呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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貴女に見合う為に


第二話 覚悟

『そっか、──くんっていうんだね。よろしくね』

 

『いや! いや! 誰か助けて! やめて! こっちに来ないで!』

 

『ああああああああああ!!』

 

 

「────!」

 思わず飛び上がる。息が切れ、脳味噌も痺れる。

 

 何だろう、この夢は。知らない。知らないのに、何か覚えがある。この正体を、私は知らない。しかし思い出そうとしても、どうしてか思い出すことは出来ない。何が、誰で、どうなんだ。

 

 ズキリと、左頬に痛みが走る。あぁ、痛みは引くどころか更に酷くなってしまったのか。指で少し触れると、熱さと共に痛さが走る。触っただけでも腫れていることが分かる。

 

「何で……なのよ」

 

 小さく呟き、膝を抱える。喉が閉まり、息もあまり上手く吸えない。代わりに出るのは嗚咽と涙だけだった。

 

 何でこうなってしまったのだろうか。どれだけ頭の中で考えても解の代わりに返ってくるのは頬の痛みだけだった。痛いのは頬だけなのに、胸と頭もズキズキと痛くなる。頭はきっと昨晩泣きすぎた所為だろう。胸は……よく分からない。分からないが心臓部分がツキンと鋭い痛みが等間隔で襲う。

 

 時計を見る。朝の六時だった。朝は得意な方ではなかったのだが、どうしてかこんな早くに目覚めてしまった。

 

 両親とは、顔を合わせたくない。

 

 あれから私は晩御飯も食べずに部屋に篭った。彰人は私が殴られて直後部屋から出て介抱をしてくれた。父と母にも何か言おうとしていたが、私は無理矢理にでもそれを遮った。

 

 もう、この話を長引かせたくなかったから。夢だと思いたかったから。

 

 しかし夢ではなかったようだ。左頬の痛みがこれが現実だぞと突きつける。

 

「ガーゼ、張り替えないと」

 

 昨日は彰人にしてもらったが、わざわざこの時間に起こして張り替えさせるのも忍びない。ガーゼの変え方なら私も知っているし。

 

 重い体を引き摺るように、ベットから降りる。そうして制服に着替えるべく、クローゼットを開けた。学校にも行きたくないし、家にはもっと居たくない。そんな気持ちが、まるで宿題をしていないまま学校に行こうとする気持ちが心臓部分を渦巻く。

 

 壁に体を預け、そのままゆっくりとへたり込む。なんの気力も湧かない。

 

 昨日のことが、まるでブラウン管テレビの映像のように再生される。ノイズ混じりの映像は、やがて昨日を越して幼少の頃の記憶を呼び起こす。

 

 母は優しかった。絵画教室にも快く通わせてくれたし、私の意見を尊重しない時はなかった。尊重できなくても話は聞かないということはなかった。

 

 父は尊敬できた。絵が誰よりも上手く、私の目標だった。私の描いた絵を褒めてくれていた。誰よりも自慢な私の父。

 

 何で、なんだろうか。昨日の二人はまるで本人じゃないみたいな雰囲気があった。しかし、あれは何処から如何見ても両親で、矢張り私を力任せに殴った事も事実である。

 

 今度は嗚咽すらも出なかった。涙が静かに流れ、床を濡らしていく。

 

 私は、何をしてしまったのだろう。呪術とは何なのだろう。昔からの悩みの種である私の力が呪術だとでもいうのだろうか。そう、言っていたのか。

 

 じゃあ、何で今迄黙っていた。何で言ってくれなかった。言ってくれていたら、多少の心違いはあったかもしれない。しかし心違いも、覚悟もする前に私は私の夢を奪われてしまった。両親のあれは最早話し合いの余地すら選択肢にすらない。

 

 ふと、視界の端にある大量のスケッチブックが写った。パッと見ただけで何十冊、何百冊あるスケッチブックとクロッキー帳。その枚数こそ、私が生きた証だった。

 

「────ッ! こんなもの!!」

 

 勢い任せに腕を振るう。

 

 しかし既の所で腕が止まる。

 

 絵は、私の命より大切な物だ。何にも変え難い大切なもの。それを壊すなんて、出来なかった。それは私自身を否定する事と一緒なのだから。

 

 バランスが崩れたのだろう。積み上がっていたスケッチブックは音を立てて地面に広がる。数なんて、数えていない。ただ我武者羅だったのだ。気付けば数え切れない程のスケッチブックが積み重なっていた。

 

 その一番下。恐らく小さい頃のスケッチブックに目が行った。表紙に動物の絵が描かれているスケッチブック。

 

 ズキリと、頬が痛くなる。

 

 何だ、これは。

 

 このスケッチブックからは、嫌な予感がする。動悸も激しくなり、身体も震える。けれど、如何してかそのスケッチブックから目が離せなかった。このスケッチブックは、私にとって何だと言うのだろう。分からない。分からないがその存在を無視することは出来なかった。

 

 スケッチブックに手を伸ばす。小ぶりな、矢張り子供が使用する様なスケッチブックだ。パラパラとページを捲る。私が描いたのだろう。バランスも、何も取れていない、ただ心ゆくままに描いた絵。本当につたない。

 

 けれど──。

 

「楽しそうだなぁ」

 

 ポツリと、溢れた。

 

 空の色も、花の色も、動物も。全てが全て自由で、生々している。胸が、苦しくなる。涙が出てきた。絵は、自由であるべきだと、いつか父が言っていた。その意味が、今になって漸くわかったような気がした。

 

 ページを捲る。しかし私は描いた時の事を思い出せないでいた。

 そしてとあるページが目に止まる。

 

 これは、彰人だろうか。橙色の髪でサッカーをしている。その側に栗色の髪をした少女が立っていた。これは私だろう。しかし描かれているのは私達二人だけではない。

 

 彰人の側に、誰だろう……白髪の黒い服をきた足が長いサングラスをかけた男と、同じく黒い服を着た髪をお団子にした男と、焦茶色のショートカットの少女がいた。

 

 誰だ……何か覚えがある様な、そんな気がする。

 

 何か大切な事を忘れている様な。

 

『絵名様は本当に絵が上手いですね』

 

 私の絵を一番に褒めてくれた人は──。

 

『良いか、甘いものは戦争なんだよ』

 

 私達と同じ目線で遊んでくれた人は──。

 

『絵名様は何でも似合いますね。この服とか如何ですか?』

 

 お洒落を私に教えてくれた人は──。

 

 ズキリと、今度は頭が痛くなった。思い出そうとすると頭が痛くなる。これは本当に記憶なのだろうか。私の妄想ではないか。しかし妄想だとしたら、私のこの想いは如何片付けるのだろう。覚えがある。しかし如何しても思い出せない。そんな悪循環がぐるぐると巡る。

 

 何か手掛かりが無いかとページをまた捲る。

 

 数ページ進んでから、また手が止まる。其処に描かれていたのは絵ではなかった。

 

[いぬまきとげ]

 

「──え?」

 

 文字だった。子供が書いた、随分下手くそな文字。

 

 何だ。誰だ。人名──だろうか。

 

 いぬまきとげ。聞いた事も無い名前だ。けれど何故だろうか。聞いた覚えも見た覚えも無いと言うのに、ストンと胸に落ちる安心感があった。

 

「いぬまき──とげ」

 

 言葉にしてみた。しかし矢張り思い出せない。しかしどこか安心した。

 

 静かにその文字を指でなぞる。暖かい。そう思った。胸にじんわりと広がる何か。けれどそう思ってしまう事に少しの気味悪さを感じてしまい、思わずスケッチブック閉じる。

 

 本当に、何なんだろう。覚えがなさすぎて怖くなる。いぬまきとげという人物は、昔の友人だったのだろうか。

 

『そっか、──くんっていうんだね。よろしくね』

 

 ズキン、ズキン。

 

 痛い。頬が、耐えられない程に。内側から刺されているかの様な、それとも鬱血しているかの様な……どんな事を言っても形容出来ないその痛さに、私は顔を顰めるしか無かった。

 

「……さっさとガーゼ張り替えて学校行こう」

 

 思考を放棄するが如く呟き立ち上がる。

 

 考えても埒が明かない。思い出せないのなら、いくら考えても無駄な事だろう。

 

 この顔で学校には行きたくないが、それでも家に居るのはもっと嫌だった。

 

 愛されていると思っていた。いや、今でも信じている。けれど、それよりも。殴られたことよりも信じていた二人にあんな事を言われるのは相当堪えた。大好きで、大切で、尊敬する二人にそんな事を言われ、まるで地獄に落ちたような気持ちだった。

 

 

 

 

 

 けれど、それは地獄などでは無かった。本当の地獄は、死にたくなるほどに残酷だと言うのに。

 

 

 

「ちょっと絵名、その顔のガーゼどうしたのよ!」

「……あぁ、愛莉。おはよう。今日も学校来れたんだね」

 

 校門をくぐり、教室に向かう途中であった。私の背後からそんな声が聞こえた。その声の主が親友であり、それも私に向けられた言葉であると言う事に気付くには時間が掛かってしまった。アイドルをしている愛莉の声は良く通り、生徒も当然ながら、校門に立っている教師までも此方に視線を向けていた。

 

「そんな事はどうでも良いのよ! あんた、その傷は……」

「何でも無いの。少し転んで打ち所が悪かっただけだから」

 

 食い気味に否定する私の姿は、あまりにも怪しすぎたのだろう。愛莉はそう言われ乍らも怪訝な顔を崩す事無く私の顔を見ていた。

 

 実際、口を滑りそうになる。愛莉がアイドルでなければ私はきっと泣き喚き乍ら愛莉の胸に飛び込み助けを懇願していただろう。然し、そうもいかない。

 

 登校中に考えてしまったのだ。今大変な時期の愛莉にこの事を話したら、一体どうなってしまうのだろうと。きっと愛莉は私の為に怒ってくれて、尚且つ両親に迄話を付けに行こうとしてくれるのだろう。愛莉は優しいから、絶対にそうする。あの子は困っている子が居ると放っておけない子だから。

 

 然し、そうなればアイドル活動に支障が出る事も解っていた。望んだ姿では無いにしても、やっとテレビの露出も増え、人気も鰻登りになっているのだ。此処で私の問題を抱えさせる訳にはいかない。

 

 余計な心配はさせてはいけない。

 

「絵名、私は真剣に話をしているのよ」

「真剣よ、私も。何を心配しているのか解らないけれど、本当に転んだだけよ。それ以外に答えようがないわよ」

 

 どうしても話さない私に、愛莉の可愛らしい顔が徐々に歪んでいく。本気で心配してくれているのだろう。その思いに素直に答えられない私は、きっと臆病だ。

 

「階段で足を踏み外してね。顔から行ったの。もうあれは痛かったわ。口の中も切っちゃったし、彰人には笑われるしでもう散々。絶対に今日の放課後スイーツ奢らせるんだから」

 

 何時もの調子で、まるで怒っているかの様にそう言う。その様子に、矢張り怪訝な表情をしつつも、先程よりは疑惑の顔を薄めた。

 

「……本当に、転んだだけなの?」

「何度も言わせないでよ。あれ結構恥ずかしいんだから」

 

 どうやら成功したようで、「あんたはどんくさいわね」と笑われてしまった。それは心外である。

 

 良かった。どうにか誤魔化せた。そう安堵するもしそれでも心臓は高鳴っていた。

 

 何時もの調子で? あれ、何時もって、どうして居たんだっけ。解らない。解んなくなっちゃった。

 

「……絵名? やっぱりあんた少し変よ。どうしちゃったの?」

「──! 何でもない。朝からの体育が面倒臭いなって思ってたのよ」

「本当に?」

「本当も本当よ。ま、普段からアイドルで体動かしている愛莉には縁も所縁も無い話かもしれないけれど」

「何か腹立つけど……ま、そうね。体育の授業なんかまるで小指を折るより簡単よ」

「それは言い過ぎ」

 

 私達は顔を見合せ、そして吹き出した。あまりにも可笑しくて、楽しくて。私の現状をも忘れてしまいそうになる。

 

 やっぱり、言えない。あんな事、絶対に。抑も呪術なんか信じて貰えるのかすら怪しいと言うのに。私だって愛莉の立場で居られたなら、呪術どころか妖怪だって信じなかったに違いない。そんな私が理解を求めるなんて、助けを求めるなんて、お門違いも甚だしい。

 

 でも……。

 

 でも、たった一つだけ。許されるのなら、たった一つだけ、愛莉に聞きたいことがある。こんな事聞いたとしても望んだ答えが帰ってくるとは限らないし、愛莉を困らせるのも目に見えている。

 

 けれど、望めるのなら──。

 

「ねえ、愛莉」

「ん? どうしたの?」

「私が絵を辞めたら、どうする?」

 

 喉が焼けるように熱い。唇も震え、沈黙も流れる。矢張りこんな事を聞くんじゃなかったと後悔に苛まれる。

 

 愛莉の眩しいくらいに真っ直ぐとした瞳が私を捉えて離さない。私は何処か居た堪れない気持ちになり、その瞳から逃げるように目を逸らす。後ろめたいとでも言おうか。なんにしろ、今の私は愛莉を真っ直ぐと正直に見れないでいた。

 

「どうするって──有り得ないでしょ」

「……え?」

「いや、だって絵名から絵を取ったら後に一体何が残るって言うのよ」

 

 そんな酷い事を、まるで昨晩の晩御飯を語るかの様に言っていた。

 

 私に絵しかないって、酷い話である。絵以外にも良いところはある……筈だ。顔とか。

 

 けれども、どうしてだろうか。酷い筈なのに、普段なら苛立つ筈なのに。どうしてその言葉が嬉しいと思ってしまうのか。

 

 泣きそうになる。全然期待していた言葉ではないけれど、それでも期待していたより数倍、数億倍嬉しかった。

 

 そうか。私には絵しか無いのか。絵しか取り柄が無くて、絵が私の全てなのか。

 

 ──だったら、ずっと描き続けなければ。愛莉がそう言ってくれたのだから、きっとそうなのだろう。私にはきっと、それしか無いのだから。お母さんに打たれようとも、お父さんに幻滅されようとも、私はきっと絵の道しかないのだ。

 

「愛莉」

「ん?」

「ありがとう」

 

 今度こそ真っ直ぐと愛莉の瞳を見詰める。私の大切な親友に、心からの感謝を。

 

 

 

 

「でも、いざ目の前にすると少し怖いわね……」

 

 玄関の扉に手をかけながら、そう呟いた。家の窓から電気が付いている事が分かる。母が、居るのだろう。そう考えるだけで眩暈がする。

 

 しかし、それではいけないのだ。此の儘では、絶対に。此処で逃げ出したら、もう後はない。崩れた砂の様に、取り返しのつかない事になる。

 

 そう自分に叱咤しながら音を立てて玄関の扉を開く。リビングから漂って来たのは、香ばしい匂いだった。この匂いは、ハンバーグだろうか。あんな事があった後だと言うのに、母は休む事なくご飯を作っている。

 

 確かに母や父の事は許せないし、怖い。今迄叱られた事は何度もあったが、昨晩はその比じゃなかった。あれは、明確な怒り。しかし、何故かその中に悲しみも伺えた。

 

 二人が如何思っているのか分からない。何故急に私を呪術高専に入らせようとしているのかも。本当に、分からない事だらけである。

 

 けれど──。

 

 だけれど、それとこれとは別である。

 

 リビングの扉を開く。中には母がソファに静かに座っていた。母だけじゃない。珍しく父も座っていた。

 

「あ……絵名、おかえ──」

「お父さん、お母さん。話がある」

 

 母の言葉を遮り、口を開く。申し訳ないが、それでもそうしなければ私の意思が揺らぎそうだった。

 

 二人の思惑は分からない。もしかしたら大事な何かが隠されているのかもしれない。

 

 けれど、私は私の決めた道を選ぶ。打たれようが、邪魔されようが、何としてでも。

 

 ──例え、才能がないと言われようが。

 

「私は、やっぱり美術科を受験したい」

 

 私は、私だ。誰のものでもない。私の人生。

 

 だから、覚悟を決めなければ。

 

 ──両親を、敵に回す覚悟を。

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