呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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身に纏う激痛も、理不尽な現状も、己の心に巣食う自己嫌悪も、今はただ、暑さの所為ということにしておこう。


第十九話 暑さの所為

 ジリジリとした暑さが肌を焼く。いくら日焼け止めを塗っていたところで紫外線には勝てないという訳か。

 

「……それでも暑い。伊地知さん。ちょっとアイス買ってきてよ」

「……それは命令ですか?」

「なんでそんな極端でしか受け取れないのよ」

 

 そんな会話をしながら長距離を歩く。

 

 もう八月である。世間ではもう学生は夏休みに突入し、宿題をやりながらも青春を送っている。そんな中、私は任務として山道に来ていた。

 

 分かっていた。当然分かってはいたさ。けれど心のどっかに期待はしていた。もしかしたら夏休み期間中絵を沢山描けるんじゃ無いかって。少し。ほんの少しだけ期待していた。

 

 けれど現実はどうだろうか。朝から晩まで呪霊を祓って、寝て起きたら祖父の八つ当たりと言う名の訓練。絵を描くどころか休む暇さえ与えられはしなかった。

 

 家に居た時間が、如何に幸せだったかを思い知らされる。

 

「ほんっと。あの人の傍若無人っぷりどうにかならない訳? 迷惑なんだけど」

「はぁ。そう言われましても……」

「分かってるわよ。あの人の殺気、本当に恐ろしいからね。今遠くに離れている筈なのに殺気を向けられてる気がするわ」

 

 溜息をつきながら汗を拭う。雲一つ無い晴天。こんな真夏真っ盛りの中こんな山道を歩くだなんて自殺行為も甚だしい。

 

「ていうか、伊地知さん迄一緒に来る事なくない? 麓の駐車場で待ってれば良かったのに」

「いえ。現場まで無事に送り届ける事が我々補助監督の仕事です」

「そんな無理しなくて良いのに」

 

 この狭い山道では車で入る事が出来ず、仕方なく車から降りて歩いて現場に向かっていた。こんな虫も出そうな所で任務なんて、これはもしかして嫌がらせの一端ではないだろうか。そんな事を思ってしまう程、この暑さに辟易していた。

 

 蝉の声が聞こえる。長袖長ズボンを着ているから虫に刺される心配はないが、そもそも家を出る時にこんな山に来るなんて思ってもなかったし教えられてもいなかった。こんな事なら水とか塩分補給出来る飴とか色々持ってくれば良かった。何が嫌って、熱中症で倒れて絵を描く所ではなくなるのが本当に嫌だ。

 

 横目で伊地知さんを見る。伊地知さんは半袖のワイシャツを着ているが、然しそのシャツにはぺったりと汗がへばりついていた。

 

 お人好し。そう思った。

 

 こんなになるまで私に付き合ってくれる理由はないだろうに、この人はきっと自分の中にある良心だけでこんな事をしているのだろう。

 

「伊地知さんってさ、貧乏籤引くタイプよね」

「えぇ!? す、すみません……」

「いや、悪いなんて一言も言ってないでしょ」

 

 どうやら伊地知さんは少し被害妄想をしてしまう嫌いがある。まぁ、仕方ないか、あんな環境で生きてきたら誰だって被害妄想もしてしまうし、自己肯定感もゴリゴリ削られる。

 

 そんな中で優しさを忘れないのは、きっと想像を絶する程に精神を消耗する事だろう。

 

 それはきっと、私が想像するよりずっと辛いはずだ。

「そうだ。伊地知さん。これ終わったら次の任務まで時間あるでしょ? 冷たいものでも食べに行こうよ。私、良い店知ってるんだ」

「それは、命令ですか?」

 

 先程と同じ事を言う伊地知さん。けれどもその言葉はどこか明るかった。

 

「そ、命令。伊地知は私と一緒にアイスを食べにきなさい」

 

 私は伊地知さんの前に移動し、指を差す。まるで主人が従者に言うように。伊地知さんは私の従者ではないが、これくらいは許されるだろう。きっと、伊地知さんはこうでもしないと休む事もしないのだから。

 

 伊地知さんは目を丸くしたが、ゆっくりと顔を綻ばせた。

 

「御意」

 

 そう言ってお辞儀をする。それを見て私は満足げに前を向いた。前には生い茂った一際薄暗い道が出てくる。そこから漂ってくるは僅かな呪力。

 

 己の頬を叩き、気合を入れる。命令した手前、死んで帰るわけにはいかない。笑顔にしようと誘ったのに泣かせながら帰すことになってしまう。

 

 伊地知さんと目配せをして頷く。此処は人気がないから帳は不要だろう。

 

 私は意を決して足を踏み出した。

 

 

 

 

「それで? こんな怪我して帰ってきたの?」

「仕方ないじゃん! 敵の数があまりにも多かったんだから!」

 

 医務室で治療を受けながら家入さんに笑われた。

 

 生きては帰ってきた。然し私の体は切り傷や打撲で一杯であった。

 

 一体一体の力はそんなに無い。然しあまりにも数が多かったのだ。なんとか全て祓い切れたのだが、然しその代償に体に負傷を負ってしまったのだ。結局こんな怪我じゃ店に入る事は出来ず、伊地知さんとの約束は守れなかった。伊地知さんは日を改めようと言ってくれたが、それでも心は引き摺っていた。

 

「て言うか、なんで私に反転術式が使えないわけ?」

「そう責めるな。私だって調べてる途中なんだ。こんな事、今迄なかったんだがな」

「別に家入さんを責めてるわけじゃないし……ごめん、ただの八つ当たり」

「だろうと思った。ま、あんたが他人に対してそんな事は基本的に思わないって事、ちゃんと分かってるさ」

「家入さん……」

 

 本当に、八つ当たりだった。この暑さで汗で染みる傷が痛く、しかも伊地知さんとの約束も守れず、尚且つ絵を描く時間も少なくなっている。そんな不満が積み重なってしまったのだ。悪気がなかったとはいえそれはやってはいけない事だ。

 

 自分の手を見る。包帯まみれの、汚い手。

 

 前迄は反転術式で治っていた。けれど今はどうだろうか。反転術式で直せやしない。深い傷だからかどんどん増えていく包帯とガーゼ。もう肌の面積があまりにも少ない。汗で傷も染みる。

 

「ごめんね、家入さん」

「気にすんな。私も気にしてないしね」

 

 そう言った家入さんは優しく私の頭を撫でた。その手が、あまりにも優しかった。

 

「さて、今日は定時で上がれるかなー」

「どうだろ。家入さんは人一倍忙しいもんね」

「やめろやめろ。自覚させるな」

 

 手で空を払いながら事務椅子に座る家入さん。私はそれを見てから窓の外を眺めた。此処からはグラウンドがよく見える。グラウンドに生えている草木が綺麗に日に当てられている。

 

「……夏ねぇ」

「夏だな」

 

 クーラーの音が室内に響き渡る。それもあってか包帯で肌が覆われてもそんなに暑くはなかった。

 

「私ずっと此処に住む……」

「やめろ。邪魔」

「ちょっと辛辣」

 

 私は応接用の机に体重を預けながらそう言った。

 とは言っても、本当に此処は居心地が良いのだ。屋敷なんて部屋にクーラーは付いているが、然し一度外に出ればジリジリと日光が肌を刺激する。山の上にあるので風は吹くのだが、然しそれを差し引いてもあまりの暑さだった。

 

 本音を言うならクーラーの効いた部屋で絵を描いていたいのだが、然しその願いも虚しく毎日のように外へ連れ出されるのだった。

 

「というか、あんたそんな毎日任務に行ってて宿題は大丈夫なの?」

「あぁそれ? 夏休み前に全て終わらせたわよ。おじいちゃんに言われてね。漏れがないかちゃんと全部チェックまでしてやんの。ほんっと面倒臭い」

「……あんたも大変だね」

 

 今にして思えばあれは夏休み中に沢山任務を入れるためではなかったのかと疑問せざる負えない。あの人なら確実にそう言うことはやる。

 

 呪霊を祓うより、暴力を振るわれるより、使用人達の同情の目より、度々屋敷に来る呪術師の冷たい目より、睡眠時間が削れるより何より、絵を描く時間を奪われると言うのが一番のストレスなのだ。

 

「……あー。冷たいアイスの乗ったパンケーキ食べたい。それかキンキンに冷えたチーズケーキ。駅前にできたカフェにまだ行けてないからそこにも行きたい。そういえば夏休み限定で美術館も半額割引してたなぁ。あぁ、中学最後の夏休みがどんどん呪霊によって汚染されていく」

 

 口を開けば何がしたい、何が嫌という不満が液体の様に流れ出る。私自身もどうかと思うが、然し出てしまうものは仕方がなかった。

 

「ねぇ家入さん。この数時間で駅前のカフェに行って、パンケーキを食べて帰ってこれると思う?」

「落ち着け。暑さとストレスの所為で思考力が落ちてるぞ」

 

 家入さんの言葉に溜息をつく。図星であった。最近の私の思考は単調になっており、それで何度か伊地知さんに迷惑をかけてしまっていた。

 

 夏だからか次から次へ発生する呪霊。山や川や海や街中。都会は人の数が多い。それ故に負の感情が大量に流れ呪霊の数や強さもそれに比例して多く強くなるのだ。

 

 非術師には術式がない。だから呪霊は祓えず私たちが代わりに祓うしかない。分かってはいるが、何故私たちがと思わずにはいられない。

 

 嫌、祓うが。祓うけれども。

 

 もうどうでも良いから絵を描かせて欲しい。

 

「あ、そうだ」

 

 思い出した様に私が持っていた鞄の中身を弄る。出したものはミニサイズのスケッチブック。そして筆箱。

 

 そうだ。少しはあるじゃないか。道具も、時間も。

 

「家入さん。伊地知さんか来るまで家入さんを描かせてよ」

「何急に」

 

 私に言われた家入さんは少し怪訝な顔をした。

 

「別に、描きたくなっただけ。ね、良いでしょ?」

「……そうだね。好きにしな」

 

 そう言ってパソコンで仕事を始める家入さん。私はそれを聞いて家入さんの傍に椅子を持ってきてスケッチブックを開く。

 

 家入さんはよく見なくても端正な顔立ちをしている。目の下にある隈ですらもアンニュイな雰囲気を醸し出している。

 

 きっと私は家入さんと昔あった事がある。けれどそれを思い出すことは出来ない。引っ掛かりはあるのにそれが何なのか分からないこの気持ち悪さ。どうしてもこの感覚を拭い去りたいのだが、どうもいまだに手は思いつかない。

 

 ……まぁ、今考えても仕方がない。思い出せないものは思い出せないのだ。今無理に思い出そうとしても頭が痛くなるだけである。今は絵と向き合う時間。それで良いじゃないか。

 

 家入さんを見ながら線を引く。家入さんはそんな私を気にする事もなくパソコンで作業を進めていた。集中しているのだろう。その手が止まる様子はない。それを邪魔するのも悪いので私は喋りかける事もなく紙に鉛を押し当てた。

 

 伊地知さんが来るまであと二時間弱。私たちはお互いに干渉する事はなくそれぞれの作業に没頭していたのである。

 

 

 

 

「絵名様。そろそろ次の現場に向かいましょう」

「え? もうそんな時間?」

 

 医務室の扉が開き、伊地知さんの声が室内に響く。驚いて時計を見るともう二時間はとっくに経っていた。それを合図とでも言うように家入さんは背凭れに体を預けてグッと伸びをする。

 

「そうか、もうそんな時間経ったんだな」

「えぇ、家入さん。ありがとうございます」

「いいよ。この子のお守りは楽で良い」

「ちょっと、それどういう意味?」

 

 家入さんと伊地知さんの方を向きながら目を細める。失礼な。私はもうお守りされる年齢ではない。来年でもう高校生なのだ。

 

 ……まあ、こう考えている時点でまだ子供だと思うのだが。

 

 二人の会話を聞きながらスケッチブックを見る。

 

 構図は……乱れてはいない。けれど色の強弱や髪の質感はまだつたない。雪平先生にも言われていたが、私の課題は色合いだ。気を抜くと色の塗りが単調になってしまう。

 

「で? どう描けたんだ?」

 

 私の横に来て私のスケッチブックの覗き見る。それに吃驚して思わず隠してしまう。

 

「勝手に見ないでよ」

「なんだ? 私をモデルにしたんだろ? だったら私にも見る権利はあるだろう?」

「…………」

 

 何も言い返せない。確かに家入さんの言う通りであるが、然しこんなまだつたない絵を見せても良いものか。そんな葛藤が私の中にある。

 

 と言うか、シンプルに恥ずかしいのだ。これが講評だったら逃げ場が無い為何の迷いもなく出せるが、然し今この場にいるのは忖度なしで正直な感想を言いそうな家入さんだ。これを見せたら何を言われるかしれない。

 

 ……嫌、ちゃんと考えよう。私は美術科を受けるのだ。こんな事で恥ずかしがっていたら受験もクソもない。

 

「………………分かった。はい」

「その間にだいぶ葛藤が見えたけど」

 

 私は観念したようにスケッチブックを家入さんに渡す。家入さんはそれを素直に受け取った。

 

 ジッと見る。それが少し恥ずかしくて思わず目を逸らした。何て言われるか。この人は多分、天才。何でも一通りは熟るのだろう。だから私の絵も一目見て何処が歪んでいるか分かる筈だ。

 

 あぁ、怒られたくない。指摘されたくない。けど上手くなるためにはその指摘も受け止めなくては。

 

 何も言わない。私は俯いていた顔をゆっくりと上げる。

 

 逆光で家入さんの顔は見え辛かった。然し辛うじて見えた表情は、どこか寂しげであった。

 

「そうか。お前には私がこう見えてるんだな」

「な、何か変?」

「いや、良い絵だ。これ、貰っても良いか?」

「別に構わないけど……」

 家入さんに言われ、私は絵を破かない様に慎重にしケッチブックから紙を取った。

「はい。大切にしてよね」

「言われなくても」

 

 そう言って家入さんは紙を受け取った。折らない様に、破かない様に慎重に手持ちの透明ファイルへ入れた。透明だからか中は丸見えで尚且つ絵が描かれた面を表にしているから外から私のえがばっちりと映る。

 

 これは何だか恥ずかしいな。

 

「絵名様。そろそろ」

「あぁそうだった。じゃあ家入さん。またね」

 

 そう言って席を立つ。これから飛行機に乗って九州の方へ飛ばなければいけないのだ。急いで行かなければフライトの時間に遅れてしまう。

 

「絵名」

「ん? どうしたの家入さん」

 

 鞄を持ちながら家入さんの方を振り返る。家入さんは先程とは違い真剣な表情で私を見ていた。その姿に少したじろぐ。

 

「反転術式が使えない今、君の命は綱の上を歩いているように不安定だ。だから、死ぬな」

 

 そう言った家入さんの声は真剣そのものだった。その訴えかけてくる声色は私の心の中にストンと落ちてじんわりと広がる。

 

「……うん。任せて」

 

 そう言って私は振り返る事なく歩き出す。

 

 少しの勇気と、覚悟を握りしめて。

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