呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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第十三話 提示された課題

 筆と筆とが打つかる軽い音が複数、教室内に響き渡る。その音を聞きながら、私も他と同じ様に絵の具に汚れた筆を片付ける。教室の中にはシンナーの匂いが漂っていた。

 

 粗方片付け終わり、最後に自分が描いた絵を全体像で見る。キャンバスにはメディチが私を見ていた。

 

「………………」

 

 改めて見ても全体的に矢張り歪んでいる。私が見ていた物はこんなものか? そもそもこれはメディチと言って良いのか? 良くはないだろう。先程も雪平先生に「きちんと全体の構図を考えられていない」と言われてしまったのだから。然しその時には分からないもので、今時間を置いて改めて見てみると先生の言っていた〝歪み〟が分かるような気がした。

 

「──此の壗じゃ納得出来ないわね」

 

 ポツリと、言葉が零れた。然しこんな騒めきの中、私の声を拾う人間なんて誰一人居なかった。

 

 納得出来ないとは言ったものの、じゃあ居残りして描き続けると言ったら、それも否である。第一、この後十時からまた予定が入っているのだ。いや、それが無くとも教室を遅く迄貸して下さいとは間違っても言えない。そんな迷惑な話しはない。

 

「東雲さん。少し宜しいですか?」

 

 私がうんうん唸っていると、雪平先生の凛とした声が響く。私の脳内に一瞬のラグが生じ、その声が私に向けた物だと気付くには少しの時間を有した。

 

「……えっと……雪平先生? どうしたんですか?」

「少しだけ話がありまして。時間をお借りしても?」

「それは……別に大丈夫ですけど、どうしたんですか?」

「取り敢えず場所を移しましょう。準備室で構いませんか?」

 

 雪平先生の言葉を聞き、私は素直に頷く。今は八時半。十時迄はまだ幾分か時間はある。

 

 準備室は教室と比にならないくらい絵の具の匂いが充満していた。それは準備室に保管してある絵たちの他、雪平先生が描いた枚数の程度の所為だろう。雪平先生が寝る間も惜しんで絵を描いている事を、私は知っている。

 

 雪平先生はパイプ椅子を私の方に設置し、私に座るよう促す。その間自分は事務用椅子に腰掛けていた。

 

 何の話だろうか。先程までの酷評の事もあり、プラスの話ではないのは確かだった。

 

 あぁ、厭だ。酷評されたくない。出来ることなら褒め言葉だけを一生摂取して生きていたい。けれどそんな都合の良い事などあるわけもなく、今こうして身を縮めて座っているのだが。

 

「東雲さんの絵は、この短期間で随分変わりましたね」

 

 椅子に座るな否や、雪平先生は私のスケッチブックをパラパラと捲り無機質な声色でそう言った。その声がどんな意図を孕んでいるのか、どんな感情なのか読み解くことは私には叶わなかった。

 

「そう……ですか?」

「ええ、前までは自分を魅せる為に様々な色を使っていましたが、今では使う色彩もだいぶシンプルになり、だいぶ落ち着いています」

 

 そう……なのか。自分ではよく分からないが、きっと雪平先生と言う第三者からの評価は、きっと正しい。自分で気付かないうちに画力が変わってしまったのだろう。

 

「それは、悪い事なんでしょうか」

「分かりません。画風を貫く事で成功する画家も居ますし、逆に今迄とは全く違った描き方で脚光を浴びる人も居ます。どちらが正しいと言うのは人によって賭けですね」

 

 返ってきたのは何とも抽象的な言葉だった。言われてみれば確かにその通りなのだが、然し此処まで言われて肩透かしを食らった気分でもあった。結局の所私は一体どうすれば良いのだろうか。

 

「東雲さんは己の絵をどう見ますか? 客観的な要素は抜きにして、己の主観のみで」

「……また難しい事を言いますね」

「成長したいのでしょう?」

「ええ本当に」

 

 雪平先生の意地悪な質問に、溜め息を付く。絵と言うのは客観的な評価があって初めて〝作品〟になるのだ。それから客観を抜こうだなんて、それはまるで絵の全てを奪い去る事に等しいだろう。

 

 渡された自分の絵をジット見る。確かに言われてみれば昔の絵と今の絵はだいぶ違うものになっていた。

 

 心当たりがないと言えば嘘になる。突然の環境の変化、目まぐるしく過ぎる日々。上手い下手を抜きにしても変わってしまう要因は沢山あった。絵は心の鏡と言われるだけあって、それは歴の長い雪平先生にはお見通しである。

 

「……正直、まだまだ未熟だと思います。さっきも課題で描いたメディチを全体で見たんですけどうまく全体像が捉えられてなくて、線も細い。御世辞にも人様に見せれる様な絵じゃないです」

「人に見せられる絵を、描いていたのですか?」

「はい」

 

 そう言いながら、拳を強く握った。悔しいがそれが事実だ。今の私では受験どころかコンクールすら受賞出来はしないだろう。絵を描く時間が減って以降、益々画力が落ちた様な気がする。

 

 ……いや、それは言い訳にもならないだろう。雪平先生なんて私以上に忙しい筈だ。それでもあの画力を保てているのだから凄い。

 

 私の言葉に手を顎に持ってきて考える素振りを見せる。ぶっちゃけで言えば雪平先生の言いたい事がいまいちよく分かっていない。先生が何を言いたいのか、どんな事を伝えるために呼び出したのか。ただの教育の為と言うにも脈絡が無さすぎる。

 

「そうですね……東雲さん、少し課題を与えましょう」

「課題ですか?」

「えぇ、東雲さんが一番大切だと思うものを描いてきてください。何でも良いです。内容は問いません。ものでも、大事にしている心情など、それらをたった一つだけスケッチブックに描いてきて下さい。期日は……そうですね、来週の水曜日に提出して下さい。丁度一週間後ですね」

「大切なもの……?」

 

 予想だにしていない言葉に、思わず復唱をする。分からなかった先生の思惑が、また更に理解が出来ないことになってしまった。先生は一体何を考えて、何を伝えようとしている?

 

「それが気付ければ東雲さんは大きく成長出来ると思います」

 

「話は以上です」と言い、雪平先生は机の上に散らばっている書類などを片付ける。もうこれ以上は何も語らない。そう言いたいのだろう。こうなって仕舞えば何を如何聞いても収穫は願えない。結局私は雪平先生が何を言いたいのか一才分からないまま、疑問と疑惑を残しで教室を去った。

 

 

 

 

「ねぇ伊地知さん。大切なものってある?」

「えぇ? 如何されたんですか? そんな藪から棒に」

 

 無機質なタイルが敷き詰められた簡素な部屋の中。私は自身の傷口を手拭いで抑えながら傍に立っている伊知地さんにそう聞いた。あれから雪平先生の言葉が離れない。その所為で油断していた訳では無いが、けれども呪霊の攻撃を躱す事が出来ず、この様な醜態を晒してしまった。

 

 大切なもの……か。勿論私が一番大切にしているものは〝絵〟だ。例え利き腕を失おうが、四肢を失おうが、私は絶対に描く事は辞めないだろう。

 

 けれど、先生が言いたいのはそう言う事では無いのだろう。ではどんなことを言いたかったのかと問われればそれもまた不明である。

 

「実は絵画教室の課題で大切なものを描かなくちゃいけなくて。どんなの描けば良いのか分からなくて。伊知地さんはそんな時如何描く?」

「ど、如何描くと言われましても……」

 

 伊地知さんはそう言って考える素振りを見せた。視線を何処其処に向けて、真剣に。別に私は雑談のつもりで話題を投げ掛けたのだが、然し伊地知さんは真面目に取り合ってくれたらしい。

 

「命……でしょうか」

「命?」

「えぇ」

 

 そう言いながら、伊地知さんは小さく頷いた。

 

「私は職業柄、様々な人たちを現場へ送るのです。その中には、当然絵名様と同じくらいの年齢の子もいます。そんな子供達を戦地に向かわせるのは、少し思う所がありまして」

 

 その言葉に、少し驚く。けれども心の何処かで納得している自分も居た。伊地知さんは話の節々に何処か苦痛の様な、そんな雰囲気を漂わせていた。まるで此方に謝罪しているかの様に。それは決まって、私を現地に送り届ける時だった。

 

「勿論、それが仕事ですし、今更辞めるつもりはございませんが、然し未来ある若者を死場所に自ら向かわせるのは、少し、何でしょうか。如何言えば良いのか分かりませんが、まぁ、思う所がある。と言う事ですね。子供には、生きて居て欲しい。こんな地獄を知らず、馬鹿みたいに笑って、呑気に日々を退屈に過ごして欲しい。そう、思っています。こんな事、絵名様に言うべきでは無いとは思いますが」

 

 私は、少し伊地知さんを誤解していたのかもしれない。平気で人を戦地へ送る非常な人……とまでは思ってはいないが、然しそれと似た感情を伊地知さんに向けていたのは確かだった。私は伊地知さんの事を何も理解出来ていなかったのだ。伊地知さんの中にある葛藤、罪悪感。少し考えれば分かる事なのに、私は何も理解しようとしていなかった。

 

 ──あの時だって、私を旅館へ送るのに、相当葛藤した事だろう。いや、彼処だけじゃない。もしかしたら家から実家へ迎えに来る時も。

 

 静かになった室内に、扉が開く音がする。私と伊地知さんは同時にその方向を見遣る。

 

「何だ、ぶっ倒れているのかと思ったら、元気そうじゃないか」

 

 其処に立っていたのは白衣を着た長身の女性だった。涙ボクロが特徴的なその人は私を見て少しため息をつく。

 

 ……今、残念がられた?

 

「家入さん。お疲れ様です」

「本当にね。最近は死人やら怪我人やら多くて敵わん」

 

 そう言って女性はストレッチャーに腰掛ける。

 

「一人怪我人出るとまた更に怪我人が増える。この現象、何と言うんだろうな」

「さ、さぁ……」

 

 女の人の言葉に、伊地知さんは苦笑いを浮かべる。何が何だか分からず首を傾げていると、此方を振り向いた女の人と目が合った。

「あ、えっと……」

「あんた、骨折れてるだろ? 良かったな左手で」

「え? あ、はい……」

 

 何で分かった? そう思考する前に、女性は私に近づいた。その茶色かがった瞳が私を捉える。その深まった隈から普段の疲れが垣間見える。その瞳が、じっと私を見て離さない。

 

「えっと……?」

「あぁ、ごめん。少し目眩がね。ここん所徹夜続きだったもんで」

「えぇ? 大丈夫なんですか? 少し休んだ方が……」

「良いよ。この治療が終わったら今日の業務は終わりにする予定だ……多分」

 

 そう言いながら、女性は両手を私に翳す。そしてその両手にボウッと青い炎が宿る。

 

 ……呪力?

 

 そう思ったのも束の間、私の体の傷がみるみるうちに治っていく。その驚くべき術に、私は目を丸くする。骨だけじゃない。身体中に付いた傷が、まるで映像を逆再生しているかのように塞がっいった。

 

「良し、これで良いだろう。尤も、無理は禁物だよ。反転術式は傷は治せても身体の負荷迄は回復出来ないからね」

「反転術式?」

 

 聞いた事のない単語に、私は首を傾げながら言葉を反復する。そんな間抜けな仕草に応えたのは傍で私を見守ってくれていた伊地知さんだった。

 

「本来負のエネルギーである呪力同士を掛け合わせる事で生じる正のエネルギーの事です。これにより肉体の回復が可能となります」

「…………えっと」

「まぁ、要するにマイナス掛けるマイナスはプラスと言うことです」

「おお、分かりやすい」

 

 伊地知さんの砕いた説明に、私は左手の掌に右手をポンっと乗せる。成る程、数学にすると何となく分かりやすい。中一の時にやった。

 

「それで、それ如何やってやるの?」

「ん? 簡単だよ。ひゅーっとやってひょい。これだけ」

 

 先程の説明から、一気に分かり辛くなってしまった。今の説明で分かった。この人はきっと天才肌で感覚派なのだろう。私には分からない感覚である。

 

 私が呆れていると、焦った様にフォローに入る。

 

「反転術式はとても繊細な術なので、使える人が本当に極稀なんです。高専内部でも、使える人間は二人しかいません」

「え……そうなの?」

「簡単だと思うんだけどな」

 

 そう言って口を尖らせる女性。そういえばこの人はなんて名前なのだろうか。この部屋に入って来てから一度たりともお互いの事を名乗っていない。伊地知さんはこの人の事を〝家入さん〟と読んでいたが、それ以外の情報はまるで知らない。けれど私から聞くのも何だか今じゃない気がする。

 

 伊地知さんと家入さんの話を聞き流しながら、左手を伸ばしたり曲げたりする。腕の筋や骨に何の違和感もなく、最初から無傷だったかの様に綺麗だった。

 

 これが、反転術式。本当に凄い。

 

 自分の両手を見て、少し考える。使える人間が二人しかいないと言うが、然しこれを使えたらもっと闘いの効率が上がるのではないか?

 

 自分の手に呪力を流す。多くを漏らさない様に、真剣に。それを両手同時に同じくらいに流して、それで──。

 

「──きゃあ!!」

 

 座っていた椅子が掌小さいサイズにくしゃくしゃになり、この部屋に置かれている物が音を立てて無惨にも割れたり潰れたりしてしまった。勿論私は思い切り尻餅を強くついてしまった。

 

「ど、如何されたのですか!?」

 

 そう言って伊地知さんは私の方へ駆け寄る。然し私はお尻のあまりの痛さに背筋を伸ばす他なかった。

 

「いっつ……!」

「まさか君、反転術式をしようとしたな」

「……バレたか」

「バレバレだよ。つーか、それ以外に考えられないだろ」

「まったく」と溜息をつきながら私の腕を掴んで違う椅子へ私を座らせる。

「怪我はあまり増やさないでくれ。私の仕事が増える」

「う……申し訳ないです」

 

 家入さんの言葉に、小さくなる。矢張り調子に乗るのは止した方が良い。こんな術式が暴発するとは考えていなかった。割れてしまった電気の照明の破片が細かく粒子になって落ちてくる。薄暗くなった部屋は、元々陰鬱だった部屋の中を、更にジメジメとさせていた。

 

 私を座らせる為に握ってくれた家入さんの手を見る。

 

 大きいけれど、細くて白い手を見る。

 

 何だろうか。

 

 初めての、筈である。けれど何だか見覚えがあった。

 

 身に覚えが、あった。

 

「──前にもこんな事、あった?」

 

 ポロリと言葉が溢れる。自分でも無意識であった。然しその言葉は地面へ落ち、広がり、静寂へと変えていった。家入さんはまるで石の様に動かない。

 

 ゆっくりと顔をあげる。然し私の位置からは家入さんの顔は伺えはしなかった。ただ私の手を握っている手は、少し強かった。

 

「……さぁ、あったかな」

 

 そう言って家入さんは静かに笑う。その顔は、何処か憂いを帯びていた。

 

 そんな顔をさせたのは、私だ。然し如何して私が家入さんをそんな顔にさせてしまったのか全然分からない。ただ申し訳ないと思うよりも、美しいと、思ってしまった。

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