「場所は宮崎の南部。入り組んだ山の中に廃墟と化した人家があり、其処に呪霊が発生しているそうです」
山道を走る車の車窓から外を眺める。今では見慣れた自然だが、それでも都会に住んでいる身としては自然豊かな田舎道は新鮮であった。
羽田から九州の宮崎空港まで二時間。そして街中を抜けて宮崎南部へ四十分車を走らせたところが目指す目的地であった。宮崎空港には元から補助監督が待ち構えており、私たちは流されるままに車へ乗り、そして今に至る。
宮崎はとても暑かった。流石南国と言われるだけはある。クーラーが効いている空港からでた瞬間、思いもよらない汗がまるで滝の様に流れ出たのである。東京も暑いが、それとはまた別の暑さだった。車内で掛けられているクーラーが心地良い。
窓の外はもう橙色に染まっていた。時刻はもう夕刻であり、車窓から見える海も夕日の色を反射させている。
そう言えば海なんて長い事言っていない。
海は苦手だ。泳げないし、何より呪霊が出やすい。呪霊を幽霊と勘違いしていた時は本当に海には行けなくなっていた。水場には怪異が溜まりやすいとはよく言うが、それは呪霊にとっても同じらしい。
怪異というより、水が怖いという人間の感情だろうが。近年あった災害も影響しているのだろう。調べによると山や海、自然からくる呪霊が増加傾向にあると言っていた。
自然は、人の力ではどうする事も出来ない摂理。故に負の感情が溜まりやすいのだろう。
尤も、今から行く所は海とは程遠いや山なのだが。
「それで、どう言う所なんだい?」
冥冥さんの言葉に補助監督の女性は「はい」と返事をした。
「昔一家無理心中があったらしいです。元は有名な資産家が住んでいたのですが、事業に失敗し、借金を苦に心中したらしいです」
「何ともまあ、家族からしたら迷惑極まり無い話だね。親の勝手に振り回された挙句殺される子供が哀れだ」
冥冥の言葉に、少し目を伏せる。
親の勝手に振り回される子供……か。
私はどうなんだろうか。親に言われて実家に戻り、己の意に反して呪霊を祓っている。いや、それは自分でやると言った事だが、然しやると言っていなくともこの未来は決まっていた訳で。それを考えるとこの現状は不幸中の幸いなのだろうか。
幸い?
幸せ?
──どこが?
「高菜」
「え? 何? 狗巻くん」
腕を突かれ、ハッと我に帰る。振り向くと狗巻くんはお菓子の袋を私に差し出していた。
……彼は任務を遠足と勘違いしているのではないか?
良く見なくても彼の鞄の中には沢山のお菓子が入っている。その姿に呆気に取られ、沈んでいた心は何処へやら飛んでしまった。
励ましてくれているのか、それとも素でこれを渡しているのか。戸惑っている私を横目に、未だ差し出す手を引っ込めない狗巻くん。私は観念して菓子を受け取る。スティック型のチョコレートだ。チョコレートなんてニキビの元なのだが、まぁ、少しくらいは平気だろう。
「有難う」
「しゃけ」
狗巻くんが口に運んだのを見て私もそれを頬張る。ふわりとした甘さが口の中に広がる。元来甘党である為少し気分が良かった。これならば私も何か持ってくれば良かったかも知れない。屋敷には色んなお偉い方が手土産として持ってきた見た事もないお菓子が沢山あるのだ。屋敷に来る人間は苦手だが、然し持ってくるお菓子は頬が落ちそうなくらいに美味しいのだ。
いつか狗巻くんにも食べさせてあげたいなと、二人で現場に着くのを待ちながらそう思った。
♢
「これはまた、雰囲気があるわね」
思わず声に出る。家の門には鉄製の鎖で厳重に施錠されていた。まるで此方を拒絶しているその出たちは恐ろしいものがあった。以前の私なら怯えて足を小鹿の様に震わせていたろうが、然し祖父が考えなしに任務を入れるものだからもう既にこの雰囲気は慣れてしまった。
地面を見る。昨日は雨だったようで地に滑りがあった。雑草も生え放題であり、長らく誰も手を入れていないと言うことは丸分かりである。
「成る程、
「しゃけ」
冥冥さんと狗巻くんは家を見て顔を顰める。私も感じていた。中に居る。然し外にも漏れ出す呪力の量。今回もまた手強そうだ。
近くに民家は無い。畑もなければ何かの倉庫も無い。此処を通る車も道中一度もすれ違わなかった。一見すれば帳を下さなくて良さそうだが、念には念をだ。
「闇より出て闇より黒くその穢れを禊ぎ祓え」
私がそう言うと、まるで夜の様に上から泥の様なものがゆっくりと降りてくる。
結界術は比較的習得するのは簡単であった。普段帳は補助監督の人が降ろしてくれているが、然し何かあった時の為にと伊地知さんに教わったのだ。
私の知る限りで一番の結界術を持った人間である。
帳が降り切ったのを見て、私は手元にあるスマートフォンに視線を移す。
「でも、不思議ですね」
「何がだい?」
私は車内で移動していた時からずっと見ていたスマホの画面を二人に見せる。そこにはネットの検索結果が映されていた。二人は覗き込む様にして私のスマートフォンの画面を見つめた。暗い中だからかブルーライトが嫌に辺りを照らす。
「全然記事がないんですよ。家の形状的にそんなネットが普及してない程の昔じゃないだろうに、宮崎の心中事件は此処は書かれてません」
「あぁ、それは私も不思議に思っていたんだよ。何でだろうね」
「こんぶ」
そう、私はこの数十分、ネットで記事を調べていたのだ。それこそ、いろんなキーワードで検索もした。検索履歴が埋まる程には。けれど該当する記事が一個も見当たらなかったのだ。何か小さな情報があれば良いのだが、それすらも、噂すらも見当たらない。心霊スポットにも該当されていなかった。
確実に此処に呪霊は居る。けれどその呪霊はどこから出てきたのだ。
どんな感情から生まれたのだ。
「ま、考えても仕方がないさ。早く入ろう」
冥冥さんの言葉に、私と狗巻くんは付いて行った。正面は鎖で固定されているが、然し門といっても厳重な門ではなく人の頭上くらいの高さの門であった。これは門と言うよりどちらかと言えば塀に近い。ただ当然に私たちは自分たちの頭上の高さを飛び越えるなんて造作もなく、冥冥さん、狗巻くんの順にその塀を飛び越えていった。
私も飛び越えようと塀に手をかける。そうして何の脈絡もなく、振り向いた。
……視線?
「絵名? どうしたんだい?」
「いえ、今行きます」
結局振り返った先には誰も居らず、私は足に力を入れて塀を飛び越えた。
人生何があるか分からないもので、ほんの数ヶ月前までまさか私がこんな自分の身長より高い塀を飛び越えられるなんて思っても見なかった。
中に入ると、その異質な空気に気圧された。呪いは居る。けれどもそれは家中に広がっており、その全貌は掴めない。
視界の端に白いものが映る。見るとそこには大きな仏像があった。庭にある白くて大きな仏像。そのアンバランスな姿が余計此処の異質さに拍車をかけてしまっていた。これは今現代の若者がいたら即刻ネットに上げられているだろう。然しそれが無いと言うことは、本当に此処は誰にも見つかっていない穴場なのだろう。
「これは町が建てたらしいね。せめてもの追悼のつもりらしいね。此処の人はこの町の政治家にもお金を工面していたみたいだよ」
「高菜」
「いや、そんなズブズブじゃないだろうけど」
分かるのか、狗巻くんの言葉が。
二人の会話を他所にスマートフォンを操作する。いくら検索をかけても事件の情報は出てこない。
「……その追悼、なんか意味あるんですか?」
「意味は関係ないんじゃないかな。建てたという事実で弔いになったつもりでいたんだろう。建てた人は」
こんな生活をしていても、幽霊なんてものは見たことがない。呪いはあるが。だったらこの追悼は、一体誰に届くと言うのか。
誰に届くわけもないものを一時の感情で建ててあとはそれを放置。そんなもの自己満以前の問題だ。後に対処出来ないものを、最初からするべきではないのだ。
玄関の鍵はかかっておらず、少し立て付けの悪い玄関の扉を開く。木の腐った匂い。湿気の強い匂いも襲ってきて思わず顔を顰めた。冥冥さんは靴を脱ぐでもなくズカズカと上がり込んだ。狗巻くんも何の躊躇もなく上がり込んでいた。
どうやら躊躇しているのは私だけらしい。
私は二人に置いていかれない様に急いで家に上がった。軋む床が抜けないか少し心配である。
中は思ったより綺麗だった。雨漏れなどはしているものの、荒らされているなどはなく、家具も壁にかけてある絵画だって何の乱れもない。
「事件があったのって、いつ頃だったんですかね」
「そうだね。十年くらい前らしいよ。尤も、情報源が町からしかないから信憑性がないけどね」
何がどう言うつもりでこの事件が公になっていないのか。親戚が一家の恥だと言って公表してないにしてもこんな事件、どこかで漏れるに決まっている。それにこんな厳重に施錠した門に庭には大きな仏像。公表はしてなくとも地元の心霊スポットになってもおかしくは無い。
まぁ、今更考えても意味はない。私は謎解きをしにきたんじゃなくて呪霊を祓いにきたのだ。
少し視線を感じ、振り返る。また、この感じ。けれどそこには誰もいなかった。まさかこの視線も呪霊の所為だとでも言うのだろうか。
「……冥冥さん。此処の呪霊って、どんな事をしたの?」
「……何?」
「いや、何か被害がないと私たち呪術師の元に話は来ないでしょ。でも今迄の話を聞く限りそんな被害が出た様子もない」
では、この依頼は何処から? 何の為に? 呪いの気配は感じるが、然し此処はだいぶ入り組んだ場所である。バスも通っていない此処は車がないと辿り着けはしないだろう。
町が自ら依頼してきたと言うのも何だか怪しい。
「それがね、不明なんだよ」
「やっぱり?」
「あぁ。此処の呪霊を祓ってくれとだけ言われたんだ。御当主様も不審がってはいたが呪霊の名前が出てきてしまっては放っておく訳にもいかないからね。それで私たち三人に声が掛かったってわけさ」
そうか。上も何だかわかっていなかった訳か。
正体も分からず、被害も不明。けれど確実に呪霊は存在している。それがどうも現状と情報とのアンバランスであった。
誰も被害に遭っていない。けれど町の重役は呪霊がいる事を知っていた。けれど草木の状態からして何年も人が立ち入っているとは考えにくい。
これではまるで──。
「──二人とも!」
「え?」
気付いた時にはもう遅かった。
私と狗巻くんは何かに飲み込まれ、体制を崩した。何とか這いあがろうとしても落ちていく。
最後に見たのは、此方に手を伸ばしている冥冥さんの意外にも焦った表情だった。
♢
「……困ったね」
一人残された冥冥は飲み込まれた方を見ながらそう呟いた。黒い輪のようなものに飲み込まれた絵名と狗巻の姿はもう何処にも見当たらない。
本当に困った。まだ給与の五分の二も働いていないと言うのに。
冥冥は辺りを見渡す。
そもそもこれは本当に、自分たちの等級に合っているのだろうか。
確かに東雲家から相応の金は貰っている。相手が特級だろうが勝てない訳ではない。問題なのは連れである絵名と狗巻であった。狗巻は呪言師の末裔。決して弱くはないだろうが、然しそれでも未熟なのは確かだ。今回の相手だと言霊の反動も大きいだろう。
然し何よりも心配なのは絵名である。
冥冥は絵名の強さを知らない。術式は元より聞いている。然しその内容は未だ不明であった。
弱くない事はわかる。然し彼女は呪術師になってまだ数ヶ月。自分より強いとは思っていないが仮にも東雲家の血筋だ。弱いなんてことはないだろう。
懸念しているのは、そこではない。
九年前。東雲絵名が渦中の大事件。呪術界を震撼とさせたあの事件は、冥冥もよく覚えていた。
飛び散る肉片。泣き叫ぶ声。目と耳を覆ってしまいそうな程に地獄と化していたそれは最早現実とは到底信じられなかった。
その渦中にいたのは、他ならぬ絵名だったのだ。
絵名が今どんな強さでどんな人格なのか知らない。ただ冥冥にとって絵名は過去の印象が強いのだ。
憤慨すると何をしでかすか分からない。そんな未知の生物に近い。冥冥としてもあんな地獄が再び起きるのは避けたい。今の絵名はどこに地雷があるのか分からないのである。
今は一刻も早く二人を見つけ出さなければ。
冥冥は歩みを進める。少なくとも、給与分の仕事はしなければ、そう思いながら。