呪術のセカイ   作:猫山紅葉

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流れた我が愛しい子よ、安らかに。


第二十二話 臍の緒

「……何、此処。気持ち悪い」

 

 一見、さっきまでいた家の中だった。けれども家中に流れている呪力は今迄の比ではない。

 

 この感覚は最初に行ったあの旅館に似ている。と言うか全く同じ状況であった。何でこうも同じ展開になるのかとため息を吐きたくなる。

 

「狗巻くん、平気?」

「しゃけ」

 

 立ち上がり、未だ座っている狗巻くんに声をかける。狗巻くんは倒れた拍子に埃がついたであろう頬を拭いながら立ち上がる。その顔に困惑の色はない。やはり産まれが呪術師の家系のだけはある。相当タフそうだ。

 

 狗巻くんを一瞥してから辺りを見渡す。何の変哲もない、ただの家の中。変化があったとしても少しだけ薄暗くなっただけである。

 

 違和感。

 

 湿気の匂いも、埃臭さがなくなっている。

 

 まるで元の家のようだ。

 

「でも、まずは冥冥さんと合流するところからね」

 

 周りを見渡しても、勿論冥冥さんの姿は見当たらない。どころか壁に掛けてある鏡も、玄関の地面も、全て真新しさがあった。きっと此処は先程までの所とはまた別の場所であろう事は確かであった。けれども此処が呪霊の腹の中とは違う気がした。

 

「……狗巻くんはどう思う?」

「こんぶ。高菜。ツナマヨ」

「…………」

 

 少しの可能性を期待して聞いてみたが、結局狗巻くんの言っている意味がよく分からなかった。こうなると意思の疎通は難しい。

 

 けれど、少なくとも私よりかは期待は出来るだろう。何度も記述している通り、私なんて呪術師になってまだ数ヶ月しか経っていないのだ。こんな私が今迄呪いに喰い殺されていない事が奇跡である。

 

「取り敢えず部屋を散策しましょ。他にする事もないし、こんな所で止まってちゃ何も始まらないでしょ」

「しゃけ!」

 

 狗巻くんはそう言って決意を固めた様に握り拳を突き出す。その姿が何とも犬の様に見えた。

 

 いくら大きい家だからといって東雲邸程ではない。一時間もしないうちに散策は終わってしまうだろう。此方としても早く終わるに越したことはない。まぁそれも、何か手掛かりがある前提の話なのだが。

 

 狗巻くんは一階のリビング、洗面所、風呂場、手洗い場、物置。私は二階の寝室、子供部屋、そしてもう一個ある手洗い場を調べる事にした。狗巻くんの負担が大き過ぎる様な気もするが、仕方がない。そもそも必要な場所が全て一階に集結してしまっているのだ。尤も、私の方も調べ終わったら狗巻くんを手伝うつもりだが。

 

 私は狗巻くんと別れて階段を上がる。先程まで居た場所は歩けば床が抜けそうな程に木材が腐ってしまっていたが、今踏みしめている床はしっかりとした造りであった。

 

「なんだ、二階も思ったより広いじゃん」

 

 思わず呟く。二階は一階に比べて狭苦しいと思っていたが、そうではなかったらしい。廊下の幅も広々としており、部屋を隔たる扉も普通の家よりだいぶ大きい。

 

 まず手前の扉を開ける。どうやら此処は子供部屋らしい。勉強机やベットは少し子供っぽい。机の横に置かれているランドセルを見るに、子供は小学生なのだろう。

 

「……親の勝手に振り回された子供……か」

 

 どんな気持ちだったのだろう。突然親が自らの命を奪おうとするなんて、考えるだけでも恐ろしい。

 

 いや、恐ろしいと思う暇すらなかったのだろう。困惑、絶望、焦り。色んな思いが混ざって、集結する前にきっと息絶えたのだろう。

 

 親が子の命を奪う。それはきっとどこにでもある事件だ。今現代社会の問題と言っても良い。けれどどこにでもある事件だからといって無視していい事もないだろう。

 

『お前は、呪術高専に通いなさい』

 

 父は、母は、どんな気持ちだったのだろう。

 

 何を思って、私をこんな死地へ自ら送り出したのだろう。

 

 いや、今は考えたくはない。こんな事を考えていても頭が痛くなるだけだ。今は何か手掛かりがないか探す事に専念しよう。

 

 少しの申し訳なさを感じながら、箪笥や机の引き出しを調べる。そのどれもまるで買ったばかりの様な真新しさだった。

 

 矢張りそうか。

 

 ベットに座りながら考える。

 

 きっと此処は、過去の家なのだろう。無理心中する前の、幸せだった家族。だから空気も澄んでいるのか。

 

 では何故私たちは飛ばされたのか。誰の感情で呪霊は生まれたのか。

 

 死んだ家族の誰か? いや、それはない。呪霊が出始めたのは事件の後だとしたら、死人が呪霊を産むなんてことは本来出来ない筈である。

 

 では誰が?

 

 噂にもなっていないのだったら、他の人間が知っているわけ無いのである。

 

 知っているのは、恐らく町役場の人間と、彼を生前から知っている──あれ?

 

「……まさか」

「明太子ー」

 

 下から狗巻くんの声が聞こえ、ふと意識を現実に戻される。そうだ、考えている暇はない。今私は散策をしなければ。

 

 腰を上げて、部屋を出る。ふと、部屋の中をもう一度見る。

 

 若くして命を奪われてしまった彼に、せめてもの追悼を。

 

 

 

 

「……なんだ? これは」

 

 二人を探していた冥冥は、リビングで妙なものを見つけた。荒れ果てた室内。その中にポツンとダイニングテーブルに置かれた木箱。

 

 前に来た時は、こんなのはなかった。

 

 然し異質なのは決してそれだけではなかった。

 

 この木箱から大量に流れ出ている呪力。この全体に流れている呪力の中でこの木箱が一番に強大な呪力を放出しているのだった。

 

 一目でわかる。これが全ての元凶だと言う事に。

 

「と言う事は、この木箱をどうにかすれば良いって訳だね」

 

 長らく、本当に長い事探して漸く見つけた手掛かりだった。冥冥は愉快そうに口角を上げて喜んだ。

 

 これでは給与分以上の仕事だが、まぁ東雲家にその分を請求すれば良い。

 

 袋を開けて、持っていた大きい棒は姿を現す。出てきたのは大きな斧であった。冥冥の上半身以上の大きさを持つそれは、剣呑を孕んで外の光を反射していた。取手の部分である木材は、少し汚れており、その汚れから長らく愛用されているのは見て取れる。

 

 冥冥はその巨大な斧を大きく振りかぶる。その先は当然、木箱だった。

 

 その木箱は斧に切り付けられ、木箱は大きな音を立てながら案外簡単に壊れたのだった。

 

 

 

 

「……何これ」

「こんぶ」

 

 狗巻くんに手渡されたそれは、少し染みの付いた木箱であった。普通の木箱なら良かったが、中から何か禍々しい雰囲気を感じる。圧の様なものである。まぁ要するに、呪力である。

 

「何でこんな呪物がこんな家にあるのよ」

 

 汚いものを触る様に、狗巻くんの方へ押し戻す。はっきり言って触りたくない。これは、何だろうか。例えるなら夏場に一週間放置した食べ物の様なそんな不快感、嫌悪感、気持ち悪さ。成る可くこの呪物には触れたくない。

 

 けれど、この箱を開けないと先に進むまい。

 

 十秒くらいの葛藤を得て、漸く箱に手をかける。

 

 中から出て来たのは、何やら細長いものであった。干からびていて、少し触れれば崩れて壊れそうである。

 

「これ、何?」

 

 実物を見てもこれが何なのか分からない。今迄見た事のないそれは木箱の蓋をとった瞬間、呪力の圧が尚の事大きくなる。

 

 まさかこれが呪霊なのか? いや、まさかな。

 

「んー、明太子」

 

 狗巻くんはそう言ってお腹を抑える。お腹が痛いのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。何か心当たりがあるのだろうか。

 

 お腹……お腹……その辺りは確か。

 

「あぁ、臍の緒」

 

 私も己のお腹を抑えて呟く。成る程、だったら納得である。

 

 人間の部位は呪いになり易い。髪の毛然り、血液然り。呪いを生む人間の一部だから、尚の事込め易いのだろう。痛み、辛み、憎しみ、恨み、悲しみ。その全てを込めて己の一部を切り落とす。そんなものが強力な呪いでないわけがない。

 

「此処の子の臍の緒なのかな。にしてはだいぶ古いけど」

 

 箱の後ろにはくずし字で文字が書かれていた。

 

『水子の霊を、此処に沈めよ。水子の一部を献上せよ。成ればいずれはオミズサマが鎮めてくれるだらう』

「……こんぶ?」

 

 そう言って狗巻くんは首を捻る。

 

 水子。流れた子供。と言う事はこれは水子供養の為のものなのか? だったら〝水子の一部〟とはどう言う事だろう。

 

 水子を鎮める為に、水子を捧げる? 何だか矛盾が感じる。もしかして私が知らないだけで昔の供養としては主流だったのか?

 

 考えながら木箱を何気なく触る。ささくれが表面にくまなく出来ており、ざらざらした感触であった。然し完全に乾燥しているかと言えばそうではなく、少し湿気も含んでいた。

 

「これ、もしかしてだいぶ昔のものじゃない?」

「高菜?」

「昭和……大正……ううん、もっと前。江戸、室町……」

 

 考えを巡らせてぶつぶつと呟く。こんな時、改めて勉強していて良かったと心から思うのだった。考えろ。これはいつ作られた?

 

「あ……」

 

 水が落ちる音がした。台所からか分からないが、何やら水滴のような音であった。その音と共に私の思考がパズルの様にパチリと嵌め込まれた。

 

「平安……?」

 

 平安時代。その時期は呪術の全盛期と言っても過言ではない。歴史になの残っている呪術師は皆平安産まれであり、何よりあの安倍晴明が生きていた時代である。その時代に作られた呪物ならばこんな呪力量も納得だ。

 

 確信も何もない。これが平安に作られたという証拠もない。けれど私の中で何故が平安時代が思い浮かんだのだ。

 

 けれど、もし平安時代に作られたのだとしたら。

 

 あぁ、成る程。

 

 これで合点がいった。

 

「狗巻くん、これをどうすれば良いと思う?」

 

 コツコツと木箱を指で叩きながらそう聞く。

 

 聞かれるまでもないと、狗巻くんは目を鋭くさせる。

 

「明太子」

「うん、そうだね」

 

 矢張り変わらず語彙はおにぎりの具。然し今の私にはこれが理解出来た。

 

 私はダイニングテーブルに木箱を置く。狗巻くんはそれを見て少し距離をとった。それを見てからもう一度木箱を見る。何の変哲もない、ただの木箱。そこから不釣り合いに流れてくる膨大な呪力。全ての事件の発端がこの木箱だとしたら──。

 

「万躁変化躁呪法──(ねん)(ばつ)

 

 そう詠唱した途端、木箱がミシミシと大きく悲鳴をあげる。どうやら私が思っている数倍、数十倍呪力量が大きいらしく、なかなか思う様にいかない。

 

 何とかその木箱だけを捻ろうと奮闘するが、術式の影響もあって周りの家具や床を巻き込んでしまっていた。最早家具とは言えないそれは大きな音を立てて壊れていく。

 

 狗巻くんは、大丈夫だろうか。そう思っても狗巻くんの方を見る余裕はなかった。今はただ、目の前に置かれている呪物の事で手一杯である。

 

 目が熱い。血管が、眼球が燃える。けれど目を離すな。私の術式は目を離したら一時的に解除されてしまう。こんな事なら触れて呪力を流した方が効率は良いのだが、然し私はその木箱に極力触りたくはなかった。我儘だと思われればそれはそれで致し方ないのだが、それでも木箱に触れると震えと動悸と寒気が止まらないのだ。そんな状況で術式を使える程、私は強くなかった。

 

 真っ直ぐと木箱を見つめる。そこには私の呪力で宙に浮いている木箱ある。然しその木箱は未だ形を変える気配は見えなかった。

 

「────!! あぁ、もう!」

 

 勢い任せにそう叫ぶ。当然全力を出しているつもりだ。然しどうしても木箱は壊れない。周りの家具や床はボロボロに壊れていると言うのにその木箱だけはまるで鋼で出来ているかの様に一欠片も砕けない。捻る事もままらない木箱に、良い加減腹が立ってキレそうだ。

 

 もうそろそろ目が痛い。いや、熱い。

 

 何かが千切れる音がする。それと同時に暖かい何かが頬を伝った。何だろうか。涙? 然しそれにしては目の前が滲んでいない。

 

 狗巻くんが何かを叫んでいる。けれどその言葉が私に届く事はなかった。ただの事実として私の脳内に流れる。

 

 早くこの木箱を壊さないと。けれどこれ以上どうしたらいいか分からない。

 

 あぁ、もう何だって良い。この目と、体が壊れたって良い。いっその事動けない体になったって構わない。

 

 ただ一つ、この木箱を──。

 

「──明太子!!」

 

 狗巻くんが叫ぶ。その瞬間、私の体は後ろに引かれる。我に帰った時にはその木箱は音を立てて大きく壊れた。

 

 身を切るを程の風が私たちを襲う。思わず目を瞑る。私は飛ばされない様に自身を包んでいる何かに必死にしがみ付いた。

 

「こんな所に居たのかい?」

 

 声が聞こえた。その声は私でも、況してや狗巻くんでもなかった。

 

 もっと凛とした、素敵な声。

 

 目を開ける。薄暗かった室内に光が差し、暗闇に慣れてしまった私の目は痛みで震えた。けれど何とか一瞬で光に目を慣れさせ、前を向く。

 

「何とか間に合ったみたいだね」

「──冥冥さん」

 

 そこに立っていたのは冥冥さんだった。冥冥さんは大きな斧を片手で持っており、此方を見下ろしていた。

 

 戻って、来たのか?

 

 辺りを見渡し、部屋の中が呪力を纏っていない事を確認して、ようやっと脱力した。

 

「た、助かったー。もう一時はどうなる事かと思ったけど、以外に早く出れて良かったね」

「しゃけ」

「だいぶ大変だったみたいだね。こっちも少しばかり焦ったよ。ま、その分ギャランティを上乗せするから構わないよ。此方としても金が多く入るのに越したことはないからね」

 

 そう言って冥冥さんは右手の親指と人差し指を付けて輪っかを作る。所謂、お金のポーズだ。この人は本当に、お金が大好きらしい。こんな状況でお金の事を考えられるのは素直に尊敬する。

 

「昔此処は神社だったらしいね」

「え?」

 

 先程の様子から一変して、そんな話をする。

 

 急に何だ?

 

「此処は元々水子供養の神社だったんだけれど、此処の家の持ち主が土地を買い取って無理矢理に家を建てたらしいね。この町に住んでいるご老人たちはよく思わなかったそうだよ。きっとこの人たちが許せないっていう神様の信仰故にあれは呪いを纏い、呪物になったんだね」

「……どうりで」

 

 冥冥さんの言葉に吐息混じりにそう言う。これで漸く全てのピースが嵌った

 

 そうか。だからあの臍の緒。冥冥さんの様子から言って、冥冥さんもあの臍の緒の入った木箱を壊したのだろう。けれど、それはきっと同時ではない。私が術式を流している間に運良く冥冥さんが木箱を見つけ、攻撃してくれたから私たちは帰ってこれた。

 

 私たちはもっと冥冥さんに感謝しなくてはならない。

 

「ところで」

 

 目線を私たち二人に移す。その姿に、私と狗巻くんは首を捻った。

 

「随分近い様だけど、君たち二人は何をしていたのかな?」

 

 冥冥さんの言葉に、私と狗巻くんは目を合わせる。狗巻くんの顔は思ったより近く、長いまつ毛と大きい瞳が目の前にあった。そして今になって漸く狗巻くんが私を抱きしめていると言う事に気付いた。

 

 自覚した途端、私の顔が徐々に熱くなっていった。いや、分かっている。狗巻くんは私を守る為身を挺して守ってくれた事を。然し弟以外の男性と接点がほぼないと言っても良いくらい男の人とあまり関わってこなかった私は慌てふためき距離をとる。

 

「あ、う、ご、ごめん! 狗巻くん! いや、私は何も悪い事はしてないんだけど、その、えっと……!」

「た、高菜!」

 

 私と狗巻くんは同じタイミングで互いに距離をとる。狗巻くんも同じ事を思ったのか、私と同様慌てた様子を見せていた。

 

 無言の時間が流れる。私と狗巻くんはお互い気不味く、二人の間に妙な雰囲気が流れた。

 

 なんだこれ。何だこの空気。あまりに気不味過ぎて混乱してきた。いや、誰がどう何か悪い事した訳じゃなくて、狗巻くんはただ単に私を守ろうとしてくれただけでそれ以上の感情はない。私だってそれは分かっている。

 

 ただ抱きしめられた。その事実が堪らなく気恥ずかしい。けれどそこに嫌悪は存在しなかった。

 

「良い雰囲気になっているところ水を差すようで悪いけど、少し良いかな」

「別に良い雰囲気になってないけど、何?」

 

 照れ隠しの様に、ぶっきらぼうに冥冥さんの言葉にそう返す。そうだ、こんな事をやっている暇はない。今すぐ帰って報告書を書かなければ。まぁ今は夏休み。時間はいくらでもあるのだが、こんな所にはあまり長いはしたくなかった。

 

 そういえば、もう夕方だった筈である。時刻を考えればもう暗口なっても良い時間なのだが、外はまるで昼間の様に明るかった。

 

 ……どう言うことだ?

 

 私が訝しんで外を見ていると、冥冥さんはまるで明日の天気でも話すかの態度で口を開いた。

 

「どうやら君たちが取り込まれた場所と私がいた場所は時間軸が違う様でね、あれからもう二十日程経過していてね。今はもう九月過ぎているよ」

 

 ガタリと狗巻くんと私は立ち上がる。あまりに雑談の如く喋るものだから一瞬無視しかけてしまったが、それでもそれは無視出来ない。

 

「え、じゃあ、もしかしてもう……」

「うん。学校はもう始まっているよ」

 

 私と狗巻くんは目を合わせる。

 

 外から冷たい風が吹く。その風には前までの生温かさはなかった。

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