよね。それでこの前依頼されたからお礼として此処に招待されたってわけ。って言っても当事者が逃げて来ちゃったんだけどね」

「そうだったんですね! じゃあ、絵名さんは私たちの恩人って事ですね!」

 

 えむちゃんの言葉に、目を見開く。えむちゃんはまるで太陽みたいな笑顔を私に向けていた。

 

 その笑顔が、直視出来なかった。私の中にある後めたさが、どうしても純粋にその言葉を受け入れられないでいた。

 

「……恩人なんてもんじゃないよ。全然」

 

 なんで私がと思った。逃げ出したいとも思った。呪術師なんて絶対にやりたくないとも。

 

 でも、それは彼女たちを見捨てる事と同義であった。

 

 私があのまま逃げ出していたらどうなって居たことか。球体が彼処に留まっていたとは限らない。もしかしたら非術師に危害が及んでいたかもしれない。

 

 私は、彼女たちを見殺しにしようとしていたのだ。そんな私がお礼を言われる筋合いなんて、これっぽっちもありはしない。

 

「本当に、お礼を言われることなんて何も」

 

 顔を逸らしながら、小さい声で呟いた。その声は地面のセメントに反響した。こんな事を言ってもえむちゃんを困らせるだけなのに、どうしてか私はえむちゃんや鳳家の人たちの謝礼を素直に受け取る事が出来なかった。

 

 助けようだなんて思っていなかった。

 

 鳳側の事情なんて考えてもなかった。

 

 ただ一つ。呪術師にはなりたくない。球体が憎い。それだけを考えていた。

 

 どこまで行っても自分勝手で自分本位。彼等の今後など考えずに自分のことだけ。今だって自分の後ろめたさの事ばかり考えている。

 

「私ね。呪術師になりたく無いんだ」

 

 ポツリと呟いた。独白の様に、独り言の様に。語りかけではない言葉に、えむちゃんは目を丸くしてこっちを向いた。

 

「そうなんですか?」

「うん……いや、違うかな。本当は呪術師の事、そんなに嫌いじゃないの。私はね、画家になりたいの」

 

 目を瞑る。瞼の裏には色んなアイデアが浮かんでは消えていく。消えていかないでと願っても、浮かんだ次の瞬間、泡沫となって消えていった。その代わりとでも言う様に新しいアイデアが湧いてくる。

 

 描きたい。一つ残さず、取り零す事無く。然し今の私には無理だ。

 

 こうやって湧いて消えていくものたちをただ切望するしかない。

 

「だからね、呪霊は好きで祓っては居ないの。しょうがなく、言われたから祓っただけ。だからお礼を言われてもなんの意味も成さないんだよ」

 

 我ながら、意地の悪い話である。然し止めようと思っても口が止まらない。その証拠にえむちゃんは困惑した顔をしている。

 

「あぁ、でも心配しないでね。夢を捨てたわけじゃ無いから。まだ道はある。今度の受験で受かって私を否定した奴らに吠えずらをかかせてやる」

 

 今度こそ、私はえむちゃんの顔を見る。どんな事を思っても、思われても、それは変わらない。私はいつの間にか自分の手を強く握りしめている事に気づいた。無意識に感情的になっていたらしい。当たり前か。私自身、自分の感情がどうなっているのか完全に理解出来ていないのだから。

 

 まぁ、こんな事を言ってもそんな資格が私にあるのか分からないが。

 

 その現実に目を逸らして、現実逃避の様に描くしかない。それでしか今は自己を保てていないのだ。

 

 私が一息つくと、ずっと黙って聞いていたえむちゃんが口を開いた。

 

「……私、そんなに賢く無いからどう言えば良いか分からないし、どうすれば絵名さんが笑顔になってくれるかも分からないんです」

「えむちゃん?」

 

 えむちゃんの言葉に、ゆっくりと横を見る。えむちゃんは俯いていた。私の言葉が、えむちゃんを困らせてしまったのだ。

 

 こんなつもりではなかった。なんて今の状況では通用しない。つもりでは無くても実際にえむちゃんを困らせてしまった。

 

「ご、ごめんね、えむちゃん。困らせる気は無くって……」

「違うんです! 困ったとかじゃなくて、私は嬉しいんです」

「嬉しい?」

 

 えむちゃんの奇天烈な言葉に首を捻る。今の何処にそんな話があっただろうか。思い返してみても思い当たらない。

 

「絵名さんが、いっぱい、いっぱい考えて、それでも私たちを助けてくれる選択肢をとってくれた。それがすごく、すごーく嬉しいんです」

「──────」

 

 なんで。

 

 どうしてそんな事を言うの?

 

 私は貴方達を見捨てようとした。それなのに、どうしてそんな事を言っているのだろうか。

 

 あまりの眩しさに、再度目を逸らす。あんまりに眩しいから、目が潰れてしまいそうだ。

 

「でも、その呪霊っていうものを払う事で絵名さんがギュギュギューってなってるんだったら、笑顔にしたいんです! でも、その方法が思いつかなくって。晶介お兄ちゃんからもよく言われるんです。お前は考えが足りないって。だから周りが迷惑するんだって。私、頭悪いから」

 

 そう言ってまたえむちゃんは肩を落とす。その姿はまるで落ち込んだ子供の様だった。

 

 あぁ、成る程。えむちゃんの気持ちが漸く分かった気がした。

 

 嬉しい。そう思ってくれる事が、とても嬉しい。そうか。えむちゃんや鳳家の人たちはきっと、こんな気持ちだったのだ。

 

 つくづく私は自分の事ばかりでそんな事も見落としていたのだ。

 

「えむちゃん。見ててね」

「ほえ?」

 

 私は後の噴水の中に手を入れて呪力を流す。すると大きい水滴が空に浮く。庭に設置されてある灯りに照らされて、宝石の如くキラキラと光っていた。それを見て、えむちゃんはその水滴と同じ様に目を輝かせていた。

 

「凄い……凄い凄い凄い! 何これ! すっごくキラキラしてる!」

「これが術式っていうものだよ。これを使って祓うんだけど。案外、悪くないでしょ? 私は確かに自分の力を呪いたい時もあるけれど、それでも存外、悪くないって思う時もあるんだ」

 

 そう言った私を、えむちゃんは見つめる。えむちゃんの手を、私は握った。

 

「だから、自分が馬鹿だなんて卑下しないで。私は、えむちゃんがそう思ってくれているだけで凄い嬉しいの。確かにお兄さんにはそう見えるかもしれないけれど、えむちゃんは絶対、誰かの救いになってるから」

 

 これは本心だった。確かに一介の社会人である晶介さんや慶介さんにとってえむちゃんの思考は合わないのかもしれない。けれどそれと同時に、救われているのは確かである。現に、私がそうである。救いとは言わないまでも、私は彼女の言葉で心が軽くなったのだ。

 

 祓って良かったと、心の底からそう思う。

 

 そうか。これで良いのだ。葛藤し、悩み、逃げたいと思いつつ立ち向かう。それで良いのだ。

 

 えむちゃんは私の言葉に、顔を歪める。

 

「う、ううぅ……」

 

 そしてその言葉と共に涙を流した。

 

 きっと、色々悩んでいたのだろう。悩んで、悩んで。然し兄達に嘗て言われた言葉が枷となって自らの足を引っ張る。彼等にとってその言葉は記憶に残らない、口をついて出た言葉だろうが、然し当の本人にとっては絶対に忘れられない。忘れてはくれない心に染みついた言葉になる。

 

 私はその枷を外す事は出来ないが、だけれどその枷を緩めてあげる事は出来るかもしれない。

 

 然し、そこから先はえむちゃん次第だ。そのまま蹲っているか、その枷から抜け出すか。別に前者は悪い訳ではない。停滞もまた、心を護る手段にもなりうる。無理に抜け出して茨の道を強制するなど、私にはとても出来なかった。

 

 そんな事、私は、私だけはそんな事を絶対にしてはならない。

 

「ありがとう……ございます。私、頑張ります!」

「いや、別に私を笑顔にする為に無理はしないでね。その言葉だけで嬉しいから」

「でも、私は絵名さんの力になりたいんです! おじいちゃんが絵名さんのおじいちゃんにしたみたいに、私は絵名さんの助けになります!」

「……えむちゃん」

 

 えむちゃんの表情はこれでもかと言う程に真剣であった。これでは恐らく何を言ったって揺るがないだろう。

 

 人間の頑固さは、私が良く知っている。

 

「そっか。じゃあ約束ね。何かあったら頼らせてもらうわ」

「……! は、はい!」

 

 そう言って私たちは小指を絡める。子供の約束の様に、歌を歌いながら。

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