呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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その声は、段々と遠ざかる


第十五話 手遅れ

「場所は渋谷近くのショッピングモール。窓が呪霊を確認したのは今日の十二時五十四分です。それから五時間以内に六名の行方不明者が出ています。全員二十代前半。任務の内容はその行方不明者の救出と呪霊の討伐です」

 

 車に揺られながら、伊地知さんの話を聞く。道の街灯が車内を点滅する様に照らしていた。私は伊地知さんの話を聞きながら手元のタブレットに目を通した。其処には行方不明者の情報が開示されている。五人が五人知り合いというわけではなく、ただその場に偶々居合わせただけの様であった。

 

 関連性と言えば、全員二十代前半という事だけだった。その他は何の共通点もない。然し無差別と言うには何処か怪しい。

 

「ショッピングモール等の人が沢山集まる場所には呪いが溜まりやすいのです。人の人数に対して呪いも多く強くなる。特に彼処は四月初めにリニューアルオープンしたばかりですので尚の事呪いの数が増えているんだと思います」

 

 そう言えば、ピクシェアでそんな事を言っていた様な気がする。まだ行った事はないが、然しピクシェアにあがっている写真はどれもおしゃれで綺麗だった。常々行きたいと思っていた所だったから行く前に閉店になってしまっては如何にも気分が悪い。

 

 左手を伸ばし折りをする。違和感はそこ迄無く、万全な状態と言っても差し支えは無かった。そう考えると、本当に反転術式は凄い。あれだけ派手に折れていた。腕が、今こんなにも初めから怪我なんてしていなかったかの様に元通りになるのだから。

 

「体の調子は、如何ですか?」

 

 バックミラー越しに、伊地知さんと目が合った。その目には心配の色が伺えた。

 

「うん。大丈夫だよ。曲げ伸ばしも問題ないし、痛みも殆どない。全然戦えるよ」

「そう……ですか。でも、無理はなさらずに」

「分かってるわよ」

 

 伊地知さんの言葉に頷きながら、私は窓の外を見た。沢山のビルが通り過ぎ、歩道には仕事終わりの大人や、逢瀬中であろう男女が歩いていた。流石に学生の姿は見当たらない。私ぐらいだろうか。こんな真夜中に出歩いているのは。

 

 大きな口を開けて、欠伸をする。今朝は矢張り任務で早起きだったため、この時間になると一気に眠気がやってくる。

 

「伊地知さん、現場まで後どれくらい?」

「二十分程でしょうか?」

「そ。私暫く寝とくから、着いたら起こして」

 

「分かりました」と言う声を聞き、目を瞑る。その瞬間身体にズンッと大きな疲れが伸し掛かる。あぁ、此の儘だともう朝まで目を覚まさないかもしれない。けれどもこの疲れを抱えたまま呪霊と戦うなんて事はしたく無かった。まだ死にたくない。

 

 家入さんの言っていた意味が、漸く分かった気がした。反転術式で身体の疲れまで取れれば良いのだが、其処迄万能では無かった様だった。

 

 目を瞑って数分。思ったより短い時間で睡魔が襲い、私はそのまま意識を手放した。

 

 

 

『───で、──様が────』

 

 声が、聞こえる。誰の声だが分からない。けれど聞き覚えのある低い声。

 

『なん──受肉が───嘘だろ』

 

 何を言っている? ノイズが邪魔をして全然聞き取れない。

 

『逃げ──お願い───』

 

 誰? 誰なの?

 

『いや──助け───あぁ』

 

 

『──大好き』

 

 

 

 

「絵名様。着きましたよ」

 

 体を揺すられ、閉じていた目を覚ます。顔を上げると、後部座席を開けて私を見ている伊地知さんが居た。

 

「……あれ? もう着いたの?」

 

 目を擦りながら窓の外を見ると、其処はショッピングモールの駐車場前であった思ったよりも広く、車も私達が乗っている一台しかなく、昼間の賑やかさとは打って変わって簡素なものだった。

 

「ごめん。爆睡してた」

「いえ、お気になさらず。絵名様も疲れているでしょう。然し大丈夫ですか? 随分魘されていましたが」

「……うん、なんか、夢を見て」

「夢、ですか」

「声が、聞こえて、でも、ノイズ混じりで。知らない筈なのに懐かしいような、そんな感じ」

 

 真っ暗な中で、声だけが聞こえた。知らない声。だけれどそれは何処か聞いたことがあるような。懐かしさと、寂しさと、苦しさと──罪悪感。誰の声なのだろうか。聞いたことが確かにある。然しその声の主が如何しても思い出すことが出来ない。

 

 私は、何を知っている?

 

 何を、忘れている?

 

「絵名様。如何されました?」

「へ? あぁ、大丈夫。さっさと行きましょ」

 

 ぼうっとしていたようで、伊地知さんの声にハッと我に返る。如何にも夢の事を考えるとそこに集中してしまい他の事を考えられない様だった。

 

 車から降りて、ショッピングモールを見上げる。リニューアルした事もあり、矢張り身を逸らす程に大きかった。建物も綺麗であり、三階建ての建物は威圧感満載で建っている。

 

「良いなぁ、此処、新しいアパレルショップも入ってるから今度愛莉誘って行こうかしら」

「学友とですか? 良いじゃないですか。此処は色んなお店が入っていると呪術師の中でも評判ですよ。呪霊が蔓延っている点を除けば、ですが」

「それをこれから祓うって事ね。ねぇ、これ本当に私がやらなきゃいけないこと?」

「御当主様から直々のご指名です」

「分かってるから尚の事腹が立つのよ」

 

 そう言いながら、店内へ向けて歩き出す。広い空間な為、私の足音が嫌に響く。伊地知さんは私に着いて来ることはない。

 

「では、帳を下ろします。ご武運を、絵名様」

 

 伊地知さんはそう言ったと同時に、上から黒い泥の様なものが降りてくる。帳は外から中を隠す為の結界だと言っていたが、然し以外にもそれが結構役に立つと言う事が分かった。何よりいくら暴れたとてバレない。

 

 帳が下り切ったのを確認して、中に入る。普段なら店内放送や曲などがかかっているが、今は恐ろしい程の静寂が流れていた。誰も居ないショッピングモール。その不気味さが私の恐怖心を駆り立てた。呪霊と行方不明者を探しながらお店の下見をしようかと思っていたがそんな余裕は無さそうだ。

 

 私の足音が響く中、私は周りを見ながら歩く。だだっ広い店内な為、行方不明者は疎か呪霊を探すのも一苦労だ。沢山の人が訪れているとはよく言ったもので、呪霊の気配が全体に広がり、すぐ近くに居る様で遠くに居る。まるで呪霊の胎内に居るみたいだった。けれどそれは嘗ての球体と似て異なるものだった。

 

 こんなにも、呪いは広がっているのか。

 

「──ああ! もう! この感覚本当嫌い! ストレス溜まる!」

 

 私の声が強く反響する。然し私が叫んでも呪霊は出てこなかった。もういっその事めちゃくちゃに暴れてやろうか。

 

 私がむしゃくしゃしていると、視界の端にとある化粧ショップが目に入る。綺麗で、おしゃれなコスメショップ。デパコスにも負けない程にキラキラしていた。

 

「あ、このコスメ愛莉に似合うかもな……」

 

 ポツリと、呟きが漏れる。こんなこと考えている暇は無いと言うのに。

 

 そうだ、この任務が終わったら、愛莉に連絡してみよう。多分起きていないから返事は明日の朝になると思うが。けれども私の誘いは、余程の事がない限り断る事はしないだろう。

 

 あぁ、買い物に出かけたい。カフェの新作ドリンクも飲みたいし、洋服も買いたい。絵も描きたい。美術館にも行きたい。

 

 ──疲れた。

 

 そう思い、天を仰ぐ。

 

 その瞬間、そのコスメショップの硝子が大きな音と共に割れる。

 

 ゆっくりと振り返る。いや、実際にゆっくりなわけではなく、ただスローに見えるだけだ。呪霊の動きすら遅く見える。

 

 そして我に返ったと同時に、呪霊の攻撃が繰り出される。私は飛ぶ様にその攻撃を避けた。其方から出てきてくれるのなら本望だ。探す手間が省けた。

 

 其の儘地に着地し、呪霊を見る。体は大きく、その体に無数の顔が浮き出ている。リニューアルして数日でこんな気持ち悪い呪霊になるのか。人の感情とはなんて恐ろしい。

 

 相手が手を叩く。響く音は一瞬で、余韻を残して静寂が流れた。何かの合図だろうか。仲間を呼んだ? それにしては他に気配もない。

 

 私が相手を観察するように相手の姿を見ていると、突然私の足元が爆発した。避ける間も無く地面が崩れる。

 

「────!」

 

 なんとか瓦礫を足場にして一緒に落ちるのはなんとか防げたが、然し肝心な呪霊を見失ってしまった。

 

 一体何処に行った? そう思い辺りを見渡す。爆発した地面と、散らばった硝子。その他には何もなかった。そうだ。呪霊を祓う事もしなきゃいけないし、何より行方不明者の捜索もしなければいけない。

 

 ……いや、二つ同時進行なんて、無理じゃない?

 

 そんな考えが過るが、すぐに頭を振って思考を投げ出す。出来る出来ないじゃない。やらなきゃ。行方不明になっている人たちは今頃怯えているに違いない。そんな人達をほっぽり出して逃げるだなんてそんな事あって良いはずがない。

 

 私が辺りを見渡していると、少しの破裂音が聞こえる。いや、これは破裂音などではない。先程の呪霊が手を叩いたのだ。その証拠に私の傍にある柱が崩れ、瓦礫が私の頭上へ降り注ぐ。

 

「──っぶな!」

 

 反射的に避ける。然し判断が甘く、複数の瓦礫が私の頭へ直撃した。皮膚が切れる感覚が遅い、私の顔を伝って赤い液體が滴り落ちる。

 

 グラグラと視界が揺れる。如何やらあいつは手を鳴らす事で物を壊す術式を持っているらしい。なんともまぁ単純だが面倒臭い術式である。私の術式も言えた事ではないが。

 

 けれど、少し勝算が見えた。

 

 私は足に力を入れて、走り出す。手を叩いた後に、少し時間を置いて、尚且つ隠れてまた手を叩いたと言う事は、その間に考える時間があると言う事。だったら考える前に動けばいい。

 

 そしてまた少し時間が空き、手を叩く後が聞こえた。今度は私が走っている真上の照明。割れて落ちてくるなんて事はなく、天井のコンクリートごと落ちてくる。デパートの照明なので当然の如く大きい。なんだ、次はこうくるのか。

 

 しゃがんで地面に手を付く。呪力を広い範囲に流し、流した瞬間地面が盛り上がり、私を包む様にして私の頭上へと向かっていく。そしてその地面と照明が衝突し、砕け散った。

 

「……うん。術式もバッチリ」

 

 瓦礫が雨の様に降り注ぐ中、私は自分の手を見ながらそう呟く。二連続の任務だったが、然し呪力はまだ残っていたらしい。

 

「さて、ちゃっちゃと終わらせましょ」

 

 そう言って、私は右足を強く地面へ叩き付け、その反動で浮き上がった瓦礫を触りながらその瓦礫を右上へ勢い良く投げる。その速度はまるで弾丸の様であり、少し大きめの瓦礫は其の儘二階にへ続くエスカレーターを破壊した。

 

 そこから落ちてきたのは矢張り呪霊。焦ったように手を叩こうと掌同士を合わせる。

 

「させないっての!」

 

 そう言って瞬時に距離を詰め、呪霊の両手を握る。無駄に湿っていた気持ちが悪い。

 

 其の儘呪力を流し込み、そいつの体を捻る。耳を劈く様な音と共に、赤黒い液體を身体中に付いている顔の口から噴水の様に噴き出した。

 

 体を蹴飛ばしながら距離をとる。ついでに手も潰した為術式が発動される事はない……筈である。

 

 体を捻るばかりで一向に消える気配がない。何か、間違ってしまったのだろうか。

 

 体制を立て直し、戦闘体制を取る。規奇声を上げながら体を捻らせる姿は滑稽そのものだった。

 

 呪霊が、全身の口を大きく開ける。然し声が聞こえなかった。先程の奇声も嘘の様に全く。まるで世界から音が全て消えたかの様に静かだった。

 

 ──無音?

 

 地面に赤い液體が落ちる。左右に、両方。それと同時に頬に温かい感覚が伝った。それだけじゃない。この建物内の硝子が音もなく割れる。音は聞こえない。然し圧だけは身体中に感じる。

 

 音圧か。

 

 成る程。先程の術式は手を叩く事による崩壊ではなく、手を叩いた拍子の音圧によるものだったのか。あれだけの音であれだけの威力が出るなんて、聞いてない。

 

「嘘でしょ──」

 

 なんとか耳が回復してきて、漸く己の声が聞こえた。けれど聞こえたからと言って如何する事も出来ない。

 

 また口を開く。咄嗟に耳を塞ぐが、耳を劈く程の音が鼓膜を襲う。成る程、こんな音が響いたら硝子なんて簡単に割れるだろう。

 

 音圧が届かない所まで距離を取る。何処までいけば届かないのか分からないが、それでも行ける所まで行く。

 

 二階から飛び降り、椅子やら机やら棚やらを飛び越えながらなんとか距離を取る。そこは本屋の中だった。

 

 如何する。音圧なんて、対処の仕様がない。

 

 如何する? 如何する? 如何する?

 

 考えても考えても考えても解決策が出てこない。いや、何かある筈だ。けれど如何すればいい? 私が操れるのは物体と液体と──。

 

 あ──。

 

 爆発音が響く。如何やら己が有利だと思い今度はあちらから攻撃を仕掛けるつもりだ。身体中にある顔がいやらしい程に笑っている。

 

 狡猾で、卑怯。弱いからこそ、己の戦い方をわかっている。人間と同じか。

 

 また口を開く。今度は硝子だけじゃない。本棚も吹き飛ぶ程の威力。けれど私の周りだけは平常を保ったまま、まるでそこだけ膜が張られているかの様に無事であった。

 

「────!」

 

 呪霊は驚いた様に目を見開く。その顔を、真っ直ぐと見た。勉強なんて嫌いだが、然しこの時ばかりは勉強をしていて良かったなと、心から思う。

 

 音圧。それは空気の振動。空気とは気体。それは私の得意分野と言っても過言ではなかった。何で今まで気付かなかったのか疑問だが、然し今気付いたからと言って遅い事はないだろう。

 

 いつの間には呪霊は手を再生しており、また叩こうとする。それと同時に、私は右腕を左から右へと伸ばした。その瞬間、呪霊の腕が真っ二つに切れる。気体を割ったのだ。

 

「────! ギィィィィ!!」

 

 奇声を上げながら此方へ力任せに突進してくる。

 

 馬鹿な、奴。

 

 今は呪霊の全体像を視界に入れている。準備は整った。

 

 目が熱くなる。血管が震え、圧迫し、目の奥の激痛が頭痛に変わる。

 

 その瞬間、まるで粘土の様に上から押し潰されて地面にめり込む。地面に出来たクレーターと同化し、もう原型を留めていない。

 

 重力を、掛ける。瞬きをしない。此奴を絶対に逃しはしない。どれだけ逃げようと身を捩っても、それはまるで無駄だ。私の鼓膜を破ったのだ。これくらいの代償は受けて然るべきだろう。

 

 そしてペキョッと言う音と共に、灰になって消え失せる。

 

 静寂が流れる。呪力の気配が消えた事を確認して、漸く瞬きをした。

 

 疲れる。これは。頭も痛くなるし、何より眼球が乾燥する事によって目も痛くなる。もう二度と使いたくない。

 

「っと、こんな事している場合じゃない。行方不明者を探さないと」

 

 ハッと思い出し、辺りを見渡す。呪霊は祓えたが、然しもう一つの目標は達成出来ていない。

 

「あのー! 誰かいませんかー! 居たら返事してくださーい!」

 

 大声を出して呼びかける。然し私の声に反応する人間は、誰一人としていなかった。そこに流れるは静寂のみ。またそこ知れぬ孤独感が私を襲った。

 

 溜息を付いて歩き出す。返事がない、と言うことは此処には居ないのだろう。この広い敷地内を探し回ると言うのは些か骨が折れるが、この際仕方がない。店の隅々まで探すとしよう。

 

 コツンっと私の足に何かが当たる。

 

 探す手間が省けた。私のお目当てはすぐ傍にあったのだ。見つけたと言うべきが、見つけてしまったと言うべきか。然しそれは私が探しているものでも到底違ったものだった。

 

「あ────」

 

 倒れてる。誰が? 人が。倒れて。複数人。本棚の下敷きになって。目視で確認出来る。六人。血が流れてる。足に当たった腕が、石のように硬い。

 

 血が、血が、血が。真っ赤に、流れて。

 

「あぁ────」

 

 光のない目と私の目があった。それは私を恨めしそうに見つめ、私の姿を反射していた。

 

 

 

 

『死亡推定時刻は午後十八時。死因は音波による脳破裂。あんたが殺したんじゃないよ』

「そう……ですか」

 

 縁側に座りながら、家入さんの連絡を電話で聞く。あれからまた高専で治療を受け、帰って来た。帰り道はまるで夢の中を、悪夢を歩いているかの様に頭がぐわんぐわんと回っていた。現実味が全く無く、何度これは夢かと思ったか。然し体に襲う激痛が、これが現実だと指を差す。

 

 お前の所為だと、嘲笑う。

 

 私の、所為だ。私がもっと早く見つけ出していれば、蘇生出来たかも知れないのに。私が暴れたから、彼等は本棚の下敷きになった。死んでいても、まだ綺麗な状態で親御さんの元へ還せたのに。

 

『絵名』

 

 家入さんの言葉が、機械音と共に聞こえる。

 

『何度も言うが、死因は音波による脳の破裂だ。君が殺したんじゃない。そこんところ履き違えるな』

 

「……はい。わかってます」

 

 私の言葉に家入さんは溜息をつく。きっと口先だけの生返事に呆れているのだろう。私も私だ。こんな間を開けて返事をしてもそれは気にしてますと言っている様なものだ。

 

 分かっている。私が殺したんじゃない。あれは私がいくら早く探し出したとて結果は同じだと言う事も。然し、まだ希望があったんじゃないかと思わずにはいられない。脳破裂しても家入さんの反転術式でどうにかなったんじゃないかって。

 

 今更後悔したところで遅いと言うのに、そんなifを考えてしまう。そんな事を考えている自分が、考えるだけで結果も残せない様な自分が、心底嫌い。

 

「家入さん」

『なに?』

「ごめん」

『……だから、あんたの所為じゃないって言ってんだろ』

「分かってる……けど」

『取り敢えず、あんたはもう寝な。今は何も考えない方がいい』

「はい。おやすみなさい」

 

 私がそう言うと、家入さんから電話を切った。風の音と鳥の声が辺りに響く。この静寂が、尚の事私の心を締め付ける。彼等は生きていたら、今頃気持ち良く眠って明日の朝を待っていただろう。それを壊してしまったのは、確かに呪霊他ならないのだが、然し私自身責任が無いと言うのは些か頷けない。

 

 風が吹く。冷たい風に身体が震えた。

 

『君の部屋にある押入れ。其処を調べれば何か分かるかもね』

 

 五条さんの言葉が頭に響く。開けられた障子の間から自分の部屋を見る。私好みじゃない、無機質な殺風景の部屋。その一番向こうにある水仙の花の絵が施された押入れ。

 

 立ち上がり、部屋の中に入る。薄暗く、月明かりの光だけが唯一の救いであった。

 

 ゆっくりと押入れを開ける。湿った木材の匂いが鼻腔を刺激した。中には布団と座布団と小物入れと──。

 

「大きな、ダンボール」

 

『えな』とつたなくひらがなで書かれたダンボール。五条さんが言っていたのはこれのことだろうか。

 

 ダンボールを引きずるように外に出す。相当重く、少し声が漏れる。

 

 ドクンと、心臓が鳴る。どうしてだろうか。開けなきゃいけないのに、このダンボールの中身を見たくない。どうしても、見てしまったら何かが壊れる様な、そんな感覚。

 

 けれど、それだと五条さんの意図は読み取れない。一歩を踏み出さなければ何も始まらない。

 

 深く深呼吸をして、手に力を入れる。その手が微かに震えていた。

 

 意を決して、ゆっくりとダンボールを開ける。その中に入っていたのは──。

 

「……スケッチブック?」

 

 中に入っていたのは大量のスケッチブックだった。それだけじゃない。猫のぬいぐるみが埃を被って座っている。

 

 何故、スケッチブックが此処に?

 

 私は此処に来た事があるのか?

 

 疑問と共に私はスケッチブックを開く。其処には幼児が描いたかの様な下手くそな絵が描かれていた。パンケーキ、水仙、猫。下手くそだが、何を描いているかは大方分かる。

 

 この絵には、見覚えがある。そうだ、家にあったスケッチブックの絵と同じだった。それを証明するかのようにあのスケッチブックに書かれた人物たちが描かれている。

 

 それだけじゃ無い。もう一人、見覚えの無い人物が描かれていた。

 

 これは、着物……だろうか。ベージュ色の髪をした男の子。口には布があてがわれている。

 

 知らない。こんなの。けれど私はこれを知っている。

 

 ポタリと何かが落ちる。

 

 涙だ。

 

「あ……あぁ……」

 

 嗚咽が漏れる。私はスケッチブックを抱きしめ蹲る。涙が次から次へと零れ落ちた。

 

 心が苦しい。どうしようもなく、締め付けられる。行き場のないこの感情は、一体どうしたら良いのか。

 

 何か、忘れている。大切な、大切な記憶。思い出そうとしてもノイズが邪魔して映像を見せてくれない。

 

 声が、聞こえない。

 

「あぁぁ……」

 

 蹲る。大切なものをこれ以上取り零さぬ様に。ぎゅっとスケッチブックを握りしめた。

 

 私の嗚咽は、夜空に消えてなくなる。この悲しみを知るものは、誰一人としていなかった。

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